カーブミラーに映るあなたは誰

望月くらげ

カーブミラーに映るあなたは誰

 五年二組の教室のあちこちでひそひそと話す声が聞こえる。ひそひそ話といっても悪口とか陰口のようなものではなくて。


「でね、あの神社の裏にある森の中には首つり死体があって――」

「学校の理科室の人体模型が動き出したんだって」

「屋上に繋がる階段の一番上から飛び降りると違う世界に行けるらしい。ただし帰ってこられないけど」


 そう、五年二組は怖い話ブームなのだ。こういうと利香ちゃんには「『怪談』って言ってよ!」なんて訂正されるけれど。少し前のレクリエーションで怖い話大会をしてからどうもみんなそういう話を集めてきてはあちこちで話すようになったのだ。

 その前の月は氷鬼だったし先々月はフルーツバスケットだったのにどうしてよりにもよって怖い話が流行ってしまうんだろう。

 怖い話が苦手なわたしは思わずため息を吐く。そんなわたしの腕を取ったのは菜穂ちゃんと利香ちゃんだった。


「ねえねえ、佳奈ちゃん。菜穂ちゃんがとびっきり怖い怪談を聞いてきたんだって」

「菜穂ちゃんが?」


 思わずわたしは聞き返す。だって、菜穂ちゃんはわたしと同じく怖い話が苦手で早くこのブームが終わって欲しいと思っているうちの一人だったからだ。でもわたしの問いかけに菜穂ちゃんはニッコリと笑った。


「うん、あのねお兄ちゃんが塾の友達から聞いてきたんだけど」


 そう言って菜穂ちゃんはお兄ちゃんから聞いたという怖い話――もとい怪談を話し始めた。


「三丁目のパン屋さんの近くにカーブミラーのついた曲がり角があるでしょう? あそこってそんなに交通量ないのにどうしてカーブミラーがあるか知ってる?」

「えっ、どうしてって。カーブミラーがあるのに理由なんて考えたことないけど」

「でも変だって思わない? 一つ隣の通りにはカーブミラーないんだよ?」


 言われて思いだしてみれば、たしかにあそこの通りにはいくつかの脇道が歩けれどそのどこにもカーブミラーはついていない。


「前に事故があったとか?」


 利香ちゃんの答えに菜穂ちゃんは満足そうに頷いた。


「あの曲がり角はね変な事故が多いんだって。不注意で車同士がぶつかったり子どもが惹かれたり。それでね事故に遭った人たちは揃って変なことを言うの。『カーブミラーに人が映っていた。自分がもう一人いたんだ』って」

「なにそれ」

「気持ち悪い」

「でしょう?」


 思わず身震いするわたしを菜穂ちゃんは笑った。そんな菜穂ちゃんに利香ちゃんは「でも」と言う。


「あそこなら何回も通ったことあるけど、もう一人の自分なんて見たことないよ。ね、佳奈ちゃん」

「うん。わたしも家から近いからよく通るけどそんなの見たことない。やっぱりただの噂なんじゃないの?」


 わたしの言葉に菜穂ちゃんは首を振る。そしてわたしと利香ちゃんに手招きをすると、さっきまでよりもさらに声のトーンを落として話しだした。


「でもね、みんな言うの。『たしかにカーブミラーに自分が映ってたんだ』って。何かを見間違えただけかと思うでしょ? けど、見間違えるような何かもないし、そもそもカーブミラーに映るような場所には誰もいなかったんだって」


 ゴクリ、と唾を飲み込んだ音がやけに大きく聞こえる。そんなことあるわけない、という気持ちともしかして、という気持ちが混ざって気持ちが悪い。

 何か言わなくちゃ、そう思うわたしの隣で利香ちゃんが突然笑い出した。


「……ふふ、あははは」

「利香ちゃん?」


 利香ちゃんはおかしそうに笑うと、わざとらしく目尻をこする。そして菜穂ちゃんに向き直った。


「菜穂ちゃん、いくらなんでもそれは作り話だってわかるよ。それにあんまり怖くないしね。とびっきりの怪談ならもっと怖いのじゃなくっちゃ。あと辻褄が合わないと作り話っぽくなりすぎちゃうよ? まあおもしろかったけどね」

