第6話 真理ばかりを夫とし
真理のため歌う。
歌えば判る。
たれが世界を「一つ」にしたか。
分かたれた世界がある筈だった。
真理は分断の先にある。
みそらの生をそこへ。
連れてゆく。
歌う。
ファラドキシにとって、ミソラが唯一の、「ゆいいつのもの」だった。そう感じる感覚は、ことばにはできない。そもそもが、ファラドキシはなんらかをことばにする事が、元来にがてなたちだった。父親も、母親も、あいしている。ミソラの事も無論、あいしている。しかし、その上に積載された感覚が違った。ミソラが生れたと知った時、その存在を目にした時、予感は決定的な天啓に変った。このものの為に自分はいる。これを、おそらく今、ここには、容易に存在し得ない場所、だれもがまだ見つけられず惑っているような場所、そこへ彼女をつれてゆくため、そこで「ほんとうのもの」を彼女に知らされるため、自分はこの地上に這い出てきたに過ぎないと感じた。この小さきもののために。この者に見せるため。未来という名の、失われた真理を。到達することが殆ど不可能とされている、過去の、とおいはるかなる時間のさきの、そこにあった筈の「ほんとうのもの」。彼女を連れていく必要がある。そこで自分は生きていきたいと、強かに思ったのだ。
ミソラが金曜日の五時間目の数学を終え、帰りのショートホームルームで担任が連絡事項を伝え、「さようなら」をして解散となると、クラスメイトたちが「行ってらっしゃい」「配信見るね!」と激励をいくつかくれて、さっそく列車で「アリーナ」へ移動する。通用口で生体認証とボディチェックを済ませ、無機質で少しくたびれたような白の廊下をいくつも曲がり、楽屋の隣の部屋に用意された特別警備本部のドアを叩く。
「はいよ」
「お早う御座います!」
返事と共にドアを押し開け、室内の気配、温度、湿度、人数、それぞれのだいたいの体調を把握しながら挨拶。
「あいかわらず元気ですね、マム」
「おはようベータ。シータ、ガンマもお疲れ様です」
「おはようございます」
シータが鈴の転がるような可憐な声で挨拶をする横で、ガンマが頷いている。今日はこの三人が先行で「部屋入り」し、アルファとデルタがただいま会場内巡視中のはずなので、警備は問題なく行われていることが知れた。
「みんな、今日は大丈夫? お腹が痛い人、頭が痛い人はいない? 熱はない?」
「問題ないぜ」
「同じく」
ベータ、シータが答えた後で、ガンマが頷く。
「マムはいかがですか?」
シータが妖艶とも言える笑顔でそう尋ねてくれる。声のかわいさと見た目のエロチックが今日も元気に齟齬を起こしている。ミソラは最初そのちぐはぐ感に笑ってしまったのだが、それさえも「マムのお気に召しましたなら光栄」と、涼やかに笑って済ませていた。彼女に負の感情を見出したことが今まで一度もない。
「私も問題なし! ありがとう! でも数学の宿題に手こずりそうな感じだから、あと二十分だけ勉強してもいい?」
「おやおや」
ベータが片眉を跳ね上げておかしそうにしている。シータとは対照的に、ベータはどんな感情も芝居がかった仕草であらわすのが癖なのだ。東洋系の美女であるシータと対照的に、ベータはアングロサクソンのがっしりとした軍人風情。ガンマが何も言わず、数学の問題集を広げるミソラの隣に腰を下ろし、例の如く家庭教師役を引き受けてくれようと、さっそく今日習った公式の欄を見つめている。
「もうね。もうやだよ。切片はb! それはわかってる。それはちゃんと覚えてる」
ミソラは自分に言い聞かすように、一次関数の公式で何度も忘れそうになる落とし穴の「b」の存在を先取って言った。
「今日はね、二つの式? 二つの線? が交わる場所から、ええと、座標から、式を求めろっていう、感じ。だと思う」
ガンマは何度も頷いて、考え方の手引きを、提出用ではなく計算用のノートにすらすらと書き出してくれた。基本問題とその次の応用問題まではミソラが自力でできるだろう、とも。ガンマは基本的に筆談と身振りで意思の疎通をはかる。見た目は黒ずくめで、スキンヘッドにサングラスという出立の大男だった。サングラスの向こうに透けて見えるひとみが穏やかなブラウンであることを、この室内にいるメンバーはなんだかんだで知っていた。
自力で問題を二問解いてから、いよいよ「発展問題」に手をつけ、見事に撃沈し、ガンマが補助として書いてくれた式に代入し、「ええ、これでいいのか……あ、そっか、これでいいんだ」などと呟きながらどうにか正答の式の値にたどりつくと、そろそろ十八分が経過していた。
「おっとと」
ミソラは急いで問題集や筆記用具をしまい、その場で下着姿になる。
「どうぞ、マム」
「ありがとう」
