最終話 女性に安全な快楽を
「なっ! こ、これって? ちょ、っと、あ、な、た! 私達に一体、な、なにを、したの?」
ヨハンは、その質問に微笑んだ。彼としてはどうやら、その質問を待っていたようである。
「しりたいですか?」
「え?」
「自分達が今、どういう状態なのか? それを詳しく」
しりたい。そう答えたのは、彼の顔を見ていたアリスだった。アリスはテーブルの隅にしがみつく事でなんとか立ちつづけていたが、それもだんだんと辛くなったらしく、ヨハンが彼女の顔に視線を移した時にはもう、苦しげな顔で彼の目を見かえしていた。
「お、おしえて。どうして、こんなに気持ちいいの?」
「それは」
ヨハンは「ニヤリ」と笑って、彼女達に一本の試験管を見せた。試験管の中には、琥珀色の液体が入っている。
「この液体が原因です。こいつは、僕の商売道具に手を加えた物で」
「て、手をくわえ、たもの?」
「そうです。僕の商売道具である、特性のオイルに。こいつは本来、食用ではありませんが。今回の催しに備えて、食用のオイルに変えたんです。人間が食べても害のないようにね? その調合には、かなり疲れましたが。それでも」
「う、くっ」
「人間の欲望を満たす、貴方達の快楽を満たすには、十分な効き目がある。それを解きはなつ効果も」
「よ、欲望をときはなつぅ?」
アリスはその言葉に驚いたが、それも長くはつづかなかった。彼女が「快楽」の部分に目を見開いた時にはもう、その身体にオイルがすっかり効いていたからである。彼女は普段の彼女なら決してもらさない事、自分の本音をすべて打ちあけてしまった。
「ああいい、いいよぉ! ノリス、好き! あたしは、あんたの事が大好き! あんたと一緒に話しているだけで、自分の胸がいつもドキドキしちゃう! 胸の奥がキュンとしちゃう! それくらいに好きなの、あんたの事が。あたしは、あんたにだったら」
ミレイはなぜか、その言葉に胸を痛めてしまった。その言葉自体は色っぽかったが、そこに秘められた思いがあまりにせつなかったからである。それからつづいた「抱きしめられてもいい!」という言葉からも、その思いがひしひしと感じられた。彼女は悲しげな顔で、その思いをじっと聞きつづけた。
「アリス……」
アリスは、その声に気づかなかった。彼女の周りにいた少女達も、自分の本音ばかりに意識を向けている。彼女達はヨハンが元相棒の肩に手を置いた後も、うれしそうな顔で自分の欲望を叫びつづけた。
「い、いい、いいよぉ! もっと叩いてぇ!」
ハウワーは、その光景から視線を思わず逸らしてしまった。彼女としては、その光景があまりに驚きだったらしい。
「あ、あの子達が、こ、こんなにも乱れるなんて」
「信じられない?」
「う、うん」
「そうか。でも、これが真実なんだ。彼女達が自分のうちに秘めている欲望。僕は、その欲望を解きはなっただけだからね? 別に特別な事をしたわけじゃない。彼女達は、自分が他人に一番見られたくない欲望を見せているだけなんだ」
ヨハンはハウワーの顔に目をやって、それから周りの少女達を見わたした。
周りの少女達は、その視線に青ざめた。特にハウワーの視線には、ヨハン以上の恐怖を覚えているようで、テーブルの端にしがみついているアリスはもちろん、それ以外の少女達も、恥ずかしげな顔で二人の視線に赤くなっていた。
「い、いやだぁ。みないでぇ!」
ヨハンは、その声を無視した。冷たい態度ではなかったが、その声をすっかり聞きながしていたのである。
「人間はね、自分の快楽には抗えないんだ。『快楽』っていうのは、人間がこの世に生きている証だからね。それを
