第一章 私をお食べください④

(それにしても、お美しいかた)

 ルーは、目の前にいる青年をとっくりと眺める。

(当たり前だけれど、竜神さまにお目にかかるのははじめて……どうしましょう、今さらきんちょうしてきたわ)

 正職も見習いも関係なく、すべての聖女たちにとって竜神とは、遠くにしてお仕えすべきもの。生涯一度もじかに目通りすることなしに、その実存すら確かめられぬまま、日々心を込めた演奏を神殿から捧げ続ける。そんなしんこうの対象だ。

 先ほどまでは助け起こしてもらったままの格好だったが、さすがに高貴な竜神さまに、いつまでも非礼を働くわけにはいかない。

 今のルーは、彼から少しばかり距離を取ってから、きれいに膝をそろえてたたみ、両手を地についてこうべを垂れている。個人的に『お食べください』の姿勢のつもりだ。

 

 さて。

 

 正面から向き合うと――竜神を名乗る青年は、見れば見るほどに美しかった。

 うんと日に焼けた漁師のごとき褐色のせいかんな顔や、均整の取れた逞しい身体は、大陸一のちょうこくの手に成る芸術のよう。ざっくりと切られたやみいろのつややかな髪はかたを過ぎるほどの長さで、うなじのところでしっのようにひとつに括ってある。こうぎょくいろに輝くまなこに、けもののごとき縦長の瞳。

 ふちかざりのある麻シャツからのぞく首には、しっかりと筋やのどぼとけき、黒い革の脚衣に包まれたあしなど、胡坐あぐらをかいていても分かるほど長い。

 大ぶりなとらいし耳環みみかざりや、色とりどりの木彫りビーズのからまったくびかざり、なめしがわうでなど、ごくふつうの青年のような格好をしているから、余計にその容姿が際立つのかもしれない。なるほど、竜神の化身と言われてもなっとくできる。よく見れば、耳の先が尖っていたり、くちけんが覗く。

(ということは……さっき、湖に飛び込んだ時に少しだけお見かけできた竜神さまが、このかた?)

 とりあえず、彼が竜神なら話が早い。

 私が生贄です、どうぞ遠慮なく食べてください、さあどうぞ今どうぞ、と喰い気味にお願いすると、なぜか、当の竜神さまにはギョッとされたのち「結構だ」と断られた。

(え、なんで)

 自分で生贄を望んだはずなのに。

 不可解に思い、首をぐーっと傾げたルーは、不意に「ああ!」と理由におもいたって手を打った。

「ひょっとして、ナマモノなのがいけませんか? お腹が弱くて、火を通さないものをお召し上がりになるとひどい腹痛にさいなまれるとか……。ちょうどうちの神官長さまがそうなんです。肉や魚をはんなまで食べては、よくごじょうけ込んでいらっしゃいますから。ではせんえつながら、食材自ら火をおこして飛び込む自立調理をわせていただければと」

「やめろ。あと、神官長の個人的な秘密をシレっと聞かせてよこさないでくれ、居たたまれない」

「そうですか? たいへん失礼いたしました。……あ! そうだ。今度こそ分かりました! 味付けがないとおいしくないですもんね。ご安心ください! こういうこともあろうかと、しょうこの生贄、持参の調味料が多少なりとも」

「分かってない! というかその帯についている革袋、調味料入れだったのか!?」

 美しい青年姿の竜神は、「とりあえず話を聞け」と両手を上げた。ルーはおとなしく背筋を伸ばす。

 そうして告げられたのは、『オルフェン』という、彼の呼び名と。

「え? 竜神さまは生贄を受け取るつもりがない?」

 

 ――という、しょうげきの事実だった。

 

 本来ならば、竜神の名を知るのは聖女としてたいへんなめいなのだが、ゆっくり感謝感激しているゆうがない。

「お待ちください。あなたさまは、こちらのエウリュディス火山群に住まわれる竜神さまでちがいないですよね。そして、カメレアを守護してくださっている」

「まあ、一応はそうだな、今は」

 では、やはり間違いがないはず。いよいよ確信を持って、ルーは質問を続ける。

「どうしておさめていただけないのでしょう。竜神さまがご自身の鱗を削った矢じりを放ち、神官長のまごむすめを生贄に差し出すよう求められたとうかがったのですが……」

 しかしこの疑問の本意より、オルフェンは別のところが気になったらしい。身を乗り出すようにき返される。


「神官長の、孫? ……それではお前は、ユスティル家の血筋なのか? カメレア神殿を代々とうそつする……」

 なら、俺の勘違いか――と続けてひとごとを呟くオルフェンが、どことなくらくたんして見えたので、「勘違い? なんのこと?」とこれまた内心首を傾げつつ、ルーはかしらを横に振った。

「違います。私はそのように高貴な身分ではありません」

「……? だが、今しがたお前は、神官長の孫娘が生贄に選ばれた、と言ったばかりではないか」

「はい、そうなのですが。つまり私は身代わりです。単なるなりすまし」 「は?」

「私の出自は、ここから離れた寒村で育ったみなし子です。とある事情でカメレアに流れ着き、笛姫として神殿で育てていただきました。ちなみに年は十六です。肉も柔らかくて食べごろだと思います」

 さりげなく「つまり生贄におすすめです」と宣伝も含ませてルーが明るく報告すると、オルフェンはなぜかゲッソリと呆れ返った顔をしたのち、深く皺を刻んだ眉間をんだ。 そんなに妙なことを言っただろうか。

「竜神さま? いかがなさいましたか?」

「オルフェンでいい」

「はい。ではオルフェンさま。おくればせながらおんれいを。見習いの身で、ちょうだいし、お呼びするほまれをたまわり光栄です」 「いや、別にそうかしこまらずとも構わないんだが……えらく素直に白状したと思ってな? 俺が生贄を要求していないと分かったからかもしれないが、つまりお前はニセモノの生贄なのだろう。そういうことは、普通は多少なりとも、あくせくかくそうとかくさくするものではないのか」

「ええと。竜神さまとは、それぞれにさまざまなお力を備えておいでだとおよんでおります。人の心を見透かし、うそく力をあなたさまがお持ちかどうか、私には分かりません。ですが、お仕えしている竜神さまをたばかるよりは、『自分、身代わりなんですごめんなさい』と素直に申し上げて、ついでに『むしろ私のほうがお食い得です』といっしょうけんめい主張するほうが、けんじつだと考えました!」

「……そうか……」

 そっちょくな疑問を頂いたので、しょうじきに答えると、オルフェンにはますます頭を抱えられた。なぜだろうか。

「あー、……ルーとやら。とりあえず、ここにお前が来たけいを、順を追って説明してもらっていいか……?」

「……? はい!」

 しばらく絶句したオルフェンにそんなふうに問われたので、「かしこまりました」と頷いたあと、ルーはここ数日であったことを思い返し始めた。



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