シータがこれは自分の役目とばかりに、ちょうどよいタイミングで警備用の黒いスーツを差し出してくれる。足を入れて腕を入れて、背中のジッパーを引き上げる。各関節のあたりに設えられたベルトやポケット、グローブ、一体型のブーツの位置を調整し、学生鞄から取り出したナイフの大きい方を右腿の固定具に、小さな二本を左腿の差し込みにそれぞれセットする。最後に二つ縛りの髪の毛が緩んでいないかすこし引っ張って直し、通信機でもあるゴーグルをセットする。ベータ、シータ、ガンマもこの間にそれぞれの装備(といっても、みな服装はそのままで、武器とゴーグルの装着くらいである)を終えている。
「さて。お待たせしました」
ミソラが姿勢を正して発すると、三人がミソラに対して半円を描くように整列している。
「お早う御座います。皆さん本日もよろしくお願いします」
「よろしく」、「よろしくお願いいたします」、そしてガンマの首肯。
ファラドキシ特別警護隊幹部、または国際テロ組織対策支援部隊キュウシュウ支部民間委員の面々が、かれらの上長であるミソラに対して踵を揃える。
「『アリーナ』での警護も三回目です。セットリスト、各自の動きはみんなすでに把握してくれているよね。今回も特別なことはありません。通知しているとおりの内容です。なにか問題はありそう?」
「まー、いつもっちゃいつもだが、トリ前の早着替えだよな」
「そうだね。そこはベータ、アルファ、そして私が、三人でお姉ちゃんに直接つきます。いつも通りだけど、そろそろ嫌な感じがするので、シータにも遠隔警護をお願いしています」
「了解しております」
シータが一礼する。
「ま、何事もないのが一番だが、ここらで何かあってもおかしくはないわな」
ガンマも頷く。
「皆いつもありがとう。そろそろアルファとデルタが戻ってくるね。どんなささいなことでも、意味のないことでもいいから、すべてその場で報告してください」
ベータとガンマがそれに了承のサインで応え、会場内巡視に出てゆく。きっかり三十秒、ミソラとシータが同じポーズのまま待っていると、ノックの後にドアが開いて、アルファとデルタが巡視から帰ってくる。
「おはようございます! マム!」
「おはよう、マム」
二人の挨拶にミソラが「お早う御座います!」と返すと、二人も即座にミソラを囲む半円の線上に並ぶ。
「異常ありません!」
「なかった」
好青年の、すこし洒落たスーツを着たアルファはだいたいいつも声が大きい。対して緑色の目が印象的な、痩せ型の少年デルタは穏やかに報告する。
「二人ともお疲れ様です。今日も通知のとおり、何も特別なことはありません。どんなこともその場ですぐに、私に報告してください」
「アイ、マム!」
「わかった」
先ほどと同じ内容のことを言ってから、ミソラは二人の体調を見極める。特に問題はなさそうだが、アルファが髪を切ったばかりだからなのか、いつにも増して楽しそうだった。
「それでは、作戦行動、始め。各自動いてください」
各々が了解のサインを作ってから、ドアを出ていく。ミソラの直属の部下はかれら五人だが、五人それぞれが私設部隊を持っていて、その動きまではミソラは把握していない。かれらがかれらの部下たちを使ってミソラの要求を満たしてくれればそれでよい。あくまでミソラと、またはファラドキシと契約しているのは五人のみであった。キュウシュウ支部民間委員として登録されているのも五人のみだ。しかし、ファラドキシのライブ一回につき動く警護、または軍備、と言ってもいいだろう、その人員として、数百人が動員されている。五人から直接報告されたことはないが、それぞれの動きを見ていれば、だいたいの配下がそれぞれ何人なのかはミソラも把握していた。
なぜファラドキシの特別警護、ようはSPとも称されるその仕事にそこまでの人員が必要になったのかといえば、それはファラドキシに害をなそうとする人物たちの性質による。過激派とよばれる「アンチ・ファラドキシ」の連中は、揃いも揃って、なぜか、どこからか国際テロ組織に属する傭兵を次々と雇っては仕向けてくるのだった。普段の警護は、ミソラも学業があるため部下に任せているが、ライブだけはミソラじきじきに警護に当たることにしている。アンチ側も、動くのはたいていライブ当日か、そのリハーサル日、他にもレコーディング、撮影ロケなど、やはり人の動きが流動する瞬間、かつテロ行為が露見した際の見た目の派手さを狙っているようだった。ファラドキシのアンチがテロ組織所属として名高い傭兵(つまり組織の幹部以外、この業界はフリーランスで動いているのだ)を使い始めたため、ファラドキシの警護が必然、テロリスト対策となってしまったのだった。