春夫←ルカ編(前編)

 ふわふわと毛先が跳ねるプラチナブロンド。瞳の色は青みがかったグレー。いともたやすく赤くなる白い肌。


 ルカにとってそれらは鬱陶しいことこの上ない、己の特徴だった。


 母親は黒髪にダークブラウンの瞳という、典型的な日本人の特徴をそなえ持っていたが、ルカはカナダ人の父親に似た。


 親のことは嫌いではないが、遺伝については恨んでしまう。どんな小さな悩みごとも巨大に思える多感な思春期ならば、なおのこと。


 おまけに高校への進学を前にして、親の都合で関西から関東へと引っ越すことになった。


 ただでさえ目立つ容姿のルカは、元から悪目立ちしやすかった。華々しい容姿に反して――いや、だからこそ?――引っ込み思案の臆病者だったから、よく同級生たちのからかいの対象になっていた。


 進学先でも似たような扱いを受けた。派手な容姿に加えて、ごくまれに口を開けばこの辺りでは聞かないイントネーションが飛び出すので、それを理由にからかわれた。


 大学生になった今となっては、多少のからかいなんてどうってことないと言えるが、当時のルカはそうではなかった。


 単純にしゃべることがイヤになったし、からかいの対象からいつイジメのターゲットになるかと内心では冷や汗をかいていた。


 けれどもそのときは暴力や暴言を伴うとか、わかりやすくイジメられていたわけではなかったので、親にも教師にも相談できなかった。ルカの中にあるちっぽけなプライドが、邪魔したのもある。


 当時のルカにとっては、イジメに近いからかいを受けていると大人に打ち明けることは、屈辱を伴うものであったのだ。


 けれどもまあ、悪い予感というものはよく当たるもので、あるときルカは肩を思い切り殴られた。からかいの延長線上だったのだろうが、ルカにはたまったものではなかった。


「肩、どうかしたか」


 それに気づいてくれたのは、くじ引きでイヤイヤ引き受けることになった美化委員の活動のさなか。放課後、花壇の整備のための道具を持ち運ぶときに、どうしても殴られた肩が痛くて一瞬顔をゆがめたのを、先輩である春夫は見逃さなかった。


「いや、その」


 春夫とは特に親しいわけではなかった。委員会以外で接点を持たない、ひとつ上の先輩。おまけに無表情の仏頂面で、なにを考えているかわからないし、ちょっと怖いとさえ思っている相手だった。


 一七〇センチメートルと、平均身長近くはあるルカに対して、春夫は二メートル近い背丈の持ち主だったので、自然とルカは見下ろされる形になる。


 ルカはどうすればこの場を無難に乗り切れるかわからず、あからさまに目を泳がせた。


 それを見た春夫は、やはり無表情のままだったが、結局深くは追求しなかった。代わりに重い道具を有無を言わさず引き受けて、ルカに背を向け花壇へと向かってしまった。


 きっかけは、そんなささいなことだった。春夫にとってはどうってことない行動であっただろうが、ルカにとっては「先輩に優しくされた」という記憶として心に刻まれた。


「ヘンですか」


 そのたったひとことだけでも、イントネーションが気になってルカは背中に汗をかいた。


 春夫が「スコップ」と呼ぶものを、ルカが「シャベル」と呼んだのがきっかけだった。春夫は「関東と関西で指すものが逆って本当なんだな」と、だれに言うでもなくつぶやいた。ルカはその言葉に血の気が引く思いをした。


 ああ、またやってしまった。そんな絶望的な心地になる。


 この先輩もルカのことをおかしいと思うのだろうか? そう考えると、あとからあとからイヤな予測ばかりがあふれて、止まらない。


 けれども春夫はまるで気にした様子もなく「いや、別に」と言った。春夫はいつも無表情だからなにを考えているかはルカにはやはりわからない。


「『ヘン』ってなんで」


 そのときはどうしてなのかはわからないが、春夫はルカの言葉を捕まえて、深追いしてきた。


 ルカはしどろもどろになりながらも、やっぱり西のほうのイントネーションが強い言葉で、あらいざらいを吐いてしまった。


 それは、春夫と大して親しくなかったからできたことだった。それに、春夫はルカとは学年が違うので、言ってしまっても問題ないかと思ったのもある。


「ふうん」


 春夫はルカが抱えるどうしようもできない悩みを聞いて、そう言った。聞いておいて、まるでどうでもいいというような態度に、ルカは内心で落胆したが、どこか納得もしていた。


