第一章 私をお食べください⑥

 さて。



 岬のとったんからところ変わって、ざんふもとの奥神殿である。

(どうしたものか。わけの分からんことになった……)

 ルーとの「私を食べて」「誰が喰うか」のさんざんなおうしゅうに、オルフェンはつかてていた。

 地中深くに眠るえたぎったがん漿しょうから、じわじわとのぼってくる地熱のお蔭で、奥神殿は常時ほのかに暖かい。

 そして、基本的に無人とはいえ、せいそうや修復作業などでまれに人間が数日間入ることもある奥神殿は、宿しゅくはくのためのしんや調理具、長期保存のかんぶつなどが多少は揃えてあることも多い。ここも例にれずそうだった。

 いつもどこにしているセゲーレ湖の水中にまでルーを連れてはいけないオルフェンは、仕方なく、どうにか雨風がしのげる建物の中での生活に甘んじることにしたのである。

「供給がないからにはできるだけ力を使わず、人ともかかわらず、湖底でとにかくじっとり過ごす」をモットーにしている彼としては、これだけでもかなり生活の大変化だった。

(それはいいんだが。まったく、生贄だと? 誰が好きこのんで他者の命なぞうばうものか。……俺はただ、穏やかに過ごしたいだけだというのに……)

 ちなみに目の前には、ほこりを払ったベッドの上でひんの毛布にくるまり、すやすやと安らかにいきを立てる当のルーの姿がある。身を守るように丸まって目を閉じる様子は、昼間のせいが噓のように思われるほど弱々しくたよりない。

 

 だが、自分を今にも喰らいかねない竜神の前でのんに眠りこけられるあたりは、やはりどうにもきもが太いのかもしれない。

 そのがおをじっと見下ろしながら、オルフェンは昼間覚えた印象を強くしていた。

(……見れば見るほど、間違いない、よな……?)

 結局、もんどうの果てに、オルフェンの疑問は解決しないままだ。それはそれでもやもやとうっくつがたまる。

 すなわちルーが、――オルフェンの〝思い出の少女〞と同一人物なのか。

 オルフェンがその娘と出会ったのは、そう遠い昔ではない。少なくとも竜にとっては。

 時間にすればほんの数年ほど。彼にはまばたき程度のあいだだったが、ヒトはそれでも姿かたちを大きく変えてしまう。

 ちなみに、彼女がいつなんどき起きるとも限らないので、オルフェンは人間の姿を取ったままである。

(……この娘が、本当にあの時出会った少女だったとしても、なんにせよカメレアの聖女だ。最終的には、大神殿に返すまで。しかし……どうしたものかな)

 オルフェンは頭を抱えた。

 

 ――〝あなたさまに食べていただくまで、絶対に帰りません!〞


 

 なにせルーには昼間そう断言されたばかり。本当に弱った。オルフェンには、彼女を生贄として喰らうなど、あらゆる意味で〝あり得ない〞ことなのに。

 もっとも、ただちに竜の姿で「本当にとって喰うぞむすめ」とおどかしてやれば、さっさと話がすむのかもしれない。

 が、それで逆に、

「わあ! ご立派なお口! てきな牙! ひと息にばくんといけそうですね! これなら 私みたいな骨ばかりの生贄でもボリボリムシャアと難なく召し上がれるのでは、というわけでさあさあどうぞどうぞ」

 などと勢いづいてにじり寄られたら、それこそもう打つ手がなくなるので、保険もねた最終手段と考えていた。

 また、実のところオルフェンとしても、今すぐルーを大神殿に送り返すにははばかられる理由がある。


(……いったいなぜ、神殿から生贄など供出されることになったのだ?)


 現在カメレアを守っているのは、まさしくオルフェンだ。

 だが、オルフェンに生贄など要求した覚えはない。そして、ルーが見た黒羽の矢には、たしかに赤い竜の鱗が矢じりに使われていたという。

 その持ち主に、オルフェンは心当たりがあった。

あいつ・・・は悪ふざけが過ぎるところがあるからな……)

 その〝心当たり〞に想いをせながら、深々と何度目になるか分からないため息をついたところで、「あの……」と小さな声がかかった。

「オルフェンさま、お休みにならないのですか?」

「……ルー。起きたのか」

 いつの間にか、横たわっていたはずのルーが、眠そうに目をこすりつつ、半身を起こしてこちらを見ている。

「竜にとっての眠りはこうひんのようなものだ。ひっではない」

「そうなのですか? では、代わりに……私の笛の音をお召しになってみませんか」

「笛?」

「私は、笛姫見習いでしたので」

 にへ、と気の抜けた笑い方をすると、ルーは、がいと一緒に枕もとに置いた革袋をごそごそし始めた。オルフェンは思わずむ。

「それ、調味料入れじゃなかったのか」

「はい? もちろん調味料も入っています。よろしければお味見で召し上がります? もちろん、わた」

「しを、と来るんだろうが要らん。断じて要らん。訊くんじゃなかった……」

「あら、残念です。けれど、笛のほうだけでも、ぜひいかがですか。いけにえのつまみ食いには数えないでおきますから」

「つま……いやな言い方をするな」

 にこにこと微笑み、ここでも強い押しで迫ってくるので、オルフェンはこんわくしつつためらった。

(どうする)

 なんともどっを抜かれる娘である。もう少し言うと調子をくるわされる。

 こうして平気であいたいできるのは、水中で一瞬見たきりの竜形をほぼ覚えていないからだろうが――まず、自分を相手に竜神と知りつつおくれせずに話しかけてくる人間というも のが、久しぶりなのだ。

「……では、少しだけかせてくれ」

 気まぐれで申しつけると、答えを聞いたルーは、――それはそれはうれしげに、大輪の花が開くがごとく、わらった。


「かしこまりました!」

「……!」

 思わずぽかんと見とれるオルフェンなどお構いなしに、ルーはふくろから、それぞれ長さの違う銀色のほそづつを三つ取り出し、かちんかちんとぎわよくつなげていく。

 またたく間に、ちょうど彼女の腕の長さと同じくらいの横笛が組み上がった。明かり取りから射し込む月光をなめらかに照り返し、笛の身に、しろい光が流れる。

 彼女は「よいしょ」とごえつきでしんだいから下りると、裸足はだしのままゆかの上に立って体勢を整え、楽器を構えた。

 淡くべにづいた唇を笛の吹き口につけ、――ひと息。

(これは……)

 あっという間に、彼女の容姿にも似た、きらきらと輝くような澄んだ高音が生まれ。月光をたぐるようにほんりゅうと化し、連なり合ってせんりつを成す。

 夜の闇に、冴えわたるようなひびきだった。

 オルフェンの耳ばかりか、のすべて、血肉に至るまでをひたし、っていく。

 

――夢のような時間だった。


「あの……お気に召しましたか?」

「! ……ああ、……終わったのか」

 いつの間にか目を閉じて繊細な調べに聞き入っていたオルフェンは、不意の問いかけにはっと我に返った。

(聖女の奏楽……久しぶりに聴いたものだ)

 もちろん、オルフェンとて竜神だ。カメレアでこそないが――神殿で聖女の捧げる音楽を受け取ったことはある。

 それにしても、聖女が自らのために奏でる調べというものにそばで耳を傾けることが、こんなにも心を安らがせ、いやすものだったとは。改めてきょうたんしつつ、オルフェンは素直にさんおくる。

「いや、……なかなかのりょうだな」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 たんてきめてやると、ルーは大げさなくらい満面に笑みを広げて喜んだ。

「笛そのもののけいは頑張っていたのですが、なかなかうまく聖女の力を込めることができなくて……それでも、少しでもオルフェンさまをおなぐさめできたなら、すごく、すごく嬉しいです!」

「……そうか」

 笛をにぎりしめてはしゃぐルーに、不思議にオルフェンの胸がざわめく。

(たしかに、神殿から捧げられる奏楽と違ってかわいた力の足しにはなってはいない…… が)

 どう返したらいいのか迷いつつ、「だが、よく練られてつむがれた音色だった」とオルフェンはそっぽを向いた。かくしだとバレなければいいと願いつつ。

きょうしゅくです。実は、いつかぜんでお聴かせしたい……と願ってきたかたがおりまして。それは、もうかなわないことですけれど、……笛姫の才を神殿で見いだされてから、ずっと音をぐために励んできたんです」

「笛を聴かせたい者? 誰だ」

 なんとなく不条理ないらちを覚えつつオルフェンが尋ねると、「ええと」とルーは言葉を選ぶそぶりをする。

「私が昔カメレアに来たみなしごというのは、すでにお話ししたとおりなのですが……少し、変わったけいがありまして」

「変わった、経緯だと?」

「はい。今からですと六年前のことですが……。ここからずっと南に下った、とある海辺の村が私の故郷で。そこが、すいりゅうの妖魔に襲われました。どうか許してくれとこいねがう村に、 妖魔は条件を出したのです。人身御供をひとり差し出せば、ほかの村人の命は助けてやると」

「……」

「その時生贄に選ばれたのが、身寄りのない私でした。だから実は、人生で生贄になるの、二度目なんです。あっ、イリス姉さまより私のほうが生贄に適していると考えておりますのは、こちらが所以ゆえんです。いわば私は、生贄になるべく生まれてきた者。受け取って安全、食べて安心の品質のはず」

「そういうのはいいからとりあえず続きを」

「失礼いたしました。それで、お定まりのしろしょうぞくを着て、海に面した岩に括りつけられて、さあ今にも食べられる! ってその時に、さっそうと現れ助けてくださった竜神さまがいて」

「……あ、ああ」

 さりげなく生贄の押し売りを含んだルーの話を適度に聞き流しながら、オルフェンは、すでになかば確信に近かったみが、なかばどころではなく確定になりつつあるのを感じていた。

 だが、……どうにも、雲行きがあやしい。

「そのおかたは、きらきら輝くしっこくの鱗を持つ竜神さまでした」

「…………」

「私が今にも吞まれようとしている瞬間、かの美しい黒い鱗の竜神さまは、妖魔をあっという間に爪と牙とで押さえつけ、しかも故郷の村に二度と手出ししないことをちかわせた上で追い払ってくださって。さらに『こんな幼い身で、儚く散ることもないだろう』と、やさしく私のくさりを解いてくださっ――」

「うはぁあ……」

「はいっ!?」

 おもむろに腹の底から絞り出すようなため息をつくオルフェンに、ルーはぎょっと身をすくめた。

 あわてて「なんでもない、目に羽虫が入りかけただけだ」としつつ、オルフェンは内心の暴れ回るどうようおさえる。


(……ま、……間違いじゃなかった……!)

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