5分後のあなたを

 今居日進いまいにっしんは5分前の私を見てくれている。


 文字通り、5分前の出来事を見ることができる――という意味ではない。

 正確にいうには、少し私のことを話さなければならない。


 私の未来視は生まれつきだ。

 子供の時は、この症状を有効利用しようと思ったこともある。でも、すぐに無駄だとわかった。5分後の動きに逆うと、たいていはその倍以上の反動が起こり、結局は見た通りか、それ以上にひどいことになる。


 鉛筆が落ちるのを止めようとしたら、机ごとひっくり返した。

 友達が転ぶのを助けようとしたら、自分も一緒にケガをした。

 母が車に轢かれるのを防ごうとしたら、父まで巻き込まれて死んだ。


 それからは、なるべく見た結果に逆らわないようにしようと努めた。

 まるで5分後の動きをなぞる影のように。


 通りすがりの青年が、泥水をかぶる様子を見た。大切なものだったのか、泥に染まるジャケットを抱え、人目もはばからず涙を流していた。

 もし彼なら、大切なものを守ろうとして、抗って、それでも打ちのめされたとき、どうするだろうか。

 後ろ暗い好奇心。魔が差したといってもいい。


「あなた、車に泥をはねられますよ」


 結局、彼は泥をかぶった。

 でも最後には笑っていた。

 多分やせ我慢。

 けど、自分のことよりも、反動で泥まみれになった私をほうを気遣ってくれた。お礼まで言って。

 私には、そんなことはできない。


 それから3年。

 いろいろあって、彼――今居日進くんと付き合うことになった。


 日進くんといる時間は、純粋に楽しい。

 私が楽しめるよう、映画の絵と音を5分ずらす編集をする提案をしてくれたのも彼だ。それまで、字幕以外の映画はずれるものだと思い込んでいたので、そんなこと考えたことさえなかった。

 初めて見た、映像と音響が一致した世界は、本当に、美しかった。

 間違えてレンタルした大作タイトルのパクリ映画で内容はひどい出来だったが、その感動だけは覚えている。

 彼は影みたいな私の世界に、光を与えてくれる。


 しかし光が強ければ、影はより暗くなるもの。

 楽しければ楽しいほど、不安が募る。

 ずっと迷いがあった。私のせいで、彼に何か起こるのではないか。その前に別れるべきではないか。


 その日も、映画の帰りだった。

 ハリウッドの大作で、正直中身はあってないような話だが、多量の爆薬で吹き飛ぶ建物は見ているだけで爽快感があった。ポップコーンおいしいし。

 と、視界の中の日進くんの雰囲気が違うことに気付いた。妙に真剣な表情で――

 頬を何かがかすめる感触がした。

「ほっぺについてた。ポップコーン」

「――――っ」

 この人は、また人をからかって!

 5分前に怪しい動きはなかった。今になって思えば、私の視界が震えていた気がする。

 というか、映画館からここまでずっと頬に食べかすつけてきたのか私は――

「ねえ。この場所、覚えてる?」

 ショックを受けてるところに、彼が聞いてきた。

 5分後までずっと動いていない。改めてそう問われると、思い当たるのはひとつ。


「もしかして、私たちが最初に出会ったところ?」

「そう。ここで声をかけてもらえた。結局ジャケットの染みは落ちなかったけど、今となってはよかったと思うよ。美景と出会えたから」

「な、なに? 改まって」


 5分後の視界の中で、日進くんが懐から何かを出す。

 手に納まる藍色の小箱。

 開く。

 ダイヤモンドの指輪だった。


「結婚しよう」


「え?」

 私の視線が、彼と合う。

 5分の時を超えて、未来の彼と。

「な、なんで――うそ――」

 後で考えてみれば、なんてことはない。映画の編集と同じだ。5分後に指輪を渡す予定で、そこから5分前の今にプロポーズの言葉を言う。そうすれば、私から見れば全部が同時に感じられる。

