二人だった家族

有栖川 天子

本当の気持ち


暑さと同時に、網戸にしがみついているセミの鳴き声が、まだ騒々しいと感じる七月の初旬。


もうすぐ期末テストを控えている俺は、自分の部屋に引きこもり、学生らしくテスト勉強を・・・というのは建前で、隠れてゲームをしていた。


親にバレると非常に厄介だが、近頃は、その親の様子が少しおかしい気がする。




俺にとっての親は一人だけだ。と言うのも、両親は俺を妊娠した時に離婚したらしく、故に父親の顔を知らない。


昔、興味本位で両親が離婚したワケを尋ねたことがあるが、「妊娠した時に離婚した」以外は何も答えてくれなかった。


今となっては、妊娠した時に離婚したという情報と、俺が十七歳なのに母親が三十五歳ということから、両親の関係を想像するのはそう難しいことでもない。


両親がどんな関係だったにせよ、生まれた時から母親しか見てない俺にとって、親は母親ただ一人なのだ。




その母親は、いつも口うるさく「勉強しろ」だの「小遣いはバイトで稼ぎなさい」だの「少しは家の手伝いをしなさい」だの・・・とにかく、口うるさい人だ。



だが、最近の母親は少しおかしい。



母親はいつも口うるさくても、根は笑顔が輝かしい優しい人だ。


自分自身が反抗期だから、つい反抗的な態度をしてしまうが、俺のためを思って言っていることぐらい、分かっている。


だが、最近はそれが無くなったのだ。


「それ」と言うのは、口うるさいのと、トレードマークと言っても過言ではないほどの、輝かしい笑顔だ。


最初は体調が悪いのかと思ったが、かれこれもう一ヶ月が経つ。


体調が悪いにしては、どう考えても期間が長すぎる。


そうは考えたが、それ以上のことを考えることはなかった。何故なら、これは母親の問題であり、自分の問題ではない。



「自分の健康は自分で管理しなさい」



母親自身は、俺に対してそう言っていた。だから、俺は自分のこと以外で口出しはしないし、母親自身も、具合が悪いのならとっくに病院に行ってるだろう。






「春樹(はるき)、いる?」


数日が経ち、テストも終わったある日。


ドアの向こう側から、俺の名前を呼ぶ母親の声が聞こえた。



「なに?」


「入るわよ」



そう言った母親は、ドアをゆっくり開け、俺の部屋に入ってくる。


表情は相変わらずの曇り具合で、いつもの母親から比べると気味が悪かった。



「なんか用?」



冷たく質問すると、母親は荒んだ表情を無理に和らげ、今できる精一杯の笑みで「進路、決まった?」と言ってきた。



「決まってないけど・・・まだ高二だし」



うざいという気持ちをぐっと堪えて、母親の質問に答える。


俺は高校二年生。進路のことを考えてもいい時期ではあるが、それはやりたいことが明白な奴らに限った話であり、俺みたいに特にやりたいことがない人間は、年末辺りからあやふやと考え始めるのが普通・・・と、俺は思っている。


