中編

『なぁ、お前の後輩やっぱヤバくないか?』




「あ、あははは…」




あれから数日が経った日のこと。部活も終わり帰宅した私は自分の部屋でスマホを耳に当てながら、曖昧な笑みを浮かべていた。


電話の向こう側から聴こえてくるのは男の子の声。その相手とは言うまでもなく、私の幼馴染である翔也である。


最初にディスプレイに表示された名前を確認した私は、反射的に飛びついてすぐに電話に応答したのだけど、聞こえてきた第一声は密かに期待していた遊びの誘いのような楽しい話題とはかけ離れたものだった。




「えーと、あの子から連絡ってよくくるの?」




『ほぼ毎日な。しかも内容はどれもこれもお前のことばっかりだよ。やれお姉様はどんな食べ物が好きなんだとか、好きな色を教えろだとか。随分懐かれてんだな、おかげでこっちは寝不足なんだが』




「へ、へえー…」




思わず頬がひくついてしまう。話の内容もさることながら、翔也の言葉にも刺があることがありありと伝わってきたからだ。


どうやら私の後輩は人の想い人に対してとんだ無礼を働いていたらしい。




『しかもたまに廊下ですれ違ったりするたびに睨まれるしさ。電話も毎回お姉様に近づかないでくださいで勝手に締められるんだぜ。俺がなにしたっていうんだよ』




翔也は電話口からもわかるくらいに、大きなため息を吐いていた。


さっきから聞かされているのは楽しい話でもなんでもなく、ぶっちゃけただの愚痴である。翔也はあまりこうこうことを言わない性格なのは知っているけど、それでもこうして私に電話してきたということは、よほど積もり積もったものがあるのだろう。




「……ご愁傷様です…はい…ほんと、あの子がご無礼を…」




私はとにかく腰を低くして、聞き役に徹していた。反論の余地などないからだ。


今回のことは明らかにあの子が悪い。というか、そんな情報を翔也から聞き出してどうするつもりなんだろう。そっちのほうもなんだか怖く思えてきたので、深く考えるのは辞めておいた。




(とはいえ、これはまずいわよね…)




明らかにあの子と私に対する好感度が下がっているのを肌で感じる。


いや、当然のことではあるのだけど。だって可憐を翔也に紹介したの私だし。


恨むのもまぁ当たり前っていうか、そりゃそうだとしか言えないし。




「ご、ごめんね。あの子にはちゃんと言い聞かせるから…」




非はこちらにあるため、明日可憐にはちょっとお灸を据えようと心に決めるのだけど、翔也から返ってきたのは予想外の言葉だった。




『あー、いや。それに関してはいいんだよ。今度直接話すことにしてるからさ』




「へ?」




直接話す?それってどういうことだろう。あの子と会うってこと?




「話すって、学校で…?」




私は少しばかり混乱した頭で、それでもなんとか思い浮かんだ疑問を口にする。


翔也はすぐに答えてくれるけど、それは私が望んだものとは少しずれた回答だった。




「いや、学校だとアイツ目立つじゃん。あんま噂になられてもお互い困るし、今度の休みに会うことになってるんだ」




「っつ…!」




休みに会う?学校の外で?ふたりで?




それって、デートじゃん。なんでそんなことになったの。私とだってしたことないでしょ、そんなこと。




「そう、なの。へ、へぇー…」




一気に膨れ上がった感情。それをなんとか押さえ込み、言葉を返す。




(落ち着け、私)




これがなんと呼ばれる感情なのか、私は知っている。だけど、それを認めたくはなかった。


だって、可憐を翔也に紹介したのは……




(そうよ。だってあの子は男が嫌いだもの。会うっていっても、それはどうせお説教されて終わりだし。デートなんかじゃない)




