悪友は君と視線を合わせない。【天水捧編】


 ――うっかりと、寝ていたことを自覚する。


 いやもう、文句のつけようしかない迂闊さだ。普通の男子高校生が初夏の陽気に当てられて、喧騒と静寂のほどよく混ざる旧校舎の部室で、身体を抱き止めてくれるようなソファの柔らかさに思わず甘えてしまう分には問題もなかろうが……何しろ、俺、幸村隼人の状況と来たら、今はそうした呑気さは何よりの贅沢品に違いない。


 俺が持つ、世界さえ変革させるかもしれない代物【楽園の鍵】を狙う刺客に、四六時中狙われている身の上なのだから。


 とはいえ、俺を守ってくれている頼もしいエージェントや、正義の組織STCCの協力で、通っている学校内は現状安全だと自称【世界最強】なチーフさんは言ってくれている。


 だからといってこの油断はない。

 しかも今は、別に、ひとりでもないというのに。


「何してんの」


 あくび混じりに話しかける。

 声をかけた相手は、窓際の定位置に椅子を置き、膝の上に置いて本を――読むのではなく、開け放った窓際に肘を立て、手のひらに顎を乗せて二階から外を眺めている座敷童だ。


 この文芸部室の主にして、俺の悪友であるところのそいつ――天水捧あまみささげは、こっちを見ず、視線を斜め下に向けたままで答えた。


「世の中観察ー」

「だろうと思った。調子はどうよ?」

「入学からまだほんの一月だけど、変化は顕著だね。新入生からは固さが抜けてるし、隣にいる相手も結構変わってる。ああ、あの子なんかほら、三週間前とは別の男子と肩組んでるぜ。おや、あちらのノッポは先日まで柔道着を着てたはずだが、今は野球部のユニフォームか。ははは、面白いねえ。いったいどんな運命のイタズラがあったのやら」


 捧は、イイ趣味をしている。

 一口に言えば、人を見ることがライフワーク。こいつの目にかかれば平凡な地方都市の一角も絢爛豪華な舞台であり、普通の営みにも楽しさを与えて喜びや好奇を見いだす……本人が好くようなひねくれた言い方をしてしまえば、【些細なことでも羨ましがれる、凡人であるがゆえの特権】というやつだ。


 まったく、よく言うものだと思う。自覚はあるのかないのか、お前はお前で大概だからな?


「絶好調じゃん。なに、今日はやたらと冴えてるかんじ?」

「それはもう。折角部室に来たと思ったら、世間話も楽しまずにソファで寝こけだすそっけないのがいたもんだからさ。そのままじゃ落ち着けないんで、本を読むのも中断して気分転換だよ。あはは、よっぽど襲ってやろうかと思った。つまんないし、負ける気がするからやめたけど」

「……悪かったって。ちょい疲れててさ、野暮用で」


 ここのところ、クラスにいるときも休み時間は眠ったりとかであんま駄弁ってなかったもんなあ。手癖で回すペンがない程度には手持ち無沙汰をさせたのかもしれない。


 どれ、ではひとつコミュニケーションの取り直しと行こう。

 俺は頑なにこちらと目を合わせない捧の後ろに立って、町を眺める。


 二階というのは微妙なところだ。お互いの手は届くべくもない程度には高さで離れつつ、遠いという印象がそこまでない。見ている風景と立っている場所が、地続きか曖昧な距離感。

 まるで、町が見下ろす舞台のようだった。


「――捧はさ」

「うん?」

「ああいう人らに、自分が関わって、うまくいくようにしようとは思わないタイプ?」

「おや。何だい隼人、メアリー・スーの志願者だったかい?」


 それはいわゆる、【作中に介入する、本来の筋書きに存在しないチート・プレイヤー】のスラングだ。捧の苦笑には、からかうようなニュアンスが混じる。


「見ているだけで楽しいトクベツってのはね、見ているだけで満足しなくてはならないトクベツさ。どんなにその状態が好転しようとも、ボクを認知した推しはもうボクが好きな推しではないのだ、って言えるかな?」

