第22話

 昼休みになり、アカは一人でプラタナスの木に向かった。木の下でメールを打ち、祈るように画面をタップして、返信する。

 果たしてこの世からあの世に問題なくメールを送れるのだろうか。イタコは死者の霊を自身に降ろして冥界からの言葉を発するが、逆にイタコが冥界に行って死者に話しかけるというのは、聞いたことがない。

 気が気でなかった。授業のあいだ教師の音声は完全にシャットアウトされた。

 メールよ届け、届いてくれ、と胸のうちで百回繰り返した。

 九割方身についていない一日の授業がすべて終了した、ちょうどそのとき。ふたたびヒミズからのメールの着信があった。


 放課後、アカ以外誰もいなくなった2・Aの教室。席に座り、机に置いたスマホに向けて両手を合わせてから、メールを開く。


  アカさん  黒川ヒミズです。アカさんからの返信届きました! ビックリしました。嬉しくて飛び跳ねました。もう死んでるのに(笑)


「いよっしゃあ!」

 雄叫び+ガッツポーズ。メールも、アカの熱意も、あの世に届いたらしい。

 抑えきれない嬉しさにでれでれと相好を崩し、ヒミズの便りを読み進めていく。


  近況報告というか、こちらについて、ちょっとお話しますね。

  ここは丘があったり、森があったり、小さな池があったりしますが、だいたい野

原がずっと続いている感じです。(基本的に何もありません。)

  何もすることがないので、ずっと花を眺めたり、ぶらぶら散歩したり、草の上に      

寝転がったりして毎日過ごしています。

  あ、いま毎日と言いましたが「一日」という感覚はありません。辺りはずっと薄  明るいままで、昼と夜の区別がないのです。

  夜がないので眠りません。というか、眠くなることもありません。お腹もすきません。ぜんぜん食べなくても平気です。変な話、トイレに行くこともありません。

  なので退屈といえば退屈です。わたしはそうでもないですが、例えば生前、仕事で毎日せわしく走り回っていた人とか、いつも仲間同士でお酒を飲んで騒いでいた人とかがここへ来たらどうなるんだろう? って心配になります。

  もっともわたしだって、この生活が永久に続くのかなあ(もう死ぬこともありませんから)と気が遠くなったりもしました。

  ですが最近分かったのです。この後、次の展開が待っていることに……。

  ここに来てから、アカさんと会ったとき以外は、ずーっとひとりぼっちでした。ところが(感覚的に)十日くらい前に、森の中で一人のお婆さんと出会ったのです。

  山本アヤメさんという方で、わたしより前に亡くなって、この場所にやって来たというお話でした。

  アヤメお婆さんは「もうじきお迎えが来るよ」と言いました。

 「ここはまだ死後の世界の入口さ。待合室みたいなものだ。死んだら最初にここへ来て、迎えが到着するまでのしばらくのあいだ、のんびり過ごすんだよ」

  誰が迎えに来るのか、どこに連れていかれるのか、訊いてみました。

「それはあたしにも分からないよ」アヤメお婆さんは言いました。

  それっきりアヤメお婆さんの姿を見ていません。お迎えが来て、次の場所へ進んのでしょうか。

  わたしのもとにも、いずれお迎えがやって来るでしょう。そのときはきっと、もう最後になってしまうと思います。アカさんと、本当にお別れしなければなりまん。

  アカさん、どうか残された時間をわたしと一緒に過ごしてください。

  もっともっとアカさんの声が聞きたい。

  アカさんを近くに感じていたい。

  またアカさんに抱きしめられたい。

「へえー」

 頭上から降ってきた誰かの声。

 爆発のような激しい物音を教室中に響かせ、机が派手にぶっ倒れた。

 アカは席から転がり落ち、弾みでスマホが宙を飛んだ。床に転がったスマホにヘッドスライディングし、両手でふところに抱え込む。

「アカ、なにを慌ててるんだ?」

 知らぬ間にアカの背後に立ってスマホを覗き込んでいたトオノが、いぶかしむ。

「ただの猫動画だろ。一人でこそこそエロいヤツでも見てるのかと思ったら」

「え……?」アカはぽかんとし、「あ、そうそう。最近、猫動画にハマっててさ」

 起き上がり、ハハハ、と作り笑いで場をつくろう。

「怪しすぎ」トオノはメガネのむこうからじっとりとした視線を向ける。

 どうやら部外者の目には、あの世からのメールが猫動画に映るらしい。ヒミズのメールを読むことができる特権は、アカにのみあるのだ。

 妙な優越感を覚え、アカはついほくそ笑む。

 トオノは眉を寄せ、

「なんだよアカ、その不敵な笑みは。キモいな。……それはそうと、本当に終息したみたいだな、『ドランクンヘヴン』」

 アカたちが龍道山で『ドランクンヘヴン』に遭遇してから四ヶ月が過ぎたが、その間どこの国にも『ドランクンヘヴン』は発生しなかった。連日ニュースで伝えられていた『ドランクンヘヴン』の被害も、ぴたりと止まった。