思いを振りほどき、そう自分を宥めすかした。


いや、誤魔化したといったほうが正しいのだろう。


事実を認めてしまったら、私はとんだ間抜けもいいところだからだ。


自分で蒔いた種で自分自身が苦しむとか、笑い話にもなりはしない。




認めるわけには、いかないんだ。




「あ、あのさ。そのデー…ううん、話し合いにさ、私も行っちゃダメかな?」




まるで背後から追い立てられるような感情に煽られながら、私も話し合いへと参加したい旨を翔也に伝える。


その際媚びるような口調になってしまったことは恥ずべき点だけど、それに気を取られている余裕はなかった。


私の中に無意識の不安が徐々に広がりつつあったからだ。


「へ?」という困惑の声が向こう側から聞こえてきたことも、さらに不安を駆り立てる材料へと早変わりするくらいに。




「ほ、ほら。私が原因でもあるわけだしさ。なら、その場に同席するのが筋じゃないかなって!そ、それにどうせ翔也じゃ、あの子と話も合わないだろうし、それに…」




『ちょ、ちょっと待ってくれ。いきなりそんなこと言われてもだな…』




私は感情の赴くまま、矢継ぎ早に言葉を繰り出していく。


頷いて欲しいと一縷の望むを託したのだけど、それは所詮ただの一方通行なただの願い事に過ぎなかった。


返ってきたのは戸惑いの声。電話越しでもその困惑具合は手に取るように分かる。


だけど私には、それがまるで自分ではなく可憐を選んだように思えてしまい、思わず歯をギシリと噛み締めていた。




「いいじゃない。それともなに?まさかアンタ、可憐となにかやましいことでも…」




『違うって!あのなぁ、四ノ宮の気持ちも考えてみろよ。俺とお前が一緒にくるとか、これからふたりで説教しますって言ってるようなもんだろ。アイツからしたらそんなの針のむしろじゃないか』




半ば怒りに身を任せ、幼馴染を責め立てようとしたのだけど、翔也はそんな私の激情を冷静に押しとどめた。




「それは…」




『今回のことは一応お前にも話しておいたほうがいいと思って電話したけど、別に俺は四ノ宮を責めたいってわけでもないんだよ。悪気があるわけではないことはわかってるし。最初に愚痴言っちまった俺が悪かった。ごめんな、変な流れにしてしまって』




