ある男の、失恋の話である。
主人公は大学生。
付き合っていた恋人と別れて自堕落に過ごしていたが、ようやく外に出る。
気がつけば、東急ハンズで巨大なクマのぬいぐるみを買っていた。
抱えると前が見えなくなるほどの大きなクマだ。
そのクマを抱えたまま、主人公は街を歩く。
駅。水族館。カラオケ屋。
別れた彼女との思い出をなぞりながら、クマを連れて歩く。
その行動は、まるで失恋の傷を癒すための儀式のようだ。
大きなクマは、とても目立つ。
それを見てほほえむ人もいれば、ぎょっとする人もいる。
そして主人公は、クマを――。
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情景描写があまりにも秀逸な作品である。
一口に情景描写といっても、人によって注目する部分は千差万別。
たとえばクマのぬいぐるみにしても、大きさに注目するか、重さに注目するか、クマの表情に注目するか、あるいは材質や値段などに注目するか。人によって変わってくる。
この作品の作者は、その「どこに注目するのか」のセンスが抜群に良いのだと思う。
しかも、気取らず、さりげなく、それでいてわかりやすく、効果的に書かれている。
いくつかの作品を拝読して感じるのは、この作者の書く情景描写が好きだなということ。こんな書き方ができるのか、と感心させられる。
新たな作品を拝読するたび、小説のさまざまな可能性に気付かされる。
この作品では、クマの「大きさ」について何度か描写がある。
「成人男性の僕ですら、両手で抱いてもまだ余るほどの大きさ」
「でかくて持ちにくくて、抱えていると前も見づらい。」
「エスカレーターに乗ってみると、クマのどこかが擦れているのか「シューッ」という音が聞こえる。」
これらの描写から、クマのぬいぐるみの大きさを容易に想像できる。
その大きさのぬいぐるみを持ち歩くという「一種の異様さ」は、彼の心の痛みをよく表現している。
また、主人公は「自分ひとりでようやくどうにかできるほどの大きな感情」を抱えている、というふうに読み取ることもできる。とても面白い演出だと思う。
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『描写』の他に注目したいのが、『対比』である。
大きなクマのぬいぐるみを見て、すれ違う人たちは笑顔になる。
しかし、主人公の心中は真逆だ。
道行く人たちは笑顔だったのに、水族館ではギョッとされる。
主人公は水族館でチケットを買うが、クマにはチケットがいらない。
かつては彼女と一緒に来た水族館、今隣にいるのはクマ。
主人公は悲しみを抱えている。クマには感情がない。
夜の街はきらきらと明るい。主人公のアパートの部屋の前の蛍光灯は切れかけている。
最初は「落とさないように必死で抱え」ていたはずのクマ。しかし、最後には――。
これらの対比が、主人公の悲しみを際立たせ、丁寧に心をえぐる。
ひとつだけ救いがあるとすれば、彼女はもう主人公のもとを去ってしまったけれど、クマのぬいぐるみはこれから先もずっと一緒にいてくれるということ。
少なくとも、主人公が望むうちは。
これもまたひとつの対比か。
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約2,000字。
とても短い作品である。
それなのに、心に突き刺さって抜けそうにない。
たとえばこれが長編小説の一場面なら、あるいは映画のワンシーンなら、名場面として高く評価されるだろう。
それほどまでに印象深く、心に残る作品である。