綾乃 晶 の 場合 09
目が覚めると遮光カーテンの隙間から寝室内に光が差し込んでいるのが見える。枕元に置いたスマートフォンの画面を点けるとデジタル時計が現在の時刻は八時一〇分だと教えてくれた。
そっか、あのとき少しだけのつもりでベッドに横になったら、そのまま寝ちゃったんだ。食べて薬飲んだあとだったからな…。
あれから守野さんの悲痛な声が微かに聞こえてきたり、一度誰かが部屋に入ってきような気配がしたけど。
ボクは身体を起こして机の上、お盆に載せて置かれているポカリスエットと逆さにされたコップに風邪薬とウイダーインゼリーが目に付くと、一度感じた気配の意味を察した。
昨日神座さんが買ってきてくれたものだ。
ボクは身体の向きを変えてベッドから足を下ろし立ち上がると、神座さんに感謝しながらウイダーインゼリーを十秒チャージさせてもらい、未開封のポカリスエット二リットルボトルの蓋を回してコップに注ぎ薬を飲んだ。
さっきベッドからは気づかなかったけど、机の上には体温計まで置いてくれていて二つに折り畳まれた紙の重しに使われている。
ボクは体温計を透明なプラスチックケースから取り出し、電源を入れて脇に挟むと一分ほどで電子音が鳴り、脇から手に取って液晶を確認すると三七度三分。
さっき目が覚めた瞬間から体調が大分改善しているのは分かっていたけど、まだ微熱ながら熱も下がっていて安心した。
ボクは最後に折り畳まれた紙を手にして広げると中には、
五階に住んでいるのでなにかあったらすぐ電話をください 神座
という置き手紙の最後に090から始まる電話番号が記されていた。
そうか、守野さんがお盆に載せて持ってきた餡かけ卵お揚げ雑炊の入った土鍋と開封済みの風邪薬は五階の神座さんの部屋で調理してから、薬は神座さんの常備薬を持ってきてくれたんだ。
どっちが料理を作ってくれたのかが気になる…いや、もしかしたら神座さんと守野さんは一緒に料理をし合える仲という可能性も……。
あと神座さんが玄関自動ドアを通れたのは守野さんがカードキーを彼に貸したのかと思っていたけど、ここに住んでるからセキュリティー十分のマンション内に入れるのは当然だ……でも神座さんがマンションに入れた疑問は解けたけど、オートロックのこの部屋にはどうやって勝手に入れたのかという疑問だけが残った。
ボクがあれこれ考えていると、枕元のスマフォが振動して電話の着信を知らせていた。
スマフォを掴み上げて画面を確認すると、守野さんからの着信だ。
「もしもし」
ボクは電話を取って声をかけると、守野さんからもすぐに返事がくる。
「守野ですけど、晶ちゃんおはよう。体調はどう?」
電話の向こうから心配そうな守野さんの声が響いた。
「さっき熱を測ったら、もう大分下がってて元気になりました」
「そう、良かった。今神座君の部屋にいるんだけど、今からお見舞いに行ってもいいかな?」
え…こんな朝から神座さんの部屋にいるって、やっぱり二人は付き合ってるのかな……でも、もうボクにはそんなこと関係ない、守野さんが好きな人にボクが手を出す資格はないから。
「大丈夫です、いつでも来てください」
「うん分かった、今から向かうね」
守野さんはそう言うと電話を切った。神座さんの部屋は五階だから、本当にすぐここへ来るだろう。
ボクは慌てて脱衣場兼洗面所に行き、ヘアーブラシを髪に当てて梳かし始めた。
歯も磨いておこう、と歯磨き粉を乗せた歯ブラシを口に咥え、あとでまた磨くことを前提に歯列の各部を数回磨くだけで終わらせ口を濯いでいるとき、インターホンが部屋に響いた。
ボクは口から水を吐き出し、洗面台から出てすぐの玄関へ数歩で到着するとサンダルを履いて解錠しドアを開けて約束の人を出迎えた。
「おはよう、晶ちゃん」
守野さんは笑顔でそう言うけど、昨日あんなことがあってかボクはちょっと気まずさを感じた。
「おはようございます、入ってください」
ボクは守野さんを招き入れると、寝室まで導いて守野さんに椅子を勧め、自分はベッドに腰を下ろした。
「あ、なにか飲み物を…」
「お構いなく、まだ病人なんだから休んでて。それに神座くんのところで珈琲を頂いたばかりだから」
腰を下ろしたベッドから立ち上がろうとするも、守野さんは胸の前で手を振ってそれを制止させた。
たしかに、守野さんの身体からは微かに染み込んだ珈琲の匂いが漂ってくる。
神座さんの部屋で土曜日のモーニング珈琲か……。
ボクの胸がチクリと痛んだ。
「昨日はあんなことになってしまって……」
ボクは胸の痛みを誤魔化すように話題を切り出した。
「あ…ああ、あれね……ごめんなさい、あれ私のせいなの」
守野さんは顔の前で手を合わせて頭を下げると先を続けた。
「昨日お盆に土鍋を載せて来たじゃない、そのときに玄関をちゃんと閉めてなくて半開きだったらしいのよ。神座くんはそれを勝手に入って来いっていう意味と勘違いしたところで、私が奇声をあげちゃったわけ……」
昨日のことを思い出すと、恥ずかしさが込み上がってきて、今の微熱が原因ではない顔の火照りを感じる。
「神座さんって本当にタイミングの悪い人なんですね……」
ボクは苦笑いを浮かべながらそう言うも、気を取り直して本題を切り出した。
「昨日のことですけど、守野さんに分かってもらうためには、見せるしかないと思いまして」
守野さんも空気を察してくれたようだ。
「ひょっとして晶ちゃんって……」
「真性半陰陽なんです」
守野さんが言いにくそうにしていたので、ボクは自分から答えた。
「ずっと男だと思って生きてきたんです、中学生までは男の制服を着て男として学校に通っていました。でもこんな身体になってしまって……」
