第一章 私をお食べください⑤

 事の始まりは三日前だ。

「神官長さま。りゅうじんさまに生贄を求められた、って……本当ですか?」

 神殿に勤める見習い聖女のひとりであるルーは、神官長から告げられた言葉に、しばしぜんとした。

 長年カメレア神殿を統率する、真っ白いひげに真っ白い髪のユスティル神官長は、しょうぜんと肩を落としている。彼の表情があまりえないのは、ルーも朝のお祈りの時から察して

いた。

(信じられない……けれど。神官長さまのお顔色。きっと本当なんだ)

 ルーにとって神官長は、十歳のころの後見を引き受け、ずっとめんどうを見てくれたおんじんだ。この神殿に流れ着いてからこちら、父のようにしたってきたが、彼がこんなにも落ち込んでいるところを見たのははじめてである。

 まだおおやけにされていない情報をこうして明かしてくれたのは、きっとルーをしんらいしてのこと。

 それでも、どうしても事実と認められずに食い下がってしまう。

「だって、カメレアの竜神さまが聖女の命を求めるなんて、いまだかつてなかったことです。こんなにたくさんの聖女を抱えているのに、たわむれで殺された者は過去ひとりもいませんし……」

「いや、そのありなかった事態が発生しているのだ。ルーチェ」

 希望をたれ、ルーは驚いて言葉を失う。

 しかし、「やっぱりそういうこともありるかもしれない」とちゅうで考えを改めた。なぜなら、カメレアの火竜神は積極的に人を喰らいこそしないが、気分屋でまちをほんろうすることでも知られているのだ。

 たとえば百年ほど前には、ことさらの理由もなく加護を投げ出して、ふらりとほうろうの旅に出てしまったこともあるらしい。ようしゅうげきや土地のこうはいなどにいいようになぶられ続けたりゅうの不在期は、今でもかたがれ恐れられる暗黒時代である。

 カメレアのだんの発展をたびたびさまたげているのがこの火竜の気まぐれで、その時も、竜神を呼び戻した聖ルリジナがいなければ、都市はほろびていたかもしれないとまで言われている。

「おまけに、竜神さまは、生贄に捧げる者をししてきた。……わしの孫娘のイリスを」

「……え!?」

 神官長が続けて告げた言葉に、ルーはさらに驚くことになった。

(イリス姉さまを?)

 イリス・イレニアはユスティル神官長の孫娘で、ルーにとっては姉にも等しい存在だ。

 ぼうぜんとするルーに、神官長はきとおった鱗を矢じりの素材に使った矢を示す。矢羽根は、カラスのかざきりばねを使ってある。

 ――竜神のくろと呼ばれるものだ。

 各地を守護する竜神が神官にけいをもたらすときは、黒い矢羽根と竜神自らの鱗を加工した矢じりを用いた矢やぶみによるとされている。いよいよ間違いがない。

「……どうしたものか」

 額を覆う神官長に、ルーはまゆを寄せる。

 生贄に指定されたイリスは、かたぐちで切りそろえた黄金の髪と、深いすいいろの眼を持つ、たいへんにうるわしい娘だ。いつもすっくと背筋を伸ばしている、女性にしてはたけの高い立ち姿は、もちろんルーにとってもこの上なくまぶしく見える。

 彼女のたてごとは、竜神にひときわ強い力をあたえるものとして、幼いころから重んじられてきた。統率力も人望も申し分ない。おまけにきゅうしゃまでくし、折に触れりに出かけては鹿やいのししを持ち帰り、聖女たちのしょくたくごうせいにしてくれる。

 いずれは神官長のあとを継ぎ、カメレアを導くことが決まっているいつざい。まさに、このカメレア神殿すべての聖女のあこがれにして、希望とも呼べる存在で。

(イリス姉さまは、神殿にとってなくてはならないおかた。ここで失うなんてあり得ない。……だったら)

