後編

可憐からプレゼントを受け取ってからの数週間は、随分緩やかに時間が流れていたと思う。


そう感じることができたのは、きっと私の心に余裕が生まれたからだ。


翔也と可憐の仲を疑ってしまったなんて、今となっては思い返すだけで恥ずかしい。


それは結局、私の思いすごしに過ぎなかったのだから。




可憐の口から翔也に対する本音を直接聞けたのが大きかったのだろう。


焦燥感に駆り立てられていたのが嘘のように、今の私は穏やかだった。






翔也とは以前よりも話せるようになっていたし、可憐という共通の話題が出来ていたため、心の距離も近づいているのではないかと密かに思ってたりもする。




ただ、あの子のことに関して話すときはやけに優しい顔をするようになったことだけはちょっと引っかかるけども、まぁ気のせいだろう。




仮にもし、万が一があったとしても、可憐からは翔也に矢印が向いていないことは分かってる。


どうせ振られるのがオチだ。そのときは私が慰めてあげればワンチャン…いやいや、これはダメ。


私が直接好意を伝えなきゃ意味ないし。




(まぁ焦ることはないわよね)




ライバルはいないんだ。それなら最初の予定通り、じっくりと関係を変えていけばいいだけの話なのだから。


そんな明るい気持ちで部室に向かっていると、途中で見知った後ろ姿を見つけ、思わず駆け寄っていた。




「かーれん!」




「うひゃ!」




背後から軽く肩を叩いて声をかけると、我が後輩は予想以上のリアクションを見せてくれた。


可愛い悲鳴をあげてピョンと跳ね上がる可憐を間近で見て、私も思わず綻んでしまう。




「アハハ!ちょっとびっくりしすぎよ可憐。そういう反応してくれるのは私としては嬉しいけどね」




「お、お姉様でしたか…いえ、驚きますよあれは…」




胸に手を当て浅い呼吸を繰り返す可憐。同時に胸も上下しており、その大きさは私よりもよほど…いや、そんなの今はどうでもいいか。


せっかく気分がいいというのに、ここでわざわざ自分からへこみにいく理由もない。


落ち込みそうになる自分を誤魔化すように、私は口を開いた。




「ごめんごめん。可憐の姿が見えたものだからついね。いつも可憐から声をかけられてばかりだったからたまにはって思ってさ」




「いえ、怒ってはないのですが…あ、そのヘアピン、今日も付けてくれていたんですね」




謝る私に戸惑うような反応を見せながら、あることに気付いた可憐は嬉しそうに笑う。


それを見て、私は軽く髪をかきあげた。




「それはもちろん。大事な後輩からのプレゼントですから」




指の間から零れる髪をまとめる一点のヘアピン。


後輩と幼馴染が私のために選んでくれた、緑色の月桂樹をモチーフにしたそれは、陽の光を浴びてキラキラとした輝きを帯びていた。




「嬉しいです…!やっぱり私はお姉様が大好きですよ!」




「ちょっ!だから抱きつこうとするなっての!」




感極まって飛びついてこようとする可憐を軽くいなしながら、それでもこの時の私は、まだ笑顔だった。




















「ねぇ可憐、最近駅前に新しいクレープ屋さんできたの知ってる?」




部活も終わり、いつも通り可憐と並んで校門へと歩く私は、可憐を寄り道へと誘っていた。


ここ最近は調子も良く、これならまず間違いなくレギュラーに選ばれることだろう。


今の自分に手応えを感じると同時に、少しばかりご褒美をあげてしまいたくなったのだ。運動した後には甘いものが鉄板だし、たまにはいいだろう。




