10 - かつて西方世界を広く統一した
かつて西方世界を広く統一したアルバディア帝国が崩壊して五十年あまり、人間たちの領土はさらに東部域と西部域に分断され、西部域では大小の国々が乱立し互いに侵攻をくりかえした。
その戦乱のなかでささやかな安定期をもたらしたのが、のちに西部六王国時代と呼ばれる六つの国の台頭である。
ティッサーカ、アリュメシア、ハッシュティサ、イナンミ、トピジェ、イス・テブラ神聖国の六国はそれぞれに牙をむく隙をうかがい、周辺の無数の小国を巻きこんで勢力争いをしていた。
唯一聖職者が王であるイス・テブラ神聖国で、不穏な動きがあるという情報を入手したホルモズは、商売に支障がでるのを懸念してアーシュザーンと話しあいをした。
「神官勢力を後ろ盾に、派手に荒らしまわっているヤールシャンという男がいる。かつてのアルバディア帝国皇家の末裔を名乗っているとか。もともと西部域一帯は帝国領土だから、すべて自分のものだと言いたいらしいな」
「ばかばかしい」
アーシュザーンは言い捨てた。
帝国皇家の人間は、いまやかぎりなく小さな国となったアルバディアの老王しか存在しないことは周知の事実だったからだ。
帝国崩壊当時、ときの皇帝ジャハーンダルと皇子イラジーが相次いで死去した後、側室の子テイムールが皇位を求めて武力行使にでたが、軍部の一部が叛乱をおこし皇都は混乱におちいった。
翌年テイムールが軍を制し皇帝となったものの、イラジーの后ゴルディアーとその長男サンジャルが血統の正当性を主張し武装蜂起した。
数年にわたる戦争で玉座をつかんだのはサンジャルだったが、彼は――というより母親であるゴルディアーは、第二第三のテイムールが現れるのを恐れて一族を皆殺しにしたのである。
その惨劇は広く知れわたり、きわめて濃い近親婚をくりかえしてきたアルバディア皇家サーザーン家門の
「当時の、草の根をわけて追捕するほどの徹底的な粛清は、誰もが知るところだ。いまさらアルバディア皇家の生き残りを騙ったところで、信じる者がいるわけがない」
「それが、そうでもないのさ」
ホルモズは神妙な顔をした。
「皇家のなかで唯一生き残ったという……いや、そもそも人間ではなく太陽神メシュラーの化身だと言い伝えになっている皇女の、子孫を名乗っている。皇女は皇家の醜い争いを憂いて、神々の住まう天上世界へ去ったなどとまことしやかに語られるが、民衆の絶大な人気から神聖視されているのは事実だ。その権威を借りれば、貴賤の別なく支持を集めやすい。事実、教団の後ろ盾を得ているんだからな」
アーシュザーンはなにも言わなかったが、不快を感じているのはみてとれた。
ホルモズとしても話題にしにくい内容である。
幾度となく朽ちた神殿へ訪れ皇女像の前に立つアーシュザーンの姿は、あきらかにただならぬ思いを含んでいた。
それはホルモズが彼と出会った五十年前から変わらなかった。
両親を早くに亡くしたホルモズは幼くして養護院へ預けられた。
彼にとって幸運だったのは、そこが皇女の寄進によって建てられ運営されるディラマ神殿だったことだ。
劣悪な環境の施設や、そもそも頼る場所もなく打ち捨てられる子供も少なくないなか、ホルモズは毎日食事を与えられ読み書きを習い、神殿の手伝いをしていくばくかの小遣いを得ることさえできたのである。
養護院で過ごして一年が過ぎたころ、皇帝と皇子が暗殺され皇女の生死もわからないと大人たちが大騒ぎし、しばらく神殿は混乱が続いた。
そのさなか、ひとりの子供が預けられたのだった。
ホルモズは当時をよく覚えている。
珍しい大雨の夜、闇にまぎれて子供を抱えた男が訪ねてきた。
よほど長く駆けさせたらしい馬は口から泡をふき、いまにも倒れこみそうになっている。
それは男も同じだった。
岩のように大きくたくましい体つきだが、目の下の黒々とした隈とこけた頬が濃い疲労をあらわしていた。
神官たちは血相を変えて人払いをし、客人を丁重に迎えたが、彼はさしだされた気つけ代わりの酒もうけとらずに神官長としばらく話しこむと、換えの馬だけを所望しすぐに去っていった。
ホルモズはその夜の奇妙な騒ぎをこっそり覗き見していたのだった。
当時はわからなかったが、客人のふるまいや衣を思いかえすと、おそらく皇宮仕えの武人だったのだろう。
翌朝、彼の乗ってきた馬が死んだと聞き、飢えた狼のようなぎらついた眼光をいっときもやわらげることのなかった男の行く末に重ねて、不吉な予感をおぼえたのである。
一方で、預けられた子供は順調に回復し、数日後には養護院の子供たちに紹介された。
しかし容易にはうけいれられなかった。
その新しい子供が、人外の証ともいうべき銀眼だったからである。
間違いなく人間の子供だから心配はいらないと諭す神官たち自身が、半信半疑のようだった。
ホルモズも周囲の雰囲気にのまれて遠巻きにしていたが、声をかける気になったのは、子供が皇女像を目にして泣きだしたのを見たせいだ。
ほかの神像にくらべてあきらかに洗練されていない、ありていにいえば素人くさい出来の皇女像は、一度としてホルモズの興味をひいたことがなかった。
