最終話 帰省と夏祭り⑥


 しばらくの間、俺と紗季さき先輩は町を見下ろしながら、ただ茫然と立ち尽くしていた。


 町からは点々と灯りが点いていて、夏ということもあり、まるで川の水流に漂う蛍の光を連想させた。


 そんな中、俺は悩んだ末に今までの出来事を包み隠さずに紗季先輩に全て話すことにした。


 その中には、もちろん俺が過去に戻ったことや、先輩がいなくなってしまった世界の記憶などを経験していることも含めてだ。


 その間、先輩は軽く相槌を打つだけで、最後まで俺の話を全部聞いてくれた。


 そして、話を全て聞き終えた先輩は、顎に手を添えながら呟いた。


「つまり、初めのきみは、私がいなくなった世界にいて、そこから過去に戻って私が消えてしまわないようにした、ということなんだね?」


 普通なら、こんな話誰も信じないのだろうが、紗季先輩は俺の話を否定することなく、理解しようとしていた。


「成程。ということは、私がここにいられるのは慎太郎くんのおかげなのか」


 ふふっ、と紗季先輩が嬉しそうに笑うので、俺は妙に居た堪れない気持ちになってしまった。


「なに、恥ずかしがることはないじゃないか。きみは私の為に過去を変えてくれたんだから。その証拠が、これだよ」


 すると、紗季先輩は俺のほうに手を伸ばしたかと思えば、いきなり俺が着ていたシャツを捲り上げた。


「ちょ、先輩!?」


「……ほら、これが、きみが私を守ってくれた証拠だよ」


 そして、先輩は細い人差し指で優しく、俺の腹部にある傷跡をゆっくりとなぞった。


「あのとき、私はきみが死んでしまうんじゃないかと思って、本当に怖かったんだ」


 そういった紗季先輩の瞳が少し揺れているように見えたのは、多分俺の気のせいじゃないと思う。


「でも……俺、助かったんです、よね?」


 当たり前のことだけど、もし、俺があの場で死んでしまったら、そもそもここに俺は存在していないということになる。


「……ああ、そうか。慎太郎くんは、目が覚めたら今日に戻っていたんだよね? だったら、今度は私から、今の世界がどうなっているのかを話さないとね」


 そういって、紗季先輩は、あの五年前の夏祭りから今までどんなことがあったのか、順番に説明をしてくれた。


 まず、俺が刺された後のことだが、あの後、駆けつけてくれた男性二人の助けもあって俺はなんとか一命を取り留めたらしい。


 ただ、それなりに傷も深かったこともあって、夏休み中は殆ど病院生活を余儀なくされたそうだ。


 ちなみに、紗季先輩がいうには、俺が怪我をしたことで一番動揺をしたのは翠だったようで、現場にいた紗季先輩にも病室であるにも関わらず、大泣きしながら俺に何があったのか問いただしてきたらしい。どうやら俺は、翠にまた迷惑をかけてしまったのだなと、もう遅いかもしれないが猛省した。


 一方、俺を刺して逃走した空也さんだが、彼はその後、警察に逮捕され、そのせいで、地元では結構な大騒ぎとなり、黒崎家は両親が離婚し、それぞれが遠い地方への引っ越しを余儀なくされたそうだ。


「それじゃあ、先輩も……?」


「いや、私は彼らとは一緒には行かなかったよ。まぁ、大学への進学も控えていたし、一人暮らしをさせるほうが、あの人たちにとっては都合が良かったからね」


 紗季先輩は『もし自分を自由にしてくれないのなら、今まで兄から受けた辱めを世間に公表する』と両親たちに言ったらしい。


 そして、もうこれ以上の失態を世間に知られたくない義母は、紗季先輩の口を閉ざすために、先輩からの要求を全て受け入れたそうだ。


「もちろん、脅して金銭を要求するようなことはしていないよ。ただ、もう私に関わらないで欲しいと少しお願いしただけさ」


 紗季先輩は詳しく話さなかったけれど、おそらく義母も父親も一緒に暮らしているのなら、空也さんが紗季先輩にやってきたことを知らないはずはないのだ。


 だとしたら、その歪んだ環境をつくった原因は、その二人にもあったのだと考えてしまうと、俺の中で沸々とした怒りの感情が生まれてしまう。


「……私は大丈夫だよ、慎太郎くん。もう、過去の出来事さ」


 しかし、俺の表情を読み取ったのか、紗季先輩は朗らかな笑顔を浮かべていて、そんな顔を見せられてしまっては俺が怒りをぶつけるのはお門違いなのだと、そんな風に考えざるを得なかった。


