誰かこの戦闘狂をどうにかしてください!

九里 睦

本文

「えーと、プチクオーの球根の煎じ方は……」


 高名な薬師様から大枚をはたいて買った文書から、欲しい薬品の作り方を学んでいる時でした。


 コンコンココン。


 ちょっとだけ工夫されたノックの音。どうやら私の雇い主が帰ってきたようです。


 そして、この音の時は両手が塞がっていて、戸が開けられないことを意味しています。


 私は読んでいた学書に栞を挟んで閉じ、戸を開けてあげました。


「ただいまー!」


 彼はニコニコした顔で、家に入ってきました。今回倒した相手がよっぽど愉しませてくれたのでしょう。


「いやー今回の相手はでかくてなー! 報酬もほら、こんなにたんまり!」


 そう言って背中に下げた大きな袋を見せてきました。じゃらじゃらと音が聞こえます。

 そしてそのまま片手で徐に、ドン! と。


 もう片方の手にも何か持っているのかと思いましたが……


「ない……」

「え?」

「右手がない!!」


 なんと、右手が消えていたのです!


「あいたたた」

 紐で縛って止血しているようですが、このままでは感染症になる恐れがあります。

 早急に治療しなくては!


 私はベルト型のポーションホルダーを戸棚の2段目から取り出し、青い液の入った瓶と、透明な液が入った瓶をそれぞれ2本ずつ取り出しました。


「ほら、腕出してください」

「なぁ、染みるのは嫌だぜ?」

「もう! 言うこと聞いてくださいっ!」

「……へいへい」


 まずは透明な方を傷口に。1本目は直に掛けて、

「くぁぁぁあ! 染みるぅぅう!」

 2本目は清潔な布に染み込ませて、トントンと優しく入れ込むように。

「痛てぇ痛てぇ痛てぇ!」

「我慢してください!」


 なんでこうなる時の痛みは耐えられて、治療の時は耐えられないのか、意味がわかりません。


 イライラしすぎて涙が出そうですが……滲む視界のなか、次は青い瓶を手に取りました。


「さぁ、1つ飲んでください」

「苦いの嫌いだ……」

「ぐすっ。飲んでくださいよぉ……」

「わかったわかった。ごくっ。ほら」


 ぐすっ。1つは飲んでもらってもう1つは患部に直接掛けます。平皿にスープを盛るように、ゆっくりと。

 そして最後に、傷口にばい菌が入らないよう処理をほどこす。


「もう紐解いても大丈夫ですよ」


 これで、後は栄養を摂って1晩ぐっすり寝れば傷は治ります。


「おっし! これで明日も戦えるな!」


 ……信じられないことに、この人は明日も仕事に出掛けるようです。

 また明日も怪我してくるのでしょうか。いや、するでしょうね……。


「人の気もしらないで……」


「ん? なんか言ったか?」

「なにも!」

「そっか。じゃあ飯飯〜」


 彼は重力に逆らうボサボサの髪に砂埃をたっぷりと含んだまま、テーブルに着きました。顔も服も、酷く汚れています。

 私は彼の笑顔に背を向けて、目の端をぬぐいます。


「そんなぐちゃぐちゃなカッコのままご飯は食べさせませんよっ。はやく公衆浴場で洗ってきてくださいっ」

「へ〜い」


 彼が着替えを持って家を出た後、私は調合用の釜の隣、調理用の囲炉裏に炭を足し、鍋を置きました。


 ……本当にほとんど毎日、こんな生活をしています。


 朝早くから彼は家を出て、危険な討伐依頼を受けて、時には日を跨いで帰ることも……。

 そんな彼に私が雇われたのは、ただただ製薬の腕がいいからです。


 さっき使った薬なんて、お店では金貨が幾つあっても足りないような値段で売られています。

 ただ、私が若すぎるせいか、そんな薬を作れると言っても誰も信じてくれないのですが……。


 私が青色ポーションを作れると知っているのは、彼と師匠の2人だけです。


 物心つく前に森の中で師匠に拾われて以来、今まで薬の勉強は欠かしませんでしたから、もう18年間、勉強し続けていることになります。


 そのなかで、師匠は常に私の薬を見守っていてくれました。私が初めて薬を完成させた日、何度も何度も失敗して泣いた日、その失敗を乗り越えた日、師匠はずっと私の側にいて、導き、叱り、褒めてくれました。私の実力は、師匠が一番よく知っているはずです。


