巡り会い発初恋行き列車

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巡り会い発初恋行き列車

 目が合った。本当に、本当に、たったそれだけだったんだ。




 俺は、一目惚れなんて信じていない。むしろ「ぱっと見で好きになるやつなんて、どうせ顔で選んでるんだろ、あっさい奴だな」と思ってきた。一目惚れしたと言ってきた友達たちのことを、正直言うと軽蔑してきたような節だってあったと思う。

 だから、俺はこう言う。これは、一目惚れなんかじゃない。断じて違うって。




 秋も終わりかけの、十一月のある日。俺は定期入れを部室に落としてきたせいで、いつもより十五分くらい遅い電車に乗ることになってしまった。駅まで無駄に歩かされたし、友達は先に帰ったし、スマホの充電も切れていたしで、自分のせいではあるけど、とにかく最悪な気分だったのを覚えている。二十分の乗車時間を、手持ち無沙汰に窓を見つめながら過ごしていた。


 乗車後五分したら、電車は妙高寺駅に到着する。妙高寺駅は対面式ホームになっているのだが、ちょうどそのとき、すぐ隣の線路に電車が止まっていた。遅れて到着したこっちの電車が止まると、本当にぴったり真正面に制服姿の女の子が佇んでいて、驚くくらい綺麗に目が合った。


 時間にしたら、あっちの電車が出て行ってしまうまでの、ほんの数秒のことだったと思う。その数秒間、俺たちはお互い、じっと相手を見つめ続けた。全然知らない子だった。だから、どうしてそうしていたのかは分からない。その子は特別美人というわけでもなかったし、逆に妙な格好をしているって訳でもなかった。どこにでもいるような普通の子なのに、なぜか目が離せなかったんだ。きっと向こうも同じだったんだと思う。見つめ合うっていうことは、片方が見ているだけでは成立しないから。


 あっちの電車が動き出して、そうして行ってしまってからも、俺が映っているはずの窓ガラスには、あの子の姿が映っているような気がした。鎖骨の下くらいまでの流れるような黒髪。控えめで、だからこそ優しさが滲んでいるように見えた目元。少しだけ開いていた淡い桃色の唇。正しくきっちり着られたブレザー。窓ガラスに添えられた細い指。ちょっと見つめ合っただけなのに、あの子の姿は完全に再現できた。そのあと気づいたんだけど、意味が分からないくらい、俺の鼓動はめちゃくちゃになっていた。いや本当、マジで意味が分からない。俺はちょっとの間、不整脈にでもなって死んでしまうんじゃないかって本気で思ってた。だって、あり得ないんだ。俺が一目惚れするなんて、絶対に。




 翌日、俺はまた同じ時間の電車を選んで、同じ場所に乗った。そうしないといけない気がした。走り出した電車は、きっかり五分後に、あの子と俺を会わせてくれた。俺たちはまた、数秒間見つめ合った。




 三日間同じことを繰り返したら、土日が来てしまった。来週も会えるか不安で、でも期待もあって、だからその次の月曜日にもまた同じことをした。あの子はその日もやっぱり同じ場所に乗っていて、しっかり俺の方を見てくれていた。俺は多分、その日のことをずっと忘れないと思う。電車が発車する間際に、あの子が笑ったんだ。両目を穏やかに細めて、口角を優しく上げて、俺の方を見たまま、確かに微笑んだ。

 電車が行ってしまってから、窓ガラスに映った自分の姿を見て、あ、と思った。俺も、同じような顔で笑っていた。俺かあの子か、どっちが先に笑ったのか分からないけれど、そんなことはどうだって良かった。無性に幸せでたまらなかった。俺はきっと、その日中笑い続けていたんじゃなかろうか。実際、塾で会った友達に、「今日のお前、気持ち悪い」と一蹴されたほどだ。




 さすがに、自覚しないわけにはいかなかった。俺は、名前も知らないあの子のことが、気になって仕方がないって。好きだと言ってしまうのは、何だか悔しいので、やめておくことにした。ただの一目惚れにしてしまうのが惜しかった。一目惚れ否定派の俺は、あの子との出会いをそんな安っぽいものではないと思っていたかったから。