始めはアルファとベータだけであった部下も、今や五人だ。それぞれがテロ組織に属していたこともあるフリーランス、つまり傭兵で、国際テロ組織対策支援部隊キュウシュウ支部民間委員として登録されることで、かれらは世界警察からお目こぼしを貰っているのである。余談だが、ニホン地域にはいま、公的な警察組織および軍事力というのは保持されていない。それぞれの大陸(大きいところで言えば本州、次点でキュウシュウ、その他)が自警団を組織して、犯罪行為に対処している。そのほか手が回りきらない場所については、ミソラのような民間の傭兵たちが、「雇用」されて対処している。もっとも、ミソラはファラドキシの妹として、幼少より彼女を警護していたので、五人の部下に対しても、ファラドキシと連名で「雇用側」の人間である。学校では仕事のための欠席を融通してもらっているし、所属している合唱部の練習も、ほとんど出られたことはない。幽霊部員というのは不名誉なことだが、昼休みの有志の練習には混ぜてもらっているので、友人たちの助けもあって、大会に出場できるくらいには、ミソラも歌えている。
それでもやはり、ミソラの本道は、ファラドキシの身体を護ることだった。ファラドキシは、物心ついた時から、歌っていたという。五年遅れてミソラがこの世にやってきた時、彼女はすでに、出生地の軍属の軍楽隊で高らかに歌っていた。その後出生地の情勢の変化により一家はニホンへと居を移した。ミソラはすでにその頃(年齢にして六歳頃)、格闘家として名を為し始めていたために、紛争地帯として世界政府の指定を受けていたその地域に一人残り、できる限りの武をきわめた。体を動かすことが楽しく、また軍属ではなく傭兵としてであったが、軍の作戦に参加するのも、格闘で強者とまみえることも、幼いミソラにとって、ひたすらに遊戯に近かった。そうして十二歳、中学入学のため、ミソラも日本へ渡り、その年、おそらくニホンでもっとも武術にすぐれた中学生たるミソラを警護につけ、ファラドキシは十七歳でメジャーデビューを果たした。またたくまにファラドキシの名は世界中に響き渡り、瞬く間に「アンチ・ファラドキシ」が形成された。ミソラにはある意味、この流れが見えていた。ファラドキシの歌声というのはそういうものなのだ。人の心を動かさずにはおれない。それがよい影響の場合もあれば、反発や嫉妬、そして憎悪を生むことだって少なくない。それは出生地でもそうだった。彼女の歌はそこでは軍によって護られていた。ミソラが力をつけるまでの六年間、ファラドキシにはほとんどおおやけの場で歌うことが許されないという、不便な思いをさせてしまった。しかし、その間のエネルギーを、一気に爆発させた十七歳のファラドキシの歌は、それはもう、凄かった。音楽の素養などほとんどないミソラには細かいことはわからなかったが、その歌を直接聞いたものの熱狂を目にすれば、音楽に心を傾ける人間がどれほど彼女の登場を待っていたか、というのは想像にかたくなかった。
「おねーちゃあん」
ノックしながら呼ぶと「ミソラちゃんおつかれー」とメイクさんの声が招く。警護本部の隣の部屋がファラドキシの楽屋として用意されており、そこで姉は絶賛ヘアメイクの最中であった。
「お疲れ様です」
言いながら部屋に入ると、ファラドキシはやはり眠っていた。この時間、リハーサルを終えて、最終の声の調整をしてから、ほとんどファラドキシは本番直前まで寝ている。こういうところを狙われたら全くもっておそろしい、が、このヘアメイクの女性はアルファの配下の人間であり、武の心得はあるし、スタッフ全員が通信機で繋がっている。ミソラが学校を終えてからは直接ミソラがファラドキシの警護に付くが、それまでは部下たちに任せている。今のところ、ライブ前の時間を狙われたことはない。これからもないとは限らないが、テロリズム(その目的ではなく、テロリズムそのもの)に取り憑かれた人間というのは、とかく祭りの「最中」が好きなのだ。ライブ前のファラドキシを殺したとして、それではかれらの心は満たされない。ミソラ率いるこの警護集団を突破し、おそらくは大トリ、今回は「ワンダフル・クイーン」の曲中に舞台上でそれが為されなければ意味がないと考えているだろう。
開場は十七時。物販会場は午前中から賑わっており、すでに「アリーナ」の周辺は人の気配が充満している。近くの飲食店ではこのライブの配信を流しながらの食事を提供するところも多いため、だいたい十八時を超えると、会場周辺からは人は散っていく。入場者だけが残り、十八時三十分、開演だ。現在十六時四十分。ファラドキシはここでメイクを整え、十七時三十分から十五分ほど最後の音の調整を行い、休憩。十八時十分、舞台袖入り、モニターチェック、最終の体調確認、退避経路確認を経て、十八時三十分には、舞台上で「歌姫」となる。
