第一章 私をお食べください⑥
さて。
岬の
(どうしたものか。わけの分からんことになった……)
ルーとの「私を食べて」「誰が喰うか」のさんざんな
地中深くに眠る
そして、基本的に無人とはいえ、
いつも
「供給がないからにはできるだけ力を使わず、人ともかかわらず、湖底でとにかくじっとり過ごす」をモットーにしている彼としては、これだけでもかなり生活の大変化だった。
(それはいいんだが。まったく、生贄だと? 誰が好きこのんで他者の命なぞ
ちなみに目の前には、
だが、自分を今にも喰らいかねない竜神の前で
その
(……見れば見るほど、間違いない、よな……?)
結局、
すなわちルーが、――オルフェンの〝思い出の少女〞と同一人物なのか。
オルフェンがその娘と出会ったのは、そう遠い昔ではない。少なくとも竜にとっては。
時間にすればほんの数年ほど。彼にはまばたき程度のあいだだったが、ヒトはそれでも姿かたちを大きく変えてしまう。
ちなみに、彼女がいつなんどき起きるとも限らないので、オルフェンは人間の姿を取ったままである。
(……この娘が、本当にあの時出会った少女だったとしても、なんにせよカメレアの聖女だ。最終的には、大神殿に返すまで。しかし……どうしたものかな)
オルフェンは頭を抱えた。
――〝あなたさまに食べていただくまで、絶対に帰りません!〞
なにせルーには昼間そう断言されたばかり。本当に弱った。オルフェンには、彼女を生贄として喰らうなど、あらゆる意味で〝あり得ない〞ことなのに。
もっとも、ただちに竜の姿で「本当にとって喰うぞ
が、それで逆に、
「わあ! ご立派なお口!
などと勢いづいてにじり寄られたら、それこそもう打つ手がなくなるので、保険も
また、実のところオルフェンとしても、今すぐルーを大神殿に送り返すには
(……いったいなぜ、神殿から生贄など供出されることになったのだ?)
現在カメレアを守っているのは、まさしくオルフェンだ。
だが、オルフェンに生贄など要求した覚えはない。そして、ルーが見た黒羽の矢には、たしかに赤い竜の鱗が矢じりに使われていたという。
その持ち主に、オルフェンは心当たりがあった。
(
その〝心当たり〞に想いを
「オルフェンさま、お休みにならないのですか?」
「……ルー。起きたのか」
いつの間にか、横たわっていたはずのルーが、眠そうに目をこすりつつ、半身を起こしてこちらを見ている。
「竜にとっての眠りは
「そうなのですか? では、代わりに……私の笛の音をお召しになってみませんか」
「笛?」
「私は、笛姫見習いでしたので」
にへ、と気の抜けた笑い方をすると、ルーは、
「それ、調味料入れじゃなかったのか」
「はい? もちろん調味料も入っています。よろしければお味見で召し上がります? もちろん、わた」
「しを、と来るんだろうが要らん。断じて要らん。訊くんじゃなかった……」
「あら、残念です。けれど、笛のほうだけでも、ぜひいかがですか。
「つま……
にこにこと微笑み、ここでも強い押しで迫ってくるので、オルフェンは
(どうする)
なんとも
こうして平気で
「……では、少しだけ
気まぐれで申しつけると、答えを聞いたルーは、――それはそれは
「かしこまりました!」
「……!」
思わずぽかんと見とれるオルフェンなどお構いなしに、ルーは
またたく間に、ちょうど彼女の腕の長さと同じくらいの横笛が組み上がった。明かり取りから射し込む月光を
彼女は「よいしょ」と
淡く
(これは……)
あっという間に、彼女の容姿にも似た、きらきらと輝くような澄んだ高音が生まれ。月光をたぐるように
夜の闇に、冴えわたるような
オルフェンの耳ばかりか、
――夢のような時間だった。
「あの……お気に召しましたか?」
「! ……ああ、……終わったのか」
いつの間にか目を閉じて繊細な調べに聞き入っていたオルフェンは、不意の問いかけにはっと我に返った。
(聖女の奏楽……久しぶりに聴いたものだ)
もちろん、オルフェンとて竜神だ。カメレアでこそないが――神殿で聖女の捧げる音楽を受け取ったことはある。
それにしても、聖女が自らのために奏でる調べというものにそばで耳を傾けることが、こんなにも心を安らがせ、
「いや、……なかなかの
「本当ですか? ありがとうございます!」
「笛そのものの
「……そうか」
笛を
(たしかに、神殿から捧げられる奏楽と違って
どう返したらいいのか迷いつつ、「だが、よく練られて
「
「笛を聴かせたい者? 誰だ」
なんとなく不条理な
「私が昔カメレアに来たみなしごというのは、すでにお話ししたとおりなのですが……少し、変わった
「変わった、経緯だと?」
「はい。今からですと六年前のことですが……。ここからずっと南に下った、とある海辺の村が私の故郷で。そこが、
「……」
「その時生贄に選ばれたのが、身寄りのない私でした。だから実は、人生で生贄になるの、二度目なんです。あっ、イリス姉さまより私のほうが生贄に適していると考えておりますのは、こちらが
「そういうのはいいからとりあえず続きを」
「失礼いたしました。それで、お定まりの
「……あ、ああ」
さりげなく生贄の押し売りを含んだルーの話を適度に聞き流しながら、オルフェンは、すでになかば確信に近かった
だが、……どうにも、雲行きが
「そのおかたは、きらきら輝く
「…………」
「私が今にも吞まれようとしている瞬間、かの美しい黒い鱗の竜神さまは、妖魔をあっという間に爪と牙とで押さえつけ、しかも故郷の村に二度と手出ししないことを
「うはぁあ……」
「はいっ!?」
おもむろに腹の底から絞り出すようなため息をつくオルフェンに、ルーはぎょっと身を
(……ま、……間違いじゃなかった……!)
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