後編

 ––––俺と同じように、頭を割って目をえぐってやる。


 殺したくてたまらなかったアイザックが、何の因果か小屋に転がり込んできた。

 突然現れたかと思うと、今度は「敵に追われているからしばらくかくまって欲しい」と言ってきたので、これ幸いとサミュエルはアイザックを招き入れたのだ。


 自分の全てを奪ったこの男に、やっと復讐ができる。

 寝静まるのを待っていたサミュエルは斧を強く握りしめ、何の迷いもなく思い切り振りかぶった。


「ダメ…!」


 ハッと声の方を振り返ると、アイザックが連れてきたお腹の大きいシルビアという女が戸口に立っていた。長くうねる純白の髪が、自分とは全く違う人種であることを悟らせた。シルビアは、ここにいる誰よりも魔力の強い魔女なのだ。


 ––––寝ていたと思ったのに、俺に気が付いて起きてきたのか?


 そう思った時、斧がフッと軽くなった。驚いて前を向くと、目を覚ましたアイザックがサミュエルの斧を握っていた。

 長年軍隊を統率してきたアイザックの目が、鋭く光ってサミュエルを捉える。


「くそ……!」


 サミュエルはピクリとも動かない斧から手を離し、後ずさった。

 するとアイザックが立ち上がり、口を開いた。


「私を殺そうとしたのか?」


 サミュエルがゴクリと唾をのみ込み、震える声で叫んだ。


「ああ、そうだよ。俺はお前を殺すために生きてきたんだ。なんの罪もない俺の親を殺した、お前をな……! この6年間、思い出さなかった日は一日もない。父さんと母さんはもう帰ってこないから、せめてお前だけでも殺してやる!」

「お前の恨みは良く分かってるつもりだ」


 一度目を伏せたアイザックが、斧を片手にじりじりとサミュエルに近寄る。


「だが、ここで死ぬわけにはいかない。今はな」


 アイザックがサミュエルの顔に手を伸ばした。

 逃げようと後ずさりを続けるが、狭い小屋の中、すぐに壁へと追い詰められてしまった。もう逃げ道はない。


「や……、やめろ!」


 ––––殺される!


 そう思った時、頭を吹き飛ばされた時の記憶がよぎった。

 自分を助けてくれた父はもういない。死の恐怖に怯えた時、緑色の光がボワッとサミュエルの頭を包んだ。

 予想と違い、いつまでも頭を貫かれるような衝撃は襲ってこない。


「なんだ……?」


 おかしいと思ってサミュエルが恐る恐る目を開けると、目の前がはっきり見え、左手に触れるテーブルと自分との距離が正確に分かった。右目を失ってから、しばらくなかった感覚だ。

 右目が、見えている。


「お前、俺になにをした……!」

「これで許されるとは思っていないが、せめてもの罪滅ぼしだ。私がしたことは本当に悪かったと思っている」

「こんなものいらない! 元に戻せぇぇぇ!」


 今更謝って欲しいなんてカケラも思っていない。

 サミュエルは、心底憎んでいる両親の仇から受けた慰めによって、失った右目を取り戻した。しかし、それは憎悪をさらに増幅させた。怒りに任せてアイザックにつかみかかるが、サミュエルの倍ほど大きい体に、簡単に両手首を捕まえられる。


「おい、暴れるな」


 自我のコントロールを失ったサミュエルに狼狽していると、シルビアが一歩前に出た。


「私はこの国で一番強い魔力を持っていて、人の望みを叶える力があります。もしそれが救いになるのであれば」


 シルビアが胸の前で手を組み祈り始めた。

 すると、シルビアの体から温かい黄金の光がキラキラと部屋中に舞い、その光が降り注いだサミュエルは抵抗する間もなく意識を手放していった。






「おい、サミュエル。起きろ。母さんのために、母さんの大好きなクロムオレンジを取りに行くぞ!」


 サミュエルはベッドの上でガバッと身を起こし、目の前の光景を疑った。


「お父さん……? 生き返ったの?」

「ははは! まだ寝ぼけてるのか? 父さんはこの通り元気だ。早くしないとクロムオレンジが熟れてしまうぞ! もうすぐ生まれてくるお腹の子のためにも、とびっきりおいしい実を持ってきてやろう」

「……うん!」


 シルビアの能力で、両親が生き返った。

 すぐには信じられなかったが、目の前で笑う父親に手を伸ばして腕をつかむと、筋肉質の腕にはきちんと血が巡っており、暖かい体温が自分の手に伝わってきた。


 ––––本当に生き返った。


 サミュエルは満面の笑みを父親に向けた。


 外に出て父親が口笛を吹くと、大きな羽を広げた鳥が一羽舞い降りた。サルバドールは動物と話ができる能力の持ち主で、いつもこの鳥に乗って空を散歩している。鳥の頭を撫でると、鳥も嬉しそうに頭をすり寄せた。