 もう一人、私の薬を信じてくれる彼と出逢ったのは、師匠に拾われてから9年が過ぎた頃でした。彼が、獲物を探して森の奥、私と師匠の小屋までやってきたのです。

 その時に私が傷薬を使ってあげると、とても喜び、「これは誰がつくったの?」と聞いてきました。


 私は、信じて貰えるとは思いませんでしたが、その頃の私はウソを吐くことを知らず、「私が作りました」と正直に答えました。

 すると彼は「すげぇ!」と目をキラキラさせて喜んでくれました。それからです。彼が師匠の森に遊びに来るようになったのは。


 それからの9年間、私の薬師としての腕は、急成長していきました。

 師匠は言います、

「あの子がお前の最初のお得意様だ。お得意様はまだ原石のお前を、どこまでも輝く宝にしてくれる。大切にしろよ」

 と。


 そして師匠の言いつけ通り、9年間、彼を大切にし続けたのですが……

「ぐすっ」

 もうダメかもしれません。


 今日、彼を治したあの薬は、私が10日程前に完成させたばかりです。

 現状では、今私が作れる最高の薬が、あれなんです。


 だから、これ以上酷い怪我だと、治せなくなります。


 これまでは彼の怪我の具合に、私の薬は追いついていましたが……。何にも限界はあります。


 私の限界はもう、ここなのかもしれません。


 鍋の横で調合している薬は、もう50回は失敗しています。どれも貴重な素材を使用するので、彼から貰った給料も、底が見えてきました。


 私ではもう力不足……。


 最近では失敗する度に、そんな言葉が浮かびます。


 彼の稼ぎなら、私よりもずっと優秀な薬師が雇えますから、私みたいに一緒に戦いに行けない薬師より、動ける薬師の方が、彼にとっても生存率が上がっていいでしょう。


 そうですよ。彼を大切にするなら、どこまでもついて行って、怪我してすぐに治療するのがベストです。それができない私なんて……。


 ……決めました。私、彼に辞表を出します。




 彼は鶏肉たっぷりのシチューが完成した丁度に帰って来ました。


「ただいまー!」

「おかえりなさい」

「あー! 腹減ったー!」


 帰ってくるなりテーブルに着き、スプーンを左手に構えています。綺麗になった顔はニコニコです。

 ……辞表の話は食事の後にしましょうか。




 ……と、あっという間に食事が終わってしまいました。

 よっぽどお腹が空いていたのか、ペロリでした。いざとなれば言い出しにくいものですが、ここを逃せばまた日々の流れに流されるだけです。私は覚悟を決めました。


「あ、あの。お話があるのですが……」

「ん? なに?」

「これです……」

「……『辞表』?」

「はい」

「なんで?」


 いつもニコニコしている彼が、初めて怒ったような、困ったような顔を見せました。一瞬たじろいでしまいます。


「えっと……」

「給料少なかった? 本買えないとか?」

「いや、そういうわけじゃないんです」

「じゃあどういうわけ?」


 彼は心なしか前のめりになってきました。私はその分仰け反っています。


「私ではもう、役不足かと思いまして……」


 それから私は、胸中を全て打ち明けました。

 役不足の意味。

 限界が見えてきたこと。

 これが彼にとってベストな選択だということ。

 全てをです。


「……俺が戦い大好きだから毎日毎日依頼をこなしてたんだと思った?」

「……その通りでしょう?」

「違うよ。それは半分。もう半分はお金のためだよ」

「お金……? どういうことですか?」

「お金がないと、本は買えないだろう? 本が買えないと、君が大好きな薬の勉強ができない。だから俺はお金を稼ぐためにも、戦ってるんだ」


 初めて聞いたことでした。

 彼は怒ったような、困ったような、真剣な顔をしています。


「そうだったんですか……」


 どうやら私たちは、お互いに思い違いをしていたようです。


「だけど違いますよ。私が大好きなのは、薬の勉強だけではなく、あなたもです。いまはあなたが大好きな戦いを、好きなだけできるように、勉強しています」

「な、えっ?」


 彼は驚いた顔になりました。ですがすぐに顔を振って、


「俺も君が大好きだ。だから君が大好きな薬の勉強を、好きなだけできるように戦っていたよ。半分は」

「なんだ、私たち、お互いに思い違いをしてただけなんですね……」

「だね。両想いだけにね」

「ふふふっ」


 囲炉裏の火が温めた部屋に、ビリリと紙を破る音が響きました。

 その時です。


「あっ、釜から変な煙が出てるよっ!」

「え!?」


 煙の色は紫でした。

 これは!


 蓋を開けてみると、紫の粉が釜に溜まっていました。


「やった……」

「なになに?」


 ふるふると、身体の奥から喜びが湧き上がってきました。

 彼が隣で釜を覗き込みます。

 今までよりも距離が近く、手を伸ばさなくとも届く距離でした。


 私はそんな彼に思わず抱き着き、

「やった! やりました! 青色のさらに上級、紫ポーションの完成ですよっ!」

「やったじゃないか! これでまた俺は安心して戦えるんだな!」

「おい!」


 彼はようやく嬉しそうな笑顔になり、私をぎゅーっと抱きしめてくれました。

 戦える嬉しさと私の薬が完成した嬉しさ、それは半々くらいでしょうか。よかったなと耳元にかけられる優しい声が、私に一つ、諦めさせました。


 まったく、この戦闘狂を、誰かどうにかしてくださいっ。

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