 春夫とルカは大して親しくもない先輩後輩。そんな中でイジメに悩んでいると打ち明けられても、春夫にできることなんてたかが知れているだろう。


 多くの人間はそれなりに人情を持ちあわせているが、同時にそれなりに薄情さも持ちあわせている。凡人とはえてしてそういうものであり、春夫もそうに違いないとルカは思った。


 しかし春夫がルカの思い描く凡人などではないということを彼が知るのは、その出来事からわりとすぐのことだった。



 学校から帰宅の途についたルカは、運悪くいつも彼をからかって――イジメて――くる男子生徒の集団に出くわしてしまった。


 その日一日の授業を終えた解放感からか、異様にテンションの高い集団にかこまれて、ルカは閉口する。


 なにを言っても貝のように口を閉ざすルカの態度が面白くなかったのか、集団のひとりがルカの肩を殴った。


 ルカの中にどうしようもない屈辱感が生まれるが、ここで盾突いても事態はエスカレートするばかりだということは目に見えていたので、結局黙ったまま、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。


 けれども――。


「え? なになになになに?」

「え? え?」

「ヤベーんじゃねえの」


 その場にふらりと春夫が現れたのだ。本当に気配もなく「ふらりと現れた」という表現がぴったりくるほど、春夫は唐突にやってきた。


 身長二メートル近い大男の登場に、弱い者にしか手を出さないようなメンタリティのクラスメイトたちはたじたじだ。


 けれどもルカの肩を殴った彼だけは、それによって弾みがついていたのか、あるいは仲間内に弱みは見せられないとでも感じたのか、春夫に向かって威勢よく威嚇する。


 けれどもそれを春夫はまったく意に介さなかった。それどころか向かってきた男子生徒の胸倉をつかんだ。だれもがその行動にぎょっとした。ルカでさえも。


 そして春夫は――そのまま橋に設けられた柵を飛び越えて、胸倉をつかんだ男子生徒といっしょに川へ落ちて行った。


 呆気に取られたあとは、大騒ぎになった。学校からそう距離がない場所での出来事に加え、同じ学校の生徒の目撃者も多かったので、それはそれは大きな騒ぎになった。


 春夫は謹慎処分を受けて停学一週間。ルカをイジメていたクラスメイトはことの次第が教師の前に明るみになって、同じく謹慎処分で停学一ヶ月を言い渡された。喧嘩両成敗といったところなのだろうが、ルカは納得がいかなかった。


 間違いなく、春夫はルカを助けるためにあのような突飛な行動に出たのだろう。それは教師陣もわかっているだろうが、危険なことをしたのには間違いがないので、停学処分を申し渡されたわけである。


 ルカの納得がいかないのは、学校側による処分だけではない。春夫がなぜあんな突飛な行動に出たのかが、まったくわからなかった。


 けれども幸いなのかなんなのか、ルカには「やべー先輩」がついているという噂が流れて、春夫に川へ落とされるのは御免だと思ったのか、今までルカをイジメていたクラスメイトは大人しくなった。


 ルカからすれば棚からぼたもちといったところだが、納得がいかないのは同じだ。


「なんであんなことしたんですか」


 やっぱり西のほうの発音で、ルカは停学が明けたばかりの春夫を呼び出して問うた。


 春夫はやはり無表情で、なにを考えているのかわからなかった。


「なんでだろうね」


 ただひとこと、ひとりごとのように春夫はつぶやいた。ルカは、そんな先輩を前にしてまた呆気に取られる。彼は、わかっていないのだろうか? 自分の行動の理由を。ルカはそう考えるとなんだかもやもやとしてしまう。


 そのもやもやの正体がわかるのはずっとあとだ。ルカはただひとこと、「お前のためにやった」と言って欲しくて問いかけたのだった。それはもちろん、無意識のうちの出来事であったのだが。


 そしてそのもやもやの正体に気づいたとき、ルカは春夫に恋をしているのだと自覚した。

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