 心を決めると、あとは早い。

 うん、と頷き顔を上げると、ルーは神官長にたずねた。

「竜神さまに、イリス姉さまの容姿は伝わっているのですか」

「いや……まだ目もろくに開かず髪も生えていないあかぼうの時に、あれの母がエウリュディスにもうでてお知らせしたのみだ」

 話を聞きながらルーは、自らの容姿を思い出していた。

 なまっちろい肌、小柄な背、細い四肢。スミレ色の瞳のほかは、色のきわめてはくなこの姿。

 いっぽうのイリスは、健康的にすんなりとよく伸びた手足、張りつめたづるのごとくえたぼうを持っている。

 大好きなイリスとは、およそ似ても似つかない――けれど。

「でしたら好都合です」

 ごくん、とつばみ。

 ルーはつかった表情を見せる神官長に向け、一歩した。

「イリス姉さまを生贄になさる必要はありません。竜神さまには、どうぞ私を差し出してください」

 深くこうべを垂れると、自らの白銀の髪がさらりとほおにかかった。

「十六まで育てていただきました。どうか、私にご恩返しの機会をください」

「……ならん」

 神官長は苦々しいこわで首を振った。

「お前はお前で、大事な聖女のひとり。身代わりにすればイリスは助かろうが、お前はどうなる」

「私は構いません。イリス姉さまはこのカメレアに必要なかたです。しむべき命は救うべきです」

「馬鹿を言うな。たしかに、自分の孫娘が惜しいかと問われれば、差し出せるのがこの老いぼれの命ですむならいくらでも捧げたいところだ。だが、お前がそれを言ってはならん。第一、我々が神殿ぐるみで竜神さまをたばかったと見なされれば、他の者の命もない。もちろんイリスも……」

 いつになく激しい口調で返され、ルーはぐっと唇をんだ。

「……私は、本当に平気なんです」

「だとしてもだ」

 生贄の供出は三日後。

 神官長の意志は固いようだった。

 イリスも責任感が強いひとだ。生贄になれと命じられれば、ぜんと従うだろう。

 そして、自分が身代わりになりたいと申し出ても、「馬鹿を言うな」といっしゅうして許しはしないはず。

(――そうはさせない)

 ルーはイリスを死なせたくない。

 そしてそれと同じくらい、生贄なら自分のほうが適している・・・・・・・・・・・・・・・ と確信していた。

 ゆえに、同じく決意を固めていたルーも、またきょうこうな手段をることにしたのだ。

 見習いになって六年。神殿の下働き歴と、それにともなう人脈はそれなりにある。

 顔なじみの料理番やはいぜんがかりに事情を話し、薬草畑からくすねたネムリヨモギのみつとうを、

イリスの食事のヨーグルトに垂らしてもらう。

 彼女がぐっすりんだのを見届けたら、今度はふくばんの聖女にたのみ込み、はなよめしょうをまとったのだった――。

「それで、どうにかここまで来たんです」

 ルーの説明にじっと耳をかたむけてくれていたオルフェンは、「ルーとやら。まあ、お前の事情は分かった」と顔をしかめた。

「なるほど。とすると、……神官長やその娘のイリスとやらは、今ごろお前がいないことに気づいてカンカンだろうな」

「うっ……考えないようにしておりましたが、こうかいはございませんし、仕方ないですね」

 イリスがせいになるより断然マシだ。

(そのためには早くひと思いにえいっと召し上がっていただきたいのだけれど。どうしてこんな話をするはめに?)

 なぜかシロツメクサのじゅうたんに座り込んで、竜神と生贄でゆったりと話し込んでいる現状が不思議といえばそうだ。

 が、そこは深く考えてもムダかな、とルーは早々にさくを切り上げた。

「私からご説明できることは以上です。というわけで、さあどうぞ! 私が肉です」

 仕切り直して、二度目の『お食べください』姿勢を取ってみると。

らん」 

 やはり二度目のきょぜつをされた。

 返事には秒もかからなかった。おまけにいちごんのもとに、である。

(な、なんで !? )

 再びかみなりに打たれたように固まってしまうルーに構わず、「そんなことよりも」とオルフェンは質問を重ねてくる。よりによって「そんなこと」扱い。

「お前が見たという竜神の矢文、矢じりの鱗は何色だった?」

「赤でした。紅玉のように透きとおって輝く、とてもあざやかな」

「……では、たしかにこの火山の竜神のもので間違いなさそうだな」

「? はい」

 晴れて黒羽の矢が本物と判明したところで、ここでまた疑問がひとつ。  彼が、ここでルーなど生贄には要らぬ、食べぬと言い張るのはなぜなのか。

 ちんもっこうしばし。ひらめいたルーははっとした。 まさか。

(わ、私がよっぽど美味おいしくなさそうだから…… !? )


 神殿でせいじょしゅぎょうはげみながら清く正しく生きてきて、そこそこ生贄指数は高いほうで

はないかとしていたルーは、いたく衝撃を受けた。 (たしかに、そんなに肉づきがいいほうではないけれど! おいしそうかおいしくなさそうかと言われればおいしくなさそうかもしれないし! でも私だって、ヨーグルトは毎日欠かさず食べてきたし、小魚に至っては何度も噛んで……肉はだめでも、骨には自信があるのに!)

