猫カフェのくるみちゃん

白川ちさと

猫カフェのくるみちゃん

 窓際は陽が差してきていて、ぽかぽかと暖かい。気持ちの良いそこにごろんと寝ころんでいると、フカフカの毛並みがさらにモフモフになる。人間たちはそのモフモフが大好きだ。


 そう、わたしは猫。茶色い毛並みのくるみちゃんと呼ばれる、ここ猫カフェちゅーみぃのれっきとしたスタッフだ。


 あー、今日もいい天気。こんな日はお昼寝に限るわね。わたしは大きなあくびをした。


 しかし、そこに招かれざる客がやってくる。


『やい、新入り。そこは俺様の場所だぞ。新入りは日陰に引っ込んでいろ』


 そうやって、のそのそ子分を引き連れてやってきたのは、このカフェのボス猫。黒くて丸くてのっそりしている。二本の前脚を揃えて、ふんっとふんぞり返った。

やーね。偉ぶっちゃって。だけど、わたしは確かに新入り。ついひと月前に、このカフェにやってきた。実はまだ子猫。兄弟たちと箱に入れられて、捨てられていたらしいわ。まだ小さいから、こんな大きな猫とケンカしても勝ち目なんてあるはずがない。


 わたしは仕方ないと諦めて、日陰の方へ向かった。


『ふん。まあ、当然だな』


 偉そうな態度。見てらっしゃい。わたしが大きくなったら、あんたなんてけちょんけちょんなんだから。



  ◇◇◇



 午前九時半。もうすぐ猫カフェちゅーみぃは、この日も開店する時間だ。店長のハルカお姉さんが、ひとりひとりに挨拶して回る。


「あずきちゃん、今日も綺麗な毛並みね。ゆずちゃんは、お耳がぴんとしていて元気、元気」


 抱っこして、スタッフの健康状態をチェックしている。立派な店長さんね。もちろん、わたしも抱っこして身体の隅々を見られた。ちょっと恥ずかしいわ。


「うん。くるみちゃん、綺麗な目ね」


 うふふ。自慢のブルーの瞳を褒めてくれて嬉しいわ。お客さんが来たらサービスしておくわね。


 朝のご挨拶が終わったわたしはご機嫌で、キャットタワーを登る。だけど……。


『やい、新入り。この塔は俺が占拠している。すぐに降りるんだな』


 またボス猫。もうっ! あんたがちょっと上に行けば、わたしも乗れるじゃないの!


 そう思ったわたしは思わず口にしてしまった。


『ケチ』


 そう言われたボス猫は目を見開く。


『なんだと! 新入りのくせに生意気だ!』


 ボス猫は鋭い爪を出した。あ。これはダメね。狭い足場でわたしは避けきれずに、上から繰り出された猫パンチを食らった。そのまま、地番下の地面に落ちてしまう。猫だけど、まだ子猫だから上手く受け身が取れずにごろんと転がった。


 きゅー……。いたたた。やーね。暴力に訴えるなんて。


 ハルカお姉さんに注意してもらいたいけれど、見てなかったみたい。タワーを見上げると、ボス猫はふんっと勝ち誇った顔をしていた。




 ぼさぼさになってしまった毛並みを直して、わたしはタワーを登ることを諦める。トボトボとゲージの方に歩いてくると、声をかけられた。


『災難だったね。でも、あいつの所に近づく君も悪いよ』


 そう声をかけてきたのは、白い毛並みのオス猫シロップちゃんだ。いつも落ち着いた口調で、カフェの中をよく見ている。


『シロップちゃん、あのボス猫をぎゃふんと言わせる方法ない?』


 いつもわたし達の方が大人しく引き下がっているけれど、一度ぐらい痛い目に会わせてみたい。だけど、シロップちゃんは首を横に振る。


『力で勝つことなんて出来ない。あいつがいる限り、この猫カフェのボスはあいつさ。大人しく目を付けられないようにしているしかない』


『そんなぁ』


 じゃあ、ずっとこのままってことなの?