 

 魔法使いは、その魔力量に合わせた特殊能力を一つだけ持っている。魔力を使い切ると命に係わるため、身の丈以上の魔力は使えないが、サルバドールが動物と話ができるのもその能力のおかげだ。


 親子はその鳥にまたがり、天高くのぼって行った。


「うわぁっ! 高い!」

「ははは! いい気持ちだろう。寒くないか?」


 サミュエルは暖かい正午の太陽を浴びながら父と共に風を切って飛んだ。

 良かった、お父さんが生き返ったんだ。渇望していた父との再会に幸せを噛み締め、太陽が一番高く上った時に食べごろを迎えるクロムオレンジを収穫した。


「お母さん、ただいま! お母さんの好きなクロムオレンジを沢山採ってきたよ」

「サミュエル……サルー……」

「どうした、ミュゼット!」


 2階の寝室で、額に汗を流しながら母が苦痛に顔を歪めている。


「大変だ、サミュエル! 急いでお湯を沸かせ! 赤ん坊が産まれるぞ!」

「……分かった!」


 サミュエルは焦りながらも期待に胸を膨らませ、急いで小屋の外にあるキッチンでお湯を沸かし始めた。


 ––––きょうだいか……どんな赤ん坊が産まれてくるんだろう。男かな、女かな。どっちにしても、僕は立派なお兄ちゃんになって、お父さんみたいに守ってやるんだ。


 お湯の中でグラグラ沸いてくる気泡と共に、サミュエルの期待も湧きあがった。


「お父さん、お母さん、お湯を沸かしてきたよ!」

「サミュエル、えらいぞ! さすが父さんの自慢の息子だ!」

「サミュエルはきっといいお兄ちゃんになるわね。サミュエルがいてくれて本当に助かるわ。ありがとう」


 すぐに赤ん坊の産声が聞こえた。


 良かった、無事に産まれた!

 これで、一家4人の新しい生活が始まる。


 喜びに満ちたサミュエルが、父の取り上げた赤ん坊の顔を覗き込んだ時、なぜか赤ん坊の顔がかすみ始めた。それだけじゃなく、父と母の姿も霧のように消えて行く。


「あれ、どうしたの? お父さん、お母さん⁉」





 目をこすると、見慣れた薄暗い小屋と、アイザック、そして息を切らしながらぐったりとアイザックにもたれかかるシルビアが見えた。


「……どういうことだ。今のは……。俺のお父さんとお母さんは? 産まれてきた赤ん坊は?」


 サミュエルは何が起きたのか分からず周りをキョロキョロ見渡した。


「シルビア、魔力が枯渇しかけている。お腹に子どもがいるのに、無茶をし過ぎだ。二人とも死んだらどうするんだ」

「アイザック、あなたの能力でずっとこの場所を王の目から隠しているんでしょう? あなたも相当魔力を消費しているはずです。私のために、これ以上は無理をしないで」


 サミュエルがシルビアを見た。

 苦しそうな顔のシルビアも、目線に気が付きサミュエルを見つめる


「お前がやったのか?」

「もう少しだったんだけど、ごめんなさい。力が足りなくて……」


 申し訳なさそうにシルビアが顔を歪める。


「お前ら、二度も俺から両親を奪ったのか……!」


 最愛の両親、そして産まれてきたばかりのきょうだいを失い、サミュエルの心が崩れた。

 そして、近くにあったフォークを振り上げ、自分の右目に突き刺した。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「なにをしている!」

「こんなものぉぉぉぉぉぉ!」


 アイザックがそっとシルビアを壁にもたれかけさせ、急いでサミュエルの手を掴んで制止した。


「落ち着け、早まるんじゃない!」


 そう言うと、自分の首飾りから緑色の石を力まかせに引きちぎり、サミュエルにかざして祈りを唱え始めた。


「神よ。わたしの祈りを受け入れたまえ。願わくは、我が与えし孤独と恐れを洗い流し、かわりに安らぎと愛がサミュエルに降り注がんことを。この言葉の真実のしるしとして、喜んでこの命を捧げん」


