完全犯罪に必要なもの

大澤めぐみ

完全犯罪に必要なもの

 23時の暗く古い団地の台所で女がひとり、ぶつぶつと呟きながらチラシの裏にペンを走らせている。

「撲殺や刺殺はダメね。わたしの腕力で殺しきれる自信がない」

 チラシの裏に並んだ「金槌」「包丁」という文字に、横線が引かれる。

「毒殺なら力も必要じゃないけど」

 女はチラシの裏に一文字「毒」と書く。

「でも、この時間じゃもう薬局は開いてないわね」

 そう呟いて、女は「毒」の字もバツで打ち消す。

「となると、現実的なのは溺死かしら?」

 女は大きく「水」と書く。

「うん、そうね。水。やっぱ水だわ。調達するのも簡単だし」

 ペンが紙の上を走り、水という字を丸で囲む。

「お酒を飲ませて、お風呂で溺死させる? ていうか、この時間だもの。どうせまた酔っぱらって帰ってくるんだろうし、手間が省けるわ。あとは、アリバイね」

 女は視線を上に向け、思案顔をする。再びペンをにぎり「水」の字の下に「お風呂」「自動」と書く。

 それらを数秒見つめた後で「完璧だわ」と呟いて、ペンをダイニングテーブルの上に投げ出す。お風呂の自動お湯張り機能を利用した、なんらかのトリックを思いついたようだ。

「凶器もある。アリバイトリックもある。必要なものはこれで揃ったわ」

 と、そこでダイニングテーブルから見える金属製の玄関扉が大きくガンッ! と鳴り、女が顔をしかめる。なにか大きくて重いものがぶつかったようだ。

「また足元がおぼつかないほど飲んだの? でも、かえって都合がいいわ」

 女は、酔った夫がフラついて玄関にぶつかったと考えたようだ。ややあって、ピンポーンとインターホンの音が鳴る。

「もう。自分で玄関も開けられないの?」

 不平を漏らしながら女はようやく立ち上がり、玄関の錠をあげる。

 扉を押し開けると、巨大なダンボールが眼前に迫ってきて、女は「わっ!」と、驚きの声をだす。

「ごめん! 遅くなって! ほら、君がほしがってた椅子だよ! 誕生日おめでとう!」

 素面の夫がダンボールの陰から顔を覗かせ、女に言った。

「え? 椅子って、ゲーミングチェア? それ抱えて帰ってきたの? めちゃくちゃ重かったでしょ?」

「重かったよ! だから休み休みにしか歩けなくて遅くなっちゃった」

 夫が荷物をドスンと玄関先に下ろしながら言う。

「あなた、馬鹿正直に抱えてきたの? 配送でもしてもらえばよかったのに! でもありがとう。うれしいわ」

 女は夫の首に腕を回して抱きつくと、思い出したように一言呟く。

「あ、殺意が足りなくなっちゃったわ」

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完全犯罪に必要なもの 大澤めぐみ @kinky12x08

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