9月9日 午前10時4分ごろ

「宮野さん、お客ぅ!」


 張り上げられた自分を呼ぶ声に、縫物をしていたみやこは手を止めた。

 

 雑音であふれる教室の入り口で、そうでもしないと聞こえないと思った学級委員長の高坂さんが、手を拡声器みたいに口の横につけてこちらに声を飛ばしていた。


 その隣には見知った顔のイケてる女子が一人。

 隠しきれていないニヤケ顔から、たぶん、ろくなことじゃないなと思った。

 

 それでも無視するわけにもいかず、みやこは一緒に裁縫をしていた衣裳係の仲間たちに断ってから輪を抜け出した。委員長はすでに持ち場に戻り、残された客人、梶野美由紀ことユッキが満面の笑みで小柄なみやこを見下ろす。


「朗報」

 と、ユッキはみやこの左手首を掴んだ。

「めっちゃいい話。だからちょっと来てよ」

「でも、まだやることが残ってるんだけど」

「うん、すぐ済むから」


 ユッキは有無を言わさず、みやこを引っ張って廊下に連れ出した。

「どこ行くの?」

「落ち着いて話せる場所」

 

 ユッキは言いながら、はしゃぐ生徒たちの間を縫って歩いた。

 「高校生の本分は勉強」だ、と教師たちは普段から口酸っぱくして訴えているけれど、現在の校内からは「学業」の二文字が完全に取りはらわれ、やかましいくらいの活気でどこもかしこも賑わっている。

 それもそのはず。みやこたちの通う桜高校の文化祭がいよいよ明日に迫っているのだ。

 

 廊下では新聞紙を広げてベニヤ板にペンキを塗る生徒、教室の外から暗幕をつけようとしている一団、謎の巨大手作りマスコットなど、あたりは物や生徒たちであふれ、ユッキに先導してもらわなければ普通に歩くこともままならない状態だ。 

 

 ようやく人気のない階段下のスペースにたどり着くと、みやこの手首も自由になった。


「どうし」

「後藤春樹。あんたのこと、好きかもしれない」

 

 唐突に、本当に何の前触れもなくユッキが一息で告白した。

 え? って感じ。え?

 

「あれ? うれしくない?」

「そ、そうじゃなくて!」


 みやこは大いに混乱していたけれど、段々と顔が熱くなってきた。たしかにこれは誰もいない場所でしか出来ない話だ。


 後藤春樹――ハルちゃんは、みやこの幼なじみだ。そして長年の片想いの相手でもあった。


「好きかもしれない、って……」


 みやこは声を震わせながら、恐る恐るユッキを見た。


 それが事実だったらどれほどうれしいだろう。

 でも、そんなわけがないと、心のどこかで否定せずにいられない。


 だって違っていたときに傷つきたくないから。そんなわけないと思っていたほうが「ほら、やっぱりね」とちょっとは自分で自分を慰めることが出来る。


 そもそも幼なじみと言ったって住んでいる家が近所なだけで、精神的な距離に換算すると、ハルちゃんとみやこは一万光年くらい離れた場所にいると言っても過言じゃない。


 小学校中学年くらいまでは一緒に遊ぶこともあった二人だけれど、ハルちゃんはいまや文化祭のミスターコンテストに推薦されるくらいのイケメンに成長し、片や、みやこはただの地味女だった。

 勉強が出来、バスケ部でも活躍するハルちゃんとは違うのだ。


 考えれば考えるほどあり得ない展開で、みやこは段々冷静さを取り戻した。

 

「あれ? うれしくない?」

 ユッキは軽く首をかしげた。


「えっとね、一瞬よろこんだんだけど、自分を律してたら余計に悲しくなってきちゃって」

「なに言ってんのあんた」

「だって、……なにかの間違いとしか思えないし」


「そんなことないったら」

 ユッキは目を輝かせた。

「ちゃんと証拠があるの。衛藤春樹と同じバスケ部の先輩、あ、正確にはその先輩の彼女ね。隠れて付き合ってるらしいから彼女の名前は言えないけど。その子は二年生で、あたしの化粧友達の一人でさ」