「あ、そのお店私も知ってますね。うちのクラスでもちょっと話題になってましたよ」




「あ、そうなんだ。結構美味しいって噂は耳にしてるのよね」




「ですね、私もそう聞いています」




うん、食いつきは悪くない。このぶんならこの子も間違いなく付いてくる。OKOK。


素敵なプレゼントを貰えたこともあり、私からもなにかお礼のひとつでもしようとは思っていたのだ。


それだけでなく、思えば無理に翔也を紹介したりと、最近この子には悪いこともしてきた。


そんな罪滅ぼしも兼ねて、少しは先輩らしいことをするとしましょうか。




「じゃあ今日はそこに寄っていこうか。せっかくだし、今日は私が奢ってあげるわよ。」




そう言って私は胸を叩いた。すこーしばかり財布には痛いけど、まぁたまにはいいでしょう。見栄を張るのも大事なのだ。




「ほんとですか!?行きます!さぁすぐに行きましょう!」




「はいはい。まったく、そんな慌てないの」




私の言葉に目を輝かせてあっさりと食いついてくる可憐を見ると、なんだか微笑ましく思えてくる。


慕われてるのが分かるし、なんだかんだ悪い気はしなかった。


ワンコインが飛んでいくのも、まぁいいかという気分になる。本音を言うと欲しい漫画もあったりしたけど、それはまたの機会にすればいいだけだ。




私にとって四ノ宮可憐という子は、あるいは翔也に並ぶほどに、かけがえのない存在になりつつあったのだから。




「だってお姉様とスイーツ食べに行けるなんて嬉しくて……ぁっ」




喜びを顕にしていた可憐だったけど、さぁ校門を出ようとしたタイミングでなにかに気付いたように足を止めた。




「どうしたの?」




「あ、えっと。ちょっと待ってください。メッセージがきたみたいで…」




そう言って可憐は少し困ったような顔をしながら、ポケットからスマホを取り出した。




「そうなんだ。いいよ、全然。別に気にすることでもないしね」




ちょっとタイミングは悪かったかもしれないけれど、別に怒るようなことでもない。


むしろこれくらいでキレるような人間にはなりたくないし。




「すみません、すぐ済ませますので…」




足を止めた後、ぺこりと一礼してスマホを覗き込む可憐。それについ釣られてしまい、私も見てしまいそうになるけど、寸でのところで自重する。


親しき仲にも礼儀有りっていうものね。こういうのは大事なことだ。




「…………!」






だけど、あるいは。






この時に可憐のスマホに誰の名前が表示されていたのか、気づいていれば。






もしかしたら、なにかが変わっていたのかもしれなかった。






「あ、あの、お姉様…」




「ん?」






でも、そんなことが今の私にわかるはずもなく。






「その…クレープを食べに行くのは、またの機会でよろしいでしょうか……少し、用事ができてしまいまして」






少し顔を赤らめた後輩に、断りの言葉を述べられたことに対して、ただ目を丸くすることしかできなかった。











「なんというか、意外ねぇ…」




校門へと寄りかかりながら、私はポツリとそんな言葉を零していた。


あれから必死に平謝りしてくる可憐を送り出し、宙ぶらりんとなった予定をさてどうしようかと考えながら、少しだけ思いを馳せているところだ。




(あの子に好きな人ができていたとは…)