筋道を立てて論理的に意見を述べられると、言い返すことは難しい。


向こうに先に謝られたなら尚更だ。ここで私も引き下がらないなら、意固地なやつだという印象を翔也に与えてしまうことだろう。


それは嫌だった。だから私も頭を下げることにする。




「…………ううん。こっちこそごめん。ちょっと熱くなっちゃったところがあると思う」




たとえ内心では納得がいっていなかったとしても、だ。




『瑞佳にとっては後輩だもんな。そりゃ心配になって当たり前なんだろうけど、マジで変なことをするつもりなんてないからそこは安心してくれよ』




「うん、そこは大丈夫。わかってるから…」




ここで損得を考えることができないほど、私は愚かな人間じゃあない。感情に任せたところで、残るのは後悔しかないだろう。


だから本心は違っていても、私は頷く。それが正しいことだと、強引に自分に言い聞かせながら。




『ありがとな。そう言ってくれると助かるぜ。それに…』




私のウソに気付くことなく、嬉しそうにしていた翔也だったけど、不意にその声が少し詰まった。




「それに?」




なんとなくその先が気になって、急かすように彼の言葉尻を反芻してしまう。


だけどすぐに聞こえてきたのは「なんでもない」という、どこか取り繕うような声。


……明らかになにかを隠している。そんな気がした。




「そう。なら、いいけど」




本当は良くなんてない。あの子となにをするつもりなのだと踏み込みたかった。


だけど、私はついさっきたしなめられたばかりだ。間も置かずに踏み込んだら、翔也の私に対する心象は悪化することだろう。


人の心なんて、誰にも分からないのだ。たとえ僅かにでも彼が気を悪くする可能性があるのなら、それを避けたいと思う判断は正しいことだと私は思った。




『わりぃな。まぁそのうち埋め合わせはなんかするからさ』




「…………うん」




だから今は、この言葉を引き出せただけ、良しとしよう。


最後に二言三言会話を交わし、私は電話を切る。


そのままスマホをベッドの上に投げ出して、私は身体を横たえた。




「…………翔也のバーカ」




誰にも聞かれることのない憎まれ口は、白い天井へと吸い込まれていく。




可憐と会ってなにを話すのか、可憐となにをするつもりなのか、それが気になって仕方ない。


頭の中をグルグルと嫌な想像が駆け巡り、心がそのたびに軋んでいく。




「なに考えてんの、私…」




それを振り払いたくて、私はギュッと目を瞑る。


今は一刻も早く眠りたい。明日になれば、きっとこの考えが消えてなくなっているはずだと、固く信じて。













あれから少しばかり時が経ったある日の放課後。私は可憐と並び、校門へと歩いていた。


この後輩と他愛のない会話を交わすのはいつものことだが、最近は会話の内容が微妙に変化しつつある。




「―――それでですね、あの人ってほんっと気が利かないんですよ!もう最悪です!女の子のことなんて、まるでわかってないんですもの!」




アイツのことを、よく口にするようになったのだ。


そう。私の思い違いでなければ、翔也と会って話をしたという、あの日から…




「へ、へぇ。そうなの…まぁアイツって、昔からそういうところあったからなぁ…」




「やっぱり!昔からなら納得です。デリカシーないですもん。変わってないってことですね」




やれやれと首を振る可憐の顔には呆れの表情が浮かんでいる。


それを見て私は頬をひきつらせたが、この子は気づいていないらしい。




(この子の口から、なんでこんなに翔也の話が出てくるのよ…!)




翔也の話が本当なら、夕方にはふたりは解散していたはずだ。


私も翔也が6時前に帰宅したことはこの目で確認しているし、少なくとも最悪の事態にはなっていないはずである。




そうだ、あのふたりは話をしただけ。


翔也が可憐に言い聞かせて、それで終わっただけの話。


事実この子には翌日の部活前に頭を下げられ、これまでのことについて謝られてた。






―――ごめんなさい、お姉様の気持ちも考えず、ご迷惑をおかけしました、と






確かにこの子の日頃の私に対する態度に辟易していたのは確かだ。


ちょっとした悩みの種でもあったけれど、だからといって決して嫌いだったわけじゃない。


慕われているのは素直に嬉しかったし、後輩と先輩としての適切な距離を保てたなら、それでよかったのだ。




だから涙ながらに頭を下げる姿を見ては、先輩としては許す以外の選択肢などありはしなかった。


だからこの話は無事に解決。結果的に翔也に相談したのは正しかったと言えるのだろう。






……ただ、今となっては別の問題が浮かび上がりつつある。


私が紹介したのは確かだったけど、私の胸の内にはモヤモヤとした粘つく不安の糸が、確かに絡みついていたのだ。




踏み込もうとはした。話を先に進めるために、もういいからと軽く頭を撫でてあげたのだが、そうしたらあの子はまるで花が咲いたような笑顔をみせるものだから、それで毒気を抜かれたのも良くなかった。


おかげで結局、あの日どんな会話がふたりの間で交わされていたのか未だに分からず終いである。






…………あの笑顔を、アイツにも向けたのだろうか。






そう考えると、気が気ではなかった。


ただでさえ可憐は突出した可愛さを持っているのだ。


ろくに女の子に対する耐性のない翔也が勘違いをしてしまう可能性は大いにある。


早急に確かめる必要があることは間違いない。






……だからといって、翔也に直接聞くことなんてできない。


疑り深い女だと思われたくなかった。


翔也にとって茅原瑞佳かやはらみずかという幼馴染は、後輩の面倒見のいい、頼りになる女でなくてはならないからだ。




後輩に対して■■する醜い部分なんて、見せたくなかった。














「ふぅ…」




大きく息を吸い込む。もしかしたら、少し緊張しているのかもしれない。


手に汗の感触が張り付いている。足も僅かに震えだす。




それでも、それでもだ。


聞きたくなかったけど、私は尋ねなくてはいけない。確認しなくてはいけなかった。




この子が、翔也のことをどう思っているのかを。


かさついた唇をひとなめし、私は口を開いた。




「あ、あのさぁ…可憐。最近さ、その、実は翔也と仲良くなってたり…?」




出てきたのは、思っていたよりずっと情けない言葉だった。


頭の中でシナリオを描いていたわけではないとはいえ、これはひどいと言わざるを得ない。言葉選びの拙さに涙がでそうだ。




(私、こんなにヘタレだっけ…?)




こんな私を、この後輩はいったいどう思うだろう。


そんな不安が脳裏をよぎったけど、可憐の反応は思っていたものとはだいぶ違うものだった。




「へ?」




「え?」




私の言葉に可憐は目を丸くしたのだ。


「この人なにを言っているんだろう」と、ハッキリ顔に書いてあった。


その様子を見て、微かな希望を抱いた私は尋ねた。




「違うの…?」




さっきよりも、すっと話せたと思う。


質問を投げかけられた可憐は、ゆっくりと首を振った。




「いえ、全然違いますよ。あの人は、こう、私のタイプじゃないですもん。私にはやっぱり、お姉様のような方が!」




「あー、はいはい。そういうのいいから」




鼻息荒く擦り寄ってこようとする後輩を押しとどめながら、私は内心安堵していた。




(そっか…そっかそっかそっか!)