「そんな訳で、私は自由の身となったわけだよ、慎太郎くん」


 んー、と背筋を伸ばす紗季先輩は、その後も世間話のように、今日までの出来事を俺に話してくれた。


 まず、紗季先輩のその後だが、彼女は高校を卒業したのちに大学へと進学した。


 しかも、その大学というのは俺が通っている大学と一緒だった。


 これは、あの夏休みのときに既に進路先の候補として挙がっていたから不思議なことではないのだが、改めて聞かされると、やはり驚くものだ。


 ただ、もっと驚いたことは、一年後に俺も先輩と同じ大学に行くことになったのだが、翠は俺たちとは別の大学へと進学したことだった。


「翠ちゃんには慎太郎くんのことをよろしく頼むと言われていたから、責任重大だったよ」


「翠ちゃん……」


 そんな呼び方、俺の知っている紗季先輩はしなかったはずなのだが……一体、二人の間に何があったというのだろうか。


 聞きたいような、聞きたくないような、そんな複雑な心境を覚える。


 そんなこんなで、俺の知らなかったことが、紗季先輩との会話でどんどんと浮彫になっていった。


 そして、何より驚いたことは、先輩は大学を卒業したのち、現在は色々な国を訪れる生活をしているらしい。


 いわゆるバックパッカーというものだ。


 いつも図書館にいた彼女の姿からは、あまり想像できないアグレッシブな姿だった。


「そうだね、最初は慎太郎くんからは随分と心配されたものだよ」


 どうやら、俺は紗季先輩が世界中を旅することに反対をしていたらしい。


 挙句の果てには自分も一緒に付いていくなんて言っていたそうだが、最終的には紗季先輩と翠に説得されて、渋々納得して見送ったそうだ。


「ふふっ、あの時のきみは可愛かったなぁ」


 今の俺にはそんな記憶は全くないのだが、なんだか居た堪れない気持ちになる。


「まぁ、きみが心配してくれること自体は、とても嬉しかったんだけどね」

 すると、紗季先輩は俺に近づいてきて、そっと俺の肩の部分に頭を乗せてきた。


「せ、先輩!?」


 突然のことで狼狽える俺だったが、先輩は淡々と話し始める。


「慎太郎くん、私はね、時々夢を見るんだよ」


「夢、ですか?」


「うん。私がね、兄さんに殺される夢なんだ……」


 表情を変えないまま、先輩は告げる。


「あの日……五年前の夏祭りの日に、私はきみに会いに行こうとするんだ。でも、部屋から出ようとすると、ナイフを持った兄さんが立っていてね。それで、私も抵抗するんだけど、最後は胸を刺されてしまうんだ。でも、ここからが不思議なことなんだけど、死んだはずの私にはそのあとの記憶もあってね……。兄さんは、私を殺したあとに、自分の家の庭に母さんと一緒に私の遺体を埋めていて、そのときに私の大事なお母さんのペンダントも盗られてしまうんだ」


「ペンダント……」


 俺は、自分の首にかけてあったペンダントを取り出した。


「実はね……きみにその指輪を渡したときにも、同じ夢をみたんだ。だから、その指輪だけはどうしても兄さんに盗られたくなくて、きみに渡したんだよ」


 そして、紗季先輩は俺のかけているペンダントを見つめながら、話を続けた。


「そのときは、夢と現実を混合させてしまっていると思っていたんだが、もしかしたら、私が見ていたのは夢なんかじゃなく、きみがいた世界で起こってしまった出来事だったのかもしれないね」


「えっ……?」


「だって、私にもあるんだよ。終業式の日に、きみの本の中にこっそりと栞を挟んだ記憶がね。きみの話は、私が見てきた夢の話とそっくりなんだ。それに、きみは『もう一人の私』と会っているんだろう?」