顔を赤らめて足早に校舎へと戻っていくあの子の後ろ姿は、明らかに嬉しそうだった。それこそきっと、私といた時よりも。


あんな顔を見せられてなにも察することができないほど、自分は鈍い人間ではないと自覚している。たまに恋愛相談などを持ちかけられたりもしているのだ。


感謝されることも結構多いし、こういった話は空気を読めるほうである。


その経験を踏まえて考えてみるに、可憐は間違いなく誰かに恋をしているのだろう。


いつの間にとか、アンタ男嫌いじゃなかったの、とか。言いたいことは正直いろいろあったけど。




「ま、お幸せにね可憐。私は応援してあげるから」




そう言って私は笑った。そんなことは些細なことだ。


そりゃ本音をいうなら、あれだけ私にべったりだった可憐が相談してくれなかったことはちょっとだけショックである。




だけど、誰にだって隠し事のひとつやふたつはあるものだ。


以前男嫌いであることを口にしていたこともあるし、言いづらかったのだろうと納得していた。


だいたい、私だってあの子には翔也に対する気持ちを口にしたことはないのだ。


ある意味お互い様とも言えるだろう。そういう意味では、案外私とあの子は似たもの同士なのかもしれないな。




まぁそのことを差し引いても、あの場でそんな白けることを追求するほど、私だって野暮じゃない。


全部呑み込んで背中を押すくらいなんてことなかった。


後輩が幸せになるというのなら、素直に祝福してあげよう。




……その相手が翔也でないことを密かに安堵している自分からは、目を逸らす。




だけど強いていえばただ一つ、問題があるとするならば…




「明日からどうしよ…」




思わずため息をついてしまう。それは今後の私の身の振り方について。


可憐とは当面の間、一緒に下校もままならないだろうと思ってのこと。


その理由は言うまでもない。あの子はきっと今頃告白をされているだろうことが想像できたからだ。


そして告白を断るなんてしないことも。あの可憐を見て、断るなんて思えるはずもないのだから。




「そうなると明日から可憐はどうせ彼氏と一緒に帰るだろうし、私は独り身ってことかぁ」




好きあった男女が恋人になったら、いつも一緒にいたいと思うのは当然のことだ。


特に付き合いたてホヤホヤのカップルなら、登下校の時間は貴重なはず。


これまで通りあの子と帰るということは少なくとも当面の間は望めないだろう。


そう考えると自然とため息がこぼれ落ちた。


まさか可憐に先を越されるとは…人生って分からないものだとつくづく思う。




「ま、いつまでもへこんでても仕方ないか」




下がりつつあるテンションを誤魔化すように首を振ると、私はスマホを取り出した。


こうしていても仕方ないし、それならばと、ある人に連絡を取ろうと思ったからだ。


あるいは無意識のうちに、可憐に勇気を貰っていたのかもしれない。


あの子が前に踏み出したというなら私もという、先輩として一種の意地のようなものが働いたのかもしれなかった。








「よし、と…」




気合を入れて連絡先の番号をプッシュすると、少しの時間を置いてプルルル、プルルルと連続的な機械音が僅かに響く。


今か今かと待ち構えながらも、ディスプレイに映る名前を見てゴクリと生唾を飲んでしまう。




(どう誘おう…やっぱり無難に一緒にクレープでも食べに行かないとか…いや、これだとストレートすぎる気もするし、新しいお店ができてて気になってるとか、もっと遠回しな言い方をしたほうが…)




