コマーシャル
増田朋美
コマーシャル
コマーシャル
その日も寒い日だった。でも、昨日と違って、日中は良く晴れて、暖かくなり、多くの人は、上着を着なくてもいられるようになった。そのくらい寒暖差が激しいから、おかしなものが流行るんだと指摘する専門家も少なくはない。多くの人たちは、ただのんびりとして、それでいいということになっているが。何らかの理由で、孤独になって、鬱になっていく人も、少なくはない。気候の変動や、天変地異の頻発、そういう事で、疲れ果てて、死んでしまいたいという人も、多いのだと、テレビのニュースが盛んにつぶやいていた。
そんな中、製鉄所では、又水穂さんにご飯をたべさせようと、杉ちゃんたちが、やっきになっているところであった。ほらあ、食べろ、と杉ちゃんがおかゆを水穂さんの口元へもっていっても、水穂さんは、食べる気がしないといって、反対のほうを向いてしまう。水穂さんの食事は、その繰り返しである。その有様を、二匹の小さなフェレットが、自分たちの餌を食べながら、眺めていた。二匹は、表情一つ変わらないけど、人間がやっているこのありさまを、どんな顔をして見ているのだろうか。二匹が言葉をしゃべれたら、何かすごいことを言うのではないか。そんな気がしてしまった。
杉ちゃんが水穂さんに、ほら、食べろと、十回位おさじを口元へもっていくのを繰り返していると、
「右城君、いるんでしょ。一寸聞いてちょうだいよ。」
と、玄関の戸がガラガラっと開いて、浜島咲が製鉄所の建物に入ってきた。どうやら、来訪したのは、咲一人ではないらしい。こんにちはという声がして、もう一人女性が入ってくる音がしてきたのである。一体誰だろうと、杉ちゃんと水穂が顔を見合わせていると、
「あのね、紹介するわね、右城君。この人は、テレビ番組を作る仕事をしていて、名前を永松睦子さん。テレビと言っても、静岡のケーブルテレビだけど。でも、その業界じゃ結構有名な人なのよ。」
と、咲はもう一人の女性を紹介した。はああ、なるほど、と杉ちゃんたちは、その女性の様子を見た。確かに、パンツスーツを着た、きりっとした身なりの女性で、髪は短くまとめていて、確かにテレビ関係らしい、堂々とした顔つきをしている。報道関係ならだれでもそうなるのかもしれないが、一寸、ネタが欲しいというか、何かしたいという下心も、現れているような気がする。
「初めまして。永松睦子です。よろしくお願いします。」
と言って、睦子は、名刺を二人に渡した。
「はあ、そうか。名刺なんかもらっても、しょうがないんだ。僕は読めないからさあ。まあ、名前ははまじさんに紹介してもらったから、それで良しとして、一体何の目的でここに来たのか、教えてもらいたいもんだな。」
と、杉ちゃんは、そんなことを言った。水穂さんは、よろしくお願いしますと言って、軽く座礼をしようとしたが、又せき込んでしまった。もう、右城君、しっかりして、何て咲がそういいながら、水穂さんにちり紙を渡すのを、睦子は、静かに、でも、報道関係らしい目つきで、そのさまを眺めていた。
「悪いけど、水穂さんのことについて取材をしたいとか、そういうことならお断りだぜ。水穂さんは、こういうありさまだから、しばらく安静にさせてやりたいんだ。」
「いいえ、違いますわ。」
と、杉ちゃんが言うと、睦子はきっぱりといった。
「じゃあなんだよ。」
「そこにいる、二匹のフェレットちゃんについてよ。二匹に、私たちのテレビコマーシャルに出てもらいたいの。」
これを聞いて、杉ちゃんも咲もびっくりした。杉ちゃんは、前代未聞という顔で、咲は話が違うと
いう顔で。
「ちょっと待ってよ、睦子。あたし、昔ほど怖い病気ではないから大丈夫って、言っておいたはずなのに?」
と咲がいうと、
「まあ待て待て。そのお前さんの話を聞こうじゃないか。一体正輔と輝彦を何に出すつもりだ?」
と、杉ちゃんが腕組みをしていった。そのやくざの親分みたいな口の利き方が、こういう時には、役に立つものであった。
「ええ、初めは、水穂さんの演奏を、うちで作っているテレビコマーシャルで流そうと、咲に言われてここへ来させてもらったんだけど、その病状じゃ無理ね。代わりに、この二匹に、出演してもらうわ。出演は、福祉啓発のコマーシャル。相模原事件に反して、障碍者でも明るく楽しく生きてるというコマーシャルをつくりたいの。一匹は前足が一本足りないし、もう一匹は体を完全に動かせないのでまな板の上に乗って移動する。人間の障碍者を出演させるより、よほどいいわ。ぜひ、この子たちを、うちのスタジオへ連れてきて。」
