愛と呼べない夜を越えたい

八重垣ケイシ

愛と呼べない夜を越えたい


 僕を産んだ罪で、母を訴えます。


 裁判長、そして陪審員の皆様。


 僕は母を、僕を産んだ罪で告訴します。


 人が子供を産むことは罪悪です。

 人が子供を産むことは倫理にもとる罪悪です。


 理性が欲に負け、社会に害悪を及ぼすことを犯罪として取り締まることで、社会は治安を維持します。

 自制できない者が罪を犯せば、社会から隔離して治安が乱れることを防ぎます。


 では、子供はどうしてできるのでしょう?


 子孫を残すことは生物の本能です。本能から発生する性欲という欲望を理性が抑えきれないときに、子供が作られます。


 既に地球上には多すぎる程に人がいます。


 この地球に、人が住める数は限られています。

 地球の環境収容力から見た、地球上の人類の適正人口は約40億です。しかし、今の地球には70億を越える人が生きています。


 もう既に大きく過剰なのです。

 この地上で得られる資源や食料は限られているのです。


 食料危機、環境汚染など、増えすぎた人が狭い地球に多すぎることが、現代の社会問題に繋がります。

 ならば人の数を減らすことが、人の社会の維持に必要なことというのは自明の理です。


 にも関わらず子供を作って産むことは、理性の敗北です。

 

 もはや、毎年生まれる1億人以上の新生児を満足させるだけの衣食住を提供する能力は、この地球では限界なのです。


 この人口増加をなんとかしないと、人の未来にあるのは貧困、食糧不足からの飢餓、難民の増加、資源の奪い合いの紛争多発に更なる自然環境の破壊です。

 

 人口増加を防がなければ、今の社会問題を解決することはできません。


 にも関わらず子供を作るというのは、これは理性の敗北です。

 理性が本能に負けた結果に、出産があります。この状況下で子供を作ることは、人類全体を裏切るに等しい罪悪です。


 社会治安を悪化させることが犯罪であるならば、子供を産むことは犯罪になります。


 次に個人に対する罪です。


 本人の同意を得ずに監禁し拷問をくわえることは、罪ではありませんか?


 僕は医師に人格障害と診断されました。

 それから約1年の間、僕は母に家に監禁されました。


 僕は幸運にも、監禁に気づいたNGOの手により実家から連れ出され、今はこうして皆様の前で話をすることができます。


 ですが、この国には僕のように親に監禁される子供は幾人もいます。


 この国では心の病にかかった子供を閉じ込めることが当たり前のようにあります。


 親が危険な子供を監禁し世に出さないようにすることが、社会治安の維持に役立ち、この国は世界に誇る治安の良さを保っています。


 悲しいことですが、理不尽な暴力の封じ込めに、家族の手による監禁は有効です。


 では、何故その家族は監禁という罪を犯さなければならないのでしょうか?


 それは子供が生まれてしまったからです。


 子供が他人に危害を加えれば、保護者の責任となります。

 子供が生まれなければ、罪に問われることも無かったでしょう。


 では、生まれた子供は、本当にこの世に生まれたかったのでしょうか? 

 その意思を確認したことはありますか?


 僕は今年で15歳になります。僕が15年前、自分が産まれるときになんと考えていたのか、憶えてはいません。

 ですが、今の僕はこう考えています。


 僕は生まれたく無かった。

 僕なんか生まれて来なければ良かった、と。

 

 出産とは生まれる当人の意思を無視して行われます。


 言葉の通じない胎児に意思を確認することは不可能だと、そんな理由で。


 生まれる前のことを、産まれたときのことを、憶えている人はまずいないでしょう。


 僕もあのときに、僕がなんと考えていたのか、なんと思っていたのか、もう思い出せません。

 ですが今は、生まれて来なければ良かった、と考えています。


 人は幸福になるために生まれてくる、と僕に言った人がいました。

 確かに誰もが幸福になる権利はあるのでしょう。


 それは食事をする権利と同じものです。誰もが食べ物を食べる権利があります。

 しかし、地上には世界中の人達の腹を満たすだけの食料はありません。

 今も地球の何処かで、飢えて死ぬ人がいます。


 同じように誰もが幸福になる権利はあっても、幸福を得られる人の数は限られています。

 それはまるで宝くじのように、当たるかもしれないという可能性があるだけのことです。


 反対にこの世に生まれたなら、不幸を味わうことは確実です。


 人が生まれるということは、本人の同意も得ずに、肉体という牢獄に魂を監禁し、この世という地獄で死ぬまで苦痛を味会わせ続ける。


 それが子供を産むという行為です。


 監禁も拷問も罪悪であるならば、子供を産むということはすなわち罪悪です。


 僕は、僕を産んだ罪で母を訴えます。


 

◇◇◇◇◇


「被告人、前に」


◇◇◇◇◇


 裁判長、並びに陪審員の皆様。


 私は犯罪者ではありません。


 私はこれまで大人として、母として、社会の一員として、恥ずかしい行いなどしたことはありません。

 それがどうして罪人と訴えられなければならないのでしょうか?