「…………」

「菜穂ちゃん?」

「そっか、残念!」


 利香ちゃんの言葉に黙ってしまった菜穂ちゃんが怒っちゃったんじゃないかと思ったけれど、わたしの考えすぎだったみたいで、菜穂ちゃんはいつものように笑う。そんな菜穂ちゃんにホッとして、それから怖い話が終わったことに安心してわたしも曖昧な笑顔を浮かべた。

 そろそろチャイムが鳴るということで利香ちゃんは自分の席に戻る。わたしと菜穂ちゃんは同じ列の前後の席だけど利香ちゃんだけ目が悪いから教卓の前の席だった。椅子に座ったわたしの背中を菜穂ちゃんが指でつついた。


「どうしたの?」

「佳奈ちゃんもさっきの話、嘘だと思う?」

「え?」

「……実はねあの話って続きがあるの。利香ちゃんは信じてなかったから佳奈ちゃんにだけ教えてあげるね」


 嫌だ、とも聞きたくないとも言わせてくれないまま菜穂ちゃんは話を続けた。


「カーブミラーに映るだけじゃなくてね、もう一人の自分に会うこともできるの」

「え……?」

「でももう一人の自分に会うには条件があって。一つ目はカーブミラーには一人で映らなければいけない。もう一つは、自分の姿が見えたあと後ろを振り返るんだって」

「振り返る? 振り返るとどうなるの?」

「そこにもう一人の自分がいるの。車なら後部座席に、歩いているならすぐ後ろに」

「菜穂ちゃん……?」


 にったりと笑う菜穂ちゃんの表情に背筋が寒くなる。いつもの菜穂ちゃんのえくぼが浮かぶ可愛い笑顔じゃなくて、まるで何か恐ろしいモノでも見ているような不安な気持ちになる。


「菜穂ちゃん……?」

「あっ! 先生、来ちゃった」


 そう言うと菜穂ちゃんはさっきまでの薄ら寒い笑顔が嘘のようにケロッとした顔で机の中から教科書を取りだした。まだ動けずにいたわたしは「佳奈ちゃん? 先生に怒られるよ?」と言う声でようやく動き出すことができた。でも頭の中は菜穂ちゃんから聞かされた話でいっぱいだった。



 結局その日は菜穂ちゃんの話が頭の中をグルグルと回り続け全然集中することができなかった。ようやく気持ちが落ち着いてきた頃には授業は全て終わり帰宅時間になっていた。


「菜穂ちゃん、佳奈ちゃん、帰ろう」

「うん」


 ランドセルを背負った利香ちゃんがわたしたちの席まで誘いに来てわたしたちは帰る。これはいつものことなんだけど、今日は少しだけいつもと違った。


「ねえ、三丁目のカーブミラーを見に行ってみない?」


 そう言い出したのは菜穂ちゃんだった。わたしは乗り気がしなかったし作り話だって言ってた利香ちゃんも行かないって言ってくれるとそう思っていた。でも。


「いいよ」

「利香ちゃん!?」

「佳奈ちゃんは嫌なの? あんな作り話でも佳奈ちゃんは怖かったんだ」

「そうじゃないけど」

「じゃあいいでしょ」

「うん……」


 渋々頷いたわたしは二人と一緒に教室を出た。



 三丁目のパン屋さんまでは学校から歩いて5分ほどの距離で、普段なら左に曲がる道をまっすぐ行ったところにある。通学路と言ってもこの辺はあまり人が通らないところということもあって、わたしたち以外に人の姿はなかった。

