涼→洸→ルカ編

「ありえへんわ」


 こうはルカを傷つけたいわけではなかった。むしろ、その逆だ。だというのに、口を突いて出たのはルカを否定する言葉だったのだから、とことん素直ではない。


「なんなん? だれにも『恋人やー』って言われへんで、一番は他の男。それって付き合ってる意味ないんとちゃうか」


 ルカが軽く唇を噛んだのがわかった。


 それを見かねたのか、洸の双子の兄であるりょうが口を挟む。


「それくらいわかっとるやんな? なあルカ」


 ここは洸と涼が暮らすマンションの一室。今はそこにルカが加わって、この部屋には三人しかいない。だから、問い質すのであれば今この場しかありえないと洸は思った。外ではだれが聞き耳を立てているかわかったものではないので。


 青みがかったグレーの瞳を伏せたまま、ルカは黙りこくっている。洸とて、己が指摘したことをルカがわかっていないなどと、あなどってはいない。けれども思わず、口を突いて出てしまったのだ。


 ルカはあからさまに傷ついた顔はしなかったものの、その表情を見ればどこかで洸が今しがた告白したことを受け入れてくれると――味方になってくれると、どこかで期待していたことがわかる。


 とんだ甘ちゃんだ。洸はその甘ったれたルカの思考にいら立ちを覚えた。けれども、洸にはルカを突き離す気持ちはなかった。むしろ、その逆。どうすれば恋に迷うルカの目を覚まさせることができるのか、めまぐるしく考えていた。


 ルカは高校時代からの先輩である春夫に恋をしていた。洸は、それを知っていた。言われなくてもわかった。なぜなら洸はルカのことを恋愛対象として好いていたからだ。


 親の都合で引っ越してしまった幼馴染であるルカが忘れられなくて、洸はわざわざルカと同じ進学先を選択し、兄の涼と共に上京して今がある。


 ルカは当たり前だがそんなことは知らない。たまたま進学先が同じだっただけだと思っている。能天気だ、と洸は思った。


「そんなん不誠実やわ」

「先輩は不誠実なんかやない」

「客観的な意見ってやつや。その先輩、ルカのことなんてどうでもええんやろ。せやからそんなテキトーな付き合いができるんや」

「洸……」


 ルカがうつむいて、じっと洸の言葉に耐えているのは洸にもわかっていた。


 また険悪な空気を見かねてか、涼が口を挟む。咎めるようなその声色に、洸はイラ立ちをつのらせる。


「黙っといてや、涼」

「けどな、言い方ってもんがあるやろ」

「……なんなん。涼はルカの味方なんか?」

「そういうわけやないけど、洸がしゃべりっぱやったらルカもなんも言われへんやろ」


 涼の視線に釣られて、洸もルカを見た。心なしかルカの青みがかったグレーの瞳は潤んでいるように見えて、洸の罪悪感を刺激する。


 悪いのはルカで、もっと悪いのはルカの先輩である春夫だ。そう思っているのに、洸はどうしても己が悪いような錯覚をしてしまう。


「涼……そんな風に言わんとって。洸が僕のこと心配してくれてるんはわかっとるから」

「わかってるんやったら、なんでそんな話したん?」


 洸は思わず舌打ちをしそうになった。湧き立つようなイラ立ちは収まらず、かといってぶつける場所もない状態である。


「ありえへんわ、その先輩」

「そうやろね……他の人からすれば」

「じゃあ」

「……けどやっぱ好きやねん。どうしてもこの気持ちは捨てられへんかった。これでもあきらめようとはしたんやで? 先輩が卒業したときに……。でもやっぱ好きやから。せやからこれでええねん」

「……なんでオレらに言ったん。最近おかしいから聞いたんはオレやけど、言わんでもよかったんとちゃうか」

「――だれかにバラす?」

「……バラさへんわ、アホ。そんなん……言えるわけないやろ」

「やっぱりな。やから洸と涼には言うたんや」


 ルカはどこか翳のある美しい顔をして、そう困ったように微笑わらった。


「こんなん、いきなり言われても困るやんな」

「わかっとるなら言うなや」

「うん。せやけど知ってて欲しかったんかもしれへん」


 暗に信頼していると取れるようなルカの言葉に、今度こそ洸は舌打ちをした。


 ルカのそういう、意外とズルいところが洸は嫌いで――好きだった。


 まるで「あなただから」打ち明けたのだと、特別感を出してくるルカの言葉遣いが、洸の心をかき乱す。ルカは、そんなことまではわかっていないことは明白だ。ルカは自分が好かれているなどとはあまり思わないから。


