終わらないもの

佐渡 寛臣

ある部屋


 窓から見える狭い星空を眺めながら、君は静かな声で言った。


「ゆらゆらと瞬いていくんですね」


 椅子にかけて、腕をだらりとさせたまま、君は瞬きもせずに言う。

 すっかり旧式になってしまった君はもう自分が何なのかもわかっていないのだろう。発売当初の耐久年齢など、とうの昔に越えてしまっているのだから。


 誤作動を起こさないようにと、腕と足の電力供給を切ったときには胸が締め付けられるような思いだった。

 君から自由を奪った瞬間、僕がどれだけ君を想っていたのかを初めて思い知らされた。


「混ぜ合わせれば、色は黒く白く滲んで弾けて」


 あの日から君は、ずっとこうして椅子に座って空を見ている。

 言葉をかけても、ただぼんやりとしているだけで、時折視線を揺らしては、意味のない言葉の羅列を吐き出すだけ。


 君はもう、君の中に眠っている僕らの記憶も探せなくなってしまったんだね。

 もう言葉もわからないくらい。誰かもわからないくらい。


 君の故障が目に付いてわかるようになってから、君が無理して笑っていたのは知っていたんだ。

 君は言っていたね。電源を切るみたいに止まってしまいたいって。

 機械らしく、終わってくれれば、こんなに苦しくなんてないのにって。

 そうなったら、廃品回収に出してくださいねって。


 そんなこと、出来るわけないじゃないか。

このまま、もう喋ることも出来なくなったら、僕は君をどうしたらいいんだい?

 ずっとこのままでいようか。この君の部屋でずっとこのままで暮らそうか。


「ゆっくりと、終わっていくんです。ゆらゆらと瞬くように」


 こうして、耳に残る君の声だけを聞いて僕も終わろうか。

 君以外、家族もいない僕なんだ。一緒に終わったっていいだろう。

 誰に僕らが責められる。たった一人の家族なんだから。


 僕はしゃがみこんで、君の膝に頬を乗せた。


 こうして、このまま終わりにしたい。


 君と二人で生きてたんだから、このまま二人で終わりに。




「ねぇ、それでも終わらないものがあるんですよ」




 ずきり、と胸が痛んで君を見上げた。


 しっかりと僕を見つめる君がいた。

 古ぼけて光を失ったはずのレンズが僕に焦点を合わせていた。


「こうして、ゆっくりと終わっていっても、それでも終わらないものがあるんです」


 確かにそこに、君がいた。もう失ってしまったと思っていたのに。


「例えば、私とあなたが過ごした時間。例えば、私があなたに捧げた想い。どちらもあなたがいれば、それはずっと続いていくんです」


 君はそういって微笑んだ。きっと腕が上がれば、僕の髪を撫でていただろう。僕がいつか子どもの頃にそうしてもらったように。


「だからこんなことで躓かないで。私を終わらせてしまわないでね。私の幸せを終わらせないでくださいね」


 幸せ、だったのかい? 僕は震える声で訊ねかえした。君はそうとわからないくらいに僅かに頷き、僕の名前を呼んだ。


 それを最期に君は停止した。電源を切ったみたいに静かに。




 君の遺言状を見つけたのはそれから三日経ったあとだった。

 手紙に書かれた住所へ、君を送り届けたとき、初めて君の産みの親に会った。

 遺言状を読んで、君の父親は大変驚いていたよ。


 君を引き渡してからは、やっぱり僕の心はぽっかり穴が開いたようだけど、二ヶ月が過ぎてようやく落ち着いてきたよ。


 君に頼りきりだった部屋の片付けも自分で段取りできるようになったよ。


 料理も少しだけするようになった。君の残してくれたレシピは本当にわかりやすい。


 毎日があわただしく過ぎていく。君がいないこの毎日が当たり前になるのにどれくらいかかるだろう。


 君を思い出す度に、痛む悲しみが消えるのにどれくらいかかるだろう。





「――ここが君の新しい家だよ」


 おじいちゃんが言った。私はカメラに写る景色を覚えこんでいく。

 新しくないじゃない。どこかで見たことあるような古臭い家だわ。


 うん、どこかで見たことあるわ。ほら、二階の格子窓なんて、よく覚えているんだもの。


「ここは君のお母さんが育った家だからね」


 よくわからないわ。お母さんってなあに? 育つってなあに?

 意地悪なおじいちゃんは教えてはくれない。

 でもまあ、いいわ。そんなことどうだって。


 おじいちゃんが呼び鈴を鳴らす。なんだか心地いい、聞きなれた音。



 いいのよ。なんだって。



 ――ゆっくりと、始めていけばいいんですもの。

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終わらないもの 佐渡 寛臣 @wanco168

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