笑えない話

そのいち

笑えない


──笑えない。


 私の幼い頃より若作りに励んでいた叔父は、私が大人になった今になっても若作りに励んでいるようで、歳を忘れて髪を金に染め、寄る年波に抗うように髪を逆立てている。


──でも、笑えない。


 ただ、無から有は作れないように、髪が無ければ若さも作れないらしく、その頭頂部を見れば実年齢は明らかで、そこには年相応に寂し気な空間がぽっかりと広がっている。それは、金に染めた髪の色も相まって、枯れ枝や干し草を集めて作った小鳥の巣の様だ。これは強い風にはめっぽう弱いだろう。


──とはいえ、笑えない。


 私はその叔父の真後ろの席に座っていた。

 前から見れば、叔父の熟練の若作りの手際で、四方八方の財産を上手くかき集め、偽装工作に奏功しているが、背後に位置する私からしたら小鳥の巣であることは一目瞭然だった。さしずめ私は小鳥の巣を狙う猛禽類か爬虫類か。


──ただ、そうだとしても、笑えない。


 そこに一匹のハエが現れる。ブンブンと忙しなく宙を漂い着陸先を窺っていた。

 私はそのハエを睨みつけ「乗るな乗るな」と念じていたが、ハエは何を思ったか、「押すな押すな」じゃあるまいし、叔父のその寂し気な頭頂部にぴたりと乗った。


 私は叔父の頭を小鳥の巣だと思っていたが、どうやらハエのヘリポートであったらしい。いやこの場合はハエポートか。


──例えそうであろうとも、やはり笑えない。


 そうこうしているうちに、ようやくこの席の司会進行役が登場したようで、この場に集まる一同もそちらに視線を送る。これで私も叔父のハエポートに釘づけだった視線を逸らすことができた。


 それにしても、司会進行でありながら、まるで主賓かのように遅れて登場するなんて、何だかおかしな話だ。それにその衣装もおかしく、黒で統一された私たちの衣装と違って絢爛豪華で奇天烈な装いをしている。


 このおかしな衣装を「袈裟けさ」という。このご時世に袈裟を着る人種は限られて、ことこの国においては決まった職種だけになる。


 要するにこの司会進行役とは「お坊さん」であった。つまりは坊主。


 そして当然ながらその頭は丸坊主で、剃っているのだろうけど、やはりそれはハゲでしかなく、ハゲ中のハゲ、更に言うならつるっ禿げ、叔父の親玉であるハゲの棟梁のお出ましだ。


──で、あろうとも、今の私は笑えない。笑いはけっして許されない。


 私は笑いに堪えている。というのも、この日は祖父の葬式で、親類縁者が一堂に会して葬儀を執り行っていた。


 私の祖父は地元の名士であって、親類(私と叔父を除く)は元より縁者も名士ばかりが揃っている。そんな中での葬式とあっては、笑いは決して許されない。いやいや、そうでなくても葬式ならば笑いは許されない。それが親族(私と叔父も含む)であればなおさらだ。


 私も当初はそう腹に決めていた。だけどどうにも席順が悪い。

 私が座る席からは前に座る叔父の頭頂部が嫌でも目に入り、止む無くでそれをじいっと眺めていたら、じわじわと笑いが込み上げて、終いにはハゲがに入ってしまった。


──だけど私は笑えない。笑いに耐える他はない。


「ナンナンナム~」と坊主の読経が始まった。木魚をポンポン叩いているその様が、ハゲが禿げ頭を叩いている様で、何だかとても面白かった。


 叔父が肩を小刻みに揺らしていた。実父を亡くしたのだ、きっとすすり泣いているのだろう。だけど私は不謹慎にも、坊主の木魚のポンポンと叔父のヒクヒクの具合が上手いこと重なり合って、ハゲ同士がシンクロしているように見えてしまい、危うく吹き出しそうになる。


 気持ちを落ち着かせようと、視点を変えて周囲に目を遣れば、祖父の縁者である地元の名士たちは、やはりそれなりのお年を召していて、やはり同じく年相応の頭髪の具合をしていた。


つまりハゲばかりの宴だった。


 故人を偲ぶ慎ましい席にありながら、こうもハゲが多くては、明るくめでたい席に思えてしまう。


──で、あったところで、私は決して笑えない。笑ってはいけないのだ。


 こうして傍から見れば葬儀は滞りなく進み、一方の私はハゲに囲まれながら終始笑いに耐えていた。


 そして祖父の遺体は火葬場へと運ばれた。


 冷たくなって喋りも動きもしないけど、生前の祖父と変わらない姿の肉体が、骨や灰となって現れた時には、流石に私もしんみりとした。


 祖父の遺骨は親類縁者に囲まれて、それぞれ手にする箸を伝って骨壺に移動する。

 祖父の遺骨が骨壺へ移動するその最中、私はふとこう思った。


「それでは、この遺骨で『なぞかけ』をしましょう」

「では、私から」

「はい、どうぞ」

と掛けまして、と解く──」

「その心は?」

「──どちらもに入ってしまいでしょう」


 なぞかけを思いついてしまった。

 そして、我ながら中々の出来栄えだ。


 私はこのオモシロなぞかけを無性に自慢したくなった。この滅多に出来ない完成度のなぞかけの面白さをみんなと共有したかったのだ。これはきっと喜んでくれるだろう。


 私は期待に胸を膨らませ、顔を上げて周囲を見渡した。


 ただ、祖父の遺骨を目の前にした親類縁者は、泣くことは無くなったが、喪失感というか、何というか、心ここに在らずといった顔をしていた。


 そうか、すっかり忘れていたが、そうだった。


 ここでは、笑いは決して許されない。

 面白さを共有してはいけない場所だった。


 私は残念に思って、また視線を下げようとしたら、祖母が持つ仏頂面をした祖父の遺影と目が合った。そして、何処からか誰かの声が聞こえた。


『いいんだよ、言っておしまい。笑かしておしまい──』


 それは、私の耳には祖父の声に聞こえた。


 でもこれはきっと気のせいだと思って、祖父の遺影をじいいっと見つめていたら、仏頂面だった祖父の顔がぐにゃりと歪んで下手くそな笑顔を作りだす。


『いいかい? 笑いを耐えてはいけないよ。これは泣くことだってそうさ、笑う事も泣く事も耐えてしまっては、楽しいことも悲しいことも忘れてしまう。それだと人生ちっとも楽しくない。おまえは好きに笑って好きに泣いて人生を全うしなさい。これは死んでしまった爺さんからの遺言さ──』


 今度こそはっきりと私の耳に祖父の声が届いた。それに紛れもなく祖父の遺影が動き出し身振り手振りも加えて私を諭そうとしていた。


 私は祖父の遺言にズキンと胸を打たれた。──いや、胸を打たれたという表現は正しくないのかもしれない。ただ胸の鼓動は早まり、嫌な冷や汗が額から流れたのは事実だった。つまりこれは感銘を受けたわけではない。


 いうまでもなく祖父は既に死んでいる。

 だけど私には死んだ筈の祖父の声が届いてしまった。


 私は死者の声を聞いたのだ。

 背筋が凍る思いの恐怖体験をして、私の顔は青ざめた。


──これは本当に笑えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑えない話 そのいち @sonoichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