その② シャボン玉は消える


「裏切り者っ」


 私は心を痺れさせるながら叫んだ。


「まぁ、そういうなよ。事故みたいなもんだろ?」


 ファミレスで向かい合わせの席に座っている颯人はやとは私の彼氏だ。

 私が心から悲鳴をあげているのに、長い足を組み直しドリンクバーのアイスコーヒーをストローで啜っている。


「事故って……。颯人からサークル同士の合コンに参加したんでしょ? その後、女の子と消えたって」


佳苗かなえ、口うるさくなったな」


 颯人の言っていることの意味がわからない。なぜ、この場面で私を批判するのだろう。


「謝ってるだろ。ごめんって。それ以外に何させたいわけ?」


「何かして欲しいわけじゃない!」


「ヒステリックに叫ぶなよ。面倒臭い」


 体が金縛りにあったように動かない。颯人が酷い言葉を吐き続けるからだ。

 息が苦しい。頭の中は大混乱で、私は面倒臭いのだろうか、私が颯人を責め過ぎているのだろうかと疑心暗鬼になっている。

 何も言わない私が納得したとでも思ったのだろうか。固まっている私を置いて颯人は席を立つ。


「話は終わっただろう。行くわ」


 私の返事も待たずに一方的に去って行く颯人。その後ろ姿をただただ見つめることしかできない。


 浮気され、それを責めることも満足にできず、「面倒臭い」と言い捨てられた。付き合っている意味って何なのか。ゆっくり深呼吸をして脳に酸素を送る。冷え切った体に冷え切ったホットコーヒーを一口入れ、ファミレスの伝票を持ってレジへ向かう。

 修羅場擬きをしていたせいか、心なしか人の視線を感じた。

 

 ファミレスを出て、近くの公園のベンチに腰掛けた。バッグの中から付き合って1年の記念日にとその日から数日遅れでもらったプレゼントを取り出した。


 どう見ても100円ほどで買うことができるシャボン玉液のセット。


 始めてのプレゼントだ。雑に扱われている自覚はある。シャボン玉の液でも、プレゼントと言える物を貰えて嬉しかった、当時は。

 だから、バッグにいつも大事に仕舞って持ち歩いている。

 

 悔しくて情けなくて涙が溢れる。


 告白も私から、記念のお祝いは私だけ、浮気も堂々とされて、話し合いの席で置いて行かれた。颯人は、「別れよう」とも言わない。ずるい男だ、本当に。


 それでも、好き。


 未だにそう心が叫んでいる気がする。だから、別れられない。何が良いのか自分でもわからない。ただ、好きという気持ちを弄ばれ、その現実が辛い。


 何で私が泣かなきゃいけないの?


 ベンチで1人涙を流しながら唐突にそう思った。その勢いのまま、シャボン玉セットのビニールを力任せに引き千切る。

 こんなものを後生大事に取って置くからいけないんだ。


 蓋を開け吹き棒にシャボン玉液をそっと付けて、口に加えて息を優しく吐き、願いを込めた。



 少しでも傷ついた心が癒えますように。



 大きく大きく膨らんだシャボン玉は空にゆっくりと昇り、そして弾けて消えた。

 そのまま泣き腫らした目で上を向いていると何かが降りて来ている。


「お待たせー! 待ったか?」


 それは青い三角帽子を被った5㎝ほどの子供のゾウだった。


「おい、返事くらいしろよ! 俺に任せとけばもう安心だぜ! クズ男なんかゴミ箱にポイっだ!」


 青い帽子を脱ぎ、被る方を上に向けてゴミを捨てるような仕草をする。


「可愛いわ。まるで妖精みたい」


 可愛い子ゾウが口悪く、「クズ男」と発言しているが気にならない。人も見た目と中身は違うものだ。子ゾウだってそうなのだろう。


「せいかーい! シャボン玉の妖精だぜ!」


「本当? 来てくれてありがとう。癒されたわ」


 悲痛に願った結果にこんなに可愛い子ゾウが来てくれたのだから、本当に嬉しい。いつの間にか、涙は途切れ笑みを浮かべていた。

 子ゾウはそんな私を見て不満そうな顔をした後に、鼻をブンブン回して「閃いた!」と嬉しそうに言った。



「なあなあ、見て見て! おまえの大学、すごいイケメンいるじゃん!」


 子ゾウが鼻でプゥッとシャボン玉を膨らませる。すると、理工学部の山口くんが映った。図書館の本の匂いと共に、ノートにボールペンで字を書く音がする。


「見ろ! この真面目で優しそうな感じ! 好きなタイプだろ?」


「え、うん。まぁ、確かに」


 子ゾウは空中で前転しクルクルと回りながら、鼻からシャボン玉を沢山膨らませて行く。


 山口くんと偶然サークルの飲み会が一緒になった時の映像がお酒の匂いと喧騒と共にシャボン玉に映る。私のお酒がないことに気づき、「一緒に注文どう?」と穏やかに微笑みながら気遣ってくれていた。