電話をかけた後にこんなに悩んでしまうあたり、私はやはり結構なヘタ…ううん、奥手なのかもしれない。


こんな弱気な虫を吹っ切るために、早く電話に出て欲しいという気持ちと、やっぱりもうちょっと時間が欲しいから出ないで欲しいという切実な気持ちが、私の中でせめぎ合う。


だけど結局は翔也次第。既に匙は投げられ、私の手から離れている。


祈るような気持ちで待つのだけど、結局かけた電話に翔也が出ることはなく、留守番電話のメッセージが流れるまで、私の心臓は高まったままだった。




「……これはこれで、なんか複雑だなぁ。忙しいのかしら、アイツ…」




ある意味望み通りの結果に終わったわけだけど、なんだか肩透かしをくらった気分だ。


ダメ元でもう一度電話をかけ直すも、やっぱり反応はナシ。


ならメッセージを送ろうかとも思ったけど、それだとタイミングがずれそうだし、気付かない場合は当面の間ここで待ちぼうけを食らうことだろう。




「……しょうがない。今日は帰りましょうかね」




校門ということもあり、人の行き来はそれなりにある。あまり注目を浴びたくもなかったし、帰宅途中に翔也からの連絡があればそれで良しと考えるべきだろう。




そう判断して、私は足を自宅のほうに向けた。


一人での下校は久しぶりだったけど、案外寂しいという気持ちを感じることなくその日は家路につくことになる。










だけどその日、結局翔也から電話がかかってくることはなかった。













「ふぁぁぁ…」




次の日の私は朝から既に眠かった。


理由は単純なもので、翔也からの連絡を待っていたら夜更かししてしまったというだけである。


傍から聞けば呆れてしまうような理由だろうけど、私からすれば切実だ。


好きな相手から無視されているのではと思えば、不安に駆られない乙女がいるのだろうか。


そんなわけで昨夜は日付が変わるまで悶々とした気持ちをずっと抱いていたのだが、気付けば寝てしまっていたのが現実である。


もちろん起きてすぐスマホを確認はしたのだが、やっぱり連絡はナシ。




残ったのは寝不足の頭と、下がりきったテンションのみだ。


自分からもう一度電話をかけたりするのはしたくない…また無視されることを考えたら、つい尻込みしてしまうから。




「そういえば可憐からもなんにも連絡ないのよね…」




このままだとひたすら気持ちが沈みそうであったため、思考を切り替えようとしたのだが、そうなると思い浮かぶのは昨日嬉しそうな笑みを浮かべて校舎へと駆けていった後輩の姿だった。




「なにも言ってこないってことは上手くいったってことよね、多分…」




人の心配をしている場合ではないかもしれないけど、やはり気にならないといえば嘘になる。


よくよく考えたらこれもおかしな話だ。あの子なら付き合い始めたとあらば、きっと私にいの一番に報告してくれるものだと思っていたのに、メッセージのひとつも未だにない。


翔也にばかり気を取られていたけど、可憐は可憐でなにかあったのだろうか。




(連絡してみようかな)




引っかりを覚えると、確かめたくなるのが人間という生き物だ。


スマホを取り出し、軽く操作しながらメッセージを送ろうとしたところで、ふと前のほうを歩く人影に既視感を覚えた。


それは私と同じ学校の制服を着た女子生徒で、栗色の髪をツインテールにした、つい昨日も見たばかりの後ろ姿……




「あれ、もしかして可憐…?」




太陽の光を反射して、キラキラと輝くあの子の髪を、私が見間違えるはずもない。


よく見ればひとりではなく、隣には同じくうちの学校の制服で、少し背が高めの男子の姿もある。


なにやら楽しく談笑しているようで、以前見た男子を前にしたときの刺々しさを微塵も感じさせない、明るい雰囲気を醸し出している。




ここから導き出される答えはひとつだ。つまり、あの男子こそが可憐のハートを射止めた強者。


そしてふたりは付き合い立てのカップルとして、朝から早速イチャつきながら学校に登校しているということか。




(でも可憐の家ってこっちじゃないわよね。確か反対だったはず。ということは…)




今はまだ朝も早い。あの子の家から私の家にほど近い場所まで彼氏を迎えにきたというのなら、結構な早起きをする必要があるだろう。


それなら健全なお付き合いということで済ませることもできるだろうけど、そうでないとしたら…




「……いろんな意味であの子に先を越された可能性があるわけね…なんか泣きたくなってきた…」




ガックリと肩を落として、思わず頭を掻いてしまう。


その際勢い余ってあの子の贈り物のヘアピンも巻き込み、ガリガリと掻き毟ってしまったが、それに気を取られるほどの余裕もなかった。




いや、こういうのは勝ち負けじゃないとは分かってるけど、感情としては素直に悔しいっていうか…こっちは決められたコースをキッチリ走って先行しているつもりだったのに、いきなりショートカットされてあっさり抜かれちゃった気分だ。


