第六十八章 古寺の墓

  第六十八章 古寺の墓


 草摩そうま奇襲きしゅうをかけて来ることは分かっていた。だがまさかこんなに早く仕掛けて来るとは思いもしなかった。もっと注意していれば光輝こうきをあんな目に遭わせなくて済んだのに。私はそんな浮かんで来る後悔を頭から振り払いながら、稽古場けいこまで走った。


 燃え盛る廊下で逃げ惑う陰陽師おんみょうじたちとすれ違った。その中に大火傷おおやけどを負った太陰たいいんを担ぐ半妖者はんようものの姿を見つけた。


 「太陰たいいん!」

 私が声をかけると、太陰たいいん朦朧もうろうとする意識の中、しぼり出すような声で言った。

 「草摩そうまが・・・輝明てるあきを・・・早く稽古場けいこばに・・・」

 「すぐに行く。」

 「草摩そうまは・・・取り憑かれている。永遠の命と力に・・・。そんなものは幻に過ぎないのに。あいつをしばる真の名は・・・」

 太陰たいいんはそう言いかけたところで気を失った。とりとめのない内容だったが、確かに『真の名は・・・』と言った。太陰たいいんには分かったのだ。草摩そうまを縛る名が。

 「我々は退避たいひいたします。」

 太陰たいいんを起こして続きを聞く前に、半妖者はんようものの二人組がそう言って連れて行ってしまった。

 太陰たいいんは重要な手がかりを残してくれた。私にも分かるだろうか。草摩そうまを縛る真の名が。


 急いで稽古場けいこばに行くと、そこには輝明てるあき草摩そうまと思しき男、それから火の化身けしんのような鬼女きじょがいた。三人は戦闘態勢に入っている様子はなく、話をしているようだった。


 「最後に君に会ったのはこの稽古場けいこばだったね。」

 草摩そうまが言った。

 「お前が私に空蝉うつせみの術をかけた。」

 輝明てるあきが昔を思い出して言った。

 「そう。人間だった君を鬼の首に変えた。辛かっただろう。体を取り戻すまで不自由で。だが取り戻したところで、鬼の体だ。人間ではない。」

 草摩そうま挑発ちょうはつするように言ったが、輝明てるあきはそんな見え透いた挑発には乗らなかった。


 「君とは仲良くしたい。だから君にこの人間の体をあげよう。若くて健康な体だ。体を入れ替えた後も殺しはしないから人間としてもう一度人生をやり直すといい。そうしたかったのだろう?」

