ひととき浪漫

 星原遙ほしはら ようがアルバイトをする喫茶店には不思議がある。

 それは窓辺に飾られた猫を模した置物である。

 他にも不思議はあるが、だいたいの話がその置物に関連するため、遥の中では不思議はひとつと認識している。

 置物は蒼いガラス製で、今にも動き出しそうなほど実物の猫に近い造形をしている。尻尾が長く、耳がぴんと立ったスタイルの良い猫の置物は、滑らかな曲線や凹凸のみで目や口などの細部が、立体的かつリアルに表現されている。その透明で深みのある青色は日々変わる時間や天候、季節に合わせて海や空、宇宙などさまざまな世界を遥に連想させた。

 さぞかし有名な職人の作品なのだろうと考えた遙は、持ち主である店主兼マスターに作者を尋ねたが、彼も置物の由来などを知らないようだった。ただ、イタリアの工房で作られた品で、マスターが渡英した時に田舎町の骨董品店アンティークショップで手に入れたのだそうだ。

 遙は置物を青猫あおねことひそかに呼んでいた。

 店の常連客の中には青猫を気に入って、わざわざ置物がある店の入口、道路側の窓辺のテーブル席に座る人もいる。反対側の窓辺の席は、丘の側面になるので、海が一望できるおすすめ席なのに、だ。そんな客たちの会話から聞こえる青猫の話は、やはり不思議なことが多い。

 夜中にきらきらと輝いていたとか尻尾が動いたとかはよく聞く話だ。直近では「夢の中で、青猫と一緒にコーヒーの夜空に煌めく角砂糖の流れ星を眺めた」という話もある。

「どれも浪漫があるねぇ」

 遥は拭いていた食器の最後のカップセットを定位置に戻すと、鼻唄まじりにつぶやいた。

 そんな不思議な話が出てくるこの店が遥は好きだった。

 マスターもマスターの自称弟子の助手アシスタントも親切かつ丁寧な仕事ぶりが社会勉強になる。さらに遥のライフスタイルに合わせた無理がないシフトを組んでくれることもあり、とても働きやすい環境だ。そこも良い。

「遥さん、こちらを3番のお客様へお願いします」

 マスターが穏やかな声と共に珈琲を瀟洒なカップに入れている。この店で飲み物に提供されるカップは、マスターが古今東西で気に入って買い集めたもので、どれも個性がある食器ばかりだ。普段は正面カウンター後ろの棚に美術品のように並んでいるが、飾りではなくしっかりと実用として使っている。

 芳ばしく深みのある珈琲の薫りが、オレンジの灯りを満たす店内に漂う。

 注文の品が乗ったトレイを悠々と片手で持ち、遥は青猫が居座るテーブル席へと向かう。

 今日の青猫は、真昼の白い陽光を吸って、藍を薄く水で伸ばした水縹みはなだ色をしている。まるで四角い洋窓を額縁に見立てた絵画のようだった。窓の向こうはただの住宅街とコンクリートの坂道なのに。

 そんな妄想が捗るこの店が遥は好きなのである。

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夢想青猫喫茶店 双 平良 @TairaH

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