火球考察

K-enterprise

ファイヤーボールの防ぎ方

「ファイヤーボールについて考えたんだけど」


 クロダくんのそのセリフが、先ほどまで話題にしていた小説に関する内容だと理解するまで、食べ終えたばかりの愛母弁当を、片付けてバッグに仕舞うだけの時間を要した。


「…ねえ、ファイヤーボール」


「あ、ゴメン。耳慣れない言葉に鼓膜がびっくりしただけ。で、ファイヤーボールがどうしたの?」


 よく知っている用語でも、リアルな世界で耳にするかと言えばそんなことも無く、アニメなどでは飛び交う言葉も、普通の高校生が教室の中で発するのはかなり異質なんだなぁと気付く。


「うん。ファイヤーボールの原理って何かなって考えてるんだけど、サガラさんの意見を聞かせてよ。僕より詳しいでしょ?ファイヤーボール」


 人をファイヤーボールの達人みたいに言わないでほしい。


「詳しくなんかないよ。知識として知ってるだけ」


「その知っている範囲だけでいいんだよ。僕の質問に答えてくれるだけでもいいから」


「…ん、分かった。その前にちょっと歯磨きしてくる」


 私は色々入っているポーチを持ちながら席を立つ。

 トイレに併設されている洗面台で歯を磨きながら、クロダくんにプレゼントした小説の内容を思い出す。

 先ほどまでも、教室の隣の席で昼食をとりながら、あのサブヒロインの女の子ってサガラさんに似てるよねだとか、でも終盤で主人公を庇って死んじゃうんだよねとか、未読の人が側にいないかヒヤヒヤする感想というか内容説明を、物静かな彼にしてはとても長く話をしていた。


 それこそ、二学期になって席替えをして隣同士になってからの二か月で話した総量以上の会話量かも知れない。

 もっとも会話というか、私は主に相槌を打っていただけなんだけど。


 別にそれは迷惑だというわけではなく、先日、たまたま彼の誕生日だということを知り、何か面白い小説を教えてよ、などと言われていたこともあり、とあるファンタジー小説の一巻をプレゼントした私にしてみれば、こそばゆいというか、恥ずかしいというか…。

 あぁ「私のお気に入りなの」なんて言わなきゃよかったと、そんな風に考えるだけで鏡に映る私の頬が淡く朱に染まる。


 教室に戻ると座席には空席が目立つ。

 昨今の事情で、昼食は教室の席で静かにとること。というお達しも、食後の交流については特に規制も無く、みんな食後の弛緩した時間を満喫しているのだろう。

 私も読もうと思っていた小説があったんだけどな、と思いながら、彼の好奇心を刺激してしまった原因として、昼休みの残り時間を提供しようと覚悟を決める。


「それで、ファイヤーボールについてだっけ?」


 件の小説を読みながら待っていた彼は、私の着席と言葉に、尻尾を振りそうな勢いで反応する。


「うん。えっと、この小説の中でさ、このサブヒロインが、炎の魔術師だっけ?名前なんだっけな、ま、とにかくファイヤーボールの魔法でやられちゃったでしょ?これってさ、どんな風に死んじゃったんだと思う?」


 挿絵の人物紹介のページを開きながら、やけに生き生きと話しかけてくる彼に押され、若干引き気味になる私。

 それにしても昼食後に死因考察ですか…そうですか。まあ、昼食中じゃないだけましか。


「…どんな風にって、燃えている球が当たって、熱い?痛い?…あれ?」


 考えたこともない問いに、自分の中にも答えが存在していない事を知る。


「そうなんだよ、火が燃えて焼死したのか、衝撃で内臓破裂でもしたのか、全身やけどで死んだのか、はっきりしないんだよ。ほらここ『凪子は悟を庇い、フレイヤのファイヤーボールを全身に浴びた』で戦いの後『「あなたが無事でよかった…」一筋の涙と言葉を残し、凪子は最愛の悟の腕の中で息を引き取った』って描写があるでしょ?最後に会話できる、涙を流せる、抱き上げることができる訳だから、そこから想像すると火に焼かれて死んだとか、やけどとかじゃなく、何が原因か分からなくて」