 俺は、あの真っ暗な空間で出会った光の球体のことについても話していた。


 確かに、あの光の言葉の節々に、俺は懐かしさや愛おしさを感じていたが、はっきりと紗季先輩だったかと今問われてしまうと、それは俺の願望のような気がしてきた。


 それこそ、夢のような話である。


「いや。きっと、それは死んでしまった私の魂とかじゃないのかな? 魂になってもきみに助けを求めるなんて、私らしいといえば私らしいよ」


「……でも、そのおかげで俺は、先輩を助けることができました」


 呆れにも似た感情を吐露する先輩に対して、俺はそう告げた。


「俺は、紗季先輩がいなくなってずっと後悔していたんです。もしかしたら、紗季先輩がいなくなったのは自分のせいなんじゃないか、って……」


 考えれば考えるほど、俺は現実から目を逸らして生き続けてきた。


 後悔なんかしても、世界は変えられないと思っていた。


 だけど、いま俺がいるこの場所には、ちゃんと紗季先輩がいてくれる。


 それがどれだけ幸福なことなのか、俺はもう、嫌というほど思い知らされている。



「『人間は、恋と革命のために生れて来たのだ』」



「えっ?」


 突然、紗季先輩が呟いた言葉は、俺も聞き覚えのある言葉だった。


「太宰治の『斜陽』だよ。確か、あの夏も、きみと『斜陽』のことについて話していたことを思い出してね」


 そして、紗季先輩は俺から少し離れたかと思うと、向かい合って俺の顔をじっと見つめながら告げた。


「きみは、その言葉通り『革命』をしたんだ。『世界』を『私が生きている世界』に変えるなんて、革命以外の何物でもないだろ?」


 先輩は、俺の返答に対して、ゆっくりとほほ笑む。


 俺からしてみれば、そんな大それたことをしたつもりはない。


 でも、もし本当に、俺が『紗季先輩のいる世界』に変えたのだとしたら、それは先輩の言ってくれた通り『革命』を起こすことができたのかもしれない。


「ねえ、慎太郎くん」


 そして、紗季先輩は俺に一歩ずつ近づいてくる。


「きみは『革命』をしたけれど、あと一つのほうはどうなのかな?」


 これも、まるで俺を試しているような口調だった。


 やれやれ、俺はまだ子ども扱いされているのか、なんて思いつつ、俺は近づいてきた先輩の顔をじっとみつめる。


「そっちはもう、とっくの昔に経験済みですよ」


 俺はゆっくりと、先輩の顔を覗き込む。


 先輩の特徴である白い肌が、ほんのりと朱色に染まっていた。


「先輩、俺は……」


「……なんだい?」


 やっぱり、先輩は俺が言いたいことなど既に分かっているような態度だった。


 それでも、俺はちゃんと、自分の言葉にして伝えた。




「俺は、紗季先輩のことが、ずっと大好きでした」




 やっと、俺はずっと先輩に伝えたかったことを、伝えることができた。


「…………」


 だが、紗季先輩は優しく微笑んでいるだけで、何の反応も示さなかったことに、俺はだんだんと不安が押し寄せてきてしまった。


「……あ、あの……先輩?」


 段々と恥ずかしさもこみ上げて来て、俺はすぐにでも紗季先輩から離れて逃げ出したい気持ちになっていた。


「……慎太郎くん」


 すると、紗季先輩は俺のそんな心境を察してなのか、逃がさないといわんばかりに、俺の頬にそっと触れる。



「動いちゃ駄目だよ」



 そんな紗季先輩の声が聞こえたと同時だった。





 俺の唇に、柔らかい感触が伝わる。





 本当はとても短い時間だったはずだが、俺には何時間も時間が止まっていたような感覚を味わっていた。


 そして、先輩がゆっくりと離れていくと、甘い感触だけがいつまでも俺の唇に残っていた。


「これが、私からの答えだよ、慎太郎くん」


 ふふっ、と笑う紗季先輩は、やっぱり俺の知っている紗季先輩で、いたずらな笑みを浮かべていたのだった。


「と言っても、もう私たちはこれ以上のことを終わらせているんだけどね」


「えっ!?」


 衝撃的な発言に、思わず大きい声が出てしまった。


「なーんてね。嘘だよ」


「嘘……」


「というのも、嘘かもしれないね」


「先輩!?」


 今の先輩は、明らかに俺をからかっている。


 全く、この人は本当に……困った人だ。


 ただ、確かなことは、これから先は、俺と先輩の関係も少しずつ変わっていくということだ。


 俺は、どんなことがあっても紗季先輩の傍にいたい。


 この想いだけは、俺にとってはずっと変わらないものだった。


 本当に、ここにたどり着くまでに、随分と時間がかかってしまった。


