春夫←ルカ編(後編)
玉砕する覚悟はできていたが、一方で「もしかしたら」という希望も抱いていた。なにかまかり間違って、あるいは、お情けで春夫はルカの思いを受け入れてくれるかもしれないと思った。
そうやって何度かの逡巡を経ながら、今日こそはという決意を胸に、委員会の活動を終えて春夫と下校した日。よりにもよってその日に春夫は秋瑠と出会った。
真夏のさなかに学校指定らしい白い長袖のワイシャツを身に纏った、春夫とまったく同じ顔をした男の顔は鬼気迫るものだった。春夫の腕を取って、なにかを言おうと二度三度と口を開いては閉じることを繰り返した末に彼は言った。
「おれと君は兄弟だったんだ……信じられないかもだけど」
ルカは戸惑いがちに春夫を見て、「お知り合いですか?」と問うた。
俗にこの世に自分と瓜二つの人間は三人いるという。けれども現実的に考えれば、春夫とまったく同じ顔をした彼は、春夫の生き別れの兄弟だとか言われたほうがしっくりくる。だから、ルカは控えめに「知り合いか」と問うたのだ。
春夫は己とまったく同じ顔の男を見ても、あまり動じている風には見えなかった。けれども春夫は一度たりともルカを見ないまま、まったく同じ顔の男にむかって静かに頷いた。
途端、男の顔がパッと華やいだ。あからさまな笑みは見せなかったけれども、明るくなったのはよくわかった。
それを見て、ルカは正体不明のもやもやとした感情を抱いた。その感情を解きほぐせば、「脇から急に出てきてなんだこいつは」というところだろうか。
そしてルカはうっすらとイヤな予感を抱いた。
「ごめん、ルカ」
春夫はルカにそう謝ると、瓜二つの男の手を取ってあっという間に雑踏に消えてしまった。残されたルカは、ただしばらくぼんやりと、そっくりな顔を持つ彼らの背中が消えた人ごみを見つめていた。
それからしばらく春夫は学校にはきていないようだった。スマートフォンにインストールしたチャットアプリで問いかけても、返事はない。そもそも、既読マークがつかない。
ルカは考えた。あの正体不明の男は春夫の生き別れの兄弟だとかで、彼が現れたために春夫の家庭がごたついているとか、そういう妄想をした。
「信じられないかもだけど」
春夫はあのそっくりな顔をした男――秋瑠というらしい――と同じ物言いでルカにそう告げる。
久しぶりに登校した春夫は、ルカからするとなにかがおかしかった。相変わらず無表情だったので、その顔の下にうごめく感情を読み取るのは困難だったが、ルカは「なにかが違う」と感じた。
そして春夫はルカにあの自分にそっくりな顔の男が秋瑠という名で、そして前世の兄弟だったと言ったのだ。
ルカはしばらく思考が止まった。兄弟だという説明は、すんなりと受け入れられる。けれども、「前世の」とは一体全体どういうことだろうか?
ルカは春夫が冗談を言っているのだと思いたくて彼を見たが、その目は真剣そのものだ。
だからと言ってルカは春夫の言葉をそのまま信じたわけではなかった。信じたわけではなかったが、春夫に嫌われたくない一心で、「信じられます」と嘘をついた。「先輩の言うことやから」……信じたかった、という思いもあった。
春夫はどこかほっとしたような横顔を見せたあと、なぜ今まで学校を休んでいたのかについて話し出した。春夫が、パーソナルなことをルカに話すのは珍しかった。
恐らくは吐き出すべき適当な場所がなかったのだろう。あるいは、ルカを信用しての言動だろうか? そうであればいいのに、とルカは思った。
「秋瑠とは今は血の繋がりは一切ない。それについては調べたから本当。いや、DNA検査とかはしていないけれど……親に話を聞いた限りでは血縁関係はなさそうだ。けれども秋瑠は俺と兄弟だったんだ」
ルカは一生懸命聞いているというアピールのために、黙ったまま静かに頷いた。
「秋瑠、長袖着てただろ? 覚えてないかもしれないけど。あれって……その、傷を隠すためだったんだ。自分でつけた。……うん。俺も驚いた。秋瑠はずっと俺を捜し求めてたんだ。けれども見つからないから……そうやって。秋瑠のお母さんから色々聞いた。『二〇歳までに死ぬ』が口癖だとか……昔からあんな感じで、その、自分で死のうとしようとしていて、今でも通院して何度も入院したりもしたんだけどよくならなかったとか。だけど俺と出会って明るくなったって。あんな笑顔を見るのは初めてだって言われて。……で、まあ一週間くらい色々と話し合って、秋瑠のケアに俺も加わることになったんだ。あ、前世が兄弟だっていう話は秋瑠がしちゃったんだけど……まあ信じてはくれていないだろうな。でも秋瑠がいい方向に行きそうだから、なにも言ってはこないけれど」
春夫は話し終えたあと、ふっと短く息を吐いた。
「ごめんルカ。気分悪くしたか?」