 そんなフィクションやファンタジーの世界の整合性を求められてもなぁ、と考えなくもないが、せっかく彼が興味を示している内容だし、こんな風に考察を行う機会もそんなにある訳でもないので、踏み込んで考えてみる。


「燃えてる何かが高速で飛んできて当たったら、痛いよね」


「野球のボールだって当たると痛いし、場合によっては死ぬかもな」


 どこのファンタジーで「ベースボール!」なんて野球の球をぶつける戦いがあるというのか。いやあるのかも知れないが私は見たことがない。


「…燃えている分、効果が強いとか?」


「燃やすだけなら、火炎瓶でも火炎放射器でもいいかもな」


「……当たると爆発するとか?」


「世の中には手榴弾とかもあるし、ビジュアル的にもまずいだろうな」


 小説の中のサブヒロインが爆散する様を思い描く。うん。物語には適切な限度ってものが必要だね。

 彼は続ける。


「そもそもの疑問はさ、なんで飛ぶんだ?」


「…なんでって、ファイヤーボールを手に持って投げるっておかしいよね?」


 私も自分で言いながら、何を言っているんだ?と訳が分からない。


「そうなんだよ。百歩譲って燃える球を作り出す能力があってもさ、どんな力で飛ばしているんだろう?他にもさ、氷魔法の氷柱や、地魔法の岩石、果ては、空中に浮かせた武器を飛ばすなんてのもあるでしょ?その動力源って何?」


「え?魔法…」


「何かを飛ばすことができるんなら、その辺に転がってる石でも、シャーペンでも武器になるよな」


「あ、そういうのはあるよ。念動力とかサイコキネシスとか」


「じゃあファイヤーボールを使う火属性の魔法使いって、何かを燃やして、念動力でそれを飛ばすということ?」


「…か、風の力で飛ばすのかも…あれ、そもそも何が燃えているんだろう?」


「そう!そこも疑問の一つ。だって何が燃えているかによっては、空気中に高速移動させるわけだから、風圧で最悪消えてしまう恐れがある」


 頭の中にバースデーケーキに刺さったろうそくの火を吹き消すイメージが浮かぶ。同時に、飛んできたファイヤーボールを吹き消す主人公を想像する。


「…燃えたまま飛んで来ている以上、吹き消すことはできないよね」


「うん。重力を使おうが、風圧で飛ばそうが、念動力を使おうが、大気中に飛んでくるファイヤーボールが空気抵抗で消えないということは、この燃えているモノの正体は、一体なんだろう?」


「…消えない炎ってこと?クロダくんはどう思うの?」


「空気抵抗によって摩擦熱が発生して燃えるなんてのがあるかな」


 大気圏突入で燃え尽きる人工衛星や隕石が頭に浮かぶ。


「それって隕石魔法とか?「メテオ」ってあるよね」


「う~ん、この小説だと手元に浮かべて射出する表現だからちょっと違うかもな、しかも、出現時にはすでに燃えている訳だし」


 この頃になって、ひょっとしたら彼は私が贈った小説を遠回しにディスっているんじゃないかと思い始めていた。

 こんなもん薦めやがって!オレの貴重な時間を無駄にした報いとして、お前を辱めてやる!

 妄想癖のある私だからこそ、そんな彼のモノローグがポンと頭に浮かび、勝手に激高しそうになるが、話をしている相手の表情や雰囲気は、じゃれついている子犬の様で、その純真でまっすぐな瞳に、精神的なカウンターを食らう。


「じ、じゃあ何が燃えているの?」


 思春期の乙女心なんてそれこそ一貫性が無く、二転三転するものだ。今度は婉曲な言い回しによる好意表明なんじゃないかと邪推する。


「核融合かな」


 確かにここで、「燃えているのは僕のお前への気持ちさ!」なんて脈絡が無いにも程がある訳で、そんなセリフを言われても困っちゃうな、とか思ったけどさ、ドヤ顔で「核融合」って。


「…核融合って、太陽もそうだよね。そんなのたくさん浴びたら爆散どころの話じゃないよね」


「相手に届く寸前で消せば、紫外線でダメージを負わないかな?」


「…ファイヤーボールの殺傷力は紫外線…」斬新だ。


 そこで午後の授業の予鈴が鳴る。


「ちょうど一応の結論が出て良かった。ありがと。ちょっとトイレ行って来るよ」


 彼の中ではある程度納得する結論だったのかも知れないが、私にとっては不完全燃焼も甚だしい。


「…放射線による攻撃という手もある?」


 放り出された気分のまま、それでも生来の妄想癖が暴走し、彼の考察と共に、見慣れた物語の印象が、がらりと変わっていく。

 誰かの理を知ることで価値観が変わるという事実に、世界が改変されてしまったかのようなわくわくした気持ちも生まれる。

 もっとも、誰の理でもわくわくするかと言えばそんなこともなく、それはとても貴重で探し難いのだ。


 授業が始まる合図と共に帰ってきたクロダくんは、いつものふわふわにこにこした安心感を纏い、私たちはそれ以上ファイヤーボールの話題にも触れず、いつものように午後の授業を過ごしていった。



 放課後、荷物をまとめながらクロダくんを見ると、彼も帰り支度を済ませていた。


「それじゃ、また」


「うん。また明日」


 そんな変わらないやりとりをして、他のクラスメイトとも挨拶を交わしながら教室を出る。

 今日は何気ない出来事が、思考することで大きく変容する体験をしたからか、知識欲が高まっている感じがする。

 本屋さんでも寄ろうかなと、下駄箱に向かう階段を降りていると


「サガラさん」と声を掛けられた。


 足を止め、振り向く前からクロダくんだということは分かっていた。


「どうしたの?」


 声を掛ける。


「あのさ、あれからまた考えていたんだけど」


 彼は私を追い越しながらそんな風に話す。いやまだ終わってなかったのか。


「…今度は、何?」


 止まる気配も無い彼と会話を続けるには一定の距離が必要なので、その背中を追う。


「ファイヤーボールの防ぎ方を考えてるんだ」


「…ミニ太陽で、紫外線攻撃なんじゃなかったっけ?UVケアでもするとか?」


 私の言葉にも少しだけ呆れの様なモノを含ませてしまった自覚はあったが、立ち止まり、振り向いた彼の顔は、今までに見たことがないほど真剣なものだった。


「サガラさん、これは真面目に君の命に係わる重要な問題なんだ」


 気圧されるという体験というのはこういう事なのだろう。

 ただ、そんな威圧を感じる時間は一瞬で。


「だからね、お願いだよ。ちょっとでもいいから、考えてみてほしいんだ」


 と柔らかな笑顔になる。


「わ、わかった。じゃあ、明日までになんか考えてみる」


「ありがと。じゃ、また明日ね」


 と下駄箱に向かう彼を、私はそのまま見送った。

 私は知らないうちに、命に係わる重要な局面に晒されているようだ。



 帰りのバスの中でぼ~っとしていると、急に去年の出来事を思い出した。

 あの時も、今日と同じようにバスで帰宅中、最後尾のひとつ前の席に私は座っていた。

 読書をしている私の耳に、二つ前の席に座る二人の男子高校生の声が聞こえてきて、それは騒がしいという感じではなかったけれど、何となく読書に集中できなくなって聞き耳を立てていたんだ。