 もし、あの栞をみつけることが出来なければ、俺はこの場所で、先輩と会うことができなかったのだから。


「あっ、そうだ。俺、どうしても分からないことがあって……って、そうか……今の紗季先輩じゃあ、聞いても意味がないよな……」


 俺はひとつだけ、まだ解決していないことがあったので紗季先輩に問いただそうとしたのだが、今となっては誰も分からない問題になってしまっている。


「構わないよ。言ってごらん」


 しかし、紗季先輩は俺の独り言にも興味深そうにしたので、俺は自分が抱いていた疑問を吐露した。


「俺……最初に紗季先輩が俺の本に栞を挟んだ理由が分からないんです。なんで、夏祭りのことを直接言ってくれなかったのか、って……」


 確かに、先輩がメッセージを残してくれたおかげで俺は過去に戻るという不思議な現象に遭遇することになったのだが、まさか、紗季先輩だって栞にそんな力があるなんて思っていなかっただろう。


 実際、聞いてみると栞自体は何の変哲もない、子供の頃に紗季先輩がお母さんから貰ったものだったそうだ。


 ただ、2回目のときは、近くに空也さんがいたのでSOSを直接的に言えなかったので、あのような分かりにくい場所に隠したというのは説明がつく。


 しかし、最初の栞を挟む環境のことを考えると、どうもやり方が回りくどいと思ってしまう。


 それとも、あの本に栞を挟むという行為に、何か意味があったのだろうか……。


「ふむ、なるほど」


 だが、俺の疑問を聞いた紗季先輩は、何故か納得したような顔をみせた。


「先輩、もしかして何か分かったんですか?」


「まあね。ただ、これがミステリー小説なら、さぞかし駄作な理由だろうね」


 そして、彼女は人差し指を立てながら、ズバリとこう告げたのだ。



「単純に、その頃の私は男の子をデートに誘うのが恥ずかしかっただけだと思うよ」



「…………はい?」


「私のことだから、気付いてくれれば嬉しいし、気づかなかったらそれでいい、くらいのことを思ってたんじゃないかな?」


「は、はぁ……」


 本当に、そんな理由なのだろうか? だとしたら、俺が分からなかったのは当然のような気がしていた。


「でも、きみはちゃんと気付いてくれた」


 そういうと、紗季先輩は、満面の笑みを浮かべて、俺に告げる。




「ありがとう、慎太郎くん。私を見つけてくれて」




 その瞬間、俺は紗季先輩の姿が、制服を着た、俺が一番長く過ごした彼女の姿と重なった。


「……本当に、遅くなりましたけどね」


 俺は先輩に手を伸ばして、告げる。


「先輩がどこに行っても、俺がちゃんと見つけますから、待っていてくださいね」


 そして、先輩は俺の手をとって、その綺麗な唇を動かして、言ったのだ。



「うん。ずっと待ってるよ」



 夏の夜は、とても静かで俺たちだけが世界に取り残されたようだった。


 だが、俺の目の前には、ちゃんと紗季先輩がいてくれる。


 今はただ、その事実があるだけで、俺はやっと、この嫌いだった夏から前へ進むことができそうだった。



 しかし、その静寂は、空に響く音と共にかき消される。


 俺たちは、同時に音がしたほうに目を向けると、夜空に輝く光の花が咲いていた。



「そうか……もう花火が打ちあがる時間なんだね」


 先輩は、花火が打ちあがる様子を見上げながら、そっと俺に告げる。


「手紙にも書いたけれど、毎年、ここで花火を見るのがきみと私の約束なんだ。五年前、きみが私と花火を一緒に見たいと言っただろう? だから、二人でそうすることに決めたんだ。覚えているかい?」


 先輩の言う通り、手紙にはここで待ち合わせをしていることが記されてあって、そのおかげで俺はここに来ることができたけれど、その理由は手紙には記されていなかった。


 そして、確かに俺は、5年前のあの日、意識が朦朧とする中で先輩に向かって、そんなことを言ったような気がする。


 紗季先輩は、ちゃんと俺の願いを叶えてくれていたのだ。


「……きれいだね」


 その様子を眺めながら、紗季先輩が独り言を呟く。


 打ち上げ花火が次々と、夜の空に光の花を咲かせた。


 俺はそっと、紗季先輩の手に触れると、彼女も手をギュッと握り返した。





 俺はやっと、彼女と過ごす夏を経験する。

 それを祝福するように、夜の空には綺麗な花火が上がり続けるのだった。




〈完〉

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夏の終わりを、私に教えて。 ひなた華月 @hinakadu

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