第一章 私をお食べください⑦

 六年前。 

 自らのなわばりの近くで、勝手にぼうぎゃくなふるまいをしていたていぞくな水竜を見つけたオルフェンは、おきゅうを据えるついでに、その不届き者がねらっていた生贄をかっさらったのである。

 とはいえ、その地域の風習がやっかいだった。海辺のあたりでは、ひとたび竜の生贄に捧げられた人間は、運よく助かったとしても同じ村で暮らしていくのは難しい。〝喰い残し〞と呼ばれてさげすまれるからだ。

 一度救ったイキモノは、せめてその後を見届けるところまでは責任を持ちたいものである。ならば〝喰い残し〞のへんけんがなく、安心して暮らせそうな内陸部に連れていくほかなかった。

 そこで、カメレアにがあったことを思い出したオルフェンは、幼い生贄の少女を背に乗せて神殿まで送り届けてやったのだ。

 ――〝助けてくれてありがとうございます、竜神さま〞

 今までいくとなく姿かたちを恐れられてきたオルフェンは、幼い少女から向けられたな笑顔が忘れられなかった。

 幸せに暮らしていてくれたらと願いながら、気づけばつこと六年。

 おかに運び上げたルーの顔を見た時に、おもかげがあるなと感じてはいたのだ。しかし、人間は成長すると顔かたちが変わることもある。

 人違いかもしれないと結局訊けずじまいだったが。ここに来て、無事に見立てが正解だったと証明されたわけだ。

(そら見ろ、やはりあの娘じゃないか……! 覚えてくれていたのか、俺のことを)  

 じわり、とあたたかいものが心に満ちる。

 おまけにルーは、「それから、これを」と言い置いて、ごそごそと首もとに手を当て、何かをの下から取り出した。かわひもで首にるしていたらしい。

「私、送り届けていただいている最中に、うっかり竜神さまの背で眠ってしまっていたみたいで……起きたら、カメレアの大神殿の門前にいたんです。その時、私のそばに残されていたのがこちらです。おそらく、黒い鱗の竜神さまのものでしょう。神官長さまのお話では、私を神殿に預けるための身元のあかしとして、わざわざ置いていってくださったのではないかと……」

 お蔭で、こうして無事に聖女見習いとなることができました、と。

 頰を染めながら彼女が示したのは、ほかでもない、オルフェンの鱗だ。

 きらきらとくろしんじゅのような輝きを放つそれを、ルーは「私の宝物です」と両手で抱きしめる。

 きちんと記憶にとどめてくれていたばかりではなく、こうして鱗まで大切に持ってくれていたとは。それだけでもかなり胸に迫るものがあった。

 

 ――が。そこまではいいとして、さて、これからどうしたものか。

(あの時お前を救ったのは俺だと正直に言うべきか? いや、……しかしそうすると、カメレアの加護をなぜ今俺がやっているかの理由も話さねばならんし……)

 何より、先ほどとっさに「なんでもない」と誤魔化してしまった手前、「それは自分だ」と言い出しづらくなってしまったのだ。

 しかも、気のせいではなければ、黒い竜の話をするときのルーの言葉選びに、……なんともこう、……いわく言いがたいが。

 ずかしいというか、居たたまれないというか。非常にむずがゆくも落ち着かない気持ちになってしまう。

 思わず視線をさまよわせるオルフェンに首を傾げつつ、ルーは、遠く記憶の向こうを見つめるようなまなざしを宙に投げ、ほわほわと淡く頰を染めてみせた。

「ほんとうに、ほんとうにうるわしく、かっこいいかただったんです。あの、黒い鱗の竜神さまは……」

「……そ、そうか」

「爪も牙もつのも、名工がうんと力を入れてきたえたくろがねのつるぎのようでした。そして、私を縛りつけていた鎖を、スパッと! それこそお野菜のように、両断してしまったんです」

「へ、……へえ……」

「鱗は、月を映した黒曜石のように美しくて。瞳は、煮えたぎる溶岩よりも熱く、紅玉よりも澄んだ緋色……あっ、ちょうどオルフェンさまのような」

ぐうぜんだ」

「? はい。そうですね、オルフェンさまは鱗も赤い火竜ですもの。それで続きなのですが、その黒い鱗の竜神さまは、たてがみも漆黒でいらっしゃいました。お姿は小山のようにおおきくてご立派で、翼は夜空のように広くて」

「さすがにそれは盛りすぎだろう」

「え? オルフェンさまは、ひょっとしてあのおかたをご存じでい」

「いや知らん。これっぽっちも知らん」

「……ですよね。残念……」

(しまった)

 とっさに、取り返しのつかない方向にかじを切ってしまった。

 もう今さら、やっぱり自分でしたとは言い出せない――と、思わず額を覆うオルフェンの前で、ルーはさらにうっとりと言葉を紡ぐ。

「お声も、ひびきのように低くじゅうこうで、それがもう本当にただただ素敵で……思い出すだけで、胸が高鳴ります」

「……そ、……そう、か……?   地響き……って、素敵か?」

「はい! とっても。あの黒い鱗の竜神さまは、私にとって絶対のおかた。とてもとても、特別で大切な思い出のかたなんです!」  

 ――〝黒い鱗の竜神さま〞……。

「……」

 それが自分だと分かった今、ルーの語るれいがもう、恥ずかしすぎてもんぜつする。今すぐ耳を塞いで床を転げ回りたいくらいだ。

 オルフェンは努めて冷静に心を保ちながら、「なあ、この話はそこまでにしないか」と場を収めにかかる。

 しかし、思わず視線を泳がせた彼の手を、ルーが摑んだ。

「いえ、せっかくなのでぜひ私の話をお聞きになってください! カメレアにお連れくださるあいだ、その背に乗せていただきながら心に書きとめた、『黒い鱗の竜神さま語録』があるんです」

(なんだそのしゅうしんだけ狙ってくししにしてくる題名の語録は!?)

 だいたい、絶対しょうもなくて適当な世間話しかしていないはずだ。知っている。分かる。だって自分だし。

「黒い鱗の竜神さまの語るお言葉は、それはそれはがんちくみ、そのらしいご経験をぎょうしゅくしたかのような……」

(か、かんべんしてくれ……!)

 

 ――よかった。自分だと言わなくて、本当によかった。

 

 それからとうとうと語られそうになった『黒い鱗の竜神さま語録』を、そくに「今日はもうおそいからろ。すぐ寝ろ。今寝ろ」と遮りながら、オルフェンは自ら寝たふりでやりすごすことにした。

(まいった)

 どうする。

 オルフェンは、人間のようにずきずき痛む頭を抱えた。

 

つくづく――見た目ばかりは繊細な、とんだ暴風娘を引き受けてしまったものである、……と。



※この続きは、2020年12月15日発売のビーズログ文庫で!

食べてほしい生贄の聖女vs絶対に食べたくない竜神さまの戦いの行方は……!?

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竜神さまの生贄になるだけの簡単なお仕事 夕鷺かのう/ビーズログ文庫 @bslog

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