ある悪魔祓いの秘め事

譚月遊生季

たとえ、堕ちたとしても……

「くれぐれも、フォン・ローバストラントの名に恥じぬよう」


 母様から届いた手紙は、また似たような言葉で締めくくられていた。

 子供の頃から、耳にタコができるほど繰り返された言葉。……正直なところ、もううんざりだった。


 自室の引き出しに手紙を仕舞うと、背後から声をかけられる。


修道士フラテッロ・マルティン、就寝時間だよ」


 イタリアから左遷されてきた同室者が、部屋の入口から顔を出していた。




 ***




 わたしの家は、どこかの貴族の系譜を継いでいるらしい。とはいえ末端も末端だろうし、名に冠した領地もどこまで関係しているかわかったものじゃない。

 ただ、確かなことはある。……わたしの影には、生まれつき「守護精霊シュッツガイスト」が宿っている。

 守護精霊の力から、わたしの一族は、代々「悪魔祓いエクソシスト」として重宝された。本来妻帯を許されないはずの聖職者であるにも関わらず、特例として「子孫を増やすこと」を望まれた一族。永遠に司祭階級に至ることのない、世襲制の下級聖職者。


 別に、それ自体はどうってことはない。

 信仰心が薄い訳でもなし、神に仕えることに文句はない。

 悪魔祓いの仕事はあまり好きではないけれど、民の安全を守る大切な仕事だし、嫌いという程でもない。


 ただ……修道士服を身に付けるのだけは、少しばかり憂鬱だった。

 どうしても、考えてしまうから。




 ……これは、わたしの真の姿じゃない。




「普通」に過ごしているだけで、神様に嘘をついているような感覚に襲われる。

 これは、わたしのあるべき姿じゃない。そんな感覚が、まとわりついて離れない。


 だから……どうしても、試してみたかった。

 禁忌と呼ばれるかもしれないけれど、隠れてやりたい放題の破戒僧はかいそうだっているし、あるべき姿を求めるくらいは許されたかった。……それに、嘘をつくことだって禁忌でしょう……?

 サイズの合うものが見つからなかったから、自分で縫った。就寝時間が過ぎた頃、密かに床を抜け出し、ベールを被って姿見の前に立つ。


 ……ああ、間違いない。この姿になるたびに、確信する。




 わたしは、女だ。




 心臓が高鳴る。

 この姿が罪なのか、それとも普段のわたしが罪なのか、わからなくなる。

 紅を引きたい。綺麗なドレスを着たい。聖職者である以上、それが許されないのは仕方ない。

 けれど、聖職者でありながら、わたしはいずれ妻を持ち、子を成す。……考えたくもない未来が待っている。


 ……わたしの腹が子を宿すことはない。

 高い背、広い肩幅、低い声……現実は、嫌という程理解している。




 わたしの身体は、男だ。




 誰かに見つかる前に、寝床へと戻る。……と、部屋の前で人影と鉢合わせた。


「……あ」


 そこには、今にも抜け出そうとしている同室者の姿があった。

 元神父だったかしら。素行不良でローマから左遷されてきたとは聞いたけど……


「頼む、見逃してくれないかい? 僕はこれから、大切な使命を果たさなければならないんだ」

「……どんな使命?」

「愛する女性と時間を過ごすことだよ……あっやめ……! 首、首絞まってる……!」


 わたしが「コレ」と同室になったのは、面倒事を押し付けられているのだと薄々感じていた。

 ある時を境に酒と賭博にハマり、数々の浮き名を流し始めた破戒僧……名前は確か、テオドーロ。イタリアの名門将校一家、フランチェスカ家の生まれで、当のフランチェスカ家からは寄付金を積まれて「面倒を見て欲しい」って言われてるんじゃなかったかしら……


「か、彼女、太陽が苦手なんだ……だから……夜じゃないと会いにくくて……ぐぇえ」


 それ以前に、堂々と女遊びするんじゃないわよこの生臭聖職者……!

