幸運のペンダント

マサカノ

第1話 プロローグ

退きやがれぇ! そこを、退けぇ!」


 怒気に近い大声が、耳を駆け抜けていく。発信源は、十メートル程前方からこっちに向かって走りこんでくる大柄の男。それはただの奇行、なんて結末ならこの場にいる全員が安堵したに違いない。

 男の右手にはナイフが握りしめられていて、Tシャツの右側は赤い染みが点々と連なっている。

 こうなれば、誰もが逃げ出すのが必然なわけで、当然俺も例外ではない。

 町の中心地だったからか、夕方でも多くの人が出歩いていて、それぞれが蜘蛛の巣のように逃げ惑う。

 その中で一人、集団とは異なる行動をしている者がいた。女子高生だ。制服で分かった。小刻みに体が震えている。察するに、恐怖で体が動かないと、まあそんなところだろう。

 ――ああ、またか。またか、だ。

 流石に、ため息の一つでもつきたくなる。

 俺の人生は、不幸の連続だ。気を休める暇さえ与えられることは無く。次々と不幸が押し寄せてくる。

 とまあ、こんな可哀そうアピールをする権利なんて、俺にはないのだけれど。

 だって、ほら。今俺は、自分から不幸に飛び込んで行ってるようなものだろ?

「こっちだっ!」

 気が付いた時にはもう、体は動いていた。彼女の腕をつかみ、強引に引き寄せる。流石に人をひとり持ち上げる力はないから、自分の足で走ってもらいたいものだが。

 その願いが通じたのか、彼女は我に返り、俺に引き寄せられるがままに走り続ける。

「……はあ、はあ」

 息遣いが荒くなっていくのが分かった。足も痛くなってきた。それは彼女も同じだったようで、示し合わせることもなく、ほぼ同時に足を止めた。

 大通りからは少し離れた、人通りのない路地裏。耳を澄ませば、にゃー、と猫の鳴き声が聞こえてくる。それ以上に、手のひらに伝わってくる彼女の脈の方がうるさく感じた。

「あの……」

「あ、ごめん」

 とっさに手を離す。知らない男に腕をつかまれて気分のいい女子はいないだろうが、そこは我慢して欲しい。緊急事態だったわけだし。

「その、ありがとう……ございます。助けてもらって。私、とっさで、怖くて、動けなくて……」

 そう言う彼女は、まだ少し、震えていた。声を出すのがやっとといったところか。

 なんて答えるべきか、などと考える必要はない。

「俺が勝手にやったことだ。忘れてくれ」

「そ、そんな訳にはいきませんっ。せめて、お礼ぐらいはさせてください」

「礼はいらないし、必要がない」

「でもっ! ……!」

 食い下がる彼女を、首を横に振って押し黙らせる。

「なら、せめて名前だけでも教えてください!」

 これ以上は、譲歩する気はないらしい。さっきまで震えていたのは何処へ消えたのか、強いまなざしで彼女は俺を見据える。

 どうしようか。別に答える必要もない。が、それで騒がれると面倒ではある。路地裏にいる男女。女子の方が騒ぎ出すとなると。警察でも出てくれば俺が加害者にしか見えないだろう。

 まあ、名前くらいなら構わないか――。

「足土、足土雄大あしどゆうだいだ」

 もっとも、この先会うこともないだろうが。

「足土さん、ですね。覚えましたっ」

 そう言って、彼女は、にこっと微笑んだ。

 その表情を見て、ズキリと、心が痛んだ。

 何故なら俺は、


「……礼なんて、いらないんだよ」

 

 俺の独り言は、誰にも聞かれることが無く、空中で霧散した。

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