少女達は、その言葉に俯いた。その言葉はたぶん、正しい。もっといえば、それが生きる真理だろう。人間には、人間のいやらしさがある。「自分の命を次に繋げたい」という欲望、それを促す快楽と責任がある。それらから目を背ける事は、自分の命から目を背ける事なのだ。「自分はどうして、この世に生まれたのか?」という真理から目を背ける事なのである。彼女達は身体の快楽に悶える中で、その真理をうすうすと感じとったようだった。
「ご、ごめんなさい。ハウワー。どうか」
許して、と、少女達はいった。
「私達の事を」
ハウワーはその言葉に胸を打たれたが、それよりも先に身体の方が動いてしまった。「彼女達の事を抱きしめたくてたまらない」と、そう内心で思ってしまったのである。彼女は少女達の前に歩みよると、最初はやはり戸惑ってしまったが、それも数秒後にはすっかり忘れてしまって、彼女が気づいた時にはもう、少女達の身体を一人一人抱きしめていた。
「うんう、もう、いいの。だから!」
「うん!」
少女達は、彼女の身体を抱きしめつづけた。それが彼女に対する謝罪かどうかは分からなかったが、アリスがテーブルの端から手を放した頃には、お互いに「ごめんね、ごめんね」といいあっていた。少女達は少しの罪悪感を残していたようだが、どこかうれしそうな顔で自分の涙を拭いつづけた。
「本当にごめんなさい」
ハウワーは、その言葉に首を振った。それを見ていたヨハンやミレイも、穏やかな顔でその光景を眺めている。三人は変な優越感も、妙な高揚感もなく、それぞれの顔を見あっては、穏やかな顔で顔の仮面をとったり、元相棒の隣に立ったりした。
ミレイは、隣の少年に目をやった。
「よかったね」
「うん。でも、まだ」
「まだ?」
「すべての問題がなくなったわけじゃない。彼女達の中にはまだ、今回の傷が残っている」
「そう、だね。私の中にも、まだ……」
「ミレイ?」
「うんう、なんでもない。それは、私がなんとかするから。彼女達の傷を」
「そっか」
ヨハンは、隣の少女に笑った。ミレイも、隣の少年に笑いかえした。二人は互いの顔をしばらく見あったが、アリスがヨハンに「ねぇ?」と話しかけると、それぞれの顔から視線を逸らして、彼女の顔に視線を移した。
ヨハンは、目の前の少女をまじまじと見た。
「君は?」
アリスも、彼の顔を見かえした。
「アリス、だけど?」
アリスは警戒心半分、好奇心半分で、目の前の少年を見つづけた。
「あなたは?」
「僕はミレイの、しがない快楽屋だよ」
「快楽屋? そ、それじゃ、今日のこれも?」
「まあね。これ以外の作戦も、いろいろと考えたけど。ダナリの気持ちを分かってもらうためには、『こうするのが一番いい』と思ったんだ。他人の気持ちをしるには、他人と同じ思いをしなくちゃね? 相手の事は、ずっと分からない」
アリスは、その言葉に押しだまった。彼がダナリと(たぶん、ミレイとも)知りあいだったのも驚きだったが、それ以上に今の言葉がいろいろと響いてしまったからである。彼女は自分の気持ちをなんとか落ちつけると、真面目な顔でヨハンの顔を見かえした。
「あたしは」
「ん?」
「相手の気持ちは分かっても、自分の気持ちは……うんう、本当は分かっていたのに」
「そこから目を背けていた? 自分の本心を押しころして?」
アリスはまた、彼の言葉に押しだまってしまった。彼はどうやら、そういうところも頭が回るらしい。それを聞いているアリスはなぜか、「え?」と驚いていたが。
「ノリスはね、あたしの執事なの。少し頼りないけどね? でも、とても誠実な」
「その人の事が好きなんだね?」
「うん、とても好き。大好き。ノリスの事は、今も。けど」
「けど?」
そこから先をいわなかったのは、彼女なりの意地だったのもしれない。「自分の恋敵に『それ』を教えたくない」という。だからヨハンに「なんでもない」と返した時も、どこかせつなげな様子だった。アリスはその表情を抑えて、ヨハンの方にまた意識を戻した。