そう、はきはきいう睦子さんは、報道関係らしく、ちゃんと計画を立てているようであるが、杉ちゃんは一寸頭を傾けた。水穂さんも心配そうな顔をしている。
「だけど、そういうコマーシャル作るんだったら、人間の障碍者を出した方が良いと思うけどね。」
と、杉ちゃんが言うと、
「ええ、まあ確かにそうなんだけど、可愛い動物が出演した方が、子どもたちには、よほど感動すると思うの。これからを担っていくのは、私たちではなく子どもたちなんだし、子どもたちに障碍者について理解してもらうためには、人間より動物のほうが、印象に残ると思うのよね。だって、障害のあるテレビタレントなんて、どこにもいないじゃない。テレビドラマで障碍者の役をやる俳優も、健常者が障碍者のふりをしているだけでしょ。だったら、この子たちに出てもらった方が良いわ。」
と、彼女は言った。確かに其れはそうなんだけど、、、と杉ちゃんたちが考え込んでいる間に、睦子さんは次々に計画を練りだす。
「この子たちの自己紹介とか、そういうセリフは、うちの局で契約している声優にやらせるから、其れは大丈夫。この子たちは、雄?それとも雌?」
「ああ、二匹とも男の子だ。」
杉ちゃんが答えると、睦子さんは、急いで手帳を開き、フェレット二匹、雄と書き込んだ。
「それでは、雄のフェレットということね。お名前とファームと色を教えて。」
「白い方が影山正輔で、ファーファームアンゴラフェレット、そして、まな板に乗っているのは、影山輝彦で、確かエラさんがルビーフェレットのセーブルと言っていたような気がする。」
杉ちゃんが答えると、睦子さんは、その通りのことを、書き込んだ。
「わかったわ。彼らに相当する声優は、こちらで用意するから、来週の今日、ここのスタジオで撮影させて。時間は、一時でいいかしら。そして、出演料は、二匹分で五万円。それでどう?」
「はあ、ずいぶん、早く計画ができちゃうんだな。まあいいよ。出演料はどうでもいいから、こいつらが、お前さんの役に立つなら出てやってもいい。」
杉ちゃんがそういうと、水穂さんは、心配そうに二匹のフェレットを見た。まあ、大丈夫よ、と咲は苦笑いを浮かべている。
「そう。ありがとう。うれしいわ。じゃあ、十二時半くらいに、こちらで迎えに来るから、一緒に二匹を連れてスタジオへ来てくれる?」
「おう、いいよ。じゃあ、その代わり、出演料を先にもらおうかな。僕は、終わってから払うというのは、好きじゃないのよ。」
杉ちゃんがそういうと、睦子さんは、財布を取り出して、五万円を彼に渡した。杉ちゃんが領収書を書ければなおよかったのであるが、其れはできなかった。
そしてその日から、二週間ほどたった日の事。咲と杉ちゃんは、製鉄所へ行った。水穂さんもこの時ばかりは、咲に支えてもらいながら起きた。
「じゃあ、間もなく第一回目が放送されるようだから、しっかり見てみましょうね。正輔君と、輝彦君の出演コマーシャル。」
と、咲は、タブレットを出して、テレビのアプリを立ち上げた。それに、映像が映りだしたのであるが、画面にはフェレットが出演するコマーシャルではなく、アナウンサーがいて、こんな事を言っている。
「臨時ニュースです。今日、静岡県富士市今泉の住宅街で、女の子がバットで殴られて殺害されているのが発見されました。発見されたのは、今泉在住の、原美香子さん、6歳とみられ、警察は、美香子さんの母親である、原郁子容疑者を、殺人の疑いで逮捕しました。」
はあ、テレビのコマーシャルは放送されず、殺人事件のニュースになってしまった。そのままテレビは原郁子という女性が、警察へ連行されていく様子を流して、記者が事件のことを、警察署の前で話す
映像に変わってしまった。
「なんだ、正輔と輝彦が出演したコマーシャルを流すんじゃなかったの?」
と杉ちゃんが、素っ頓狂な声で言う。咲はほかのチャンネルに変えてみたが、二匹のフェレットが出演したコマーシャルを流すことは全くなかった。
「あらあ、けっきょくへんな事件のせいで、僕たちの出演したコマーシャルはお流れかあ。正輔も輝彦も、つかれちまったんじゃないかと思われるくらい、何回も撮り直しさせられて、困っちまったんだぜ。まあ、先に出演料をもらっといてよかったな。」
と、杉ちゃんは、カラカラと笑った。