 草摩そうまは穏やかな口調で言った。輝明てるあきは無表情のまま黙って草摩そうまの話を聞いていた。

 「その代わりと言っては何だが、その鬼神きじんの体を私にゆずってくれ。そして神となった私のことは追わないでくれ。たとえ君が生まれ変わっても放っておいてくれ。」

 草摩そうまはいけしゃあしゃあとそう言った。

 「私に追われるのが怖いのか?」

 輝明てるあきが冷たい口調で尋ねた。

 「怖いよ。君は本当の神様だ。私を殺す者がこの世にいるとしたら君しかいない。」

 草摩そうまは真剣な表情でそう言った。

 「だけど君と私は利害が一致しているはずだ。本当のところ君は人間として生きたい。そして私は神になりたい。入れ分かれば共に願いが叶う。」

 草摩そうまがまた穏やかな口調に戻って言った。

 「お前は神になって何がしたい?」

 輝明てるあき草摩そうまに尋ねた。

 「それを聞いて何になる?」

 草摩そうまいぶかに尋ね返した。

 「興味があるだけだ。空蝉うつせみの術を使って罪もない何人もの人間の体を奪い、生き長らえてまで何がしたいのかと思って。」

 輝明てるあきが責めるように言った。草摩そうまは気に留めなかった。

 「ただ草木をでて、四季の移り変わりを感じ、日々穏やかにこの美しい世界を永遠に見ていたい。それだけだ。」

 草摩そうまはそう答えた。

 「それは生まれ変わってもできる。お前は人間だ。再びこの世を見られる。」

 輝明てるあきはそう言ったが、草摩そうまは首を横に振った。

 「分かっていない。私が見たいんだ。生まれ変わってすべてを忘れた私では意味がない。どうやら君とは根本的な考え方が違う。折り合いがつきそうにもないな。」

 草摩そうまはそう言うと臨戦態勢に入った。あかねも身構えた。

 今、行かなくては。輝明てるあきを助けなければ。私は稽古場けいこばに足を踏み入れた。三人共が私の方を見た。


 「母さん!」

 輝明てるあきが思わずそう叫んだ。それを聞いた草摩そうまは勘づいた。

 「浅井小子あさいしょうこ・・・あの浅井小子あさいしょうこか。」

 草摩そうまは驚いたようにそう言った。

 「前世ぜんせ鬼神きじんを産み落とし、再び生まれ変わってもこの因縁いんねんに巻き込まれたか。」

 草摩そうまは独り言のようにつぶやいた。

 「草摩そうま、お前はここで終わりだ。体を乗り換え、生きながらえるなどこの世の摂理せつりはんしている。」

 私は言った。

 「そうかもしれない。だが私は生きたいんだ。邪魔をしないでくれ。」

 草摩そうまはそう言って、あかねを私にけしかけた。天乙てんおつのいない今、私は無防備むぼうびだった。あかねの炎を術で防ぐのが精いっぱいだった。


 「さすがは鬼神きじんの母。なかなかやりおるなあ。だが所詮は一介の陰陽師おんみょうじ。わらわの敵ではないわ。」

 あかねはそう言うとまるで舞姫まいひめのように腕を振り上げ、再び炎を放った。私は強烈な炎を前に防戦一方ぼうせんいっぽうだった。

 「わらわは鬼神きじんとなった草摩そうまに仕え、鬼として最高の栄誉をたまわるのじゃ。わらわを封印した忌々いまいましき陰陽師おんみょうじ共はすべて灰にくれる。」

 あかね高笑たかわらいしながらそう言った。美しも恐ろしい鬼だ。攻撃する姿はまるで天女てんにょの舞のようだが、紛れもなく殺戮さつりくと破壊を好む悪鬼あっきだ。この鬼を一体どうしたら倒せるというのだろうか。あの安倍晴明あべのせいめいでさえ、封印するにとどまったのだ。私に何ができる?そうだ。あの術だ。もとはあやかしに使う術だったんだ。私は印を結び最後の一言を叫んだ。

 「止まれ、あかね!」

 あかねは腕を振り上げたままピタリと動きを止めた。それの光景を見た草摩そうまの顔が凍り付いたように引きつった。


 「・・・いにしえの術だ。単純だが強力。相手の名を唱えることによって完成する。だから昔はしょっちゅう名を変えたり、通り名を使ったりして、その術をかけられるのを防いでいたんだ。人間があやかしを封じるために編み出した術の一つだが・・・人間にも使える。」

 草摩そうまの目が鋭く光った。

 「その術を使えるのは人間のみ。もはや人間ではない君には使えない。だから母君に伝授でんじゅして私に使おうと言うわけか。面白い。私も一応人間だからその術は使えるのだが、神である君にきくわけがない。それなら人間にかけてみようか。浅井小子あさいしょうこに。」

 草摩そうま老獪ろうかいな顔つきで不敵ふてきな笑みを浮かべた。対峙たいじする輝明てるあき烈火れっかのようにいかっていた。


 「そんな真似はさせない。」

 輝明てるあき鬼神きじん霊気れいきただよわせながら言った。鬼術きじゅつ神通力じんつうりきも使えないと言っていた輝明てるあきだが、とうとう覚醒かくせいし始めた。

 その溢れ出る力を目の当たりにして草摩そうまは嬉しそうに笑った。自分のものになると思っていたのだ。


 「ところで、君たちは知っているのかい?私の名を。」

 草摩そうまが得意げな顔で言った。輝明てるあきの顔がけわしくなった。

 「その様子から察するに知らないようだ。」

 草摩そうまはますます得意げになると、ポケットの中から隠し持っていたナイフを取り出した。

 「もと自分以外を手にかけるのは初めてだ。」

 草摩そうまはそう言ってナイフを手に私の方へ近づいて来た。術で私の動きをとめ、殺すつもりだ。


 「やめろ!母さんに手を出すな!」

 輝明てるあきが叫んだ。力を発揮しようとしていたが、まだ時間が足りなかった。

 草摩そうまは足を止めることなく、近づいて来た。いんを結び、術をり出す構えをした。私も負けじと急いでいんを結んだ。当たっているかどうか分からなが、やるしかない!

 太陰たいいんは言っていた。

 『草摩そうまは・・・取り憑かれている。永遠の命と力に・・・。そんなものは幻に過ぎないのに。あいつを縛る真の名は・・・』

 私が思い当たる名は一つ。


 「止まれ!阿修羅あしゅら!」

 私がそう叫ぶと、草摩そうまの動きがピタリと止まった。術がかかった。真の名を言い当てたのだ。


 時を同じくして輝明てるあき覚醒かくせいしていた。空からゴゴゴという地響じひびききのような不気味ぶきみな音が聞こえて来た。輝明てるあきはまっすぐ草摩そうまを見据えていた。その顔はまさに鬼神きじん。人ではなかった。


 「神の怒りを知れ!」

 輝明てるあきが一言そう言うと、稽古場けいこば天井てんじょうつらぬき、いかづち草摩そうまに落ちた。辺り一切の影の消えるほどの光に包まれ、何も見えなくなった。次に目に映った光景は灰となった草摩そうまだった。