 次のシャボン玉には、授業中の生温い空気と共に眠ってしまった私が映っている。山口くんは授業終わりに周りの人達に課題の範囲を教えている。眠っていた私に山口くんが「佳苗ちゃんは大丈夫?」と課題の範囲を教えるために近くの席まで来てくれた。その場面がオルゴールの音色のように映っている。


 沢山のシャボン玉の中に本の匂いと木漏れ日さす窓辺が映っている。その中に図書館をうろうろと彷徨う私が現れた。課題図書が全て貸し出しで他の本を探している時のことだと思った。

そこに山口くんが現れて、「もう読み終わったから」と課題図書を渡してくれている。


 シャボン玉の中の私は、どれも眩しそうに笑っていた。


「なあなあ、こんなやつのどこが好きなんだ?」


 最後のシャボン玉に颯人が映った。1年付き合った記念にと渡した皮の名刺入れが無造作に置いてある。その横に缶の灰皿があった。颯人がタバコの灰を落とす度に、名刺入れに灰がほんの少し飛ぶ。埃被るように少しずつだが確実に名刺入れは汚れていく。


 颯人が映るシャボン玉を見ていると好きだと思った気持ちが名刺入れと共に灰に埋まって行くように感じる。タバコを挟む指が綺麗だと思っていたのに、今は指にはちっとも目が行かない。タバコの匂いも本当は嫌いだ。


 ぼんやり颯人が映るシャボン玉を眺めていると急に、パツンっとシャボン玉が割れて消えた。

 その瞬間が辛い恋の終わりと重なった。


 バッグから携帯を取り出す。指は驚くほどスムーズにスクロールし、颯人の名前で止まる。


「バサッと切っちまえ! 大切にしなかった男が悪いんだぜ!」


 子ゾウに促されるままに、メッセージを作成する。



ー別れて。もう無理ー



「いいん感じだぜ! うん? ためらうのか?」


 子ゾウの澄んだ瞳が私を後押しする。


「ううん。だって、これが本心だもの」


 メッセージを送信する指は震えない。囚われていた心が解き放たれたように軽い。子ゾウのようにフワフワと今なら浮けそうだとも思った。


 メッセージを送ってすぐ、着信が鳴る。

 颯人だった。


「何?」


「なぁ、謝っただろう? 怒るにしても今のメッセージは行き過ぎだろ」


「怒ってないよ。怒る理由もないじゃない。だって、さっき別れたんだから」


「一方的過ぎるだろ!」


 颯人が携帯越しに怒鳴っている。それがおかしくてしょうがない。


「一方的って、今さら、ふふっ。いつも私からばかりでずっと一方で的だったじゃない。だから、終わりも私からよ。さよなら」


 まだ何か颯人が言っているが通話をそのまま切った。子ゾウは、「ゴミ掃除できたな!」と耳をパタパタさせてバンザイしている。


 私が「ありがとう」と呟くと、子ゾウは「おそれるな!」と鼻でガッツポーズを作った。そして、山口くんが映ったシャボン玉達と共にバンザイをしながら飛んでいく。

 やがて、シャボン玉も子ゾウも空に馴染み見えなくなった。


 私は立ち上がり空になったシャボン玉液セットをプラスチックゴミに捨てた。


 早く図書館に行かなければ。

 山口くんは課題図書がなくてきっと困っている。


「もう読み終わったから」


 優しい嘘をついて貸してくれたと今ならわかる。

 バッグをぎゅっと握って足を一歩前に踏み出した。すると、次へ次へとまるで引きつけられるかのように足は前に進んでいく。


 山口くんが課題図書と共に、私のことも待っている予感がする。

 間違いでもいい。辛い恋の呪縛が解けた私は無敵だ。


 だから、全力で走ろう。

 私を待つ人の元へ。





 

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生意気な奴ら 晴月 @chihi1215

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