この子は翔也が好きというわけじゃないんだ。


なんだ、そっか。なら、良かった。


うん、そうだよね。よくよく考えてみたら分かることだった。




だって、可憐はこんなに可愛いんだもの。わざわざ翔也に靡く理由なんてどこにもない。


この子ならきっと、もっといい男をいくらでも捕まえることができるはず。




そうだ、うん。絶対そう。間違いなくそうだよ。


そうに決まってるもの。あはは、なんだ。悩んでしまって損したなぁ。






「あ、あのお姉様…少しよろしいでしょうか…」




そうひとり納得していると、気付けば少し遅れて距離を取っていた可憐がなにやら話しかけてきた。




「なに?言っとくけど抱きつくのはもうダメだからね」




「それはわかっています。さっきのは半分冗談ですよ。実はですね、ちょうどいい機会ですし、お渡ししたいものがあるのですが……」




半分は冗談じゃないんかい。


思わず振り返りながらツッコもうかとも思ったけど、今のこの子は恥ずかしそうにしながらも、どこか真剣な目をしている。


ここは真面目に対応する場面のようだ。私は改めて背筋を正すと、可憐へと向き直った。




「なに、渡したいものって?」




「ええと、ですね。こちらです。どうか受け取ってください」




いつの間に取り出したのか、綺麗にラッピングされた箱を私に向かって差し出す可憐。


頬を赤らめ、もじもじと悩ましげにはにかむその姿は、人によっては大いに誤解を生むことだろう。


幸いなのか、あるいはちゃんと学習したのか、周囲に人影がないなかで行動に踏み切ったことは、素直に褒めるべきだろうか。




なんにせよ、受け取らないという選択はない。私は一歩踏み出し、後輩が差し出すプレゼントを手に取った。




「あ…」




「ありがと、可憐。でもどうしていきなりプレゼントなんてくれるの?」




どこか安堵した表情を見せる可憐にできるだけ優しく微笑むと、私は生まれた疑問を口にした。




「それは…お詫びと、日頃の感謝の気持ちを形にしたくて…いつも私、お姉様には迷惑をかけてばかりですので…」




「……別に、そんなこと」




気にしなくてもいいのに。


むしろ最近では、私のほうが迷惑をかけていたと思う。


男嫌いのこの子に、わざわざ翔也を引き合わせるなんてことまでしてしまったのだ。


さらに言えば、翔也に近づくダシにも……




「……私、お姉様のこと知りたくて、色々聞いてたりもしてしまって…あの人にも、たくさん迷惑をかけてしまったと思います。このプレゼント選びにも、付き合わせてしまいましたし」




申し訳なさから顔を曇らせる中、不意に出てきたあの人という言葉に、思わず私はドキリとした。




「え…翔也と、選んだの?」




「はい、この前会ったときに、一緒に選んで貰ったんです。とても助かりました…翔也さんはいい人ですね。さすがお姉様の幼馴染です」




そう言って儚げな笑みを浮かべる可憐。


私は頭の中で、点と点とが繋がったような、不思議な感覚を覚えていた。




(あの時、翔也が言いかけていたことって…)




きっとこのことだったのだろう。話をすることだけが目的じゃなかったんだ。


可憐からプレゼントの相談を受けて、一緒に選ぶつもりだったから、私を連れて行くことを渋ったんだ。




ふたりの間にはなにもなかった。あったのは私と同じ、ただの先輩と後輩という間柄だけだった。




(……なーんだ、そういうことね。うん、心配するだけ損しちゃった…)




それに気付くと、なんだが一気に脱力感が襲ってくる。




「まぁそんな褒められたとこはないけど。でもアイツ、確かにいいやつではあるのよね」




「ええ、本当に。感謝してますよ。あの人にも、そしてお姉様にも」




クスクスと笑う可憐に気付かれないよう、私は密かに嘆息した。




だからだろうか。気の抜けた私の耳に、可憐の小さな呟きが耳に入ることはなかったのは。






「―――だって、私を彼に会わせてくれたんですから」






そんな、大切な宝物を見つけたかのような、優しい呟きを。




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