「お前は彼女がほしくないのかよ」


 スポーツマンっぽい少年って表現が適切なのか分からないけど、そんな発言をしている快活そうな男子と。


「だから、彼女ってのは得るもんじゃなくて、成るもんなの」


 その時はまだ名前も知らない、クロダくんだった。


「なるって何よ、育てるってこと?」


「彼女とか彼氏とか恋人とかって、好きになってその結果で成立する立場って事。所有するとか、最初に求めるものじゃないんだよ」


 クロダくんのそんな言葉は、コイバナを好物とする、多感な女子の友人との会話に辟易としていた私に降りた天啓の様な価値観だった。


「ヒロトは相変わらず純真だねぇ、そんなんだから好きな人の一人もいないなんてさ、幼馴染として心配な訳よ。素材は悪くねえのに」


「僕に言わせると、なんで連れている女の子が毎回変わるのか、そっちの人間関係の方がよっぽど心配だよ」


「お前、オレのこと心配してくれんの?え、オレのこと好きだったり?」


「…ヤタベはさ、好きってなんだと思う?」


「何って、…そうな、お互いの気持ちよさにつながる合言葉?」


「不純なヤツめ」


「ヒロトはどうなんだよ。お前が好きって言葉に求めるのは何よ」


「…誰かを、ずっと想い続けられる事を確信した時の言葉かな」


「か~純情なヤツめ。そんな相手、簡単に見つかるわけないだろ?」


「ああ、貴重で得難いな」


 二人の会話はそれからも続き、二つ先のバス停で並んで降りて行った。

 彼らがその時刻のバスに乗ったのはそれ一度きりで、それ以来クロダくんをバスの中で見たことはなかったが、今年の二年生への進級時、同じクラスになった私は、一目見て、あの時の男子だと気付いた。



 翌日、特に何もなく普通の午前中を過ごし、昼食の時間になった。

 私も彼も、親が作ってくれたお弁当を食べながら、時折、他愛ない会話をしたが、不思議と彼の口からファイヤーボールの話題は出ることはなく、本当に昨日だけが特別に挿入された、前後に繋がらない唐突なイベントだったのではないか、そんな風に思えた。


 食後、友人に誘われ、談話室で缶のミルクティーを飲みながら、なんとなくクロダくんを避けている自分の気持ちに気付く。


 長編小説を読んでいる時、ゲームをしている時、面白ければ面白いほどに結末を迎えたくない心境とでも言うのだろうか。

 二人の関係が何かしら変わってしまう、そんな予感だけが確かにあった。



「サガラさん、途中まで一緒に帰らない?」


 帰りの身支度を終えた後、確かにイベントはまだ続いていると、彼のセリフで気付かされる。


「…うん」


 そんな相槌一つ、口に出すのに気合が必要だった。



「考えてたんだけどさ」


 学校を出てバス停までの道、左側を歩くクロダくんはやっと話しかけてきた。


「…防ぎ方?」


「うん」


「…私は、考えたけど分からなかった。主人公はさ、避けたり、剣で切ったりして、なんとなくいつの間に勝ってたけど、私はやっぱり最初に殺されちゃいそう」


 本当に防ぎ方をずっと考えていたのかと思ったら、なんだか色々悩んでいたことも、自分だけの空回りだったのかと、なんだか可笑しくて少し笑った。


 でも、彼は、見たこともない悲しそうな顔でこんな風に言う。


「だめだ。死んじゃだめだ。…凪子がサガラさんに似てるってそんな風に読んでたら、死んじゃうなんて…そんな姿を、サガラさんに重ねちゃって、そしたら、何としてもファイヤーボールを防がなきゃって…僕は、絶対きみを死なせない。僕は、君を守りたい…」


「…クロダくん?」


「だって、サガラさんは、僕にとって…」


 私は何故だかホッとした。

 想像の世界ですら私の身を案じてくれる。

 そんな彼がいる限り、私たちの物語は終わらないだろう。

 そしていつか、ファイヤーボールの防ぎ方だって見つけてくれるはずだ。


 だって、クロダくんは、私にとって…誰よりも得難い人なのだから。

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