 影のような私の世界が、輝いてすら感じる。

 悔しいけど、奇跡みたいに思えた。


 思った次の瞬間、彼が鉄の巨体に飲まれた。


 車だ。運転操作を誤ったのか、すごいスピードで突っ込んできて、彼の体を跳ね飛ばしたのだ。

 車はそのまま壁へと激突。

 吹き飛ばされた彼の体は、地面へ叩きつけられた。頭から、大量の血が飛び散る。

 素人でもわかる。即死だ。


「ごめんなさい」


 一瞬にして、百の後悔が脳裏をよぎる。

 千の絶望に打ちのめされ、崩れ落ちそうになる。

 でも、倒れるわけにはいかない。


 だめだ。

 これだけは、だめだ。


「受け取れない」


「な、なんで」


 戸惑う彼の声。

 視界の中では、もう動かない彼の体を抱きしめている。

 何がどうなろうと構わない。

 こんな未来、起こさせない。


「結婚なんてできるわけない。もうあなたとは終わり。じゃあね」


 とにかくここを離れなければ。


「待って」


 しかし彼が腕をつかんで、私を離そうとしない。


 彼に未来を話す案も頭をよぎったが、だめだ。彼は、自分の運命を受け入れてしまうだろう。反動で私に害が及ぶのを危惧して。


「離して!」


 白杖を捨てて、渾身の力で、両手で彼を突き飛ばす。

 幸い、彼の腕は離れた。

 視界も白杖もないまま、私は走り出す。

 車の行きかう音のほうへ。


 私が死ねば、あるいは、5分後の未来も変わるかもしれない。


「何か見えたんだな」


 後ろから抱きしめられた。


「何が見えた? いや、そこまで無茶するなら――もしかして、俺、死ぬのか」


 こんなときばかり勘がいい。


「まあ、いいや。それより――」

「よくない! 死ぬんだよ!」

「あと何分?」

「え? えっと、2分40秒……くらい」

「そうか。それが俺の余生ね。OK。じゃあ急ぎで悪いけど、プロポーズ、ちゃんと答えてほしい」

 手を握られる。

 強い握力。しかし震えている。

 当然だ。彼は、私の未来視が絶対なのは一番わかっている。

 わかったうえで、できることをやろうとしているのだ。


 私は、手を握り返す。

 彼と同じ覚悟を決める。

 残りの数分になった人生を精一杯生きること。


「喜んで。私も、あなたといきます」


 彼の手が、一瞬ためらう。

 運命を共にするという私の覚悟を察したのかもしれない。

 しかし、それ以上の力で握り返してきた。

 指輪をはめ、私たちは、抱きしめあう。

 最期の瞬間まで――


 彼のポケットから、アラームの振動が鳴る。


「――あれ?」


 日進くんが気の抜けたような声を出す。


「これ、5分経ったんじゃない?」

「え?」

 たしかに、もう5分から10秒近く経過している。

 5分後では、日進くんの体が救急車に載せられたところだ。

「おめでとう!」

 突然の声とともに、無数の拍手が沸き起こった。

「え、な、なに?」

「……なんか、僕たちのプロポーズ、注目されてたみたい。人垣ができてる」

「え――えぇ!」

 そりゃ街中であれだけ大騒ぎして抱きしめあってれば、注目もされるだろう。

 途端に恥ずかしくなってきた。

「い、行こう!」

「あ、皆さんありがとう。僕たち幸せになります!」

「いいから!」



 一週間経ったが、日進くんは元気だ。

 視界の中では、葬儀まで終わっているのに。

 どうやら、あのプロポーズから私は5分後の世界と完全に分岐したようだ。

 原因はわからない。考えられるのは、『ちょっとした行動では未来は変わらないが、一定以上の行動では変われる』という仮説。反動が怖くて、あそこまで躍起になったことはなかった。プロポーズを断って、自殺しようとして、やっぱりプロポーズを受けて、見ず知らずの人たちに祝福されて。

「愛のパワーだね」

 日進くんが自信満々に持論を唱える。

「バカ言わないで」

「愛のパゥワァだね」

「二回言わないで」

 心配してる私のほうがバカみたいだ。

 私は、怖い。

 遅れて日進くんの死が来る可能性もあるし、なにより、5分後が見えないことが。

 これから何が起こるかわからないことが、こんなにも心細いなんて。

 あれだけ疎ましく思っていた未来視が、いざ利かなくなったら不安になるなんて。

「大丈夫だよ」

 日進くんが軽い調子で言う。

「美景は、乗り越えられた。それってすごいじゃん。だから、大丈夫」

「そうかな」

 あのときは必死だっただけだ。結果的に、うまくいっただけで。

「それに、これからは僕もいるしね」

「――そうね」

 彼と一緒の未来。

 間違いなく、それは私が選んだ未来だ。

「って、なんか距離近くない?」

 やたら近くに気配を感じる。

「あ、抱きしめてみようかな、と」

「いきなりはやめてって言ってるでしょ!」

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タイムパラドクス エンゲージメント 京路 @miyakomiti

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