ノーマークだっただけにそのショックもひとしおで、実際にこの眼で見ても、どうにも現実感に欠けている光景だった。








「……邪魔しちゃ、悪いわよね」




臆したわけでは決してないけど、あんなに幸せそうにしている可憐を見ていると、自然と歩くスピードが落ちていった。


気付けばきっとこちらに振り向いてくれるだろうという確信はあるけれど、あの空間に割って入るのは気が引けたのだ。


だからあのふたりが先に行くところを見届けた後、私もゆっくり学校に向かおうと、そう思ったのだけど






ドクン






「あ、れ…?」




またなにか、既視感を覚えた。


可憐に目を惹かれていたために気付かなかったけど、隣を歩く男子のことも、なんだか以前から知っている、ような…






ドクン、ドクン






いや、でも、そんなはずはない。


私は男子の知り合いはそう多くないんだ。


ましてや、見覚えがあるほど仲がいい相手なんて限られてる。






ドクン、ドクン、ドクン






そう、限られて…でも、そんなわけ…




だって、あの子はタイプじゃないって言ってた。


アイツのことなんて、好きじゃないって、そう…




(言って、たっけ…)




言っては、なかった、かも…












「あれ、瑞佳?」




思わず立ち止まった私に、かけられる声。




それは、私がこの場で一番聞きたくなかった声。




認めたくなかった声だ。それは背後からでも横からでもなく、前方から聞こえてきた。








そう、可憐の隣から。それは私の好きな幼馴染。






「しょう、や…」






翔也の声だった。












「しょう、や…」




理解できなかった。


なんで翔也が可憐の隣にいるのか。なんで可憐は翔也と一緒に歩いているのか。


そしてそれほど仲の良くなかったはずのふたりが、なんであんなに楽しげに寄り添っているのか。




なにひとつ理解できない。したくもない。


だって、認めてしまったら、それは…




「おはよ、お前も朝早いんだな」




「おはようございます、お姉様」




戸惑うばかりの私に、ふたりが近づいてきて挨拶をしてくる。


翔也は気軽に、可憐はこちらを敬うように、ぺこりと頭を下げながら。




「おは、よう…」




私もなんとか返事を返すけど、それでもきっと声は震えていたことだろう。


動揺を隠しきれていないことは、自分でも分かっていた。


それでも、ふたりがあまりにいつも通りの態度で接してくるものだから、翔也達がこうしているのは実はたまたまで、偶然が重なり一緒に歩いているだけだと、そう思いたくなってしまう。




……そんなはずはないというのに。


明らかにただの知り合いの距離感ではなく、楽しそうな雰囲気を放つふたりの姿を、私はこの目で確かに見ていたのだから。




「……な、なんでふたりは一緒にいるの、かな…」




本当は、こんなことを聞きたくなんてなかった。




できれば今すぐにだってこの場から逃げ出したい。




耳を塞ぎ、目を瞑ってこれは夢だと思いたい。




それができないのは、きっと私にも意地があったから。


先輩としての意地と、事実を確かめなくてはならないという、女としての意地が、私をこの場に留めていたのだ。


たとえその先に、悪夢のような現実が待っていたのだとしても。




「あー…これはだな…」




私からの問いに、恥ずかしそうに頬をかく翔也。


そのいかにも「言ってもいいけど気はずかしいです」という態度に、思わず頬をヒクつかせた。


幸せそうな翔也とは、きっと真逆の表情を浮かべていたことだろう。




(その顔はなによ…なんなのよ…)




思わず心の中でそう言わずにいられない。


なんで可憐が隣にいてそんな顔をしているんだ。


私が一緒にいたときはあんなにいがみ合って、面倒そうにしてたじゃない。


電話でだって、愚痴を言ってくるくらいにはうんざりしてたはずなのに…!