しかし像の足にすがるようにして泣く子供を見たとき、急にその像がなにか大きな意味のあるもののように感じられて、彼は小さな手で花輪を編んで子供のそばへ行った。
「暁姫さまの像だよ。
ホルモズは大人たちがやるのをまねて、足もとに花輪を置き礼拝する。
それから顔をあげると、涙をひっこめた子供がこちらを見ていた。
うるんだ銀眼はまだ少し怖かったが、それ以外はほかの子供たちと変わりないと思えた。
「名前はなんていうんだ。ぼくはホルモズ」
「……アーシュザーン」
子供は言いにくそうに答える。
そばに生えていた小さな白い花を摘むと、ホルモズがしたように像の下に置いたが、礼拝はせずじっと暁姫の顔を見あげた。
うまがあったのか、その日から二人は一緒に遊ぶようになり、いつの間にか養護院にもなじんでいった。
十歳を過ぎたころから二人して養護院の子供の頭役となり、大人たちからも頼りにされるほどだった。
施設には成人までしかいられないため、十五歳をむかえれば独立するか神官になるかを決めなければならない。
ホルモズとアーシュザーンもいよいよ養護院を出るというころ、突然ディラマ神殿がとりつぶしになった。
前触れもなく兵士と教団がやってきて、人々を追いはらい建物を破壊したのである。
いや、不穏な空気は以前から少しずつ濃くなってはいた。
ホルモズたちも、そのころにはディラマ神殿の微妙な立場を理解しはじめていた。
皇女の全面的な支援による神殿と一連の施設は、一種独立した運営をしており、神官たちも神殿と教団に帰属しているものの、皇女の傘下にあり臣従している。
そういう場所は帝国内に点在しており、彼らは皇女を頂点として密に人脈や情報を交換し協力体制を築いていた。
ほんの数年前に決着した皇族同士の後継戦争の勝利者サンジャルは、家門の殲滅に本腰をいれはじめ、行方知れずとはいえ民衆から人気の高かった暁姫も例外ではなかった。
そこへ、もともと皇女の存在を疎ましく思っていた教団勢力が加わり、彼女が関わったものの痕跡をすべて破壊すべく暴挙にでたのである。
ディラマ神殿の関係者の半分は逃げだせたが、もう半分は殺された。
そのなかには養護院の子供たちも多く含まれる。
ホルモズとアーシュザーンは生き残った子供たちを連れ、命からがら死地を脱した。
アーシュザーンが法術を扱えることを知ったのはこのときだ。
仲間たちを敵から隠し、逃げられるよう道をつくってくれたのである。
ホルモズはそれをまのあたりにしても、もう幼いときのように恐ろしくはなかった。
ただ相棒が自分たちを信頼してくれたことがうれしかった。
それから彼らは追尾をのがれ、西の沿岸部を目指した。
船の出入りする港町は多種多様な人間が活発に行き来するため、ディラマ神殿の関係者だと発覚しにくく、仕事も豊富だからだ。
ホルモズは養護院にいたときから得意の算術や社交性を活かして商売をしており、アーシュザーンは武術にすぐれ度胸があるので用心棒をするほか、独特の勘の良さをもっていた。
それらの経験は行き着いた先でも存分に発揮され、ホルモズが二十歳になるころにはいっぱしの商人となり、妻と娘を得、かつて自分たちが養っていた子供たちは頼もしい仕事仲間となっていった。
その前後、アーシュザーンには厳しい現実もつきつけられた。
銀髪銀眼という容姿は、多様な人種の行き交う沿岸地域でもうけいれられることはなかったのである。
彼は常にフードをかぶるようになり、その原因が『予言と文字の神』教団にあるとつきとめると、教団壊滅を誓い地下活動に身を投じた。
仕事をかかえるホルモズは直接協力することはできなかったが、支援は惜しまなかった。
しかし彼の妻が教団に殺されると、アーシュザーンの復讐に加わり、数年を費やして本懐を遂げたのだった。
すべてを終えたとき、彼らの手には『カゼルーン商会』と『ハフェズ暗殺団』が残された。
表の組織カゼルーン商会をホルモズが率い、裏の組織ハフェズ暗殺団の頭領をアーシュザーンが務めたが、アーシュザーンはひんぱんに旅にでてしまうため、結局どちらもホルモズが実務を請け負うはめになってしまった。
それでもホルモズに不満はない。
本当に助けが必要なときにはアーシュザーンは戻ってきて指揮をとり、彼の助けになってくれる。
それにアーシュザーンが各地を放浪する理由はよくわかっていた。
彼は銀眼の
ホルモズとアーシュザーンが初めて出会ったとき、どちらも五歳前後の年だった。
いまやホルモズは白髪まじりの五十代だが、アーシュザーンは時を忘れてしまったかのように二十代半ばの姿のままである。
もっとも近しい友や仲間たちとのあいだにじょじょに距離がうまれ、人間らしさを失っていくのは恐ろしいことだ。
ホルモズはいつかアーシュザーンが東方世界へ去ってしまうのではないかという予感をもっている。
仁獣の特徴をもち、法術を扱い、人より永く生きる者にとって、西方世界にとどまるべき理由はみあたらなかった。
しかし、彼をとらえひきとめる存在があれば、あるいは人間世界での暮らしを思いとどまる可能性があるのかもしれない。
ファルシード叙事詩 瀧 東弍 @takimori_shusuke
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