 やはり、生贄に必要なのは骨ではなく肉ということか。いやいや、骨だって大事だ。少なくとも魚の骨は、食べれば身体がじょうになると聞いている。

 かんきゅうだい

(でも、肉の面では……あくまで肉でいえば、たしかにイリス姉さまのほうが美味しそうかもしれない)

 イリスだってすっきりと均整の取れた細身だが、少なくとも胸はルーより断然ある。

 同い年の聖女に比べて小柄なルーよりうわぜいもあるし、「この貧相で不味まずそうな子どもよりは、本来もらうはずだった神官長の孫娘のほうが」とオルフェンにみされても無理からぬところだ。

「まあ、……俺としては、お前を生贄に受け取っても仕方のない話だ」

(や、やっぱりー !! )

 おまけに、こんな台詞せりふとともに、ため息交じりではらうようにオルフェンに片手を振られたことで、ルーはいよいよきゅうおちいった。

(そういえば、さっきも私が神官長さまの孫娘じゃないとお伝えしたら『俺の勘違いか』 みたいなガッカリした顔をされていた気がするし……! このままじゃ、イリス姉さまが改めて生贄に立ってしまう!)

 それは困る。

 オルフェンには、どうにかして自分という人身御供で満足してもらうほかない。

(何より、万一ここで竜神さまに去られてしまいでもして、カメレアに再び暗黒時代を呼び込むわけにはいかないわ)

 竜とは生来、約束を守る生き物なのだからして、ルーがちゃんと食べてもらいさえすれば、『生贄を〝ひとり〞受け取れば、カメレアの加護は継続する』という話は、それで四方丸く収まるはずなのだ。

「……ところで、ルーとやら。生贄にはならなくていいから、お前にひとつ、かくにんしてお きたいことが」

 オルフェンはなおも何か問いたげだったが、前半の「生贄にはならなくていい」だけで 頭がいっぱいになっていたルーは、ついにまんしきれず叫んだ。

「そうはまいりません!!」


「え」

「オルフェンさまには私を召し上がっていただかないと困ります! ぜん食わぬはなんとやらと世に言いますし、アヒルが調味料と香草しょって来たんですから、もうぜひぜひ遠慮なくガッツリいくのが筋と申しますか」

「お前は俺の話を聞いていたか!?」

「聞いた上での結論です。あ、ひょっとしてしもりがお好みですか? 霜降りではないからですか? イリス姉さまも胸以外は霜降りとはほど遠いですけれど、私も数日いただければ頑張ってちゅうぼうちょうさまくらいのごくじょう霜降りになってみせます!」

「さりげなく神殿厨房長の体型をばくするのはやめてやれ!」

「とにかく!」

 だいぶ引き気味のオルフェンの、シャツの胸 むな もとを下からつかんで、戸惑いにしかめられる整った顔を見上げながら、ルーは念押しにと叫んだ。


「私、あなたさま専用の生贄ですから! ――ちゃんと召し上がっていただくまで、絶対におそばを離れません !! 」

 これを聞いたオルフェンは目をいた。

「はぁあ!? としもいかぬ子どもが馬鹿なことを……! 考えなしに軽口を叩いていると、本当に喰い殺すぞ!?」

「エッいいんですか!? どうぞどうぞ! おすすめ部位は、量は少ないけれど良質あっさりめの胸肉です! 調味料要りますか」

「違う!! あと調味料も要らん!」


 ルーとオルフェンのもんどうは、それからじつに一刻ほど続いた。 

 ――果たして、中天にあった太陽が西に傾き、空がうすべにに染まるころ。

 断固喰うべし私を喰うべし、な押しかけ生贄ことルーの熱意は、ついにオルフェンの

「分かった! もうここに居たければ好きにしろ」のひと言をもってしてようやくったのである。

 


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