「翔也さん、お姉様には私がお答えいたします」




理解不能な現実を前に打ち震えていると、私と翔也の間に割って入る声があった。


私のことをお姉様などという人間は、たったひとりしかいない。




「可憐…」




それは本来ならこの場にいるはずもない存在。


私の誘いを断り、誰かの告白を受けに別れた子。




「はい、お姉様。改めておはようございます。朝から見るお姉様は、やはり美しくてなによりです」




そう言って微笑む少女の名前は四ノ宮可憐。


翔也をなんとも思っていないと言っていたはずの、女。




その笑顔は女の私から見てもとても可愛らしくて、思わず見とれそうになってしまうもの。


その笑顔を見たら、落ちない男はいないだろうと、密かに危惧していた魔性の笑みだ。


この笑みを幼馴染に向けられたらまずいと、本能は警戒していた。


だけど、翔也のことは好みじゃないって言葉を信じたから、私は警戒を解いて、安心してたんだ。






だけどそれは間違いだった。


訴えてくる本能からの警告は正しいものだったのに、信頼という理性でそれをねじ伏せてしまった。






……いや、違う。私は認めたくなかっただけだ。


可憐に嫉妬している自分を、醜い私自身を認めたくなかったんだ。






「あり、がと。…そ、それよりさ、なんで可憐は翔也とい、一緒に、いるの?」






慕ってくれていると思っていた。




私も可愛がっているつもりだった。




ふたりの間には、確かに信頼があると思ってた。




たとえ隠し事があったとしても、私に可憐が嘘をつくはずがないと、きっと無意識のうちに信じていたんだ。






「それは、ですね…」






それなのに…それなのに…!






「私と翔也さんが、先日からお付き合いさせて頂くことになったからです」






可憐の口から出てきたのは、私にとって最悪の、裏切りの言葉だった。
















「つきあ…へ?可憐と翔也が、え…?」




「はい。その、翔也さんから告白されまして…」




ああ、なんてわざとらしいんだろう。


きっと今の私は、目に見えて動揺しているはずだ。


だけど、例え頭の中ではそうだろうと分かっていても、現実を言霊として直接叩きつけられるのはやはり訳が違う。


狼狽えずにいられるほど、私は演技も上手くない。嬉しそうにはにかむ可憐を見て、なんでと罵声を浴びせる余裕すらなかった。




「告白…?翔也、から…?」




「はい。昨日の呼び出しは実は彼からで、付き合って欲しいと…」




真っ白になった頭でできるのは、ただオウム返しのように可憐の言ったことを反芻することくらいしかない。


そんな私にさらに追い打ちをかけるように補足してくるものだから、もうパニック寸前だ。恥ずかしげな彼女とは対照的に、私はひたすら追い詰められていく。




「それに可憐は、OKしたの…?翔也なんてなんとも思ってないって、男と付き合うなんて考えられないって言ってたのに…?」




だから希望に縋った。


今の可憐には付き合い始めたと告げられたばかりで今更だけど、私にはもう過去の彼女の言葉を信じる以外に、道は残されていなかったのだ。




(お願いだから、嘘だって言ってよ…男なんて嫌いだって言ってたじゃない…)




あれもつい数週間前のこと。心底嫌そうに男を軽蔑していた可憐。


それを見て私は苦笑して、構って欲しそうにくっついてくるこの子にちょっとした意趣返しを思い付いて、そして……








「それは、お姉様のおかげです」








翔也のことを、紹介したんだ。


この子なら大丈夫だと、そう思ったから。












「わたし、の…?」




「はい。お姉様が私に翔也さんのことを紹介して下さったから、私は男の方も悪い人ばかりではないと知れました」




そう言ってチラリと翔也を見る可憐。目が合った翔也は気恥ずかしげだ。


そういえば昔から褒められるとすぐに照れるやつだったっけ。


普段見せない表情だから、私もそのうち可憐のことをダシにして、その顔を引き出してやろうと考えていたことを思い出す。




「最初はお姉様のことをもっと知りたくて、それだけの気持ちだったんです。だけど周りが見えていなかった私のことをこの人は叱ってくれて、そして私の相談にも真剣にのってくれて。その時きっと私の中に芽生えたんです。この人のことを、好きだっていう気持ちが」