 なんて、言いそうになったけど我慢した。喋るとついつい女性的な話し方になってしまうから、普段は「寡黙」を演じてやり過ごしている。


「……って、どうしたんだい。その格好」

「……! あ……」


 しまった。今のわたしは修道女の格好をしている。

 ……見つかったのが不真面目代表のコイツでまだ良かったかもしれない。こちらも弱みを握っている以上、どうにでもなる。


「……行ってくれば?」

「えっ?」

「その代わり……わたしのことも、黙っていて」


 黙認するのはしゃくだけど、わたしの女装(わたしにとっては正装だけど……)も、バレるわけにはいかない。


「ありがとう。君の慈悲深い心に感謝するよ!」


 ……なんて言いながら、テオドーロは器用に音を消して廊下を走り去っていく。

 癖のついた金の髪に、澄んだ青色の瞳。人形のように整った顔立ち……まあ、女性には困らない外見だろう。

 わたしも、そうね。好みじゃないといえば嘘になる。


「……何考えてんのよ、もう……」


 妙な思考を振り払うように、その日は寝床に潜り込んだ。




 ***




「昨日はありがとう」


 翌日、夜になってからまた顔を合わせた。

 呑気に礼を言われたので、思わず睨みつける。

 この男……あれだけ好き勝手して、罪悪感はないのかしら。


「……神に仕えてるって自覚は?」


 わたしの文句に、テオドーロはキョトンと目を見開いた。


「あるよ。だけど、教会に仕えているわけじゃないからね」


 ……は?

 わたしが疑問を差し挟む前に、テオドーロは平然と語る。


「異形にだって心があり、生きるためにあらゆる活動をしている。……それなのに、異形というだけで滅ぼされてしまう……。あまりにも、憐れなことだと思わないかい?」


 異形への同情は、分からなくもない。むしろ、悪魔祓いの中でも慈悲深い者なら、頻繁にぶち当たる壁だ。わたし達の仕事は、主に「人間に紛れているもの」を狩ることになるから、尚更苦悩しやすい。

 だけど、多くの者はどうにか折り合いをつけ、狩る側であることを受け入れる。「人の皮を被っているだけ」「我々を騙しているだけ」……そういった思考に逃げる者もいる。

 わたしは……そうね。「それが仕事だから」と考えるようにしている。

 だって、仕方がないでしょう? 人間が牛や鳥の肉を食べるように、向こうは人間の血肉を喰らう。草食動物が肉食動物に抗って時に殺すことがあるように、わたし達は「異形」から身を守る必要がある。


 わたし達が守れるものはひと握り。すべてを救うことなんて、人の身である以上できやしない。


「要するに、民に危害を加えないよう無力化できればいいんだろう? それなら、僕の妻に加えて幸せに暮らしてもらった方がいい」

「……ああ、なるほど。それがまだ破門されていない理由……」


 目の前の男はとんでもない破戒僧だけど、それなりに「成果」を挙げているとは聞く。……その方法が独特なだけで、「悪魔祓い」として重要な人材であることは間違いない。


「でも、さすがに酒や賭博は……」

「うん? もうやっていないよ。あれはね、左遷されるためにわざとやったんだ」

「……はぁ……?」

「僕はね、運命を知ったんだ。神に与えられた使命に気付いてしまった。……悪魔祓いになれて良かった。これで、多くの異形ひとを救うことができる」


 救う……って言っても、こいつの場合、色々とピントがズレている気はする。妻にするって言ったって相手がどう思うかって視点が抜け落ちているし、複数人をめとるのが前提であることも含めて頭のネジが外れた思考だとしか思えない。確かに美形ではあるけど、こいつに囲われることが幸せかどうかって思うと首を傾げてしまう。

 だけど……どうしてかしら。その瞳は、やけに輝いて見えた。


「ねぇ、テオドーロ。あんた……色んな『女性』を見てきたのよね」


 どうして、その言葉を口にしてしまったのか、自分でも分からない。


「わたしは、女に見える?」


 見えるわけない。そう、言われると思っていた。

 高い背、広い肩幅、低い声……どこをどう見ても、わたしは「女」じゃない。

 テオドーロは「ふむ」と考えつつ、口を開いた。


「女性になりたいのかい?」


 綺麗な顔立ちが眼前に迫って、思わず心臓が跳ねる。

 色白の、細い指がわたしの鎖骨に触れ、服の上から身体をなぞる。


「……なるほど」


 次に、テオドーロはわたしの顔をまじまじと見た。右眼を隠した前髪を持ち上げようとするから、慌てて手で押さえる。

 そこは傷痕があるから、見られたくない。

 わたしは幼い頃に片目を潰された。代わりに特別製の義眼を入れて、「影」に宿る精霊を使役している。「悪魔フォン・祓い一族ローバストラント」の長男である以上、避けられない宿命だ。


「以前、ちらっと見えたけど……綺麗な眼だよね」

「……な……」


 心臓が高鳴る。この男、まさか、わたしのことも「女」として見ているの……?