『それより、自分の心配をした方がいいよ』


 自分の心配? わたしは首を捻る。


『見てみなよ』


 シロップちゃんが窓の方をあごでくいっと指すので、そちらを見る。そこにいる人物を見て、うぇっと言ってしまった。


 そこにいたのは人間。中年のおばさんで、ちょっと少女趣味な服を着ている。たぶん、猫カフェが開くのを待っているのね。


 そのおばさんはスタッフの間ですこぶる評判の悪い人間だった。カフェに入ってくると必ず猫なで声で声をかけてくる。それはいいのだけど、おばさんは……すごく臭いの。


 こーすい、って言うみたいね。おばさんはいい香りだと思っているらしいけれど、近づくだけで鼻が曲がりそうになるの。


『ハルカお姉さんは何とも思わないのかな』


『ハルカお姉さんの鼻は蓄膿症っていって、鼻が利かないらしいよ』


 ちくのーしょー? よく分からないけれど、鼻が使えないなんて人間は不便ね。


『あのおばさんが来ているなら、今日はわたし大人しくしているわ』


『そうは、問屋が卸さないみたいだ。くるみちゃん』


『とんや』


 ときどきシロップちゃんは難しい言葉を使う。


『隠れていても無駄ってこと。聞いちゃったんだ、僕』


 シロップちゃんは真剣な顔でわたしを真っ直ぐ見てきた。わたしはなんだか緊張して、ごくりと生唾を飲み込む。


『あのおばさんがね。くるみちゃんを家族に迎えたいって言っていたんだ』


『かぞくに……?』


 かぞくって何のことかよく分からなくて、わたしは首をひねる。


『ああ、くるみちゃんはまだ来たばかりでここの事をよく知らないよね。ここはただ、お茶をする場所じゃないんだ』


『え? 猫カフェでしょ?』


 だって、お店が開店すると人間たちは猫を眺めてお茶を飲んでいるわ。


『うん。それは一つの顔。もう一つの顔は僕らのお世話をする人間を探すための場所なんだ。選ばれたスタッフはその人間の家に行くことになる』


『え!!』


 お世話をする人。それは店長のハルカお姉さんであり、他の店員さんたちだ。家族になるって、まさか……。


『あのおばさんが、違う場所でわたしのお世話をしたいってこと!?』


 シロップちゃんは神妙に頷いた。


『そんな、そんなっ! わたしはここが気に入っているの! 確かにボス猫は意地悪だけど、他のスタッフとの関係は良好よ。三食寝床付き、おもちゃ付きで、何も不満はないわ。それなのに臭いおばさんの家に行かないといけないなんて、家も絶対に臭いわ! 絶対嫌よ!』


 わたしはひっくり返って駄々をこねた。さらにシロップちゃんはわたしを絶望に突き落とすようなことを言う。


『前に、おばさんに貰われていったスタッフがいたんだけどね。一度、遊びに来たときは、フリフリの服を着せられていた。別猫みたいだったよ』


 服!? 服って、人間みたいに着るってこと? 嫌よ、そんなの。


『ねぇ、シロップちゃん。どうしたら、あのおばさんの家族にならずにすむ?』


『うーん、まだ本決まりじゃないみたいだ。だから、あのおばさんの理想の猫じゃない猫を演じれば止めてくれるかも』


『そういえば、前に抱っこされたときに、大人しくていい子って言われたわ。本当は臭いのに耐えるのにじっとしていたんだけど。それなら――』


 もうすぐ午前十時。猫カフェちゅーみぃが開店する。





「いらっしゃいませ。まずは手を消毒してくださいね」


 ハルカお姉さんが待っていたお客さんをお店に招き入れた。注文を取って、飲み物を用意していく。お客さんたちはさっそくスタッフの元に行って、おもちゃで遊んだり、そっと撫でてみたりしている。


 わたしは天井の柱の上からその様子を見ていた。今日はいつもより人が多いわね。知っているわ。人間は何日かに一回お休みがあるの。毎日お休みの猫と違って大変ね。


 それはそうと、ターゲットを見つけたわ。こーすいの臭いおばさん。今日は壁際の席に座っている。キョロキョロと何かを探している。きっと、わたしね。


『わたしはここよ!』


 そう、ひと鳴きしてわたしは勢いよく階段を降りていく。


「あ、くるみちゃん」


 おばさんはわたしを見て顔を明るくさせた。うぅ、こーすいさえ無ければいい人間なんだけど……。


 てーい!


 わたしはテーブルに上がり、思い切っておばさんの前に置いてある飲み物に体当たりした。ガシャンと音を立てて、コップが横倒しになる。


「ま、まぁ、大変」


「大丈夫ですか」


 ハルカお姉さんがすぐに駆けつけてきた。でも、これぐらいでは終わらないわよ。


 わたしはテーブルから降りて、店内をバタバタと駆けまわる。そして、他のスタッフと人間が遊んでいる紐のおもちゃに飛び掛かった。


 ていていていてい! 


 横入りされたスタッフも人間もかなり驚いている。


「どうしちゃったのかしら、くるみちゃん。今日はなんだか興奮して」


「子猫だから、まだまだ遊び足りないのだと思います」


 ハルカお姉さんがおばさんにそう説明している。いい感じね。


 そう。本当のわたしは今日のわたし。だから、家族にするのは諦めて!


 わたしはまたテーブルに乗って飲み物を倒していこうとした。そのとき、


『うるさい』


 わたしは首根っこを地面に押さえつけられた。


 いきなりのことに驚いたけど、なんとか押さえつけている主を見ると、そこにいたのはボス猫だったの。あんまり騒がしいから、制裁にきたのね。


 ああ、もうちょっとでおばさんに諦めさせることが出来たのに……。わたしはじたばたするのを止めて、大人しく待った。


「もう、くるみちゃん。今日は大暴れでどうしたの?」


 ハルカお姉さんが優しく抱き上げてくれる。


『ハルカお姉さん。わたし、ここを辞めたくないの』


 そう訴えてもハルカお姉さんに通じるはずもなく、おばさんに向けて言う。


「くるみちゃん、抱っこしますか?」


「そうねぇ。くるみちゃんは可愛いけど、こんなに元気だとわたしには手が余るわね。それより、こっちの子が……」


 おばさんはそう言って、ボス猫を抱き上げた。


『な、なんだ!? このおばさん、く、臭い』


 ボス猫は暴れるけれど、おばさんはしっかり抱きしめている。


「黒猫も可愛いわね。しかも、貫録があっていいわぁ」


 まじ? おばさんはすっかりボス猫のことが気に入ったみたい。その後もずっと抱っこしている。そして、おばさんは決断するのが早く、次の日にはボス猫はおばさんの家族になった。



 ◇◇◇



 窓際はポカポカして、いい気持ち。猫カフェちゅーみぃにはもう偉ぶるボス猫はもういない。わたしも安心して眠れるわ。もちろん交代でね。


 

 そのくるみちゃんも、小学生の女の子のいる家族に貰われていく。


 ――でも、それはもう少し先のお話。



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