「確かに、事件が起きたことは、予想外だったとしても、せめてお詫びの一言ぐらいは言ってもらいたいですよね。」
「そうよ。正輔君も輝彦君も一生懸命演技したんだから。相手が動物だからいいと思っているのかしら。」
水穂さんと咲が相次いでそういった。正輔たちは、そんなもの関係ないと思われるような顔をして、人間たちを眺めていた。
「全くね。あたし後で、睦子に文句言っておくわ。これでは、ちゃんと契約通りではないんだから。」
と、咲は大きなため息をついて、タブレットを、畳の上に置いた。そして、スマートフォンを出して、電話をかけようとすると、
「いえ。やめた方がいい。睦子さんたちも、きっと番組の差し替えなんかで、大変なことになっていると思いますよ。確かに憤慨するのはわかりますけれど、こんな事件が起きたというのは、予想していないと思いますから。」
と、水穂さんがそれを止めた。咲は、
「右城君って、本当に優しすぎるわね。それでは、相手を甘やかす事にもつながらない?」
と思わず言ってしまうが、水穂さんは返事の代わりにせき込んでしまった。急いで、杉ちゃんが、背中をたたいてやったりする。
その日は、結局二匹のフェレットが、出演したコマーシャルは放送されなかった。次の日も、その次の日も、例の原郁子が起こした事件の報道ばかりで、コマーシャルは放送されなかった。まるで、忘れられてしまったかのように。
咲は、その数日後、お箏教室の仕事を終えて自宅に帰り、睦子のところに電話してみることにした。睦子のスマートフォンの番号を思い出して、すぐに電話をかける。こういう時は、ラインなどの無料メールアプリを利用するよりも、電話をじかにかけてしまった方がいい。メールを待っていて、じれったくなったら、もっといやだから。ベルが三回なると、はい、もしもし、という声が聞こえてきた。
「あの、睦子。私、咲だけど。」
と咲は、睦子にいう。
「ねえ、一寸教えて頂戴。あの正輔君たちが出演したコマーシャルは、もう放送されないの?」
「ええ、残念ながら、打ちきりよ。放送したら、ますます犯人を刺激する可能性があるって、弁護士の先生から、お咎めが来ちゃったのよ。」
と、睦子は、残念でもなんでもないような言い方をしている。
「犯人を刺激する?それどういうことよ?」
「咲は、テレビや新聞は見なかったの?」
咲が聞くと睦子は、当たり前のように言った。
「ええ、見てないわ。今は、新聞も取ってないし。」
咲が言うと、
「そうかあ。最近は新聞をとっている家も少なくなったもんね。まあ、其れは仕方ないかな。あのね、あの、原郁子っていう女が、障害のあるフェレットのコマーシャルを見て、娘を殺害するに至ったというので、弁護士の先生から、もう放送しないでくれって、言われちゃったのよ。」
と、睦子は淡々としていた。
「娘を殺害?娘が何か、反抗的なことでもしたのかしら?」
「違うわよ、はまじ。ほんと世間知らずね。一寸報道番組でもみなさいよ。あの事件の被害者である、娘の原美香子ちゃんは、軽い知的障碍があったって、報道されているのよ。」
「それで、フェレットちゃんたちが出演したコマーシャルで、殺害に至ったと?そんな、そういうことを促すようなコマーシャルとは全く正反対の内容だったと思うけど?」
「まあね。コマーシャルの内容ではそうかもしれないわよ。でも、はまじ。テレビは、少しでも、そういう犯罪者の精神に影響を与えたのなら、ほら、やっぱり自粛しなきゃね。」
と、睦子はそういうことを言うのだった。
「報道は、不特定多数のひとに向けてするものだから、一寸でも悪い影響を与えちゃったら、自粛しなきゃ。」
「そうなのね、、、。」
あれだけ強引に出演を迫って、いざこういう事件が起きてしまうと、自粛なんていう、テレビというものは、本当に無責任だなあと咲は思った。
「でも、あの子たちは、どうするの?あの子たちには、謝ってもらわないと。」
「そうね。じゃあ後で、謝罪のお金を飼い主さんに送るから、それで、納得してもらうように言ってよ。」
睦子さんは、そういうことを言う。どうせ、フェレット二匹だもの、言葉なんかわからないと思っているのだろうか。それに、謝罪のお金を送れば、解決するとでも思っているのだろうか。
「あの、飼い主さんの名前と、住所を教えてくれる?現金書留で、私送るわ。あの、飼い主さんだって、車いす使用者だし、どこか会場に来てもらうのは、一寸いやだと思うかもしれないから、そのほうが良いと思うの。」
