生意気な奴ら
晴月
その① シャボン玉は割れない
小さな砂粒がローファーの靴底に擦れ、小さなプラスチックに入った液体が揺れる。
幼い頃よく来た公園にシャボン玉液セットを持ちブランコに座った。辺りは黄昏に染まっていく。
高校生になりネクタイを結ぶようになった
クラスも別れて幼かった頃の絆は糸のように細くなり、やがてプツリと切れてしまうのではないかと最近は思う。
武弘の視線を追うとそこにいる女の子達。
正直に羨ましくてしょうがない。私への視線は武弘から送られてくる事などない。
そう、私には脈がまるでない。
走者のレーンにも並ぶことができない補欠落ちの私。
切ない気持ちが爆発しそうだ。
プラスチックの容器の蓋を開けると液が爪先に少し付いた。蛍光緑の棒の先に液を付けて、息を吹くと無数の小さなシャボン玉が飛び出して行く。
幼稚園の運動会で列を作るために繋いだ手をそのままに走って転んだこと、小学校の遠足で振り回して凹ませた水筒に水をたらふくいれて膨らませようとしていたこと、中学校の野球部で坊主にして恥ずかしそうに笑っていたこと。
その全てが忘れらない思い出なはずなのに最近は幼い武弘の輪郭はぼやけて来ている。
シャボン玉がバラバラ割れて消えて行く。思い出の色褪せも恋心もシャボン玉のように消えればいいのにと思う。
プラスチックの容器のそこをカツカツいわせ、シャボン玉を生産し続ける。
まず、どうしたら補欠から走者になれるのか教えてほしい。
願いを込めてシャボン玉を作ると、呆気なく1秒も保たずにシャボン玉は割れた。私の願いなんて届くはずもないと落胆する。
しかし、不思議なことが起こった。
シャボン玉の中からピンク色の三角帽子を被った5㎝ほどの子ゾウが出て来たのだ。幻を見ているようで何度も瞬きをする。
「大丈夫だ! まずは物で釣ろうぜ」
可愛らしい姿の子ゾウが可愛いらしい声で可愛らしいとは180度かけ離れたことを言った。
拗らせ過ぎて幻覚を見るようになってしまったと確信し、現実逃避のために顔を手で覆う。
「おいおい。願いを込めながらシャボン玉吹いといてそれはないぜ」
子ゾウは不満気な声を出している。そっと手から顔を上げると子ゾウは鼻を伸ばしながら前足で私を指し先生のような態度をとっていた。
「聞けよ。俺の作戦で行けば、その野球少年も落ちること間違いなしだぜ」
「誕生日を祝ってるみたいな子ゾウに言われても」
ポロリと本音が漏れる。
「俺はシャボン玉の妖精だぜ。そこいらの子ゾウと一緒にしてくれるなよ」
耳をパタパタさせながら憤慨し、シャボン玉の妖精こと子ゾウは自分の鼻を膨らませプッーと息を吹きシャボン玉を作った。
「ほれ。見てみろ。やつは梅のおにぎりが好物だ。よし、帰って練習だ。明日の朝、作って持って行こうぜ。朝練の後に差し入れよう」
シャボン玉から海苔と梅の香りが漂い、梅干しのおにぎりを頬張る武弘が映っている。
「朝練の後は真っ直ぐ教室に寄らずに、食堂の前のベンチで休憩してるぜ。ここで渡そうな」
次のシャボン玉を膨らませて、今度は鼻でシャボン玉を指している。朝練の声が響き渡る食堂のベンチに座っている武弘が映し出された。
「お、笑顔が可愛いショートカットの子がタイプだとよ。髪、もうちょっと切るか? 笑えば大抵の人間は可愛いからバッチリじゃねぇか」
その次のシャボン玉には、雑誌を指差し談笑する武弘が教室のざわめきと共に映っている。
「ねぇ」
「なんだい?」
口をつぐむと子ゾウは「髪切りに行こうぜ」と急かし始める。
「あのね」
「うん?」