 つまりは、女子トイレでの世間話仲間ってことだ。

 隠れて化粧を直すために休み時間の度にトイレに通っているユッキは、同学年の女子とはほとんどLINEでつながってるんじゃないかってくらい友達が多い。

 冗談じゃなく、お手洗いで友達百人出来たらしい。


 その匿名希望の女子生徒の、さらに彼氏であるバスケ部員の先輩からの情報によるとだ。


「男子バスケ部で女子のタイプの話になった時、話をふられた後藤君が『小柄でショートで可愛い系』だって言ってたんだって。ね、これってどう考えてもみやこのことでしょ!」


「絶対ちがうよ!」


 自分で言うのも悲しくなるけど、みやこは即座に否定した。


 やっぱり期待しなくてよかった。

 確かにみやこは万年ショートカットで、いまだに中学生に間違われるような小柄である。でも可愛い系って…。きれい系でないことは間違いないが。


「重要なのはこっから。それで、まわりにそう言う子はいないのかって聞いたら、『いますね、昔からの知り合いが一人』だってさ。ね?」

 

 ユッキは低い声を出してハルちゃんの口調をマネた。これが結構似ていた。

 でも、「ね」って言われても…。 


「まぁ、ハッキリとあんたかどうかは分かんないんだけどさ。でもほぼほぼそうだと思うんだよね、あたしの推理によると」

「全然証拠になってないよ」

 それにいまの話じゃ、みやこ以外の人の確率の方が高そうだ。


「ね、みやこ。いまスマホ持ってる?」

「持ってるけど」

「ちょっと貸して」

 

 貸して、と言い終わる前に制服のプリーツスカートのポケットから、みやこのスマホはあっさり奪われた。海外の路頭に立つスリみたいに、鮮やかな手口だった。


 え、でもなんで? 


「ちょっと、ユッキ?」

「つーことで、本人に真相を確かめよっ。LINE知ってるんだよね?」

「え、待って待って。知ってるけどグループLINEだよ?」


 それにそのグループLINEは、中学の時の担任教師が今年の三月に定年退職するという話を聞きつけた旧クラスメイトたちが、「お世話になった先生になにかプレゼントを送ろう!」と話し合いをするために結成されたもので、用が済んだあとはまったく使われなくなっていた。


「中三の時は同じクラスだったから、お互いそのグルチャに入ったけど。でも直接やり取りしたことなんてないし」

「大丈夫。こっから個人メッセージ送る」

 

 ユッキの親指がなめらかにディスプレイの上をすべった。画面を見なくても分かった。LINEでメッセージを打っている。


「ダメダメダメ!ちょっと無理!」

 ちょっとどころか、かなり無理。


「勢いでいけ! 文化祭前のこのテンションを利用しなくてどうする!」

 ユッキは打ち終わった文を、じゃーんとこちらに見せつけた。


『宮野みやこです。もしよかったら、明日文化祭デートしませんか?』


「これっ、確かめるとかそういう次元じゃない! ほとんど告白してるようにみえるんですけど!」

「いぇーい」


 騙されたとみやこはようやく悟った。スマホを奪われたことじゃない。

 ユッキははじめから、みやこのスマホを使ってハルちゃんをデートに誘うつもりだったに違いない。

 

 ただでさえ残暑で暑いのに、背中に冷汗がにじんだ。

「いい? 送るからね」

「だめっ! 無理だよっ!」

 

 必死にスマホを取り戻そうとするみやこ。ユッキは自分が長身なのをいいことに、腕を高く上げてスマホを守っている。くそぅ全然届かない!


