オリオンの下で
カシオレ
SS はじまりのはじまり
今日、私は生まれ育った町を出ていく。誰にも内緒で。
手元にあるのはコツコツ貯めた20万円と、お年玉で買った3DSと、手のひらサイズの鳥のマスコット人形の”ピィ”が入ったショルダーバック。
みんなここに置いてくと決めた。
母には買い物に行くと告げて、何食わぬ顔で家を出る。
騒ぎにならないよう、出ていくから探さないでほしいとしたためた一筆箋を郵便受けに突っ込んでおいた。
日の落ちた山は寒い。
手袋も持ってくればよかったと後悔した。
最寄り駅まで徒歩30分ほどの道をほてほて歩いた。
子供の頃からなにも変わらない景色たち。
変わったのは、私の心。
町工場の前に自販機が見えた。
これぐらいの贅沢は許されるだろうとホットミルクティーを買う。
「凪?」
聞き覚えのある声に身体が震える。
振り向けば、時々勉強を教えてくれた近所のお姉さんが立っていた。
「やよいさんこんばんは。」
「こんばんは 珍しいね、こんな時間に。」
「あ…ちょっと行きたいライブがあって。」
そっかそっかとやよいさんがうなづく。
これは本当だ。彼女が思ってるライブハウスよりうんと遠くで、おまけに日にちもうんと先なだけで。
「今から電車乗っていけば、19時30分の開場に間に合うもんね。」
「はい。では。」
会釈をしてまた駅へ向かって歩いてく。
てくてくてく。
後ろから私のじゃない足音がついてくる。
「…なんですか?」
「んー。暇潰し?」
やよいさんはニカッと歯を見せて笑う。
金髪に近いワンレンヘアーと真っ黒い瞳。身体のラインを強調するようなぴったりしたコート。
黒髪おさげにダボッとしたPコートの私とは正反対の人。
数日後には私もこんな姿になっているんだろうか。
3月の冷たい風が頬に当たる。
「ねぇ、近所のよしみでなんか話してもいい?」
「どうぞ。」
「私が凪ぐらいの頃、この町が大嫌いだったよ。いつか大人になったら出ていってやろうと思ってたんだ。」
いきなり核心をつくようなことを言う。
そういえば、昔からそんな人だった。
「都会の国立大学受験したけど、2回落ちて諦めたんだ。もうこれはここで骨を埋めろ!って言われたような気がしてね。」
ペースダウンしたやよいさんに合わせて、私もゆっくり歩く。
なにかを懐かしむような表情で、雲に覆われた空を見上げていた。
いつの間にかチュッパチャップスを咥えている。
「凪は好き?」
「……好きじゃないです。排他的で、保守的で、自分達だけが正しいと思ってる。」
「ははは、その通りだね。」
表情を悟られないよう、マフラーを鼻まで引き上げた。
さっきまで遠くを見てたくせに、今度は私の顔を覗きこんでニコニコ笑ってる。
「正直者の君には、1つ面白いことを教えてあげる。来年の秋に私ママになるんだ。相手は違う土地の人。古い名字もこの土地も捨てて、新しい私になるんだよ。」
固まる私をよそにやよいさんの言葉が紡がれていった。
「ずっとこの土地が嫌いだった。人やしきたりが嫌いだった。だから今清々しい気持ちでいっぱいなんだ。親はお腹が目立つ前に出ていけだってさ。喜んで出ていくよ、もう帰らない。出発は明後日。」
「えっと…おめでとうございます。」
「ありがとう。」
何故か握手させられた。
妊婦さんの手を触るのははじめてだ。少し冷たい。
「冷やさない方がいいんじゃないですか?」
ほんのり温くなった未開封のペットボトルを手渡す。
ありがとう、と受け取ってくれた。
「あったかいね。」
駅の明かりがぼんやり見えてきた。あとちょっとで、終わる。
「なんで出ていこうって思ったかって言うとね、私の大切な人が自ら命を絶ったんだ。この土地の人間に酷い扱いを受けて。ただ、よその土地から来たってだけで。もうね、風俗嬢でもなんでもやって学費稼いで、こんなことからいなくなってやる!って本気で考えたよ。」
思わずうつむく。
やよいさんも私とおんなじだ。
一番近くにいたはずなのに、助けてあげられなかった。
「凪、今いくつ?」
「…19です。来年20歳になります。」
「じゃあ5つ下だね。大人はいいぞぉー。門限もないし、酒も飲めるしタバコも吸える。結婚するも子供作るも自由だ。」
妊娠したら吸えなくなるけどね、とまた笑う。
「私は、あと1年が待てないんです。友人をしぬまで追い込んで笑ってる同級生も、なかったことにしようとする親も許せない。離れたくて仕方ない。」
ピィをギュッと握りしめる。
「やっぱりね。優等生の凪がこんな時間に歩いてるなんておかしいと思った。ねぇ、行く宛はあるの?仕事は?」
「寮のあるとこで働くつもりです。それまではネカフェで寝泊まりして、日雇いの仕事でもします。」
「…それは、男の人にサービスする場所?」
小さく頷いた。まずは貯金をして、それから大学へ通って一般企業へ就職したい。そのためには自分の身体を換金するのも厭わない。
自分に嘘をつくのも、親の言いなりで暮らすのも、やめる。
「応援してるよ。凪ならきっと大丈夫。私の勘がそう言ってる。」
「ありがとうございます。」
駅はもう目の前だ。
頭を下げて券売機へ向かう。
新幹線の切符を買うのはこれがはじめてだ。買い方がよく分からなくててまごつく。Suicaを持ってこなかったことをちょっとだけ呪った。
ホームに降りるとカンカンカンカンと電車の近付いてくる音が響く。
これからどんな生活が待ってるんだろう。不思議と不安はない。
「凪ぃーーー!!」
背面からやよいさんの叫ぶ声がした。
振り返ると同時に、自分の足元にコンビニ袋が飛んでくる。
「さっきのお返し!私も負けないから!凪も、凪も負けるなよぉー!!」
フェンス越しに白い息をたくさん吐きながら叫んでる。
よく知らないけど、妊婦さんって走っちゃいけないんじゃないの?
「ありがとうございまーす!やよいさんも!身体大事にしてくださいよぉ!」
汽笛が鳴った。
急いでボックス席に座る。
笑顔でブンブン手を振るやよいさんと私。
電車が発車して、姿が見えなくなるまでずっと振りあった。
コンビニ袋の中身は、キャラメルと飴とお煎餅と、それからレシート。
急いで買ってきてくれたんだなと笑みがこぼれた。
はらりと落ちたレシートの裏には彼女の文字が踊っていた。
『風ふけば 峯にわかるる 白雲の 行きめぐりても 逢はむとぞ思ふ』
オリオンの下で カシオレ @CassisOrange
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