 親が子を産むことが罪悪だなんて、そんなのはバカバカしい話です。そんなことを言い出したら、この世は罪人だらけです。

 親が子を産むのは人として当たり前のことではないですか。


 もしこれで私が有罪となれば、この世の母という母は、全員が刑務所に入らなければなりません。あっという間に刑務所がパンクしてしまいます。

 

 皆様、私の息子の戯言に付き合わせてしまったことを心苦しく思います。親としてこの子の躾ができていなかったことは、まったくもって私の不徳です。申し訳ありません。


 なぜ、私が息子を家に監禁していたか、ですか?


 私の息子はお医者様に人格障害と診断を受けました。

 ですが、お医者様は入院する必要は無いと仰いました。


 障害としてはたいしたことは無いと言われました。特別障害者手当を申請しても受理されませんでした。


 治療についても病気の種類から、健康保険の適用外と言われました。


 私は夫と別れてから、一人で息子を育ててきました。一人で働きながら、裕福で無くとも親子二人で慎ましく暮らしてきました。


 働いてお金を稼がなければ生きてはいけません。


 私が働きに出ている間、誰がこの子の面倒を見ていてくれるというのですか?

 施設に入れるにも、私が仕事をしている間、誰かに見てもらうにも、私の稼ぎではお金が足りません。


 特別障害者手当も無く、健康保険も使えないとなれば治療も諦めるしかありません。


 私が仕事を辞めれば、私もこの子も暮らしていけなくなってしまいます。


 私が見ていない間、もしこの子が人様の子にケガでもさせたらどうなりますか? 母であり保護者の私が責任を負わねばならないのです。


 自宅に監禁する以外、どんな手段があったというのですか? 人格障害の息子を野放しにして、わけのわからない犯罪を犯したりしたならば? 誰が責任を取ってくれるのですか? よそ様の子に大ケガをさせることになるかもしれないのですよ。


 私の代わりに働いてくれる人も、私の代わりにこの息子を見てくれる人もいません。

 人の迷惑にならないようにするためには、家に閉じ込め、外に出さないようにする、それ以外に私にできることはありませんでした。


 行政に相談、ですか? ええ、しましたとも。

 ですが障害の程度の低さと、まだ何も事件になることを起こしていないことから、後回しにされました。


 それに役所に行くために仕事を休んでばかりいては、暮らしていけなくなります。

 私が働いて稼いでいかなければ、親子二人で生きてはいけませんもの。


 真面目に勤めてようやく正社員になったところだというのに、まさか息子が私を訴えて裁判になるだなんて。裁判の為に仕事を休むことになるだなんて。


 どうしてあなたは私の邪魔ばかりするの?

 あなたが生まれてきてから、私の人生、メチャクチャよ。


 生まれたくなかった?

 生まれてこないほうが良かった?


 よく言うわ。私だってあなたみたいな子、産みたく無かったわよ。

 どうせ産むなら親の言うことを素直に聞く、頭のいい子を産みたかったわ。

 

 それをここまで育てて来たというのに、私を訴えるだなんて、この恩知らず。


 あなたが産まれて来なければ、私の人生、もっとマシなものになっていた筈よ。


 生まれてこないほうが良かったというなら、どうしてあなたは生まれてきたのよ。


 私はあなたなんて産みたくなかったわ。

 なのにあなたが生まれたいって、勝手に私のお腹の中に入ってきたんじゃない。


 私は産みたくなんてなかったのに、私の意思も無視して勝手にお腹に入ってきて、生まれたいって勝手に私のお腹から出てきたんじゃない。


 あなたが産まれたとき、私は血が止まらなくて死にかけたのよ、この人殺し!


 人殺し!


 人殺し!


 ……裁判長、私はこの子を訴えます。


 15年前、この子が産まれたときに、この子が私を殺しかけた罪で、


 私は私の息子を訴えます。


◇◇◇◇◇


 母よ、


 僕はあなたを、


 愛したかった。

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