「――え?」
「眉間にシワ」
春夫が自分の眉間を指差す。ルカは釣られて己の額から眉間にかけてを撫でた。たしかに、力が入っていた。
「ごめん、なんかいきなりで困るよな」
「いえ! そんなことありません。先輩の気が軽うなるんやったら、いくらでも聞きます……」
それはルカの本心だった。けれどもそれがいくら春夫に響いたかは、わからない。けれども春夫がそっと口元を緩めたのがわかったので、ルカは思わず自身の口元も緩めるところだった。
けれども、そんな風に余裕を持っていられたのは最初のほうだけだった。じきに春夫は秋瑠を優先して、たまに学校を休むようになった。通院に付き添ったり、勉強を教えたりしているらしい。
「まだ秋瑠は不安定なんだ。俺がそばにいないと色々と不安になってしまうらしい」
そんな気の引き方はズルい、とルカは思った。
秋瑠の苦悩など、ルカにはわからない。そこには想像を絶する苦痛が存在したのかもしれない。けれども、他人であるルカにはそんな感情はわからない。
秋瑠に対し、ルカは嫉妬した。学業よりもルカとの時間よりも優先してもらえる秋瑠という存在を、ねたましく思った。
けれども春夫自らが決めたことについて、ルカには口を出す権利など存在しない。ルカは春夫のただの後輩。家族でもなければ恋人でもないのだから。
いつからか、ルカは春夫の一番になりたいと願っていた。けれども、それは願っていただけで。
春夫の一番が秋瑠になって、ルカは春夫に告白などできないまま、春夫が卒業するのを見送った。進学先はだれでも知っているような難関大。秋瑠も学部は違うが同じ大学に通うと春夫から聞かされて、ルカは嫉妬でどうにかなりそうだった。
けれどもそんな、ねたみそねみは心の奥底に押し込んで、聞き分けのいい後輩を演じて、ルカはふたりを祝福した。
しかし結局ルカは春夫をあきらめきれなかった。秋瑠に勝てるビジョンがないにもかかわらず、どうしても春夫への恋慕の情を捨てられなかった。
だから結局、ルカは春夫と秋瑠のあとを追うように、同じ大学へ進学を決めたのだった。
気づいたのは偶然ではなく必然だった。高校時代からずっと、春夫を見てきたから、ルカは気づいた。春夫が教授の
春夫とルカが籍を置く学部の教授である森尾は、初老の優しそうな紳士だ。春夫から直接秋瑠についてたびたび相談に乗ってもらっているとルカは聞き及んでいたこともあって、ルカは森尾は面倒見のいい教授なのだろうという印象を抱いていた。
そして森尾の左手薬指にはいつもシンプルなシルバーのリングがあった。森尾が愛妻家であることは、有名だった。
それはルカに衝撃をもたらした。
春夫の一番は秋瑠であることに違いはないだろう。本人もそう言っているし、周囲もそう思い込んでいた。大学では、なぜか春夫と秋瑠は双子の兄弟だということになっていて、そしてふたりは互いを大切にしている「ブラコン」という認識をされていた。
そこに割って入るのは無謀だと、周囲もルカも思い込んでいた。
けれども違った。春夫だって恋をするのだ。正確なプログラミングをされた機械ではないのだから、当たり前だ。秋瑠を一番に置いたままで、春夫は恋をしたのだ。
それはルカにとっては、衝撃的な事実だった。
そしてその衝撃はルカに邪心を抱かせた。
「二番でええんです」
春夫は良識のある人間だ。弱っている秋瑠に手を差し伸べられるような、良識を持った人間だ。
だから、既婚者である森尾に思いを伝えたりはしないだろう。
けれども――その思いが秋瑠に知られたら? 春夫に異常な執着を見せる秋瑠に知られてしまえば……。
それは、端的に言っても脅迫だった。
「贅沢は言いません。一番でなくてええです」
春夫は一瞬ひるんだ顔をした。秋瑠に知られれば彼が荒れることは、春夫にも目に見えていたからだろう。それは、春夫が望むことではない。それも、ルカにはよくわかっていた。ずっと春夫だけを見てきたから。
「俺にとっての一番は秋瑠だ。俺は秋瑠を優先する。……これは償いなんだ。だから、それは変えられない」
春夫はそう言ってルカの恋心をあきらめさせようとした。「お前の思いには応えられない冷たい人間なのだ」という振る舞いをしようとした。けれどもそれが表向きの振る舞いだということくらい、ルカにはすぐにわかってしまった。
「それでええです。先輩の恋人になれるんやったら……二番で構わへん。だれにも『恋人や』って言わんでもええです」
脅迫から始まったそれは、最後には泣き落としになってしまった。
けれどもそれは脅して聞かせるよりも春夫には効いたようだった。
ルカは春夫の秘密の恋人になった。おおよそだれにも言えない恋人に。
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