「ふーん? やっぱり普通の曲がり角だと思うけど。車がぶつかったっていってもそんな跡もないし、事故で人が亡くなったりしたらあるお花なんかもないよね」

 その場所に着くなり利香ちゃんは辺りを見回してそんなことを言い始めた。わたひはというと菜穂ちゃんの話が気になって何度も後ろを振り返ってしまう。

 そんなわたしを菜穂ちゃんはクスッと笑って、利香ちゃんに聞こえないように小さな声で囁いた。


「大丈夫、もう一人の自分が現れるのはカーブミラーの中に映ったときだけだから」

「なっ……」

「なに? どうかしたの?」

「ううん、なんでもないよ」


 訝しげにこちらを見る利香ちゃんに首を振ると菜穂ちゃんは笑う。わたしはというとこの場所からも菜穂ちゃんのそばからも離れたくて仕方がなかった。


「わたし、あの。そろそろ帰らないといつもより遅かったら心配されちゃう」

「それもそうだね。そうしたら」


 これでやっと帰れる。ホッとしたわたしをよそに利香ちゃんは言った。


「菜穂ちゃんが言ってた通りカーブミラーの前に立ってみようよ」

「え?」

「ほら、早く。三人で一緒に並ぶよ」


 立ち位置を確認すると、利香ちゃんはわたしと菜穂ちゃんを促す。三人でカーブミラーの前に立つと利香ちゃんの声に合わせて顔を上げた。


「せーの!」


 恐る恐る顔を上げる。

 ――けれどそこには普段通り、人通りの少ない通りが映っているだけだった。もう一人の自分どころか車一台通っていない。

 でも、その光景になんとなく違和感を覚えた。これで本当にあってたんだっけ。菜穂ちゃんが言っていたのとなにかが違うような。

 でもその違和感の正体がわからないまま、逃げ出したくなるのを必死に堪えてカーブミラーの先をジッと見つめ続けた。


「…………」

「…………」

「……何も出てこない」

「出てこないね……」


 どれぐらいそうしていたのか、多分1分とか2分ぐらいだと思うけれど、しびれを切らしたように利香ちゃんはやっぱりというような、でもどこか残念そうな声を上げた。


「なーんだ、やっぱり嘘だったんだ。菜穂ちゃん、お兄ちゃんに騙されたんだよ」


 もう一人の自分どころか犬や猫、車や自転車さえも通ることのないその場所で、利香ちゃんはわざとらしくため息を吐いた。


「まあでも、こうやって実際に試せるのって楽しいね。あ、そうだ。今度学校関連の怪談の検証しない? 本当に起こるかどうか確かめるの」

「ええー、先生に怒られない?」


 歩き出す利香ちゃんを慌てて追いかけるとわたしは足を止めたままの菜穂ちゃんを振り返った。


「菜穂ちゃん? 帰らないの?」

「帰るよ」


 そう言って菜穂ちゃんはわたしたちの隣に並ぶ。そのあとは利香ちゃんとの分かれ道に着くまで次にどの怪談を調べるか、そんな話で盛り上がった。

 利香ちゃんと別れてから明日の算数のテストの話や、今日の夜にあるドラマの話でわたしと菜穂ちゃんは盛り上がる。そうこうしている間に、わたしの家の前までたどり着いた。


「それじゃあ、また明日」

「うん。……ねえ、佳奈ちゃん」

「え?」


 玄関のドアを開けようとしたわたしに菜穂ちゃんが声をかける。


「どうし――」

「さっきの、やり方間違えてたこと。佳奈ちゃん、気づいてたよね」

「え……?」


 思わず振り返るとわたしは聞き返す。けれど、逆光のせいか菜穂ちゃんの表情が上手く見えない。


「菜穂ちゃん?」

「一人で、だよ」


 そう言ったかと思うと、菜穂ちゃんはわたしの返事をまたずに駆け出した。


「何だったんだろ」

「佳奈ー? 帰ったの?」

「あ、うん。ただいま」


 リビングに入ってランドセルを置くと、カウンターの向こうで晩ご飯の準備をしているお母さんの姿があった。おやつを出そうと冷蔵庫を開けると「あっ!」とお母さんの慌てたような声が聞こえた。