「あなたは、誰かに恋しているの?」
「僕は……うん、誰にも恋していない。昔は、そういう人がいたけどね? 今は」
「そう、なんだ。それじゃ」
「ん?」
「新しい人を見つける気持ちは?」
「それも、今のところは。僕には、僕のやるべき事があるからね」
「ふうん」
アリスはその場にしゃがんで、地面の上を撫でた。
「あぁあ。現実はどうして、こうも思いどおりにならないんだろう?」
「それが現実だからさ。想う人には想われず、想わぬ人に想われて。僕達は、そういう現実に生きている」
「現実って、理不尽ね」
「うん。でも」
「でも?」
「だからこそ、生きる意味がある。自分が生きていれば、その理不尽をくつがえせるかもしれない」
「そうかもね」
アリスは、自分の足下に目を落とした。
「確かにそうだ」
ミレイはその言葉に胸を痛めたが、それに応えようとはせず、真面目な顔で隣のヨハンにまた話しかけた。
「ねぇ、ヨハン」
「なに?」
「これからもまた、会えるよね?」
ヨハンはその言葉に押しだまったが、やがて「クスッ」と笑いだした。その言葉は、彼の心を少しだけ揺るがしたらしい。
「それは、なんともいえない。今回限りかもしれないし、これからもまた会えるかもしれない。すべては、紅茶の善し悪し次第さ」
「ヨハン……」
「ミレイ」
ヨハンは「クスッ」と笑って、彼女の頭を撫でた。
「大丈夫。人とのつながり方は、なにも身体だけじゃないから」
それにミレイが「うん」と返さなかったのは、彼女なりの諦めだったのかもしれない。彼女は元相棒の顔を見ようとしたが、彼女が自分の隣に視線を向けた時にはもう、彼の姿がすっかり消えてしまっていた。
「ヨハン。私は」
そこから先は、彼女だけの秘密。彼女だけに許された、彼女だけの本音である。だからヨハンにも、それを聞かせるわけにはいかない。彼がたとえ、自分の店に帰った後でも。それは永遠の秘密として、元相棒の中に残りつづけた。
ヨハンは、自分の助手に微笑んだ。それが作戦成功の合図だったからである。
「心配かけてごめんね? 作戦の方は、うまくいったよ」
「そうですか! それは、よかったです。ヨハンさんの作戦がうまくいって」
「うん、本当によかった」
ヨハンはテーブルの椅子を引いて、その上にゆっくりと座った。
「あとは、彼女達次第だね。これから一体、どうするかは」
「はい」
セーレは不安な顔で、彼の前に歩みよった。これからしようとする事は、彼女にとってかなりの勇気がいる事だったからである。
「あ、あの、ヨハンさん」
「なに?」
「今すぐじゃなくてもいいので。今度、二人でどこかに出かけませんか? わたし、ヨハンさんと一緒にいきたいところがあって」
「そっか。うん、いいよ」
「ほ、本当ですか!」
セーレはうれしさのあまり、店の中を歩きまわってしまった。
「やったぁ! わたし、前からずっといきたかったところがあるんです」
「へぇ、どこに?」
「町の劇場です。劇場の舞台が、どうしても
「なるほどね。それなら僕も大賛成だ」
「え?」
「僕にも、そういう趣味があるからだよ。劇場の一番いい席に座って」
店の扉が開いたのは、ヨハンがその続きをいおうとした先だった。ヨハンは助手との会話を止めて、店の扉に視線を移した。扉の前には、カノンと……もう一人は誰だろう? 年齢の方はカノンとそう変わりないようだが、どこか地味な印象で、隣のカノンに「大丈夫よ?」といわれた時はもちろん、それから店の中に入った時も、不安な顔で店の中を見わたしていた。
「あの人は?」
ヨハンは椅子の上から立ちあがって、常連客の連れてきた少女をまじまじと見つづけた。
「あの?」
カノンは、その言葉をさえぎった。どうやら、「ここは、自分が話した方がいい」と思ったらしい。
