第21話

「この馬鹿アカ!」

 集中治療室に飛び込んで来たミサトは、意識が戻ったばかりの息子へ出し抜けに罵声を浴びせかけた。

 まず涙を流して抱きついてくるものだろ、とアカは心のうちで突っ込み、

「ただいま」と、とぼけてみせた。

 医療ベッドからまだ起き上がれないアカを、ミサトは腕組みし、上から睨む。

「だから気をつけなさいって言ったでしょ、何回も」

「いくら気をつけたって、あんな不意打ち、よけられないよ」

 まったく予想外で唐突だった『ドランクンヘヴン』の襲撃。

 あの後、難を逃れたトオノが登山道を転がるように駆け下り、登山口付近にいた地元の住民にすがりついて助けを求めたのだった。

 間もなく山岳救助隊がヘリコプターで現場に到着し、大量の招き猫が転がる異様な光景の崖下で、捜索を開始した。すると運よくわずか五分ほどで、アカは発見された。土砂と招き猫の山に埋まり、心肺停止状態だった。

 すぐさま救命措置を受け、アカはヘリコプターで麓の病院に搬送された。この時点では助かる確率は10%程度という見込みだった。

 アカが救助されている間、トオノは終始泣き通しだった。山登りに誘った自分のせいだと、ひたすら自責の言葉を繰り返していた。

 病院に搬送されてから意識が戻るまで、かかった時間は一日半。連絡を受けて病院に駆けつけた両親は、この永く重々しい時間を、逃げ出したくなるほどの不安に苦しみながら過ごしたのだった。

「甘いのよ、あんたは」厳しい口調でミサトはたしなめる。

 ベッドに横たわったまま、アカは小さくうなずいた。

「甘かったよ、確かに。自然は強大だよ。人間はちっぽけだ。よく解った」

 不満げにむすっとするミサトの背後からタツヤが顔を出し、

「立派だぞ、アカ」

 母とは逆に父の眼差しは穏やかで、優しかった。

「よく生きて帰った。さすが俺の息子だ。身体が頑丈に出来ている」

「父さん、ごめん。こんな体たらくで」

「何を言ってるんだ。おまえは負けたわけじゃない。死を乗り越えたんだぞ」

 アカは苦笑いを浮かべる。

「もう目と鼻の先だったけどね。死の領域が」

「必ず生還するって信じてたさ」

 アカは弱々しく右手を上げ、サムズアップをつくった。タツヤも笑顔でサムズアップを返す。

 いつの間にかミサトが涙を浮かべていた。しかしアカの視線に気づくと、隠すように顔をそむけるのだった。

 死なないで良かったと、ふと思う。

 生きなければいけない。ヒミズの分まで、生き続けなければ。

 アカは目蓋を下ろし、黒川ヒミズとの再会を思い起こす。

 初めて聞いたヒミズの声を。初めて見たヒミズの瞳を。

 初めてだった。ヒミズの笑顔も。ヒミズの泣き顔も。

 指先に触れた髪のやわらかさ。握った手の細さ。抱いた肩の儚さ。

 胸に飛び込んできたヒミズ……もっと生きたかった、いい思い出を作りたかったと、悔しそうにたくさんの涙をこぼした。

 黒川ヒミズ――。

 もうこれきりだろうか。もう会うことはないのだろうか。

 どれだけ望んでも、二人の思い出はこれ以上刻めないのだろうか。


 今年の流行語大賞は――『ドランクンヘヴン』に決まりました!

 朝のテレビを見ながら口いっぱいに詰め込まれたハムトーストを咀嚼しているとき、アカの携帯にメールが届いた。ヒミズからだった。

「んんん!」

 のどを詰まらせ窒息しそうになった。またぞろ病院へ救急搬送されるところだった。

 二度見。三度見。四度見。……見間違いではない。黒川ヒミズから届いたメールだ。

 生前に送信されたものが、遅れて今ごろ届いたのか? それとも誰かのいたずらか?

 メールをすぐにも開きたいところだが、自制する。登校時間が迫っているので、落ち着いて読める状況ではない。とりあえず家を出て、通学途中で読むことにする。

 竜宮高校の最寄り駅へ向かう電車に乗り込むや、アカは人目をはばかるようにスマホを取り出し、問題のメールをドキドキしつつ開いた。


  アカさん  黒川ヒミズです。メール、ちゃんと届きましたか? もしビックリさせてしまったなら、ごめんなさい。……あ、また謝ってしまいました(笑)

  じつは先日、スマホを拾ったんです。まさかって思いましたけど、本物のスマホでした。しかもちゃんと使えました。さらに不思議なことに、アドレス帳にアカさんの名前があったのです!

  これはきっとヨハクさんからわたしへのプレゼントに違いない……そう思いました。

  心の中でお礼を言って、スマホをありがたく頂戴し、さっそくメールを送らせていただいた次第です。

  ところでアカさん、過日はコスモスの花かんむりをどうもありがとうございました。

  ものすごく嬉しかったです!


 間違いない。紛れもなくヒミズの声だ。

「死者から届いたメール」なんて普通ならホラーだが、アカにとっては狂喜に値する朗報だった。大声を上げ、列車の先頭から最後尾まで走り抜けたい気分だった。

 幾度となくメールを読み返し、一字一句脳に刻み込む。スマホに熱中するあまり駅を乗り過ごしそうになり、あたふたと電車から飛び降りた。

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