 今後『ドランクンヘヴン』は二度と現れないだろう。『ドランクンヘヴン』との戦いは完全に終結した。もうヘルメットをかぶって買い物に行かなくていい。――そんな希望に満ちた言葉を各国の首脳や専門家たちが相次いで発表し、民衆は歓喜の声を上げた。

「アンスラックス教授が英雄視されてるらしいな。『ドランクンヘヴン』がなくなったのは、アンスラックス教授のおかげだって」トオノはいささか不満げに言った。

「人々の不安定な『心』が『ドランクンヘヴン』を生み出しているってやつだろ?」

「ああ。で、『心を安らかに保ちましょう』ってみんなに呼びかけた。その言葉が世界中に浸透した。その結果、地球上空に広がる『無意識』が安定して『ドランクンヘヴン』は消滅した……ってな」

「うん。よくわからないけど、そんなに間違ってはいないと思うよ」

 トオノは首を傾け、顎に手を添えて、

「だけど、おかしくないか? 人々の不安や不満が積もり積もって『ドランクンヘヴン』が生じるって言うんなら、そういうストレスを抱えた人が大勢集まる大都市にこそ『ドランクンヘヴン』は現れるはずだろ? オレたちが『ドランクンヘヴン』に遭遇したのは、人里離れたのどかな山の中だぜ?」

「大都市の上空から風に乗って流れてきたんじゃないか?」

「アカ……」

 言葉を切り、トオノはアカの顔を凝視する。それから口を片手で押さえ、視線を脇に外した。何やら言いあぐねている風で。

 およそ十秒の間をおいて、トオノは重い口を開いた。

「どうも気になるんだよ。……いいか? 世界で最後に確認された『ドランクンヘヴン』に、アカが巻き込まれた。黒川ヒミズを『ドランクンヘヴン』が襲ったときも、アカはすぐそばにいた。それに本物の仙人がアカを狙ってアプローチしてきた」

「…………」

「アカ、アカ、アカ。いつもアカが関係してる。何なんだ、これ?」

「…………」

「アカ、何か隠してるだろ。ものすごく重大なことを」

「…………」

「教えてくれよ。頼むから。オレたち親友同士だろ?」

「…………」

「アカ……」トオノは唾を呑み込んだ。「本当はただの高校生じゃないだろ。何者なんだ?」

「…………」

「なあ、アカ!」

「わかったよ」手のひらを向けて制した。「白状するよ、イシガミ」

 二人は対峙する。これから決闘を始めるみたいに。

 アカに厳しい眼光で睨みつけられ、トオノはわずかに怯んだ。

 真顔で、いきなり銃を撃つようにアカは言い放つ。

「おれ、じつは宇宙人なんだ」

「え……?」

「エタブリス星から来たんだ」

「マジか?」

「イシガミ……前に『ドランクンヘヴンはUFOが引き起こしている』って言っただろ?」

「言った」

「あれ、当たってるんだ。おれたちの宇宙船からばらまいたのさ」

「やっぱり」

「それによく『UFOに乗ってみたい』って言ってたよな。案内するよ。おれたちの宇宙船に」

「いや、それは……」

 手を振り拒むトオノに、アカは口角を引き上げ、迫る。

「遠慮するな。乗せてやるから。ただその後、記憶を消して地球上のどこかへ置き去りにするけどな」

 片手を伸ばし、トオノの肩を掴む。

「や、や、やめろよ!」

 トオノはへっぴり腰で後ろに下がろうとする。しかしバランスを崩し、傍らの机を押し倒しながら、したたかに尻もちをついた。メガネがずり落ちた情けない顔で、尻を押さえて痛みをこらえている。

 それを見たアカはふきだし、身をよじって大笑いするのだった。

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ドランクンヘヴン エキセントリクウ-カクレクマノミ舎 @RikuPPP

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