「んが……」
「あ、起きた」
メイクさんが言って、ファラドキシがねむたげな目をこすりそうになるのを止める。
「あ、ミソラ。はよう」
「おはよう、お姉ちゃん」
傾いていた首が凝っているのかぐるぐる首を回し(メイクさんは手を止めて待っている)、その艶やかな金髪がさらさらと音を立てるようだった。青い目はミソラよりもずっとずっと薄い色で(ミソラの目はほとんど黒に近い藍だ)、顔立ちもミソラよりもかなりくっきりと、ニホンにはいないタイプの直線の多いタイプの美人だ。母親はニホンの血だが、父親は北の大陸のさらに北の生まれであった。ミソラはどちらといえば母親に似ている。そのおかげで、出生地からニホンに渡ってきた時も、すんなりと学校になじむことができた。ファラドキシは一応ニホンの高校に通っていたというが、そこで友達ができたという話は聞かなかった。単純にファラドキシはコミュニケーション不精というか、歌うこと以外に殆ど興味が向かないので、人間も、歌う人間と家族くらいしか認識していない。さらに、自分以外の歌う人間、つまり他のシンガーやボーカリストと呼ばれる人達にもそこまでの興味を示さない。ファラドキシの情熱の対象はあくまで音楽であり、「みずからが歌うこと」だった。そういう性質も、アンチの勢力をつねに増大させてしまう一因なのかもしれない。「アンチ・ファラドキシ」にはいくつかの勢力があると思われるが、防衛戦において黒幕探しは益がないとミソラは判断し、その大元は追っていない。しかし長期的に国際テロ組織にも力を貸すフリーランスを雇える資金力を考えれば、かなり名の知れた同業者であろうことは明白だ。歌う人間、才能に魅入られた人間、そのうちの不幸な一部は、嫉妬というおそろしい怪物に負けてしまうものもいる。ミソラの格闘におけるライバルにも、そういった人種はいて、ミソラ自身、命そのものを狙われた回数は片手では足りない。
「なんじ?」
「もうすぐ五時だよ」
「えっと……」
「五時十五分から最後の声とエフェクトのチェックだよ」
「りょうかい」
どこかぼんやりしているファラドキシに予定を伝える。さまざまな属性が付加されてはいるが、ファラドキシとミソラ自体は、どこにでもいる仲のよい姉妹だった。ファラドキシが穏やかな性格、かつミソラになんでも譲ってしまうため(これを溺愛というのだ、とミソラは一応認識している)喧嘩になることはないが、珍しくファラドキシがへそを曲げてしまうこともあるし、ミソラなどはすぐになんにでも腹を立ててしまう。歌うものと護るものではあっても、二人が存在する場所は、いつでもそのまま「家庭」の空気になる。仕事中だが、どこでも二人がいればリビングと変わらない。おもしろい感覚だ、と思うこともなく、ミソラにとってはこれが日常で、もうこれ以外は考えられない。最高の歌姫と、最強でありたい傭兵の自分。この二人がそろえば、ほとんどこわいものはない。もちろん気は抜けないが、この「無敵」な感じは、おそらく生まれたその時から、ミソラの胸を満たしている。
十七時十五分。ファラドキシとミソラは楽屋を出て、専用のミキサールームへ移動した。そこでファラドキシの最後の歌声の出の確認と、数種のサウンドエフェクトの調整が行われる。アルファ、ベータ、シータ、ガンマ、デルタから定時報告が入る。全ポイント、異常なし。または、不審者とみられるものに対しての威嚇行動、追放が数件あったかもしれないが、ミソラまで報告に上ってくるようなものはない。ミソラ達は民間の警護契約のもとの従業員であり、テロ対策支援の「民間委員」であるため、武力の行使はその「対象の警護」の為に限られる。よって、正当防衛以外での暴力は禁じられており、相手が逃走すれば深追いする必要はない。ただ単に「ファラドキシ」を守り抜けばいいというこのシンプルさはミソラの気にいるものだった。当然、観客や物販開場への入場者を対象としたテロ行為も考えられるが、ミソラも部下も、そこまでカバーすることは職掌としていない。それは自警団の仕事であり、ファラドキシの警護という本旨からは外れるからだ。アンチがファラドキシのファンを狙って攻撃や武力の行使を開始したとして、それは果たしてファラドキシにとってマイナスになるか、といえば、わからなかった。無観客ライブの配信というものも普及しているし、極言すれば、命を落とす危険を冒してもファラドキシの歌を聴きたいという人間は、大勢いるのだ。それはもう何万人とこの世界にいる。よって、かどうかはわからないが、今のところ、ファラドキシ本人またはミソラたち警護部隊を標的とした攻撃しか受けていない。それらの迎撃に完全に成功し続けているため、今日もファラドキシのライブが行われる。