 毎日会い続けても、たった数秒の見つめ合いでは、あの子のことは何も分からない。多分、話しかけるのはとても簡単だ。一本前の電車に乗って、妙高寺駅で待ち伏せして、あの子の乗る電車に乗り直せばいい。いや、そうしなくたって、あの子の制服はどこの学校のものか知っている。だから学校まで行けば、会えないことはないだろう。とにかく、そうやって何らかの手段を取って会いに行き、声をかけてみれば、あの子の意志次第だけど、こうしているよりはもっと仲良くなれる可能性がある。だけど、何だかそれはタブーな気がしてならなかった。そもそも、それってなんだかストーカーみたいじゃないか? 向こうも俺と話してみたいと思ってくれてるんじゃないかっていうのは、俺の都合のいい幻想かもしれない。笑いかけてくれるのだって、もしかしたら俺の顔が変だから思わず笑ってしまうのかもしれないし。ああもう、なんでこんなにぐだぐだと物思いをしないといけないんだろう。そんな風にじれったく思う俺がいるのに対して、あの子について悩むことそれ自体に喜びを感じているらしい俺もいる。あの子と会ってから、俺の中で俺が分裂しすぎていて、もう俺にも俺が分からない。




 十八時五十四分長倉発、西原中央行。あれから俺は、二か月間毎日欠かさずこの電車に乗り、三両目山側の一番先頭に近いドア前に陣取り続けている。


 乗車後五分したら、どちらかの電車が遅れでもしていない限り、妙高寺駅で必ずあの子と鉢合わせする。今までに三回だけ、うまく鉢合わせしない瞬間があったけど、確率にしたら数パーセント程度の不運だ。それが今日でないことを、俺は切実に願っている。


 実は昨日、俺は一世一代の大勝負を仕掛けていた。どうしてもあの子のことがもっと知りたくて、俺は一か月くらいの間、俺対俺の壮絶な脳内会議を繰り広げ続けた。そうして至ったのが、今回取った手段を使うという結論だった。


 俺は昨日、現代文のノートにこんなことを書いて彼女に見せていた。


『名前を教えて。俺は片瀬遼』


 一生で一番綺麗な字を書いたと思う。読めないなんて結果になったら悲しすぎるから、随分気合を入れて書いた。失敗作を量産して、現代文のノートの半分をダメにしたけど、少なくとも、読めないことはない字にはなっているだろうし、できれば好印象を与えられる字にもなっていて欲しいと思ってる。


 顔のすぐ下にノートを出したら、あの子の視線はそこに向かっていたから、きっと読んでくれただろう。読み終えた後の表情を知る前に、電車は動いてしまって、あの子がそれについてどう思ったかは分からない。それは、今日これから、五分後に分かることだ。




 電車が、長倉駅に滑り込んでくる。斜めがけのスポーツバッグの肩紐を、知らない間に握っていた手が、気持ち悪いくらい汗で湿っていた。深く息を吐き出して、俺はいつもの電車に、いつもと違う心を抱えて乗り込む。五分後、あの子はどんな反応を届けてくれるだろう。


 そういえば、一か月前、手を振ってみた日の次の日もこんな気分でいたような気がする。あの子は多分、急に俺がそんなことをしたのに驚いてだろう、当日は振り返してくれなかった。翌日、あの子が乗っていなかったらどうしようと思いながら、いつもの電車に乗って五分待った。妙高寺駅にあの子がいて、照れながら手を振り返してくれたときは、小躍りしたいほど嬉しかった。今回も、応えてくれたらいいと思う。でもそうなったらなったで、今度こそ踊り出してしまって、変質者になってしまうかもしれない。あるいは、応えてくれなかったときは、もしかしたら泣いてしまうかもしれない。それもそれで変質者になる。困ったものだ。


 電車が走り出す。これで、本当に五分後になった。心臓が、肋骨の内側全部を埋め尽くすくらい太ったんじゃないかと思うほどに、大きく鼓動している。


 どうか、これが最後の幸せな五分間になりませんように。


 速度を上げていく電車の中で、俺は、今日もあの子のことばかり考えていた。

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