アスファルトを蹴る音と枯れ果てた落ち葉を踏む音だけが響く秋の静寂を、僕は一人歩いていた。あたりは暗闇に染まっていた。先の見えない道を運ぶトンネルに、半分の月が放つ光と今にも消えそうな街路灯、そしてその周りに集まる名前も知らない虫。目に映る全てが、この月夜の下では美しく見えた。けれど、秋の空気と風が吹く度にその景色にスモークがかかった様になる。

 

 今日もまた、友人との約束を破った。遊園地で遊ぶ約束だった。特段その人が嫌いとかそういうわけではなくて、ただなんとなく行きたくないとかいうそんな漠然とした理由だと思う。

 だけれど、その罪悪感が舌に残り、それを払拭するために今こうして外に出ている。だけれど、その目的を果たすのに秋の夜は向いていなかったのかも知れない。秋の夜の空気は吸う度に、どこか寂しげな味が体全体の血管を巡り通し濃度を高めて、寂寥感が否応なしに増していく。秋の冷たい風が頬を滑れば、その度に心が傷ついていく気がして、罪悪感はおろか、不快感まで湧き出てくる。


 トンネルへ入ると、中には所々に蛍光灯があるだけで——しかも今にも消えそうな——先を照らすものは何もなかった。

 その蛍光灯に照らされたカラースプレーで描かれたであろう誰か宛の悪口を書いた文字の羅列や謎の生物は、いつのまにか出来た汚れに存在が鈍くなっていた。

 車が通れば、車が放つハイライトが目が痛いほどに光る。こんな時間なのに、車を運転をする物好きがいるのだなと思った。いや、ブラック企業で働いていて帰るのが遅くなった、哀れな人間なのかも知れないが。

 

 トンネルを出ると、トンネルの入り口にひっそりと佇む透明なボックスに入った公衆電話があった。一筋の希望が差すように月明かりに照らされているその公衆電話は指で触れたらすぐに崩壊してしまう様に思えるほどだった。

 

 僕は徐ろにその透明なボックスの中に入った。中には蜘蛛の巣や虫の死骸は存在せず、定期的に掃除もしくは誰かが利用していることを思わせた。


 そこで僕は一枚の手紙を鞄から出した。

 律儀に封筒に入っていてテープで止められていた跡がある。貰ってから5年以上が経ち色褪せている。そして、水のようなものが濡れた丸い円状の跡も、消えかけていた。

 封筒からその手紙を出して、改めて見るとやはり彼女の存在を詰め込んだようだった。時々使うよくわからない例えに、それに似合わぬ頻繁に使われるビックリマーク、手紙の時だけ敬語風になる語句、そして手紙の最後には必ずQEDをつける不思議なところ。一体何の証明なのだろうかと、当時はよく考えた。だからといって、その真相を聞くために好きな人と電話をして尋ねる勇気はあの頃の僕には微塵もなかった。



 彼女は、僕のことを覚えているだろうか。

 そんな淡い期待から、僕は100円玉を鞄に入っている財布から出す。

 受話器を持ち、100円玉を入れ手紙に書かれた電話番号に電話をかける。




 『...もしもし?』

 あぁ確か、こんな声だったな、と追憶する。

 「朱音ちゃんですか?」

 『...誰、ですか?』

 儚くどこか透き通っているその声は、きっと彼女の声なんだと思った。

 「丸山ハルト、って言えばわかりますか?」

 しばらくの沈黙を置いた後、彼女は放った。

 「...すいません、かけ間違えだと思います」

 そして、ガチャっと電話が切れた音がした。


 そうして、期待の糸は簡単に切れた。


 よく考えれば、おかしいんだ。5年以上も前の携帯電話をまだ使っているはずがない。それも朱音ちゃんが。朱音ちゃんちは、お金持ちだった。だから、楽器も買ってもらえて、携帯も買ってもらえて———それなのに威張らないところだったり、みんなに普通に接したり、遊んだりしてるところに惹かれたのだけれど。

 

 では一体誰だったのだろう。わからない。全く知らない赤の他人なのかも知れない。でもあの声は、たぶん朱音ちゃんだと思う。もしかしたらきっと、朱音ちゃんは本気で僕のことを忘れたのかも知れない。でもそれは当たり前であり、必然だった。あの手紙、1通しかやりとりをしていないから。中学の頃は比較的なかのいい方だったけど、誰とも仲がよい朱音ちゃんにとってはきっと話してくれる一人の人間、としか捉えられていなかったんだろう。


 それに声変わりだってした。酒焼けしてガラガラになり、加えて煙臭いこの声だ。

 あの頃の、声変わりをする前の、純粋無垢なあの声はもうどこにも存在しない。どこにもないのだ。


 すべて、一方的な恋だった。


 数秒で終わったその通話に100円もかかるわけもなく、使わなかった分のお金が悲しみを運んで戻ってきた。




 どうせなら、このお金全てを使い果たしたかったな。



 透明なボックスから出ると、僕は鞄から煙草を出した。一体この鞄にはどれだけ詰まっているのだろうと、自分ながらに思った。

 

 ライターで火をつけ、煙草を口にする。吸い込む度に、あまりの苦さとメントールの鼻を突き抜ける痛さに苦しくなった。



 落ち込んだ時の煙草は本当にまずいのだな、と理解する。



 肺いっぱいに1センチ程黒くなったところで口から離す。


 風は既に止んでいて、空高く上がり月明かりに照らされる煙は、満点の星空に消えていった。




 

 






 


 

 

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公衆電話はもういない ミヤシタ桜 @2273020

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