喰人と猛牛

第1話

 鬱蒼とした大森林の中、獣の咆哮が轟いた。


 木々は震え、草木は枯れ落ち、まるで獣の咆哮に怯えているようだ。


 大地を踏み締める足音と共に、ガサガサと草木を掻き分ける小さい何かが、大自然の中を動き回る、飛び回る。


 獣は、その小さい何かから逃げるように突進を繰り返していた。


 その獣は、どこか鹿に似ていたが、鹿とは異なる特徴を有していた。


 捻れたように、複数の足を束ねたような四足の蹄。前頭部を覆う岩のような甲殻の塊。


 それは、まさしく異形と言うべき獣であり、体長の大きさからして家屋など用意に踏みつぶせる程の怪物だ。


 何人もの勇名を轟かす英雄が挑んだ所で、この獣を相手に死者を出さずに勝利する事は難しい。


 ならば大規模殲滅を想定した兵器でも持ち出した方が楽というもの。


―――――――だが。


 実のところ、この獣はたった一人の〝人間〟に狩られている真っ最中であった。


 そう、大自然の中を飛び回る小さい何かである。


 鹿に似た獣と比べれば、彼の人間は羽虫のようだ。如何な獣と言えども、単なる羽虫を相手に逃げ回るような臆病者などではない。


 ならば、自ずと答えは導き出される…………。


「ピャンッ――――――!!」


 甲高い鳴き声が響く。聞き間違いでないのらば、その鳴き声は少し震えていて、威嚇というよりは「見逃してくれ」とでも言っているようだった。


 一陣の風が吹く。いや、風のように早く、小さい何かが通り過ぎたのだ。


 鹿の捻れた足から血が噴き出る。あの一瞬で切り裂かれたようだ。


 しかし、鹿に似た獣は微塵も揺らがない、よろけない。


 捻れた一本を犠牲に、残った足で走り、補っているのだろう。何とも奇妙な身体構造だ。

 糸を束ねると強度と耐久が増すの同様に、この鹿の足は何本もの細い足を束ねて構成されているようだ。


 ならば、一本を傷つけようが無駄であるのは道理。


 この鹿の足、何度か木々と擦れ、岩にぶつかっているのだが、微塵も揺らがず、傷一つ負っていない。


 それどころか、ぶつかった方を薙ぎ倒し、砕かんばかりの勢いである。


 もし、この鹿の足に蹴られようものなら、如何な頑健な城壁と言えど、一撃で陥落するであろう。


 そんな、強靭な鹿の足に――――――また、血飛沫が舞う。


 鹿の鳴き声が響く。


 草木を掻き分ける小さい人は、姿を見せず、されど濃密な気配をそのままにして、鹿の足を切り裂いていく。


 一つ、二つ、三つ。


 切り傷が増えていく。鹿の足から千切れる足が増えていく。


 頑健な城塞ていど、一撃で粉砕するだろう足が、どんどん切り裂かれていく。


「イィ―――――――!?」


 鹿が足をもつれる。小刻みに震える足が、大地を踏み蹴る事もできず、削るだけで前方に倒れていく。


 隕石でも降って来たか、いや、鹿が頭を地面にぶつけた音だ。


 土を舐めんばかりに大地に倒れ込み、勢いのままに抉っていく鹿。


 それを見逃す程、この鹿を狩ろうとする者は甘くなかった。


「―――――――!?!?」


 声にならない叫び声。甲高い超音波の如く鳴き声を響かせて、鹿は瞳から涙をこぼす。


 小さい人は、縦横無尽に駆け回る。鹿の四足を切り裂いていく。


 絶えず上がる血飛沫、噴水の如く吹き上がる大量の血液は、鹿の周囲の自然を赤く汚す。


 藻掻く、暴れ回る。されど全く抵抗できない。


 今の鹿は、まな板の魚も同然。捌かれるが同意の状態なのだ。


「……………」


 無言で、黒い塊としか言い様のない姿をした誰かは、鹿の足を捌いていく。

 ばらしていく。


 早すぎて見えない。黒い線。


 ただ、鋭く長い刃を持っている事は、鹿の足の惨状から窺える。


 途中から、鹿が抵抗しなくなった。生を諦めたのか、それとも死んだか。


 何はともあれ、これで鹿は仕留められた。そう、判断した者は愚かだっただろう。


 首が、斬り落とされる。血が、だくだくと流れ落ちる。見た目の巨体も相まって、まるで赤い滝のよう。


 首の次は、四足の足が順番に根本から切り落とされていく。次に尻尾が切り落とされる。


 最後にはらわたが切り裂かれる。


 腸が切り裂かれた瞬間、鹿の身体が大きく震え、跳ねた。


 生きていた、この鹿は首を刎ねられようと生きていた。凄まじい生命力。もはや生き物として人などよりも上位の存在。


 では、この鹿を狩り殺した、誰かは何なのだろうか。


 人?狩人?戦士?超人?



――――――――どれも、不正解。



 彼の者は、そんな陳腐な言葉で言い表せる存在などではない。


 彼の者は、この絶海の孤島ならぬ絶海の大陸の中で、たった一人の人間であり、


 この明らかに生物として先をいく怪物共が跋扈する大陸で、鹿のような怪物と鹿以上の怪物をも狩り殺し、その血肉を糧とする者。



 彼の者の呼び名は〝喰人ガジン



 自らが狩り殺したものの肉を喰らい、血を飲み干し、己が糧とする者。



 戦士にして、獣。



 骨で出来た鎧を纏い、同様に骨で出来た武器を携える。



 黒い骨鎧は、夥しい返り血を浴びた証。もはや拭いきれぬ、洗い流せぬ程の、業の塊とでも言える、彼の戦士にして獣の身を守るもの。


 しかし、赤黒い刃は違う。数多の獣の肉と皮を、内臓を、骨を切り裂き、数え切れぬ命を奪った、彼の戦士の深紅に剣にして、彼の獣の真紅の爪。



 顎の如く鎧兜の内側から、赤い輝きが見える。



 喰人は、徐に鹿の肉を毟り取る。それを、兜の下側の口元まで運んで、喰らう。


 咀嚼、吟味するように、あるいは味わうように。


 いや、単に肉を喰らっているだけだ。


 続いて、腰から筒状の棒を取り出し、豪快に鹿の身体に突き刺す。


 すると、筒から大量の赤い血が噴水の如く流れ出てきた。


 それを、我が身が返り血で汚れる事も気にせず、兜の外側から血を飲む。


 ただ、ただ、その血を飲む。



 やがて満足したのか、喰人は血肉を貪る事をやめた。



 死体もそのままに、喰人はその場を去っていく。







 喰人が鹿の死体から遠くへと去っていた後に間もなく。


 大量の多種多様な獣たちが、鹿の死体に群がった。




 

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喰人 にゃ者丸 @Nyashamaru2

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