アントロポセンへ向けて

僕らは会話をすることが大好きだ。意味のあるようで意味のない会話や、意味のないようでやっぱり意味のない会話。あることが起きる。ただ、それは特別なことではない。数えられるもの、あってもなくてもいい程度のもの、歓待され得ないもの。そんなところだ。会話はとめどなく続く。そうしなければ死んでしまうかのように、あの果てのない沈黙をおそれて、容赦なく浸水してくる冷たい水に抗うように。


僕らはしゃべり続けて来た。どうでもいいことを、同じようなことを、面白くも新しくもないようなことを。うっかり口を滑らせて、ほんとうのことを言ってしまわないために、ほんとうに真面目なことについて、何も言わずに済ませるために。けれど、そうした消極的な抵抗としての会話もいつか終わる。終わるときがくる。「終わり」はもう飽きたって? そんなものにもう用はないって? じゃあ、終わりの終わりだ。あるいは、終わりの終わりの始まり。


想像の余地のなくなった地上に、永遠が到来する。君はそれを信じないだろう。そうした予言なんて所詮は大脳皮質にもたらされた誇大妄想で、暇なことにも疲れた暇人の現実逃避で、結局僕らはタカが知れた自分の想像力の牢獄から逃れることはできないと言い募るだろう。でもそれは違う。その日はぜったいに到来するんだ。さいごの椅子が折り畳まれるときのように、岸辺に波が訪れそして去っていくように。


朝が来る。それを望む者の部屋にも望まない者の部屋にも、すべての部屋に朝は公平に訪れる。足されるべきもののない、完全な朝だ。そこにはもう誰の声も必要とされない。僕らが為すべきことは待つことと見ること、それだけでいい。余計なものは全部置いて行くんだ。君も僕も、恐れと期待に震えつつ、あるいは冷めた無関心な目でその日を迎えるだろう。そして、その朝はきっとどんな夜よりも暗く、そして、永い。

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永遠のあとで 早稲田暴力会 @wasebou

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