子ゾウは可愛らしい声で返事をした。逆さまになり宙に浮きながら鼻を長く伸ばして遊んでいるようにも見える。ふざけた格好の子ゾウに意を決して言った。
「知ってるの。全部。梅干しのおにぎりが好物なのも、部活の後の休憩場所も、好きな子のタイプも」
武弘が映るシャボン玉を見て泣きそうになったが息を吸い込んでちゃんと声にする。
「全部知ってるの」
言葉と共に息を吐き出し、知っていて何もしていないのだと白状した。
すると、生意気そうに子ゾウはニィっと笑った。
「知ってることを知ってて言ったんだ」
「勇気出せよ」
「相手から自主的に好きになって貰えるのは眠り姫だけだぜ」
春の陽気のような声で罵られる。
「おまえは眠り姫じゃないだろ」
「早く走らなきゃスタート位置にも立てないぞ」
「走者のレーンにだって、努力して選ばれなきゃ立てないんだぜ」
フワフワ浮きながらもとどめを何度も剣山のように刺してくるではないか。
私は気づくとぎゅっとシャボン玉液が入っているプラスチックを握りしめていた。
図星なのだが、「そこまで言うか」と腹が立ち蓋を手に取り乱暴に閉め、立ち上がる。
「そうだ、センチメンタルに浸ってる場合じゃねぇぞ!」
「わかってるわ!」
人の少ないの公園に私の声がこだまする。
「やってやろうじゃないの! 髪も今から予約して切るし、梅干しのおにぎりも握るし、ベンチで待ち伏せて、笑顔で差し入れをして、物で釣ってやるわ!」
「一本釣だな」
子ゾウがピンク色の三角帽子を手に持って、釣竿を上げるフリをする。
「いつも武弘が見ている女の子達の横に並んでみせる!」
子象は走る真似をしながら、「その調子! その調子!」と手を叩く。
「補欠脱出して予選勝ち抜いて」
「それで、それで?」子ゾウが耳を片方だけ広げながら先を促す。
「レーンに立ってぶっちぎってやるわ!」
子ゾウはウンウンと頭を上下に揺らして、「独走だな、つまり」と前足同士を合わせて一度叩いた。
私は暑くなった身体を気にせず、鞄を持って駆け出した。
残されたシャボン玉の妖精が、「その息だ!」と言った声がかろうじて聞こえた。
◆
翌朝、ショートカットの女の子が梅干しのおにぎりを食堂の前のベンチで照れ笑いしながら野球少年に渡している。
野球少年は差し入れと女の子を交互に見た後、耳をほんの少し赤くして「ありがとう」と受け取った。
シャボン玉の妖精はそれを見ながら満足気に笑いシャボン玉を膨らませ、遠くからその様子を見守っている。
◆
私はおにぎりを受け取ってくれた武弘の向こう側にシャボン玉が漂っているように見えた。何となく、生意気な子ゾウが応援しに来てくれているのだと思った。
差し入れついでに勇気を振り絞ろう。
「ねぇ。部活がある日は作って来ていい?」
「何を?」
「梅のおにぎり」
「ありがたいけど……」
「断らないで。実はずっと好きだったの」
唐突に告白した。心臓が飛び出そうなほど暴れているのに、余裕で笑顔を浮かべることができる。
子ゾウに言ったではないか、「ぶっちぎってやる」と。それならば、フライング気味だろうとスタートは早い方がいい。
おにぎりが詰まって胸を叩いている武弘にお茶を渡しながら背中をさする。ゴホゴホ言って言葉になっていないが、長い付き合いの私だからわかる。
この焦りようから見て、脈ありだ。
私が嬉しくて笑いながらシャボン玉に眼をやるとプカプカ浮いて空に吸い込まれていった。
やっとむせ終わった武弘が瞳孔を開いて私を見ている。ついでに脈拍も増えてドキドキしてくれないだろうか。
そして、それを恋だと思えばいい。
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