 祈りが終わると、アイザックの手にあった石がサミュエルの中に消えた。

 突然右目の痛みが消え、不思議に思ったサミュエルが、魔石と同じ淡い緑色の右目を開けた。

 その目には、アイザックがゆっくり倒れ、ドサッと床に転がる様子が映った。


「今度は何をした……」

「私を殺したいのなら殺せばいい。お前に私の魔石を贈与した。お前に殺されなくても、魔石を失った私は、どうせしばらくしたら死ぬ」


 アイザックは起き上がろうともせず、転がったまま力なく呟いた。

 その言葉を聞いたシルビアが、両手で口を覆い静かに涙を流した。


 大量の魔力の詰まっている魔石は、魔法使いの心臓のようなものだ。つまり、魔石の贈与は死を意味する。

 それを今、サミュエルの目を守るために贈与したのだ。


 サミュエルの緑色の右目には、弱々しくアイザックの身を包む気が見えた。


 人間には、気というものが存在していて、「生命力が溢れるほど強くその身をまとう」と、サミュエルは父から聞いたことがあった。それを聞いていなくても、消えかけの煙のように見えるアイザックの気からは、直感的にその命が残り僅かであることを悟っただろう。


「その代わり、シルビアとその子どもだけは助けてやってくれ。お腹の子どもは、お前と同じ……混血だ」

「なんだと?」


 アイザックは、実の兄の結婚相手が異人種であったことをひどく恨み、混血であるサミュエルのことを殺そうとした。

 そのアイザックが、今度は混血の子どもを守ろうとしている。

 自分が憎んでいた兄と同じく、シルビアと身分違いの恋をしたというのか? そう思うと、サミュエルに雷が落ちたような衝撃が走った。


「は……はは。お前も、同じ道を歩んだってわけだ……。皮肉だな」


 サミュエルは床に転がるアイザックの襟をつかみ、締め上げた。力をなくした首がぶらぶらと揺れる。


「わかった。お前の大事なもの、産まれてきた子どもを、今度は俺が殺してやる」


 サミュエルがにやりと笑った。




 奇妙な3人の生活が始まって3カ月。

 シルビアに陣痛が訪れた。


「サミュエル、悪いがお湯を沸かしてくれ! 私は出産の準備を整える」

「簡単に命令しやがって。俺は召使いじゃないんだぞ!」


 サミュエルはブツブツ文句を言いながらも、素直にお湯を沸かしに小屋の裏に回った。

 グラグラとお湯が沸き始め、次々に上がってくる空気の泡を見つめていた。

 この状況がシルビアの見せた幻想と酷似していて、どうしても両親のことを思い出してしまう。あのまま幻想が現実になっていたら、どれだけ良かったか。これから産まれてくる子どもが本当の家族なら、どんなに幸せか。

 物思いに耽っていると、不意に父の声が聞こえてきた。


 ––––サミュエル、えらいぞ! さすが父さんの自慢の息子だ!


「……お父さん?」


 驚いて顔を上げたが「そんなはずはない」と頭を振り、沸いたばかりのお湯を持って小屋へと入って行った。


「頑張れ、シルビア!」


 2階の寝室は陣痛に苦しむシルビアの声が響き、今にでも産まれそうだった。

 サミュエルは桶に産湯を準備しながら、アイザックの手を握って力むシルビアをボーっと見上げた。

 すると、なぜかシルビアが母の姿と重なって見えた。


 ––––サミュエルはきっといいお兄ちゃんになるわね。


 お母さん……。


「おぎゃあ! おぎゃあ!」

「シルビア、よく頑張ったな!」


 赤ん坊の元気な産声が部屋に響き渡る。安心した顔のアイザックが、取り上げたばかりの赤ん坊を暖かい産湯につけ、タオルで包み母の胸へと渡した。

 それを放心状態で見ていたサミュエルは、吸い寄せられたかのように無意識に寝台に近づいていった。

 殺したいほど憎んでいた相手の子どもなのに、新しく産まれた命の奇跡を目の当たりにし、いつの間にか憎しみを忘れてしまっている。

 それに気が付いたシルビアが、愛情に満ちた母親の笑顔で、腕の中にいる赤ん坊をサミュエルに渡した。


「ありがとう、サミュエル。あなたのおかげで元気な子どもが産めました」


 サミュエルはおずおずと赤ん坊を受け取った。

 自分の腕の中にある小さな命は思っていたよりも軽く、守ってあげなくてはすぐに死んでしまいそうだ。それでも顔を真っ赤にして、小さい手を握ったり開いたりしながら一生懸命泣いている。

 赤ん坊の顔を見ていると、また母の声が聞こえてきた。


 ––––サミュエルがいてくれて本当に助かるわ。ありがとう。


 いつの間にか、サミュエルの目から涙が溢れていた。

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6年の時を経て、俺は今両親の仇を討つ 中村 天人 @nakamuratenjin

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