 戦いは終わった。



 半年後、木々は色づき紅葉の季節となった。私たちは嵐山あらしやまの中腹にある古寺ふるでらに来ていた。昔、阿修羅王あしゅらおうの腕が隠されていた寺だ。


 天乙てんおつ機転きてんかせてシスルナのもとへ運んでくれたおかげで、光輝こうきは一命をとりとめた。太陰たいいんも無事だった。三人もこの場へ来てくれた。


 「本当にこんなところに置いておくのか?」

 太陰たいいんが不安そうに二つの骨壺こつつぼを見つめて言った。骨壺こつつぼの一つにはあかねが封印されていた。生き残った翡翠邸ひすいてい陰陽師おんみょうじ全員でかかってもあかねを滅することはできなかった。仕方なく封印してここへ隠すことにしたのだ。あかねの封印を解くのはおそらく清明せいめい天乙てんおつになるだろう。


 もう一つの骨壺こつつぼには草摩そうまの灰が入っていた。この寺へ来たのはこの二つの骨壺こつつぼを墓におさめるためだ。墓と言っても石を積んだだけの粗末そまつな墓になるが。


 「ここに置いて。」

 穴を掘り終えた輝明てるあきが言った。深い土の中、それも古寺にある墓ともなればその正体を知らなければ誰もあばくこともない。

 丁寧に土をかぶせると、その上に石を積み上げた。


 「ようやく、因縁いんねんが終わった。」

 石を積みながら輝明てるあきが言った。私に話しかけているのか、墓に眠る草摩そうまに話しかけているのか分からなかった。

 「私は死なない。生まれ変わりもしない。一つの命を永遠に生きていく。阿修羅王あしゅらおうと呼ばれた頃の記憶はない。だから私は人間から鬼神きじんになった新米しんまいの神だ。」

 輝明てるあきはそう言ってまた石を積み上げた。

 「私には輝明てるあきの名がある。阿修羅あしゅらの名はあなたにあげよう。墓標ぼひょうにはその名をきざむ。」

 輝明てるあきはそう言って最後の石を積み上げると、大きな手をかざし、積み上げられた石に阿修羅あしゅらの名をきざんだ。その文字はまるで毛筆もうひつで書いたようになめらかでやわらかく、積み重なった石にきざみ入れたとは思えなかった。さすが神の御業みわざ

 石に浮かび上がった阿修羅あしゅらの文字は長い物語の終焉しゅうえnをしるしていた。


 「母さんはこれからどうするの?」

 輝明てるあきが私に尋ねた。もう小子しょうこさんなどと他人行儀たにんぎょうぎな呼び方はしなかった。

 「光輝こうき幽世かくりよで暮らす。子をさずかった。」

 私が光輝こうきの隣ではらをさすりながらそう答えると、輝明てるあきよりも先に天乙てんおつ歓喜かんきの声をあげた。


 「小子しょうこ、本当!?おめでとう!銀狐ぎんこもおめでとう!」

 天乙てんおつは見たことがない笑顔を見せた。

 「弟か妹か分からないけど、元気に生まれて来てね。」

 輝明てるあきは私の腹に手をあてながら優しい表情でそう言った。姉としての親愛ではなく、慈愛じあいに満ちた神の笑みだった。


 「お前こそ、これからどうするんだ?」

 光輝こうき輝明てるあきに尋ねた。

 「鬼の里に戻る。鬼神としての役目を果たせるように修行する。」

 輝明てるあきはそう答えた。

 「真面目まじめだな。陰陽師おんみょうじの修業をして、今度は鬼神きじんの修業か。修行三昧しゅぎょうざんまいだな。」

 太陰たいいんが茶化して言った。

 「鬼の里へは一人で帰れるの?」

 天乙てんおつが心配して尋ねた。

 「うん。もう鬼術きじゅつ神通力じんつうりきも使えるから。だけど・・・」

 輝明てるあきはふと視線を遠くの物陰ものかげに向けた。


 「シスルナ、出て来い。いるんだろう?」

 輝明てるあきが呼びかけると、木の陰からシスルナが出て来た。気まずそうにうつむいて、歩み出て来た。

 「父さんを助けてくれてありがとう。」

 「勿体もったいないお言葉。」

 「一緒に鬼の里へ帰ろう。」

 「ですか・・・私は・・・」

 「水先案内人みずさきあんないにんが必要なんだ。」

 「・・・では喜んでお供いたします。」

 シスルナは許されたことを知って静かに涙を流した。


 「じゃあ、お別れだね。」

 輝明てるあきはそう言って微笑ほほえんだ。

 「輝明てるあき、元気で。」

 私は今生で二度と会えないと分かっていた。

 「母さんもね。父さんと末永くお幸せに。」

 輝明てるあきはそう言って、ふっと煙のように姿を消した。この世にもう阿修羅あしゅらはいない。

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阿修羅の墓 相模 兎吟 @sagami_togin

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