ボクは膨らんだ胸に手を添えて揺らして見せた。
「こんな大きくなったら誤魔化しも効かなくなってきて、友達にバレるのも嫌で、じゃあ誰もボクのことを知らない遠くの高校に入学して変だと思われないように最初から女として入学したんです」
守野さんはベッドとの距離を座った椅子ごと縮めると。ボクの頭を撫でた。
「そっか、お友達に隠しておきたかったのね、分かるわ……私もね、お化粧をしたり女の子の格好をしてることを高校までの友達にも、両親にも言えてないの」
え、いつも堂々としてるからとっくに伝えてるものだと思っていた。
「やっぱり、普通じゃないことを告白するのって怖いものよね、両親に関しては怖い気持ちと同時に身体と心の性の不一致に申し訳なさも感じてしまうの。私、自分のことをこう言うの本当に嫌なのだけど……」
守野さんはボクの頭を撫でるのを止めて手を離すと、言葉を止め、目を閉じ一度大きく深呼吸をしたあとに再び口を開いた。
「私のことを……おとこ……として良かれと思ってずっと育ててくれて、洋服も靴も自転車もランドセルも買い与えてくれた。でも全部、本当はもっと可愛いものが欲しかった…なんて言い出せないもの……」
守野さんにも言えない相手はいたんだ……。
「普通に、なりたかったね」
「え…?」
ボクは思わず声を漏らした。
「必死に普通じゃないことを隠してきて、やっと普通になれたと思った晶ちゃんの前で、普通じゃない生き方を見せつけちゃって、ごめんね」
違う、守野さんはなにも悪くない、ボクが……。
「ボクが、守野さんの生き方に嫉妬して当たってしまったんです、本当にすいませんでした」
ボクは昨日、結局言えなかったことを守野さんに伝えた。
ボクの身体のことや、なにを考えていたのかなんてどうでもよかった、なんでまず最初にこう言わなかったんだろう。
「どうか、仲直りしてくれませんか?」
ボクは頭を下げて、守野さんに手を差し出した。
「気にしてない、って言ってるでしょう」
守野さんはボクの手を軽く握ると。笑顔でそう言った。
「ありがとうございます」
ボクも守野さんの手を握り返して、笑顔を向けながら言った。
守野さんはボクの手を握り、その笑顔のまま椅子から立ち上がるとベッドに移動してボクの横に座った。
「それにしても元々は男の子だったなんてね、私そういうの気が付くんだけど、晶ちゃんに関しては全く分からなかったわ」
隣に座った守野さんはボクをまじまじと見ながら言った。
「そりゃあボクは胸もあって、骨格も女ですしね」
ボクは自分の腰回りに視線を落としながら言った。
「うーん、そうじゃないの、なんて言ったらいいんだろう…」
守野さんは視線を上に向けてなにかを思い出そうとするような、考え事をするような素振りをしばらく続けると、なにか思い当たったようだ。
「あー、晶ちゃんが神座くんを見る目が、ずっと乙女だったのよねー」
「え⁉ おと…」
ボクは守野さんの指摘にどこかしっくりくるところを感じていた。
たしかに神座さんと最初に会ったときから、今まで感じたことがない気持ちがボクの中を駆けずり回っていて……。
「晶ちゃん、神座くんのこと好きでしょ」
守野さんはどこか意地悪そうな笑みを浮かべてボクに言う。
ボクだって、ようやくこれが恋だと分かったんだけど……まさか守野さんはボクが神座さんに恋をしていると気づく前から、ボクより先にボクの恋心に気づいてたってこと……?
「そ、そそ……」
そんなことない、という言葉が自分の心の内を見抜かれていた恥ずかしさで出てこない。
それに神座さんを好きなのは守野さんも同じだろうに、それに神座さんにはボクなんかより守野さんの方がお似合いだと思ってる。
ボクが神座さんを好きだなんて認めちゃいけないんだ。
「私はね、神座くんが大好きよ」
守野さんは意地悪な笑みを引き締めて言う。
「大好きだから分かるの、晶ちゃんも神座くんのことが好きなんだって。そして分かるの、晶ちゃんが遠慮してるって」
守野さんは先ほどから握り合ってる手にもう片方の手を乗せて続けた。
「自分の容姿や身体のことで遠慮をしているのか私に対して遠慮しているのか、それともその両方かは分からないけど、恋に遠慮は無用よ。さしずめ私たちは恋のライバルってことで私も負けるつもりないから、お互い当たって砕けるつもりでアタックしていきましょう!」
守野さんは明るく笑顔でそう言うと握る手に力を込めた。
ボクも神座さんのことを好きでいい?
ボクも神座さんにそう接してもいい?
こんな身体だからどうせうまくいかない。
だったら最初からこんな気持ちに蓋をして進展はないけど自分が傷つかないようにと、ボクは守野さんを理由に神座さんへの気持ちを認めることから逃げようとしていたんだ。
自分で自分に秘密にしていたことを明かすのも、こんなに怖いことだったなんて。
そっか、好きになっても良いんだ
自分自身と守野さんに嘘をつき、隠しておこうと思った気持ちを暴いたボクは憑き物が落ちたよう気持ちだ。
男なら、当たって砕けろだ。
ボクも空いたもう片方の手を重ねると力を込めて握り返し、
「はい、ボクも負けませんからね!」
と宣戦布告をした。
男らしく神座さんに恋をするために。
M.B.L. Man`s Boy`s complex Love Sasayaki Fuhn @Sasayaki-Fuhn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。M.B.L. Man`s Boy`s complex Loveの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます