最終回

 ――は?何が、起こったんだ?


 目の前でダイナマイトが破裂したような衝撃を感じた次の瞬間、こともあろうに意識が吹き飛んでしまっていた。

 気がつくと視界には劉の姿はなく、高い天井から吊り下がっている薄暗い照明を見上げていた。

 呼吸もろくに出来ず、昆虫標本のように投げ出された手足は、指一本、いや、関節一つまともに動かせない。

 全身の銃創から、止めどなく血が流れだし、鼓動が弱まっていく心臓は今にも止まりかけている。


 ――どうして、俺が倒れてるんだ。何故この俺が、天井を見上げている。俺はこんなところで終わるような、そんな男じゃねぇはずだぞ!


 声にならない声で力の限り叫んだが、その訴えを聞いた人間はいなかった。



「はぁ、はぁ、やってやったぞ……」

 全身の力が抜け、立ってもいられなくなった俺は、いつのまにか広がっていた血の海に膝から崩れ落ちた。

 目の前には、大の字になって転がっている辻村の姿が。まだ意識があるようだが、ピクリとも動かないのは、致命的なダメージを負っているからだろう。

 いずれにしろあの傷では助からない。

 俺も人のことは、言えねぇが。


「くそ……血が足りねぇ……」


 最後の賭けは、どうやら上手く行ったようで安堵した。

 ゼロ距離から放った渾身の一撃ストレートは、どんな屈強な人間でも鍛えられない急所の一つ――人中を力の限り殴ることに成功した。

 握りしめる力も残っていない拳には、陶器が割れるような、特有の感触が残っている。

 奴の顔面も、俺の拳もイカれた今、既に二人の勝負の決着はついていたと思っていた。

 ただ一人を除いて――


「なにボーッとしてるんすか。早く息の根を止めないと勝ちになりませんよ?」

 動けないんだよ……阿呆が。

 俺の状態などとっくにお見通しの癖しやがって、大上段から暢気に話しかけてくる大塚は、俺から回収していたベレッタを取り出すと、何も言わずに投げ渡してきた。

「さぁ、それで辻村さんを仕留めて下さい。ちょうど弾は一発っすからね」

 これまで、数えきれないほどの命を奪ってきた鉄の塊は、ずしりと掌にのしかかり、さっさと奴を殺せと俺に喧しく訴えかける。


 ――どうした?目の前の男を殺すくらい、お前にとっては朝飯前だろ。どうせ放っておけば死ぬ人間だ。それならお前の手でさっさと片をつけろよ。


「そうだな。放っておけば死ぬもんな……」

 だがな、俺はもう決めたんだよ。

 引き金を引かない俺のことを、大塚は黙って見ている。まるで何かを見定めるように。

「大塚よ。もう、誰かを殺す人生は終わりにする。俺は、可欣と出会って救われたんだ。こんな俺を……ヒーローだって言ってくれたんだからな」

 吐血を繰り返しながら、思いを告げる。

「だから、俺は、最後まで可欣が胸を張って自慢出来るような……そんな男でいたいんだよ」


 生まれてこのかた、自分の人生を呪ってきた。糞っ垂れな人生に神なんていやしないと思っていた。そう思い込んでいた。

 だけど、案外悪くない最期じゃねぇか。

 今ならハッキリとわかる。

 可欣との出逢いは、偶然なんかじゃないってことを――


「ふーん。じゃあ、それが答えってことでいいっすね。最後に祈りでも捧げるくらい時間をあげますよ」

 最後まで黙って聴いていた大塚は、自らの拳銃を構える。

 これで俺も終わりか。目を閉じ、すぐに訪れるであろう未来を待ち構えていた次の瞬間、倉庫内に発砲音が轟いた。


「目を開けていいっすよ」

 発砲音は聴こえたものの、体を貫かれずにすんだ俺は、大塚の言われた通りに目を開ける。

「ちょっと鼠が潜んでいたんで駆除しました」

 どうやら弾丸が貫いたのは俺ではなく、名も知らぬ侵入者のようだった。いつの間にか、見知らぬスーツ姿の男がうつ伏せで倒れていた。

 ここにいる全員を始末するつもりで隠れていたんだろうが、大塚の前では全く意味を為さなかったようだ。


「さて、話の続きっすけど、もし劉さんがその弾丸で辻村さんを撃っていたとしたら、その時はボクが劉さんを処分するつもりだったんですよ。もちろん冷凍庫の中の二人も助かりませんでした」

「どういうことだ……?」

「この絶体絶命の状態で、ボクの言われた通りに辻村さんを殺したところで、それはボクの想像の範囲内の選択なんすよ。それじゃあ期待していた輝きには程遠いっす。ボクが本当に期待していたのは、予想を越えた回答っす。それを劉さん……あなたは見せてくれました」


 それまで俺を見下ろしていたコンテナから飛び降りると、何処かに電話を掛け始める

「任務は成功したっすよ」と、軽い声で話していた。電話の相手が誰なのかは、まぁどうでもいいことか。


「さてと、どうやらお仲間もここに到着しそうですし、ボクはここいらでドロンさせてもらいますね」

 冷凍庫の鍵はここに置いとくんで、と告げると、目の前に鍵を置いて早々に立ち去ろうとする背中に声をかけた。

「待て、お前は……これからどうするんだ」

「そうっすね~。また面白い遊びでも探しますよ」

 そう言い残し、大塚は闇の中へと姿を消していった。最後の最後までわけのわからない奴だった。


「劉英俊!いるかっ!」

 入れ替わるように、見知らぬ二人組が俺の名前を叫びながら倉庫に飛び込んできた。

「うわっ!」

「こいつは……」

 俺の姿を見るなり、面白いほど絶句している。

 男の方がすぐさま駆け寄ってきたが、失礼にも勝手にシャツを捲って傷跡を確認すると、自分のことのように悔しそうな顔をさせて歯軋りしていた。

 誰だか知らねぇが、俺が助かる見込みがないのを理解したようだな。

「ねぇ!救急車呼ばないの?」

 男にすがり付く小娘も、揺さぶられるがままの男も、なんだかボロボロの格好だなぁ、と、ぼんやりと眺めながら意識は白い霧の中に消えかかっていく。

 悪いが、もう動けない俺の代わりに仕事を頼まれてくんねぇか。


「これを……頼む。冷凍庫に……大事な人が……」

 震える手で男に鍵を託す。わかった、と力強く受け取ってくれた。

 後は……任せたぞ。

「……確かに預かったからな」

 それ以上何も告げずに駆けていく男と、後を追っていく小娘を見送る。俺の仕事はどうやらここまでのようだ。

 あとは、なんとかなるだろうよ……。



 ――なぁ、可欣。俺は、お前のヒーローになれたかなぁ。






「あれから日本は滅茶苦茶ね」

 横浜湾を望む墓地の一角、真新しい墓石の前で線香と花束を添えて手を合わせていると、忘れもしない声が背後から聴こえた。

 振り向くと、喪服のつもりかキャリアウーマンのような真っ黒なパンツスーツを着こなした女が、颯爽と階段を昇ってやってきた。

「サングラスくらいは外せよ」

「うるさいわね」

 文句を言いながらも外したサングラスの下は、赤く腫れ上がっている。


「そりゃあ、お前さんが爆弾を世界中に投下したんだ。当分は国内、国外から集中砲火が待ち受けてるだろうさ」

 二ヶ月前、あの夜に血吸蝙蝠がなにものかによって託されたという情報は、その日のうちに全世界の人間の目にとまることになった。

 これまでの悪事が露見した大泉内閣は総辞職に追い込まれ、影で暗躍していた小澤憲治や朝比奈さんの実態も暴かれることになった。どちらも何者かの手によって殺害をされたのだが、犯人は未だ捕まっていない。

 直近の衆院選も大敗を喫することは、支持率からも確実視されている。


「それより、超絶インドアなお前さんが墓参りとは、一体どんな心境の変化だ」

 持参してきた花束を花立てに差すと、隣で同じように手を合わせてから口を開いた。

「あたしだって散歩くらいするわよ。それに、日本を離れる前に劉には直接挨拶しておきたかったしね」

「また、稼業に戻るのか」

「当たり前じゃない。困っている人の為に一肌脱いでるんだから」と、細い腕に力を込めてみせた。

 まさか、裏家業から正義のヒーローに転身すると彼女から聞いたときは耳を疑ったが、劉の最期に何か思うところでもあったんだろう。

 そのうち手錠を掛けてやろうと目論んでいただけに、悔しさと、それ以上に嬉しくもなったが、それは伝えないでおくことにした。

「あの子はどうしたの?」

「ああ、ノゾミは児童養護施設に入所させたよ。まさか親元に帰らせるわけにも行かないからな。全て綺麗さっぱりに解決させてから迎えに行くつもりだ」


 ふぅん。と、たいして興味もなさそうに立ち上がる。突然吹いた北風が彼女の髪をかきあげた。


「私ね、実は劉と腹違いの兄弟なの」

「お前さんと、劉英俊がか?」

「ええ。私もその事実を知ったのはわりかし最近だけどね。しかも、驚いたことに父親はあの辻村御幸」

「……なんというか、世間は狭いな」

「本当よね、せっかくの身内だったのに」

 風に消えてしまいそうな声で、泣きそうな声とも取れる声で呟やいた。

「可欣ちゃんも、奈穂子さんも、今ごろ向こうで幸せにやってるのかしら」

「だといいがな。なんせ親子二人異国の地だ。だけど、あの親子二人なら何処だって幸せにやれるだろう。全部劉のおかげってもんさ」

 彼女は再びサングラスを掛け直すと、最後に一ついいかしら、と尋ねてきた。


「劉はさ、最後笑顔で逝ったのよね」

「ああ。全てやり遂げた男の顔をしてたよ」

 再び現場に戻ると、仰向けになって倒れていた劉は、安らかな眠りについているような表情をしていた。

「そう……なら良かった」

 それだけ聞くと、踵を返しヒールの音を響かせて去っていった。去り際の言葉もない。アイツらしいといえばアイツらしいが。


 あれほど暑かった夏も、嘘のように熱をなくしていく。

 季節はじきに秋へと移り変わるだろう。

 今回の事件だって、いずれ当たり前のように忘れ去られるに違いない。

 だから、アイツが命を賭して幼い子供を守った夏があったことを、誰かが覚えておいても、きっとバチは当たらないだろう。




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