今年の夏を忘れてしまった。

@pwmtstars

11/09

 今年の夏を忘れてしまった。


 頬に張り付く夏風とは違い、冷たい風が頬を切り裂いていく。


 見慣れた光景。

 自分が育った土地の、大切な場所。


 今年は仕事が忙しく、帰ってくるのが遅れてしまった。


 星の光は実際に地球に届くまでに何年もかかるのに。

 僕がこの場所に帰ってくるのには3時間しかかからないのに。


 ここにはもう、誰もいない。


 毎年の習慣に倣って、いつもの場所に腰掛けようとして、一瞬躊躇って、やっぱり座った。


 いつも通りの、藍色の空。

 雲一つなく、よく澄んだ空気を星が照らしている。


「今年は短冊、かけなかったよ」


 もちろん返ってくる声などなく、一人続ける。


「願い事、叶えられなかったな…」


「今年も同じこと、お願いするよ」


 空を見上げ、そこにある星の瞬きのように、ぽつぽつと呟き続ける。

 星の光が、ここに届くまで何年もかかるのなら。

 僕のこの言葉は、いつ星に届くのだろう。


「仕事忙しいけど、ご飯はちゃんと食べてるよ。コンビニ弁当だけど…」


「今年で25になったよ。後輩も受け持つことになってさ。しばらくは仕事で精一杯かも」


「………」


「今年の夏も、暑かったよ。ずっとエアコンつけっぱなし。電気代がすごい高くて、びっくりした」


「ちょっと前まで暑かったのに、最近はもう逆に寒くてさ…。炬燵出すまでアイスは我慢かな」


「そういえば、前に友達が花火が会社に似てるとか言い出してさ。未だに花火見ると思い出す……」


「………」


思わず、言葉を止める。


「……会いに来れなくて、ごめん」


その言葉を最後に、何も言えなくなった。

 時折鳴る虫の音や、体を引き裂く冷たい風がこの場所が夏とは違うという事実を突きつけてくる。


 ただ、空を見上げる。


どれだけ空を見上げても、星が違う。

 空が、違う。

 これなら蓋があったほうがよかった。


 一人で静寂から開放される術を知らない。

 いつまで空を見上げていればいいのだろう。


 時間が経つのが遅い。

 虫の音も、肌寒さも、星の光も。

 全てが気になって仕方がない。

 彼女の気配がここにないだけで、こんなにも違う。


「ほんとはさ。願い事、違うことお願いしたんだ」


 こんなにも星が綺麗なのに。


 これだけの光が、何年もかけてここに届いているのに。


 たった4ヶ月と少しの差なのに。

 それだけで君に会えなくなってしまう。


星には願いを叶える力があって。


その力が強くなる魔法の夜は終わってしまったから。


 自分の思いを、込めようとする。


 どこに込めればいいんだろう。


 どれが君の光なんだろう。


 季節によって移り変わる星空。


 三つ並んだ光が強く輝いた。


 僕は1人なのに。


 オリオン座。冬の星座だ。


 ここには、君はいない。


 ヤケになってなのか、せめてと思ったのか。

 朝まで過ごそうと思っていた僕を嘲笑うかのように、強く冷たい風が吹く。


 頭が冷えたのか、心が折れたのか。

 無意識に立ち上がってしまっていた。


「来年は、絶対に、会いにくるから」


 こうして、一年に一度の平凡は夜は終わる。

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