 ましてや、長い付き合いである洸が己に恋心を抱いているなどとは、ルカは頭の端にものぼらせないのである。


「そんなん、ズルいわ」


 二番でも構わないからなどと言って、思い人と恋仲になるなんて。そんなのはズルい、と洸は思った。


 そんな「ずっこい手口」が許されるのならば、オレだって。……そうは思うものの、洸はきっとできない。洸はルカの一番になりたいのであって、二番になりたいわけではないのだから。



 *



「ヒヤヒヤしたわ」

「ん?」

「いつルカをぶん殴らへんかヒヤヒヤしたわ」

「……そんなことせえへんわ」

「どうだか」


 涼からすれば洸は口より先に手が出るタイプだ。一時期家庭の事情で荒れていたときに、そういう性質を涼は間近で見てきたから。


「ルカには……そんなことせえへんって決めとるから」

「そういうこと、さっき言うたったらよかったやん」

「アホ、そんな恥ずかしいこと言えるか」

「洸はホンマ恥ずかしがりやな~」


 洸を茶化し、余裕のある風を装って兄貴風を吹かせながらも、涼は内心安堵していた。洸がどこにも行かないことに。


 洸がルカを追って上京すると決めたとき、涼はそれに着いて行かないという選択肢もあった。あったが、涼がそれを選ぶ確率はゼロだ。涼は洸のそばにいたいのだから、離れるなどという選択肢を取るはずがなかった。


 生まれる前からずっとそばにいて、家庭の問題で荒れていたときも、唯一心を許せて、そして苦痛を共有できたのは双子である洸だけだった。だから、涼は洸の手を離せないし、離す気もない。


「失恋やな」

「……まだそうやって決まったわけや……」

「失恋やって。ルカはあの先輩あきらめられへんのやろ。やから『二番手でもええ』なんて、往生際悪く食らいついとるんやろ」

「……そんなん、わかっとるわ」


 ソファの上で膝を抱え込み、落ち込んだ様子の洸を見て、涼は少しイジメすぎたかと反省した。


 洸の頭に彼と同じ大きさの手を置いて、ゆっくりと優しく撫でる。


「なんなん? キモ」

「ひどいわ~。お兄ちゃんが慰めたろうってのに」

「兄貴面すんな!」

「おお、よちよち」

「ウッザ」


 洸は涼に背を向けたままなので、今双子の兄がどういう顔をしているのかは知らない。


 涼にとって、ルカは大切な人間だ。色々と根気よく気にかけてくれた恩義を感じている。


 涼にはルカの気持ちがわかる。心を占めるのが別の人間でも構わないという必死な思いもわかる。……涼も同じだから。


 同じだから、だから別に洸の心を占めるのがルカばかりでも構わなかった。そばにいてくれるのならば、二番でも構わない。


「洸も言うてみたら? 『二番でも構わへん』って」

「……そんなんお断りや。オレは一番がええんよ」

「そうか……」


 ルカには洸の気持ちはわからない。洸にはルカの気持ちがわからない。


 洸には涼の気持ちはわからない。涼には洸の気持ちはわからない。


 けれどもそれでいいのだ、と涼は思う。そうやって同じところをぐるぐると回っているうちは、よいことは起こらないが、悪いことも起こらないだろうから。


「……ぼくは別に二番でもええんやけどね」


 涼の言葉に洸は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「なんなん? 涼もだれかに恋しとるんか?」

「うん。まあまあ」

「どういう答えなん?」

「あの先輩みたいに、叶わへん恋やから」


 虚を突かれたように目を丸くする洸を見て、涼は腹を抱えて笑った。


 じきに洸は弄ばれていたのだと判じたらしい。怒ったような顔をする。


 涼の言葉が真実だと気づかないまま。

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あなたの二番でも やなぎ怜 @8nagi_0

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