「いいえ、直接謝って。あの子たちだって、いくら人間の言葉が通じないと言っても、立派な出演者よ。だから、謝ってもらわないと困るんじゃないかしら。飼い主さんだって、納得しないわ。」
という睦子さんに咲は言った。
「何言ってるのよ。フェレット二匹に、そういうことを言ったって通じないじゃないの。其れは、あの事件の、原美香子さんが、何を言っても通じないで、どうにもならないのと同じようなものよ。」
という睦子さんに、咲は、一寸ムカッときた。この人がそういうことをいうからこそ、障碍者への差別がなくならないのではないか。相模原の事件は、その集大成というけれど、咲は、一人一人が、意識を改善していかないと、ダメなんだろうなと思った。
「そんなことないわ。いくら人間じゃないからって、何も通じてないと言ったら、大間違いよ。あの二匹は、ちゃんと、言葉を理解しているわ。其れはきっと通じていると思う。ちゃんと謝って。」
「そうかしらね。ただ、ご飯をたべて、なにも役割がない、ただのペットだと思うんだけど?」
咲がそういうと、睦子は、そのような言い方をした。睦子のそういう意識が、もしかしたら、障碍者を殺してしまった殺人者を英雄視してしまう風潮につながっているのではないだろうか。何か役割がある人ばかりではない。人間も動物も、ただ生きているだけで精いっぱいな人はいっぱいいる。何か利益を生み出せる人がすべてなのなら、水穂さんだって、今はそういうひとではないから、いらない人ということになってしまう。
「そんなこと言わないで。正輔君だって、輝彦君だって、ちゃんと生きているのよ。睦子が考えているような、ただのペットなんかじゃなくて、ちゃんとみんなをいやすという役目があるじゃないの?」「そうかしらね。ただ、餌をもらって、生かしてもらっている、ただの動物。」
と、睦子は言うのだった。
「まあ、違うわ。生かしてもらっているなんて、失礼よ。二匹にも失礼だし、杉ちゃんにだって失礼だわ。そんなこと、思っていたら、障碍のある人に対して、失礼よ。」
「そうかしら。」
睦子は、声の調子ではにこやかに言っているが、其れは重大な問題ではないかと、咲は思った。
「だって、社会を動かしているのは、私たちの方よ。あの影山っていうひとも、フェレット二匹も、みんな私たちのお金で動かしてやっているじゃないの。そういう、誰かのおかげで動かしてもらっている、ペットや人に、わざわざ謝罪をする必要なんてあるかしら。」
この言葉を聞いて、咲は、彼女、睦子には、きっと障碍者の事なんて、理解できないだろうなと、心に感じた。そういう風に、障碍者を見られない人は、福祉啓発のコマーシャルをつくったとしても、絶対にその通りには動けないだろうなと。
「わかったわ。睦子。それでいいから。杉ちゃんの住所、お知らせするわ。それで、お願いなんだけど、住所を教える代わりに、お流れになってしまった映像を、私に頂戴。お金は、ちゃんと払うから。」
咲がそういうと、睦子はあっさりといいわよと承諾した。まあ、映像をメールか何かで送ることなんて、そういう仕事をしているひとには簡単なことだと思われるから、直ぐに承諾してくれたんだろうが、
「お金はいらないわ。もう放送されることは、あの事件がきっかけで、ないと思うから。」
というので、彼女の意識は決定的なものになった。咲は、この人とは、友人を続けていくけれども、自分が進むべき道には反しているということを知った。
「じゃあ、動画を送るから、これで電話を切るわね。もう次の番組作らないといけないの。それでは、あとはよろしく。」
と、睦子はそういって、電話を切った。咲は、まあ人というのは、いろんな人がいるから仕方ないと思いながら、電話アプリを閉じた。数分後、彼女のスマートフォンがなった。メールを開いてみると、動画が掲載されている。咲がそれを開いてみると、小さなフェレット二匹が、杉ちゃんに抱っこされている映像が見えた。そして、吹替声優がこういっているのだった。
「正輔君です。輝彦君です。僕たちは障碍を持っているけど、毎日が楽しいよ。よろしくね。」
よろしくという言葉が、何か引っかかった。
コマーシャル 増田朋美 @masubuchi4996
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