名前を呼んで

 新聞には毎日のように情報が載せられ、当たり前のように手元に届けられました。

 変わらないその日常を送れることがなによりも幸福なことを知れたのは、私にとっての学びです。

 ですが、中でも一番読むことがつらかったのは、亡くなった方へのメッセージが載った紙面を開くことでした。


 我が子への、一緒に逝けなかった母の懺悔ざんげ

 生きるために見捨ててしまった母への、後悔こうかい

 最愛の妻と、お腹に宿っていたはずの小さな命への、助けられなかった父の謝罪。


 その全てが、私の心を深くえぐりました。自分は大した被害もなく、こうして新聞を読んでいられるのに。同じ境遇きょうぐうの妊婦さんが沢山犠牲になっているなんて。当時妊娠中だった私には、あまりにも耐えがたい現実でした。

 子供を失うこと、

 母を失うこと、

 お腹の命を失うこと。

 自分に置き換えて考えると、とても耐えられるものではありません。

『嫌なら、見なければいい』

 そう思う方が大半でしょう。

 ですが知ることが、なにも出来ない私にとっての亡くなった方へのとむらいだと、今考えても思うのです。



 毎日のようにテレビに映る津波の映像。

 大切な人を探す声。

 日がたつにつれて増えていく犠牲者達。

 目をおおいたくなるような悲しい出来事が、身近な場所で実際に起きていたのです。見ないふりなんて、出来ませんでした。


 そこにいた方々は、どんなに恐ろしかったことでしょう。伯母達は、どんな思いで被災したのでしょうか。私には想像して、手を合わせることしか出来ません。


 あの美しかった海が、

 楽しい思い出が沢山あった海が、

 悲しみと苦しみを連れてきてしまった。

 私はその事がすごく辛かった。


 幼い子供達はどんな思いで、最後に『お母さん』と叫んだことでしょう。

 子供を逃がすために自らを犠牲にした母は、どんな思いで幸せを願って『子供の名前』をささやいたことでしょう。

 逃げられないと悟った瞬間、『大切な人』と考えた『名前』で呼び掛けながら、母親はどんな思いでお腹を撫でたことでしょう。


 私はいまだに津波の話題があがるたびに、彼らの最後の瞬間を思い、涙を流してしまいます。きっともう、忘れることは出来ないでしょう。でも、それでもいいのです。

 必死の思いで福島の実家へと電話をかけ続けた母は、三年前に亡くなりました。

 震災当時、走行中の揺れる首都高で覚悟を決めたと言っていた義父も、今年の一月に亡くなりました。

 震災の体験を知る人は、これからは少くなる一方でしょう。

 だからこそ辛い経験だけれども、無理して忘れることもないと思うのです。



 地震は、天災です。

 私達は今『予報』は出来ても『予防』は出来ません。

そなえる』ことしか、出来ません。

 特別なことなど、必要はありません。

 忘れないことが、大切なんです。

 頭の片隅に、ほんの少しでもいいのです。

 忘れなければ『そなえ』のための選択肢が、もっとずっと増えるんです。

 大切な誰かを、守ることが出来るのです。

 それは、あなたかも知れませし、

 あなたの大切な誰かかも知れません。

 


 あの日、誰かの名前が呼ばれました。

 その名前は、誰かの大切な人でした。

 沢山の名前が、沢山の人によって呼ばれました。

 願わくば一人でも多くの人が、

 返事をすることができる未来でありますように。

   

        

    (誰かの名前が呼ばれた日 完)

 


 ここまでお読みくださってありがとうございました。

 私自身大きな揺れを経験し、長いこと親戚の安否が不明だったり、妊娠中だったこともあって、すっかり津波がトラウマになってしまいました。

 深く思い出すと涙が出てきてしまって止まらないので、最後の方は細切こまぎれの表現になってしまいました。読みづらくて申し訳ありません。

 しかしこの10年を区切りにして、語ることで少しでも前に進めたらと思い、このお話を書かせていただきました。

 少しでも、皆様のお役にたてればさいわいです。


               織香











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰かの名前が呼ばれた日 織香 @oruka-yuno

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