「大変! 牛乳を買うの忘れちゃった」

「えー?」

「パパに怒られちゃう。ねえ、佳奈。お小遣いあげるから買いに行ってきてくれない?」

「んー、ついでに新しい消しゴム買ってもいい?」

「しょうがないわね」


 お母さんは財布から500円玉を取り出すとわたしに手渡した。


「いってきまーす」


 わたしは帰ってきたばかりの道を歩いて、近くのスーパーに向かう。牛乳と、それからいい匂いのする消しゴムを買うと、スーパーをあとにした。

 ふと、気づいたのはカーブミラーが見えてから。何の気なしに帰っていたわたしは、気づいたらあのカーブミラーまで来てしまっていた。

 ここまで来て引き返してから家に帰るには遠回りだ。さっきも何もなかったのだからあれは作り話だったんだ。利香ちゃんもそう言ってたし、菜穂ちゃんだって――。


「あれ?」


 そういえば、わたしの家の前で菜穂ちゃんは変なことを言っていた気がする。やり方を間違えてるって。でも、確かにわたしたちはあのときカーブミラーの前に並んで立っていた。三人でカーブミラーの向こうを何度も確認したし、それにキョロキョロと辺りを見ていた利香ちゃんは振り返りもしていたから――。 


「違う」


 そうだ、あのときカーブミラーの前にわたしたちは三人で立った。でも、菜穂ちゃんがお兄ちゃんから聞いてきた話では『一人で』映らなければいけないと言っていた。

 一歩、また一歩とカーブミラーに近づくにつれ、心臓の音がどんどんと大きくなるのを感じる。顔を上げなきゃいい。下だけ見て、カーブミラーなんか見ずに通り過ぎたらいい。そう思っているのに、思えば思うほど意識はカーブミラーへと向いてしまう。

 それを目にした瞬間、辺りの空気がひんやりとしたのを感じた。


「あ……あ……」


 カーブミラーの中に誰かが映っている。

 あれは――わたしだ。

 カーブミラーの中でもう一人のわたしがニヤリと笑ったのがなぜかハッキリと見えた。

 どうしてだろう。背後から誰かの足音が聞こえる気がする。どんどん近づいてくるその足音は、わたしのすぐ後ろまで来て止まった。


「誰……?」

「…………」

「誰なの……?」


 わたしの問いかけに、誰も答えてはくれない。


「っ……誰なのよ!」


 思わず振り向いたわたしの後ろにいたのは――さっきまでカーブミラーに映っていた、わたしと全く同じ顔をした誰かだった。

 誰かは嬉しそうに笑うと、わたしの肩に手を置いた。そして。


「私は――わたしだよ」


 その声は、まるで直接頭の中に囁かれているようにぐわんぐわんと響いて聞こえた。



 翌日、私はいつものようにランドセルを背負うと学校へと向かう。途中で菜穂ちゃんと会った。


「おはよう」

「おはよう」

「……どう? 調子は」

「悪くないよ」


 ランドセルを背負い直すと、私は隣を歩く菜穂ちゃんに笑いかけた。菜穂ちゃんも微笑み返す。どこか薄ら寒い笑みを顔面に貼り付けるようにして。


「あー! 菜穂ちゃん、佳奈ちゃん。おはよっ」

「利香ちゃん、おはよう」


 道の向こうから私たちを見つけて手を上げて走ってくる利香ちゃんに私は声をかける。

 そして。


「ねえ、利香ちゃん。昨日のカーブミラーの話だけど、今日もう一回試してみない?」

「え? どうしたの? 別にいいけど、あれなんにも起きなかったからなー」

「菜穂ちゃんがお兄ちゃんから詳しく話を聞いてきたらちょっとだけ違ったんだって」


 ね、っと同意を求めるように隣を見ると菜穂ちゃんも頷いた。


「そうなの。せっかくだったらあってる方法で試したいでしょ」

「そうなの? じゃあ試してみよっか」


 乗り気になった利香ちゃんに私と菜穂ちゃんは笑みを浮かべる。


「これで寂しくないでしょ」


 振り返ってそう言った私の言葉に、返事はない。

 ただ、足下の影が揺らいだようなそんな気がした。 

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