「もう、ユッキ! 怒るよ!」

「それはこっちのセリフだから」


「え」と 、みやこが止まると、ユッキの真剣な顔が目の前にあった。


「みやこ、いい加減腹くくんな。いま誘わないとたぶん一生後悔するよ。自分でも本当はわかってるでしょ?」


「だって、いきなり文化祭デートに誘うなんて……。最近は、まともに喋ってもないんだよ……」

「じゃああんた、いつんなったら幼馴染の枠から抜け出んのよ。いつもいつも目で追いかけるばっかりで全然進展ないじゃん!」

「……それは」


「ハルちゃんに彼女が出来てもイイの?」


 そんなのイヤに決まってる。考えるだけで胸が痛い。


「もう! 片想いで十年もウジウジするな! いい加減当たって砕けろ!」


「………やっぱ、砕けるの?」

「あ、違った。砕けちゃダメだった」


 一瞬ユッキに流されてこのまま告白してもいいかも、と思ったみやこは急に我に返った。

 やっぱり無理! 文化祭前日に振られるのは無理!

「やめてぇ~! 砕けるにしても、自分でタイミングを決めさせて~!」


 そのみやこの断末魔みたいな悲鳴は、あたりに響き渡ったようだ。


「何やってんだ!」


 そのとき、すごみがかった野太い声が、みやことユッキの動きを一時停止させた。二人同時に振り向く。


「げ」と声を漏らしたのはユッキだ。みやこは驚きのあまり声すら出なかった。

 

 体育教師の西谷先生、通称「西ゴリ」がこちらに迫って来る。あだ名通りの厳つい顔をさらに険しくし、もみ合う体制のまま固まっている二人を睨んだ。


「おい、梶谷。お前まさか恐喝してるわけじゃあるまいな」

「はぁ? してません!」

「宮野、いじめられてたのか?」

「え! いえ、違います…」

「じゃあさっきのはなんだ。『やめてぇ』ってなんだ!」

「「じゃれてました」」


 こ、こわい。悪いことをしてないのに、身が縮む思いだ。


 西ゴリは、みやこ、ユッキの順に視線を流し、ふと上を仰いだ。

「おい、梶谷! なんだそれは!」

「へ」

「携帯電話! 休み時間以外は禁止だと何度言えば分かるんだ!」


 二人はようやく出しっぱなしのスマホに気がついた。

 しまった、隠すの忘れてた! 

 桜高校は、放課後と昼休み以外はスマホの使用禁止なのだ。


「でもセンセ、今日は文化祭の準備で授業ないですよね?」

「授業は無いが、いまは授業時間内だ」

「そんなぁ」


 さすがのユッキも焦りはじめた。校則では不適切なスマホの使用が見つかり次第、次の日の朝まで没収されることになっている。


「センセ、ここはひとつ広い心で見逃しません? 明日から楽しい文化祭ですよ!」

「うーむ」

「センセ! どうかお願いします!」


しばらく二人の無言の睨み合が続く。西ゴリが口を開いた。


「梶野。お前今日も化粧してるだろう?」

「えっ…」

「――没収!」

 

 あぁ無情にもユッキの手から西ゴリのごつい手へ、みやこのスマホが流れる。


「ちょっと先生、待って! まだLINEが」


「ライン? これか? しゃあない。武士の情けだ。これだけ送信しといてやる」


 誰が武士だ。止めようとする間もなく、西ゴリは送信ボタンを不慣れそうに人差指で押した。送信完了。

 

 嘘でしょ…。

「じゃあこれは一日預かっとく。明日の朝に取りに来るように。いいな、梶野。そんで宮野も、早く教室戻って作業しなさい」


 勘違いしたまま、意気揚々と去っていく西ゴリ。

 ユッキは呆けたように立ち尽くし、みやこのは力なくその場にへたり込んだ。


 あぁ神様! どうしろっていうんですか、この状況!

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あしたの文化祭、予定あいてますか? @nekotyanumetyan

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