十八時二十分。
ファラドキシは舞台袖にて静かに、開演前の客席をうつしたモニターを見据えて、すらりと立っている。すっかり眠気は去ったようだ。本番十分前に眠気が去っていなかったらそれはプロとして大事件なのではないのかという所だが、ファラドキシにとって、歌うということがあまりにも、食べるや寝ると同じに当たり前に行われることなので、たとえ一分前まで眠くても、一分後にはいつもと全く同じ調子で歌っているのである。黒のシンプルなキャミソールに、デニムのショートパンツ。だいたい着飾るということを好まないこの姉は、最後の一曲以外はこのくらいのラフな服装で歌う。好まないというよりは、これも究極的に興味がない、ということなのだろうが、舞台演出のディレクターからは、顔立ちとその長い髪、長い手足が十分派手なので問題ないとのことだった。そもそも、歌い始めてしまえば、みな、ファラドキシの容姿のことなど忘れてしまう。
開演五分前。ファラドキシの戦いとともに、ミソラの戦いも、そろそろ始まろうとしていた。
「じゃ、いってきまっす」
「グッドラック」
おどけた口調でそう言う姉に、ミソラもごく適当に返した。ファラドキシが、舞台の下の、演出用の空間に向かっていく。
『歌姫、下方待機。異常なし』
五人の部下に告げる。それぞれからも、異常なしの報告が帰ってくる。
開場の照明が落とされ、今回のライブ用に装飾された、一曲目のイントロを引き伸ばしたかのような音源が流れ始め、客席がにわかに沸く。そしてすぐに、やや不穏な感じのある、緊張したコードを重ねられた音楽のみが流れ、観客たちが息をのんで開演を待つ、異様な空気で「アリーナ」が満たされる。この時間、ミソラはじめ警護の面々も、観客たちと気持ちは似ているのかもしれない。これから、何が起こるのかわからないものの、きっとそれまでの自分ではいられなくなる何かが起こる、その予感だけは確かなのだから。何度経験しても、どのライブでも、同じ戦闘は二度とない。その全ての経験が、危険で、賭けで、そして、愉悦だ。ぜったいに勝つ。ぜったいに護る。それ以外の結末はない。この防衛に一度でも失敗したら、つまりそれはファラドキシの死亡を指すのだが、この警護にかかわったもの全員が命を断つという誓約書を書いている。ミソラも、五人の部下も、おそらくその部下たちも。もちろんそんなものをいちいち書面化しなくとも、みな心は同じだろう。恥辱だ。生きていられるわけがない。この警護にかかわるものがそこらの傭兵と違うのは、そういう所だった。生き残ることよりも、戦うことが好きだった。ミソラにおいてはもちろん、ファラドキシのいない世界は自分にとっては意味がないからだ、という理由が足されるにしても。
音楽が途切れる。
観客がざわめいて、また直ぐ静かになる。
開演、十八時三十分。
「ダイアモンド、ダイアモンド、ダイアモンド、ダイアモンド!」
高らかに朗々と、空間中にひびくのは、無音のなかに照らされた、ファラドキシの肉声だった。舞台の中央の円形の穴からファラドキシの姿が上昇すると同時に、止まっていた音楽が爆音で溢れ出す。観客が怒号のような号泣のような、おのおのの感激の声でもって、歌姫を迎えた。
一曲目、ダイアモンド・ダイアログ。
『アルファ、来ました』
早速通告が入る。
『通路Cの十五、四人』
四人。前哨戦にしては少ない。
『デルタ、来た』
こちらだな、とミソラは感じる。狙撃系の配下が多いデルタに、不利な戦場とならないといいのだが。
『舞台裏、通風ダクト、着弾あり。狙撃手推定、五』
狙撃に狙撃を当ててきたか、と、少しおもしろい気持ちになる。通風ダクトは高さ二メートルほどの大きな空間が横に五十メートルほど続く。会場中のパイプを伝って最終的にこのダクトに排気が集められる。風の強い密閉空間だが、それを計算した狙撃が行われている。肉弾戦で狙撃手を潰していくほうが早いが、デルタならばさほど問題はないだろう。
『アルファ、現場制圧。捕縛四』
『了解。デルタ、どう?』
『あと一人』
『了解。気をつけてね』
曲は二番が終わり、Cメロと呼ばれる、大サビの前まで進んでいる。会場中が浮かされたようにゆらゆらとペンライトを振っている。
『デルタ、現場制圧』
『了解。負傷者は?』
『負傷者、三。問題ないよ』
『了解。続行で』
最高潮の盛り上がりのその場所で、唐突に曲は終わる。一曲目、終了。
ファラドキシの挨拶が入る。いつも同じ台詞だった。今日は来てくれてありがとう。最後まで、楽しんでいって。私も、楽しいです。