「まあ、正直なところ、あまり好みじゃないんだけど……って痛い痛い痛い! 足踏んでる!! 足!!!」

「ガタイが良くて悪かったわね」

「誤解だ! 大きいのは悪くないよ! 髪の毛が触手や蛇だったりするともっといい! 君はれっきとした人間だから、あんまりそそらないってだけさ!」

「……ああ、そう……」


 それなら、思わせぶりなことをしないで欲しい。

 うっかりときめいてしまったじゃないの。これだから色男は……。


「話を戻すけど……君を女性にすることは可能だよ」

「……え?」

「男だって、女性のように抱いたらいつか女性になるんだ」


 テオドーロは自信満々に語るけど、初めて聞いたわよそんなの。


「……それ、あんたがそう錯覚するってだけでしょ」

「そうかもしれない」


 思わずずっこけた。何よ、それ。


「でも、試してみるかい? 僕は多くの『異形』と関係を結んでいるし、本当に、そういう能力が身に付いているかもしれないよ?」


 青い瞳が、じっとわたしを見つめ、すっと細められる。優しげな微笑みで、テオドーロはわたしを誘う。

 鼓動がどんどん早まり、顔が熱くなる。……本当にどうしちゃったのかしら、わたし。


 わたしは、聖職者でありながらいずれ子を成さなくてはならない特殊な一族。

 本当に「女」になれるなら……わたしにとって「本当の」肉体を手に入れられるなら、願ってもないことだ。

 それでも……嫌よ。テオドーロの妻になんかなりたくない。


「あんたの妻になる気はないわ」

「君が『今は』男でただの人間でも、ちゃんと他の人たちと同じくらい愛するよ。平等に愛を注ぐことにしているし」

「……分かってないわね」


 ああ、本当に身勝手な男。

 だけど、「異形」とされる者達が惹かれる理由も分かるわ。

 彼は、何者にも囚われない心を持っている。

 青い瞳は、どこまでも自由な光をたたえている。


「平等だから、嫌なのよ。他の妻と同じなんて、ごめんだわ」


 わかっているわ。身勝手なのは、わたしだって同じ。いいえ、そもそも人間の愛は身勝手なもの。

 醜くて、愚かで、不合理で……それが、人が持つ「愛」。

 そのくせ魅力的で、時に想像を絶するほどの力を持つ。いえ、、制限されるのかもしれないわね。


「……参ったな。不覚にも、君のことを可愛いと思ってしまった」

「子孫を残す目的以外の性行為は禁忌よ」

「僕がそういうのを気にする性格だと思うかい?」

「わたしが気にするの。……だから……わたしを抱くなら、約束して」


 朱色に染まった頬に触れる。

 この感情は、恋や愛だなんて呼べやしない。

 もっと利己的な、計算高い思い。悲願を叶えるために、希望に縋っているだけ。


「いつか本当の意味で、わたしを女にするって」


 あんたの妻になる気はないわ。

 ……だけど、あんたに女にされたい。


「いいよ、約束する。その代わり、する時は片眼を見せながらでお願いできるかい? そのままだと勃ちそうになくてアイタタタタ髪! 髪を引っ張るのはやめて!! むしらないで!!」


 本当に、どうしようもない男。

 それに縋るわたしも大概、どうしようもない女なのだけど。


「……わたし、初めてなの。優しくしてくれる?」

「うん! 僕にも優しくして欲しいかな! 何でか君の暴力には『彼女』の反撃も発動しないし!」

「ちょっと、誰よその女」


 前言撤回。

 すごく不本意だけど、恋はしちゃったかもしれないわ……。

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