でも、母親はそういう風に考えていないみたいで、「今すぐ決めて」と催促してくる。



「別に、そんな急ぐことでもないだろ」


「早いに越したことはないでしょう?」


「だから、まだ決まってないんだって・・・そのうち決めるつもり」



最終的に反抗して、部屋から追い出してしまった。


それからは、俺が自分の部屋に引きこもってたこともあり、母親と会話どころか、顔も見ずに一日が終わってしまった。


次の日、俺が学校に行こうと玄関へ向かうと、そこには母親の姿があった。



「進路、決めた?」



そう尋ねてくるので、「一朝一夕で決められるものじゃないだろ」と。キレ気味で答えた。



「だったら、どんなことがしたいのか、どんな仕事に就きたいのか。何かない?」



それでも、母親は一切表情を変えずに、どこか不自然な笑顔で質問する。



「何だよ、昨日から急に」


「別に、ただ春樹が将来、どんな道を目指すのか、お母さん気になって」


「少なくとも、あんたみたいな荒んだ人生は送らないから」



そう言うと、母親はどこか安心した表情を見せた。


そんな表情をしたまま、



「ねぇ春樹、お母さんのこと、好き?」



そんなえずい内容の質問をしてきた。



「なんだよ、気持ち悪い」



反射的に口から出た言葉がそれだった。


俺の返事に、母親は何も答えなかった。どこか悲観的な様子だったが、気にせず家を出て学校へ向かった。


それから数時間後、授業中にいきなり校長室に呼び出された。


何か指導されるようなことでもやらかしたのだろうか・・・いや、自分で言うのもおかしいが、俺はそんな生徒ではない。


授業中、足音が反響する廊下を歩き、俺は校長室へ向かった。


やがて校長室の目の前につくと、重厚感のあるドアをノックをして、「失礼します」と一言声に出してから中へ入る。


校長室の扉を開けると、中にいた人達が、一斉に俺の方に視線を向ける。



「け、警官?」



思わず声に出てしまった。が、そこに警官が数人いるのは紛れも無い事実。


そして、そんな所に、授業中わざわざ呼び出す。心当たりはないが、全身に変な汗が流れる。



「春樹くん、呼び出して申し訳ないね。とりあえずこの警察の方の話を聞きなさい」



校長先生がゆっくりと話す。


何を聞かされるのかと怯えながらも、警官の方へ目線を移す。



「春樹くんだね」


「はい」



平静さを装い、警官の質問に答える。



「落ち着いて聞いてね」



そう言った警官は、一間置いてから続きを口にする。



「君のお母さんが川で自殺したみたいで・・・先程、近くの病院で死亡が確認されました」



頭が真っ白になった。泣きもせず、笑いもせず・・・。とにかく、何も考えられなかった。


警官同行の元、俺は学校を早退して病院へ直行した。そこには、白い布で顔を隠された、母親の姿があった。






母親のことは好きではない。でも、感謝はしている。


母親は地元の小さな事務所で働きながら、必死に俺を育ててくれた。




俺が産まれた時、母親はまだ高校生。ちょうど今の俺ぐらいの年齢だ。


どういう事情があって俺を出産したのかは知らないが、それでも愛情を注いでくれた。だから俺は、至極真っ当・・・とはいかないが、どこにでもいる普通の人間に育つことができた。


前にこっそり、母親の家計簿を覗いたことがある。年収は二百万円ほどだった。


生活も厳しい中、俺の子育てと家事、それに仕事・・・。


口には出さなかったが、母親はすごく頑張っていたと思う。


母親が自殺した日、付近の草むらから遺書が発見されたらしい、警察が届けてくれた。内容は銀行の口座番号や、ヘソクリの場所。何かあった時のために、母親の実家、つまり祖父母の家の住所と電話番号。それと、



「アルバムは私と春樹の思い出が詰まっているから、できれば捨てないで欲しいかな。春樹、元気でね」



という文字だけが書かれていた。



遺書には、自分のことがほとんど書かれていなかった。故に、母親が何故自殺したのかが、分からなかった。


今思えば、母親は一ヶ月ぐらい前から様子がおかしかった。予兆やそぶりはいくらでもあったはずだ。何故それらに気づかなかったのか、少し前の自分がただただ憎い。






母親の死から数日、近所の寺院で葬式を執り行った。でも、母親の死を悲しむ人は、俺以外に誰もいなかった。


祖父母に電話をかけた。出たのは祖母の方だった。


その時、俺は初めて祖母と会話を交わしたのだが、印象はとても悪かった。


母親が亡くなったのと、葬式を執り行う旨を伝えると、「そう」と冷たい返事をして、そのまま電話が切れてしまったのだ。


それ以外に、母親の勤めてた職場にも電話をかけたが、その人たちが葬式に出席することはなかった。






「母さん、大好きだよ」



母親の墓参りの時は、いつも口にする。



「お母さんのこと、好き?」



母親と交わした最後の会話。俺はあの時、「気持ち悪い」と答えた。


でも、母親が亡くなってから分かった。


母親は他人から、冷たく尖った目で見られていた。


毎日が苦しくて、辛くて・・・多分、想像もできないほど、毎日必死に生きていたのだと思う。それも全部、俺を育てるため・・・いや、それは言い過ぎかもしれない。でも、俺の子育てが負担になっていたのは事実だ。



数年前まで、事あるごとに俺のことを抱きしめていた母さん。


疲れている時でも、笑顔が絶えなかった母さん。


いつも、うざったるいほど口うるさかった母さん。


当たり前にいたその人、その日常が、今はもうない。


そう思うだけで、涙が溢れて、地面にポツポツと落ちていく。


あの時、俺が「好き」と答えていれば・・・そんなこと、数えきれないほど想像した。


でも、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。だから、俺は前を見るんだ。



母親の墓に、花を添えて呟く。



「進路、考えないとなぁ」

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