「ごめんなさい。突然きちゃって」
「い、いや。それは、別にいいんだけど? その人は?」
「ああうん、彼女はね」
カノンは「ニヤリ」と笑って、少女の髪を撫でた。
「ロジク君。貴方は確か、観劇も好きだったわね? 町の劇場で、その舞台を観るのが」
「う、うん、好きだけど? それが」
「彼女は、それの主演女優よ」
それを聞いたヨハンが固まったのは、いうまでもない。ヨハンは改めて少女の顔をまじまじと見たが、少女が自分の変奏を解くと(どうやら、これは彼女の変装だったらしい)、今までの空気を忘れて、年相応の反応を見せてしまった。
「ま、まさか、貴女は! ナムリィ・バン?」
「は、はい! そうです。私は」
「もちろん、しっています! 貴女の舞台をいくつも観ていますから! しらない方がおかしい。観劇を趣味とする人なら、誰でもしっている大女優です!」
「そ、そんな、大女優なんて」
いいすぎです、と、彼女はいった。
「私はただ、運がよかっただけで。私の舞台を観てくださったのは、とてもうれしいですけど?」
彼女は、照れくさそうに笑った。それがセーレにある種の危機感を抱かせたが、ヨハンが彼女に「その大女優がどうして?」と訊いた事で、その不安を少し忘れてしまった。
「今日はその、『あなたの奉仕を受けよう』と思いまして」
「僕の奉仕を?」
「は、はい。今度の舞台で……これはここだけの秘密にして欲しいんですが、そういう役を演じる事になりまして。私は……これもお恥ずかしい話ですが、そういう経験がまったくないものですから。今度の役に自信がイマイチ持てないんです。カノンさんには……彼女とはずっと前から仲よくさせていただいていますが、『私なら大丈夫』といわれていますけど。それでも、やっぱり」
「不安なモノは、不安?」
「はい。だから、カノンさんにお話したんです。『役の事で悩んでいます』って。そしたら、このお店を教えていただいて。このお店は、そういうのを味わえるところなんでしょう?」
「そうですね。ある意味では、そうかもしれません。『快楽』という世界をしる意味なら、ここはそういう店かもしれない」
貴女は、と、ヨハンはいった。
「ここでの経験を活かしたいんですね? 自分の役に」
「は、はい! 男女の交わりは、『流石に不味い』と思いますので。それに近いモノを味わえるのなら」
「なるほど。それは、正しい判断です。ここは、女性の欲望に奉仕する店。安全な快楽をご提供する店ですから」
ヨハンはテーブルの椅子に彼女を導いて、その上に彼女を座らせた。彼女に自分の紅茶をごちそうするためである。彼はカノンにも同じ紅茶を煎れると、お客の気持ちが落ちついたところを見はからって、店の浴室に彼女を導いた。
「まずは、このお風呂に入ってください。自分の気持ちを落ちつかせるためにもね? 気持ちの落ちつきは、快楽にはどうしても必要です。このお風呂から上がったら、次は」
ヨハンは、店の寝台を指さした。
「あの寝台にいきます。その時はもちろん、裸のままでいってください。浴室のバスローブを着てもいいですが、そこでは必ず脱いでもらいます」
「わ、分かりました」
ナムリィは、その言葉に淡々と従った。お風呂の中に入った時はもちろん、そこから上がって身体の水気を拭きとった時も。彼女は不思議な恥じらいを覚えつつ、真面目な顔で寝台の上に寝そべった。
「お、お待たせしました」
ヨハンはその言葉に首を振ったが、やがて「それでは」と笑いだした。
「女性に安全な快楽を」
不思議なオイルが大好評! 利用客は、全員女性です【改訂版】 読み方は自由 @azybcxdvewg
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