だけど、それも可憐に取られた。


なにか色々喋っているようだけど、そんなのどうでもいい。


本当に、心底どうでも良かった。他人のノロケ話など、聞いていて面白いものでもない。私の名前を出してくるのもやめてほしい。それじゃ、まるで私が




「だから、本当に感謝しているんです。お姉様には。私とこの人を、出会わせてくれたから」






ふたりを引き合わせた、恋のキューピットみたいじゃない。


そんなつもりなんて、私には一切なかったのに。








「……ああ、うん。そうなんだ…翔也も、可憐と同じ気持ちなの?」




もう嫌だった。一刻も早く、この話を終わらせたい。


こんなの、私が望んでた未来じゃない。私はもっとじっくりと、翔也との仲を築いていきたかったのに、なんでこんなことになってるんだ。




「ああ。俺も、可憐の相談にのっているうちにさ、段々惹かれていったっていうか…なんていうか、守ってやりたくなったんだよ。自分でもコイツにこんな気持ちになるなんて、思ってもなかったんだけどさ」




そうなんだ。それもきっと、私が可憐に合わせちゃったからなんだよね。


つまりは全部が全部、私が悪いってわけ?あはは、でもさ。それっておかしくない?


私はいい方に話が転がって欲しかっただけなんだよ?それも、私に都合がいい方向にさ。




「へ、ぇ…そうなんだ。それは良かったね、両想いになれたんだ。そっか」




なのに、どうしてこうなった。こんなことになるなんて、私は一切望んでない。


こんなの本来、悪役が辿る道じゃない。あのときの私には、悪意なんて一切なかったって心から言い切れるのに。


おかしいでしょ、こんなの。有り得ないよ。






「俺からもありがとな。正直今も結構めんどくさいなって思うやつだけど、俺なりに大事にしていくつもりだから」




「ちょっと!彼女に対してめんどくさいってそれってひどくないですか!?」




「いや、事実だろ」




「ハァッ!?やっぱりデリカシーないですよね、翔也さんって!」




目の前で喧嘩を始めるふたりは、まるで最初に出会ったときの再現だ。


だけどそこにはあのときのような嫌悪ではなく、恋人同士の信頼のようなものが確かにあった。


ふたりの瞳は輝いていて、互いのことしか見えてない。




私のことなんてもう、眼中にないんだ。




「……ごめん、私先に行くから」




それに気付いたときにはもう駆け出していた。


こんなところにいたくない、一刻も早くふたりの前から消えたかった。




「あ、お姉様!」




走り出す背後から可憐の声が聞こえた気がするけど、もちろん立ち止まってなんてやらない。


綺麗だと思っていたはずの声は、もう不快感しか感じなかった。






「う、ぐぅぅぅ…!」




走って走って走り続けて、私は自分の髪に手を伸ばす。




「こんな、ものぉ…!」




髪を留めていたそれを、強引に引きちぎった。ブチブチと毛根が引き抜かれていく痛みが走るが、そんなものよりこれを身につけていると、自分が穢れていく気がしたのだ。






―――どうか受け取ってください






一瞬、これを手渡してきたときの可憐の姿が脳裏に浮かぶ。


あのときは確かに嬉しくて、綺麗な思い出となっていたのだ。




「なにが、なにが感謝してるよ!なにがありがとうよ!そんなの、そんなの…!」




だけど、それすらもすぐに塗り潰されていく。


怒りに染まった今の私に、思い出なんて無価値だった。


こみ上げてくる憎悪そのままに、ギリギリと髪飾りを握り続け、やがてバキリと小さな音が手の中で僅かに響く。




「ちくしょう…ちくしょう…」




信じた私が馬鹿だった。




握り締めた拳の間からポタポタと垂れ落ちる血の雫が、今の自分の心を表しているように私には思えた。






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ふくぼんっ!~男なんて嫌いだって言ってたじゃない~ くろねこどらごん @dragon1250

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