「……自分が関わることで、素敵だったモノが濁る。ありのままでなくなり、不本意なかたちに変わってしまう?」

「それそれー。さすが同士、わかってるねえ隼人」


 正しい理解かどうかはわからないが、その気持ちはわかる。

 ただ、俺は捧と違って遥かに小心者だから、自分がそこに交わる資格であるとか、責任なんかが気にかかる。


 トクベツであるものを、自分のフツウが貶めてしまう恐ろしさ。その変容が不可逆であり、償いの手に乗せきれないという重圧。

 ――ああ、そうだ。世界はこんなにも、見ているだけのほうが易い。気楽に、娯楽として楽しめる。


 そう思っていた。

 ほんのちょっと前まで。


「お――――――――い!」


 窓の外へ、舞台の地上へ、叫ぶ。

 突然の大声に、何事かと驚いてこちらを見たのは、つい最近までの相手とは別の相手と肩を組む男女と、そして、部活替えをした野球部ユニフォームの男子だ。


「そこの、校門のところの女子! あんたを探して今、野球部の奴が走ってる! どんな事情かは知らないけどさ、そんな嫌そうにしてるんなら話くらいは聞いてやれよ! そいつさ、裸足のままで外靴に履き替えるのも忘れるくらいに必死だぞ!」


 かくて、歯車が噛み合う。女子生徒は足を止め、野球部は校門へ向かう。

 二つのトクベツが結び付き、生まれた光景は、もしかしたら本来起こり得なかったもの。


 いかにも不良という柄の悪い、無理矢理に女子と肩を組んでいた先輩が野球部男子に殴りかかり、反撃に一本背負いで砂に転がされ……そして、野球部が何を喋ったことで女子が涙を流してその胸に飛び込んだのか、声はここまで聞こえず、詳細はわからない。ので、わかることだけを俺は言う。


「自分が見ていて楽しいのがいいか、それとも、ずっと見てた奴らに楽しくなってほしいのか……どっちが正しい、なんてのはもちろん言い切れやしないけどさ。本物の劇や物語ならまだしも、フツウに生きてる分なら案外、客席と舞台上ってのは案外遠くも無関係でも……っずぁッ!?」


 急な奇声をあげてしまったのは、捧に腿を思いきりつねられたから。

 突然なにすんのこの子は、と抗議の目線を向けるも、相変わらず捧は外だけ見ていて、俺のほうを見ようともしない。


「ちょっ、はっ、何!? えっ!? も、もしかして何、邪魔したんでキレた!? それはごめんだけどさ、俺だって別にイイじゃん俺の方法でやったって! それにさあ、相変わらず大雑把なんだよ捧は! 先のことは見えてるけど足元はあんまり見てないっつーか、効率的に広くは見るけど非効率な細かい部分は流しがちっつーか!」

「腹立つ」


 ぽそり、とささやく一言は、言葉とは裏腹に、軽快で。

 淡々としていた表情は、痛快な笑みに変わっていた。


「こんなやりかた、論外なのに。ボクのスタンス真正面から破っといて、ボクが一番見たかったもの出すんじゃないよ。ずっこいだろ」

「ふは。そりゃもーしわけござーぁせんした」


 と、ポケットの中でスマホが震える。

 どうやらメッセージの着信で、呼び出しだ。……用事が終わったから待たせたけど一緒に下校しようという、俺の、フツウに頼もしいエージェントから。


「んじゃな。いい気分転換になったよ、ありがとな、捧」

「そりゃどうも。まったく勝手なやつめ。最近別の仲良しができたからって、都合よく利用してくれちゃってさ。でも許そう。互いを縛らないのが、ボクたちの友情の持ち味だしね」


 鞄を持ち直す。捧は結局最後までこちらを向かず、俺と視線を合わせない。

 けれどまあ、別にそれが、心地悪くは感じない。

 近くも遠くもない、どちらでもある心地よさ――そういう関係なのだ、俺たちは。


「やっぱり君は興味深い。天水捧に欠かせない。これからも友達でいような、隼人」

「ははん、望むところだ。どれだけお前が、俺の友達以外になろうとしてもな、捧」


 空調の効いた部室を出れば、初夏の気配は、暑さというかたちでより親密に。

 迫る夏の気配、新しい季節の訪れを、肌と汗で感じさせた。

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【エージェントが甘えたそうに君を見ている。】オマケ番外編集 殻半ひよこ @Racca

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