ぱっと照明がふわふわの色合いにかわり、ポップな加工をされた音が会場を満たす。二曲目、ポン・デ・プリン。
『シータ、妨害電波感知』
『了解。今日は早いね』
『通信、途絶えます』
それから、通信機は何も音を発さなくなる。全スタッフにもこの会話は全て共有されている。ファラドキシのライブスタッフに、今更これしきのことで顔色を変えるものはいないが、不自然な無音につられて無表情になっている者も多い。警護系統からの連絡がない中で、ファラドキシは跳んで走り回りながら歌っている。パン、という破裂音のあと、舞台に薄い色をまとった風船がどんどんと放たれる。その全ては上りきると、舞台の上の様々な機器やキャットウォークに到達して動きを止める。
その闇と風船に紛れて、うごめくものが十、いや、十二。
(やってるやってる)
ファラドキシのはるか頭上で、曲芸のように天井を渡り歩いて命がけの肉弾戦が行われている。一人でも落ちたらファラドキシのライブはそこで終了である、この高さなら確実に死亡するのだ。舞台上空はシータの持ち場だ。
曲が終盤に近づく頃には、天井の人影は全て完全に停止し、頼りなげに揺れるは風船のみであった。二曲目が終わる。スタッフが舞台天井に躍り出て、すかさず風船を回収してゆく。シータたちはその間脇に避けているはずだ。
『妨害終了。シータ、現場制圧。捕縛五』
『了解。妨害はまたかかると思う。気をつけよう』
通信が復帰する。それぞれから了解、の返事が帰ってくる。
三曲目は重厚でハードなイントロが長く続く。フェイティン・ボーイズ・グロウ。
『ガンマ、敵襲』
ガンマだけは本人ではなく部下の女性が通信を代理している。十七、正攻法で来た。ガンマの持ち場は多岐に渡り、通用口、地下駐車場、通路D、そして舞台裏へと続く通路Aだ。
『通路D、地下駐車場に十。通用口、三』
『了解』
『通路A、現場制圧。捕縛、四』
『了解』
報告の間も無く、ガンマ自身が警護している通路Aはことなきを得ている。つづいて地下駐車場、通用口、通路Dの順に、制圧情報が入る。さすがに数が多いとすこしは緊張が走る。
『ガンマ、負傷者は?』
『負傷者、四。戦闘不能は一です』
『了解』
死亡でないといいが、と考えながら、ミソラの爪先はメロディに合わせて無意識に揺れている。舞台袖から、舞台上のファラドキシを直接眺めながら、パイプ椅子で体を揺らす。これが警護中のミソラのたいていのスタイルだ。
「運命の、少年ら、進む。運命の、少年ら、進む」
ファラドキシの透明な歌声が、涙のように流れ出て、客席に神聖な湿度をもたらす。歌詞の意味はまったくわからないが、この重厚で尖った調音ががんがんと鳴り響くのは、ミソラは好きだった。
四曲目。
バラード曲だ。アイ・シー・テル。おしゃべりをずっと見てる。見てる。見てる。あまやかなファラドキシの声が変幻自在に音程を駆けてゆく。
『ベータ、電波妨害かん……』
通信が途絶えた。声に出しても意味がないので、ミソラは心中のみで了解、と唱える。ベータは遊撃隊としてほか四人のサポートに回る。狙撃も肉弾戦もそれぞれに結構な数の部下を用意しており、また暗殺系の器具を使う変わり種も何人か擁している。ベータが電波妨害を感知したからといって、ベータが襲撃されているとは限らない。今この瞬間、ミソラそれ自身が狙われている可能性もある。であれば、そのほうがどちらかといえばミソラとしては安心だが、おそらくアルファの通路Cあたりではないかと思われた。
多重録音されたファラドキシの歌声がいくえにもいくえにも降り注ぐ。幻惑の歌だ、と思った。
ただ次の通信を待ち、また全身の神経を澄ます。客席入口のデルタ(通風ダクトは別働隊)が制圧されない限りは、現況、ファラドキシへの直接の狙撃は考えられない。そして、舞台上のファラドキシが狙われるのは、セットリストの最終に集中すると決まっている、まだ少し早い。
通信の回復を待っているうちに、曲は五曲目へと移っている。
オズ。
オズという男なのか、獣なのか、わからないが、その存在を求めてひたすらに歌う曲である。かたきなのか、オズを探し、彷徨い求めるファラドキシの声は、何かへの殺意のように逼迫している。この頃になると、もう観客はペンライトの存在を忘れてしまう。明確なルールがあるわけでは無いが、ここから最終の曲まで、おそらくペンライトが光ることはないだろう。
『デルタ、現場制圧』
『了解。負傷者は?』
『負傷者、二。デルタ負傷、移動不能、ごめんね』
デルタに来たか。
『了解。大丈夫。ベータ、客席入口に増援固定。もう動かさないで』
『了解』
脳内でデルタに赤い罰をつけておく。電波妨害を二度受けて、この成績ならば今日は上々と言えた。
『シータ、来ました』
『了解。今日も千客万来だね』
『推定、六。舞台少し揺れます』
『了解』
舞台上空を見やると、屋台骨と言われる太い梁の上にかなりの人影が固まっている。微細だが、たしかに、舞台が振動している。
オズへの妄念を歌い上げたファラドキシを覆うようにして、舞台は暗闇となる。天井裏での攻防は暗闇のなかで行われることとなった。
ピアノのイントロのみで始まる六曲目。最後から二番目の曲だった。
メメント・トゥ・ゴー。
ファラドキシの声がピアノをなぞるように展開して、フレーズが切れた瞬間に、洪水のようにストリングスとホーンが鳴り響く。クラシカルな伴奏に、古典的な歌唱でファラドキシも応戦する。
『シータ、現場制圧』
『了解。負傷者は?』
『負傷者、三。問題ありません』
舞台はだんだんと白色のみの照明につつまれてゆき、最後には舞台全体がまぶしいほどに発光し、ファラドキシの姿さえ目視がむずかしくなってゆく。それでも声は朗々と響きわたる。死にむかえ。死をめざせ。その場所だけがあなたの生きた場所になる。
この曲が終われば、天王山、ファラドキシの早着替えのあと、ラスト七曲目、ワンダフル・クイーンだ。
「ふーん」
声は真後ろから聞こえた。
パイプ椅子を蹴飛ばすことも考えたが静止が得策だと勘が告げた。
「やっぱり近くで見ると似てるねえ」
ミソラの顔を覗き込んできたのは、舞台袖の暗さでは色は判然としないが、やけに明るくふわふわした髪をおろして人好きのする笑顔を浮かべている女子高生だった。制服を着ている。スカートの柄に見覚えのあるものだ。ナユタのものとは異なる。
ガンマからの通信はなかった。
ということは、突破されたのだ。通信の暇もなく、通路Aは制圧されている。
『ミソラ、会敵』
それだけ告げて、こちらからの通信を切った。了解、が四人分帰ってきた。
右腕を相手の顔面に向けて繰り上げると同時に、舞台から離れる方向に飛ぶ。相手は後転して避け、ミソラと相対するように、舞台袖のさらに奥に立った。
「はじめましてだね。どこの人か知らないけど」
「チアだよ」
あっさりと名乗られる。
一瞬見合って、お互いに突進する。チアと名乗った女子高生の足払いを跳んで躱し、回転を利用して下腹部に肘を撃ち込む。予想されていたようで、それも後退で避けられるが、その勢いのまま顔面に右足を叩きつける。すんでのところで、腕で防御される。相手からの回し蹴り。あえなく距離を取り後退。また一定の距離を取って向かい合う。
「ナイフ使うの?」
「チアには使わないよ、そこまでしない」
「わお。呼び捨て、うれしいなっ」
そこから豪速で距離を詰められ、左拳を顔面に、ついで右拳を腹部に、というむちゃくちゃな速度で踏み込まれる。
「ミソラちゃんっ、だっけ?」
名を知られているのは珍しいことでは無いが、少しく素性が気になった。後ろに跳んで勢いを殺したが、腹部の防弾チョッキがみしりと嫌な音を立てた。
そのまま後ろのパイプ椅子の積まれたカートに派手に突っ込む。
『早着替え、入ります』
アルファからの通信だった。このままではファラドキシがこの舞台袖に到着する。
背中の衝撃を無視して顔をあげ、目前に迫ってきていたチアの顎に頭突きを仕掛け、一歩退けたところでそのままこちらも腹部を狙う。チアは大きく上に飛び上がった。シータの見せる曲芸のようだった。ミソラは体勢を崩して床に左手をついたが、右手に握った物をチアの視界に入るよう、胸の前にかざした。
感触からして旧型の携帯端末だった。大きめのテディベアのようなマスコットが付いている。色はマーメイドピンク。控えめなラメが入っている。舞台側からの光でやっと確認できたが、チアの髪の色もまた、現実味のないピンク色をしていた。
ミソラの右手を見て、着地しようとしていたチアは大きくバランスを崩す。
「今退いてくれたら、これは壊しません」
ミソラは告げる。チアは目に見えて動揺していた。
「……そっか。じゃ行くね」
歩いてミソラへ近づき、携帯端末を受け取ったチアは、そのままふわふわと歩いて、通路Aへ向かっていった。
「ミソラ、誰?」
舞台から戻ってきたファラドキシが、タオルで汗を拭きながら首を傾げている。
「わかんない。ってか、お姉ちゃん、はやく着替えて!」
早着替えは舞台裏でそのまま行われる。
ラストのワンダフル・クイーンでは、ファラドキシは正装として、つねにドレスを身につけるようにしている。ぽいぽいとキャミソールとショートパンツを脱ぎ捨てると、スタッフがさっと集まってすぐにドレスの着付けと、髪の毛のセットを始める。
(誰だろう。というか、チアか。ナユタに聞いてみようかな?)
『ミソラ、現場制圧』
『了解』
通信を回復させて報告すると、今度は五人分の返答が帰ってきた。
『ガンマ、無事?』
『申し訳ありません。負傷者、十。ガンマ、移動不能』
『了解』
チアという新顔の闖入者はあったものの、最終曲では予想したほどの襲撃もなく(のちの調査で、おそらくチアにより制圧されたと思われる現場がいくつかあった)、観客たちを熱狂させて、ファラドキシはそれ自身が歌のようになって、歌という女王に跪くようにして歌っていた。
女王に心酔するばかり、女王に惚れたはあわれなり。彼女はすでにして女王、女王はすでに婚姻を。真理ばかりを夫とし。
アンコールはない。
歌が終わると照明が落ち、しばらくすると「アリーナ」は平凡な、まろやかなオレンジの灯りで観客席を照らす。人々は夢からさめ、息をきらして、放心したままで退場の列にくわわっていく。
ライブが終わった。
「す……」
夜空に消えてゆく、あなたの声。そのまま消えるのかと思いきや、
「っっごかったですねええええええ!!」
鼓膜がやぶけるかのような爆音で耳もとで騒がれた。
「……うん、凄かった」
ナユタも、なかばまだ心をステージ上あるいは客席上に置いてきたまま、いうなれば、視界も聴覚も未だ「ファラドキシ」に支配されているかのようだった。駅までの街路を、二人でふらふらと歩く。これは、この感覚はまだ、あと数日は続くような予感がした。
「本当に、来れてよかったですね、お嬢様」
「うん……、来れてよかった」
全てあなたの言葉を繰り返すだけの機械になってしまう。街路はその下に、銀杏の葉を敷き詰めている。それをさくさくと二人で踏み締めるが、行きの浮き足とはまた違う感覚で、地に足がついていない。
「あれ?」
突然、場にそぐわない、かわいらしい声が耳をかすめる。
「ナユタ!」
「ん?」
それは、よく耳に残る、というより、ナユタがよく耳に残そうとつとめている、数少ない友人と言える年下の女の子の声だった。女の子、という響きが彼女にそぐわないのは、やはり剛の者の貫禄がどうしても滲み出ているからだろう。またナユタにはその容姿が認識できないため、武術の心得のある体の動かし方だという空気、そしてどうやら中学生としてはキュウシュウにおいて彼女に敵うものはないらしいという情報からだった。
「ミソラ?」
(えっ)
あなたの心の声も聞こえた気がした。
「……ファラドキシ?」
「あー、そうだよねえ。やっぱナユタにはばれちゃうよねえ」
つい先ほどまで脳内を埋め尽くしていた、そして今なおこの両耳にこびりついている歌声と迫力はちがうものの、その声質は、偶然と言って済ませられないほどの一致があった。
「えっ! ええ!? わっ、わ、ほ、ほんもの……」
隣のあなたの興奮が空気を伝ってびりびりと肌をこがす。
「ミソラ、もしかして……」
「そう、お姉ちゃん。ファラドキシ。こないだ相談したばっかだからな〜、はずかし!」
ふふふ、と笑って、ミソラは改めてファラドキシを紹介してくれる。
「ども」
ファラドキシは短くそう言っただけだった。曲のあいまにほとんど喋らないことからも察していたが、本当にコミュニケーションは最低限の人間のようだ。ミソラはあいかわらずメロディを口ずさむかのように話す。何もかも対照的な、二人でひとつのような姉妹だと思った。双子と言われたほうがしっくりくるが、たしか二人には五歳ほどの差がある。
「きみが、ミソラのお姉さん。なんだね。俺はナユタ。きみ……ファラドキシの、そうだな、歌が、好きな人間の一人だよ。それから、ミソラの友だち」
「そっか」
ファラドキシはまた短く返す。
「それと、こっちは友達の【あなた】」
「はじめまして! あの! いつも曲聴いてます!」
「ありがとう」
ファラドキシはすこし笑んだのかもしれない。
「……さて、」
「え?」
ナユタが急に纏う雰囲気を変えたのを察知して、ミソラが困惑の声を上げる。
「ミソラの『お姉ちゃん』がファラドキシなら話が早い。ミソラ。とっととこの人に喧嘩を教えなさい」
「ええ〜!? なになに、急に! やだよお〜命令形やめてーっ」
「俺に逆らうの?」
ミソラが何かを言うより早く、口を開けたか開けないかのタイミングで、思い切り、右脚を叩き込む。後ろ回し蹴り、と判断できるものがいたとしても、それには意味がない。ミソラは街路の植え込みに突っ込んで、げえ、と涎を垂らしていた。
「げっほ、ごほ……、ちょ、ナユ……」
「俺より弱い癖に、俺の言うことに従えないの? もっと胃液をぶちまけたいのかしら」
「わ……わかりました……」
「お、お嬢様……宣戦も無しになんてことを……」
あなたに咎められるが、宣戦などあってもなくても、ミソラの戦闘力ではたいして変わらない。だいいちこういう手合いは、不意打ちに対するほうが強かったりするのだ。この調子では、まだまだ負ける気はしないが。
「これが、
ファラドキシが、場違いに小さく拍手している。
ナユタは一瞬で直感した。
「姉に自分の身を自分で守れるようになってもらうべきか悩んでいる」ミソラという少女の、この強さをもってしても、手に負えるような怪物ではない。ファラドキシは、これからもっと、どんどん、際限なく、彼女を害そうとする存在を呼び寄せるだろう。それは、彼女の発する歌をじかに聞いて今日、わかった。ナユタが「読む」ことでそれをしようとしているように、ファラドキシは「歌う」ことで、おそらくそれをしようとしているのだ。
ミソラ一人で護りきれるようなものでは到底ない。
そして、また、ミソラひとりにそれを背負わせるのも間違いだと思った。
「ファラドキシ」
「なに?」
歌姫に語りかける。
「そろそろお人形さんはやめなさい。歌う獣も、自分の身くらい守れなければ、歌うことさえかなわない。いつまでもミソラにおんぶにだっこじゃだめ」
「うん。わかったよ」
ファラドキシは素直にうなずいた。
姉が妹に頼ることが悪いことだとは思わない。このように言ったのは、ナユタの非常に個人的な事情からだった。つまり、ミソラはナユタの、友だちであるので。
Lady Blue Babies 準永遠/万願寺 @junnen_mangan
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