第一章 私をお食べください⑤
事の始まりは三日前だ。
「神官長さま。
神殿に勤める見習い聖女のひとりであるルーは、神官長から告げられた言葉に、しばし
長年カメレア神殿を統率する、真っ白い
いた。
(信じられない……けれど。神官長さまのお顔色。きっと本当なんだ)
ルーにとって神官長は、十歳のころ
まだ
それでも、どうしても事実と認められずに食い下がってしまう。
「だって、カメレアの竜神さまが聖女の命を求めるなんて、いまだかつてなかったことです。こんなにたくさんの聖女を抱えているのに、たわむれで殺された者は過去ひとりもいませんし……」
「いや、そのあり
希望を
しかし、「やっぱりそういうこともあり
たとえば百年ほど前には、ことさらの理由もなく加護を投げ出して、ふらりと
カメレアの
「おまけに、竜神さまは、生贄に捧げる者を
「……え!?」
神官長が続けて告げた言葉に、ルーはさらに驚くことになった。
(イリス姉さまを?)
イリス・イレニアはユスティル神官長の孫娘で、ルーにとっては姉にも等しい存在だ。
――竜神の
各地を守護する竜神が神官に
「……どうしたものか」
額を覆う神官長に、ルーは
生贄に指定されたイリスは、
彼女の
いずれは神官長のあとを継ぎ、カメレアを導くことが決まっている
(イリス姉さまは、神殿にとってなくてはならないおかた。ここで失うなんてあり得ない。……だったら)
心を決めると、あとは早い。
うん、と頷き顔を上げると、ルーは神官長に
「竜神さまに、イリス姉さまの容姿は伝わっているのですか」
「いや……まだ目もろくに開かず髪も生えていない
話を聞きながらルーは、自らの容姿を思い出していた。
なまっ
いっぽうのイリスは、健康的にすんなりとよく伸びた手足、張りつめた
大好きなイリスとは、およそ似ても似つかない――けれど。
「でしたら好都合です」
ごくん、と
ルーは
「イリス姉さまを生贄になさる必要はありません。竜神さまには、どうぞ私を差し出してください」
深くこうべを垂れると、自らの白銀の髪がさらりと
「十六まで育てていただきました。どうか、私にご恩返しの機会をください」
「……ならん」
神官長は苦々しい
「お前はお前で、大事な聖女のひとり。身代わりにすればイリスは助かろうが、お前はどうなる」
「私は構いません。イリス姉さまはこのカメレアに必要なかたです。
「馬鹿を言うな。たしかに、自分の孫娘が惜しいかと問われれば、差し出せるのがこの老いぼれの命ですむならいくらでも捧げたいところだ。だが、お前がそれを言ってはならん。第一、我々が神殿ぐるみで竜神さまを
いつになく激しい口調で返され、ルーはぐっと唇を
「……私は、本当に平気なんです」
「だとしてもだ」
生贄の供出は三日後。
神官長の意志は固いようだった。
イリスも責任感が強いひとだ。生贄になれと命じられれば、
そして、自分が身代わりになりたいと申し出ても、「馬鹿を言うな」と
(――そうはさせない)
ルーはイリスを死なせたくない。
そしてそれと同じくらい、
ゆえに、同じく決意を固めていたルーも、また
見習いになって六年。神殿の下働き歴と、それにともなう人脈はそれなりにある。
顔なじみの料理番や
イリスの食事のヨーグルトに垂らしてもらう。
彼女がぐっすり
「それで、どうにかここまで来たんです」
ルーの説明にじっと耳を
「なるほど。とすると、……神官長やその娘のイリスとやらは、今ごろお前がいないことに気づいてカンカンだろうな」
「うっ……考えないようにしておりましたが、
イリスが
(そのためには早くひと思いにえいっと召し上がっていただきたいのだけれど。どうしてこんな話をするはめに?)
なぜかシロツメクサのじゅうたんに座り込んで、竜神と生贄でゆったりと話し込んでいる現状が不思議といえばそうだ。
が、そこは深く考えてもムダかな、とルーは早々に
「私からご説明できることは以上です。というわけで、さあどうぞ! 私が肉です」
仕切り直して、二度目の『お食べください』姿勢を取ってみると。
「
やはり二度目の
返事には秒もかからなかった。おまけに
(な、なんで !? )
再び
「お前が見たという竜神の矢文、矢じりの鱗は何色だった?」
「赤でした。紅玉のように透きとおって輝く、とても
「……では、たしかにこの火山の竜神のもので間違いなさそうだな」
「? はい」
晴れて黒羽の矢が本物と判明したところで、ここでまた疑問がひとつ。 彼が、ここでルーなど生贄には要らぬ、食べぬと言い張るのはなぜなのか。
(わ、私がよっぽど
神殿で
はないかと
やはり、生贄に必要なのは骨ではなく肉ということか。いやいや、骨だって大事だ。少なくとも魚の骨は、食べれば身体が
(でも、肉の面では……あくまで肉でいえば、たしかにイリス姉さまのほうが美味しそうかもしれない)
イリスだってすっきりと均整の取れた細身だが、少なくとも胸はルーより断然ある。
同い年の聖女に比べて小柄なルーより
「まあ、……俺としては、お前を生贄に受け取っても仕方のない話だ」
(や、やっぱりー !! )
おまけに、こんな
(そういえば、さっきも私が神官長さまの孫娘じゃないとお伝えしたら『俺の勘違いか』 みたいなガッカリした顔をされていた気がするし……! このままじゃ、イリス姉さまが改めて生贄に立ってしまう!)
それは困る。
オルフェンには、どうにかして自分という人身御供で満足してもらうほかない。
(何より、万一ここで竜神さまに去られてしまいでもして、カメレアに再び暗黒時代を呼び込むわけにはいかないわ)
竜とは生来、約束を守る生き物なのだからして、ルーがちゃんと食べてもらいさえすれば、『生贄を〝ひとり〞受け取れば、カメレアの加護は継続する』という話は、それで四方丸く収まるはずなのだ。
「……ところで、ルーとやら。生贄にはならなくていいから、お前にひとつ、
オルフェンはなおも何か問いたげだったが、前半の「生贄にはならなくていい」だけで 頭がいっぱいになっていたルーは、ついに
「そうはまいりません!!」
「え」
「オルフェンさまには私を召し上がっていただかないと困ります!
「お前は俺の話を聞いていたか!?」
「聞いた上での結論です。あ、ひょっとして
「さりげなく神殿厨房長の体型を
「とにかく!」
だいぶ引き気味のオルフェンの、シャツの胸 むな もとを下から
「私、あなたさま専用の生贄ですから! ――ちゃんと召し上がっていただくまで、絶対におそばを離れません !! 」
これを聞いたオルフェンは目を
「はぁあ!?
「エッいいんですか!? どうぞどうぞ! おすすめ部位は、量は少ないけれど良質あっさりめの胸肉です! 調味料要りますか」
「違う!! あと調味料も要らん!」
ルーとオルフェンの
――果たして、中天にあった太陽が西に傾き、空が
断固喰うべし私を喰うべし、な押しかけ生贄ことルーの熱意は、ついにオルフェンの
「分かった! もうここに居たければ好きにしろ」のひと言を
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