津波

 私はまず、実家の母に電話をしました。実家も関東圏なのですが、私の家よりかは震度は小さかったですね。私、と言うよりかは長女の安否を聞きたいだろうと思ったのです。それに、もう母の姉妹から何か連絡がきているかも、との思惑もありました。

 しかし、繋がりませんでした。確か連絡が取れたのは、次の日の午後だったような気がしますね。

 その時はとりあえず、父の携帯にメールを送りました。

 メールの機能は生きているらしく、家族の無事は割りとすぐに確認できました。

 しかし、福島に住む親戚は誰一人連絡が出来ない状態だったようです。電話が繋がらない。携帯にかけても駄目だめだったそうです。


 情報が欲しくて、私はニュースに釘付けになりました。ニュースでは日本地図に見たこともない、赤と白の大津波警報。予想は10メートル以上。あり得ないその数字に私はどこか『まさか』と、軽く疑いの目を向けました。

 その『まさか』が本当に来るなんて。この時は思ってもみませんでした。


 その大津波警報は福島県も包んでいたのです。その後何度か電話をかけても、伯母おば達の携帯は繋がりません。

 何度も何度も、かけても繋がることはありませんでした。

 そのうちにテレビの中では、小さい頃に連れていってもらったことがあった港が、海に飲み込まれていきました。

 家が簡単に崩れて流されて。

 木造の家屋かおくが土煙をあげてバラバラになってゆく。

 そこで暮らしていた方の、生活が海に奪われていく。

 信じられない光景が、テレビに映っているのです。

 母の実家に向かうときに通った道も、膨れ上がった海によって、画面から消えていきました。


 自分が知っている町が、小さい頃に、確かにいったことがある場所が、津波によって壊されていく。

 ……これが本当に日本で起きているのかと、信じられませんでした。


 呆然としながらも画面を見入っていると、とある地区が写されます。

 瓦礫がれきが波打っているその地区の名前は、伯母の一人が住んでいる地区でした。


「どうしよう……。おばちゃんの家がある地区だよ……」

「まだ連絡がつかないだけかもしれないから、あんまり焦らない方がいいよ。お腹の子に悪いよ」


 確かこんな会話を交わしたと思います。もう頭のなかが真っ白で、夫が私を心配そうに見ているのさえ、気付かなかったようです。



 それから2週間ほど、実家の母と私の姉妹達とで協力して電話をかけ続けて、やっと繋がり全員の無事が確認できました。

 生きているとわかった瞬間、体の力が抜けました。力が抜けると立っていられないのは、本当です。安堵あんどのため息をはいて、私は座り込みましたから。


 その当時は『災害用伝言ダイヤル』なんか頭の片隅にもありませんでした。伯母達もそうみたいで、利用はしなかったと後で聞きました。

 幸い、津浪に襲われた地区に住む伯母の家は高台にあり、津波の難を逃れたそうです。

 ですが無事だった伯母達の生活も、津波によって崩れさってしまいました。

 これはその後、電話が繋がりやすくなったときに母の妹と話した会話です。


『あぁ、(私)ちゃん? ごめんねぇ。心配かけて。避難所にいたけど家が無事だったから早めに帰って来れたんだよ。でも電話が全然繋がらなくてねぇ! うちは山の方だったから津波の被害には合わなかったんだけど、足の踏み場がなくってぇ!』


「無事で良かったよ~おばちゃん。テレビで見たらひどいんだもん! でも大丈夫? 何か必要な物はある?」


『大丈夫よぉ、ありがとうねぇ。でもすごかったよぉ……。お母さんのお姉ちゃん達(叔母さんです)も高台に家があったから津波の被害には合わなかったけれど、ご近所さんの家が流されていくのを見ちゃったんだって』


「……辛いね。大丈夫かな?」


『ざざざーっ、ていう音とばきばきーっ、ていう音がすごかったって。今は(山あいにある母達の)実家に避難してるのよ』


「そっか。無事なら良かったよ。必要な物は本当に(旦那が)送るから言ってね。そのくらいはさせてね」


『(私)ちゃんも余震に気をつけなさいよ』


 津波の被害にはあわなくても、散乱した家財などで元の生活に戻るのに2か月はかかったと聞いた覚えがあります。

 我が家は地盤がしっかりしていたので、お皿が割れたり、棚の物が落っこちていただけなのですが、同じ市内に住む夫の親戚の家は近くの道路が液状化で通れなくなり、大変だったそうです。



 私の暮らしている市は、震度5強だった様な気がします。今まで感じたような事も無いくらい、強い揺れだったのを覚えています。震源地から離れている私の家がこんなにも揺れているのです。伯母達の家はもっと強い揺れが襲ったのでしょう。

 それからも小さな揺れが何度も起きて、私はすっかり、つわりが重くなってしまいました。

 常に揺れることによって吐き気が強くなり、水さえ飲むことが出来なくなったのです。

 長女は津波の映像に恐怖を覚え、当時やっていたジブリの映画を泣いて嫌がりました。


 私達の生活も地震によって、少なからず影響を受けていたのです。


   


 追記(2021/3/20)


 先日初めて、YouTubeにあげられた当時の映像を見ました。

 震災を知らない子供達が、私の話を聞いて『当時何があったのかを知るため』に見ていました。当時とは違い、親戚の無事がわかっている分、恐怖は薄れていました。それでも涙は出てきます。被災された方の当時の声が聞こえてきたからです。

 私の住んでいる所は震度6強でした。

 赤と白の大津波警報はNHKの番組でした。

 つくづく不思議に思います。あんなに強い揺れの中、どうしてエコキュートを押さえていたのかな、と。

 だって倒れていたら今頃、私はここにいないのですから。

 

 



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