特別番外編 感謝の味
ある日、仕事が休みで自宅にいたミハイル・グストフは、洗濯物干しを終えたメイドのフェドーシャを捕まえた。
「フェーニャ、相談したいことがある」
「はい、何でしょうか?」
洗濯籠を置いたフェドーシャはエプロンの裾を直して、ミハイルに向き直った。
そんな彼女を前に、ミハイルはしばらくの間、黙っていた。
真冬のリュドミラの大地のように凍える美貌を持ち、「首刎ね騎士」と呼ばれるほどの実力を持つ若き騎士は、強敵を前にしているかのように険しい顔をしている。
何も知らない者が見ればメイドを叱ろうとしているように思われるだろうが、ミハイルとエレン夫婦のことを日頃からよく見ているフェドーシャはすぐに、「あ、これは間違いなく、奥様がらみだわ」と想像していた。
そうして、ミハイルが黙ること数十秒後。
「……おまえ、料理が得意だよな」
「ええ、そうですね。だいたいのものは作れます」
「料理を、他人に教えることはできるか?」
「そうですね……最低限は」
その時点である程度のことを察したフェドーシャだが、余計なことは何も言わずにミハイルの言葉を待つことにした。
ミハイルは「そうか」と頷くと、意を決したように息を吸った。
「フェーニャ。俺に……料理を教えてくれ!」
興奮気味のミハイルが言うにはつまり、ミハイルは日頃からエレンに抱いている感謝の気持ちを、何らかの形で表したいと思った。
贈り物は普段からしているし、エレンも喜んでくれる。だが、たまには市販のものを贈るのではなく、自分の手で作ったものをあげたいと考えるようになった。
残念ながらミハイルは、芸術方面にはまったく才能がない。手先自体は器用な方だと思うが美術センスのある知り合いの騎士曰く、「おまえには絵心や遊び心が欠如している」のが原因だそうだ。
となれば、芸術的才能のない自分でもまともに作れるものといったら、食べ物くらいだろう、と考え、フェドーシャに相談するに至ったのだった。
「前、エレンがトルトラトを作ってくれたが……あれは本当に、おいしかった。ああ、いや、おまえたちの料理に不満があるわけではないが……」
「分かっておりますよ、旦那様。愛しい奥様が作ってくださった料理が私たちの料理よりおいしく感じられるのは、当然のことです」
慌ててフォローを入れるミハイルに微笑みかけ、フェドーシャは、そうですね、と考える素振りを見せた。
「旦那様は、調理をしたことはありますか?」
「……まあ、野営先で切って煮るだけのスープなどを作ったことくらいかな」
「なるほど。では、初心者として扱ってもよろしいですか?」
「もちろんだ。俺でもできるものがあれば、教えてほしい」
初心者扱いされてもいっさい憤らず神妙な態度で受け入れるミハイルは、本気のようだ。
フェドーシャは頷き、キッチンの方を手で示した。
「それでは、基本は『切って煮る』だけの料理をお教えしますね。今すぐ、キッチンにお越しいただいても?」
「ああ、もちろんだ。うまい料理を作って、エレンを驚かせたい」
「ええ、頑張りましょうね」
料理初心者のミハイルにフェドーシャが提案してくれたのは、トルトラトに煮た煮込み料理だ。
あちらはワインで煮込むピリ辛だがこちらはミルク仕立てなので、ほんのり甘い。エレンは甘いものの方が好きらしいので、きっと喜んで食べてくれるだろう。
エプロンを身につけてキッチンに立つミハイルは、フェドーシャと通いのメイドの指示を受けて、野菜を慎重に切っている。
「旦那様、もっと小さく切った方がいいです」
「もっとか? これ以上小さく切れば、なくなってしまうのではないか?」
「いえ、こちらの根菜は長時間煮ても形が崩れにくいのです。むしろ、口が小さめな奥様のことを考えると、なるべく小さく切った方がよろしいかと」
「それもそうだな」
エレンの名を出されるとミハイルはあっさり頷き、白い根菜をさらに小さくカットしていく。妻に「おいしい」と言ってもらうためなら、ミハイルはとても素直になるのだった。
野菜を切って、一度茹でておくべきものは熱湯に通しておく。そして鍋に野菜を入れてバターで炒め、あらかじめ調味料を混ぜておいたミルクを投入する。
「甘い匂いだな……」
「とろみがつくまで、しっかり煮ます。鍋の底がすぐに焦げるので、ずっとかき混ぜていてくださいね」
「分かった。……料理とは、こんなに大変なものなのだな」
ミハイルが野営地で作ったぶっ込みスープは調理こそ楽だったが、仲間からの評判はいまいちだった。だが、こうして煮込み料理一つを作るのにこれほどまで時間をかけるものであるのなら、ミハイルの適当スープがまずくても当然だ。
ミハイルが真剣な顔で鍋をかき混ぜている間に、フェドーシャとメイドでささっと手早く他の料理を作ってくれた。そうしていると、エレンが帰宅した。
「ただいま……あれ、ミハイル?」
「おかえり。……今日は俺が、一品だけ作っている」
キッチンに顔を覗かせたエレンに言うと、彼女は寒さで赤くなった頬を押さえ、目を丸くした。
「……えっ、ミーシャが?」
「ああ。もうすぐできるから、待っていてくれ」
「う、うん。楽しみにしているね!」
そう言うエレンは本当に嬉しそうで、それだけでも料理に挑戦して善かったと思う。
……ただエレンのことを考えるあまりぼうっとしていて、フェドーシャに「焦げますよ!」と叱られてしまったが。
無事に煮込み料理が完成して、ミハイルとエレン、それぞれの椀に注いだ。
せっかくなのでミハイルは、協力してくれたフェドーシャたちにも料理を振る舞うことにした。二人は別室で食べるのだが、「ありがたくいただきます」と笑顔で言ってくれた。
「それじゃあ、食べようか」
「うん!」
エレンは笑うと、食前の祈りの後にすぐ、ミハイルの煮込み料理に手を付けた。
……事前に味見をしたが、普通に食べられる味だった。
それでもエレンの反応が気になり、ミハイルは自分の料理に手も付けずに、じっとエレンの動作を見守っていた。
エレンがスプーンを手に取り、ミルクをそっと掬う。ミハイルが丁寧に細切れにした野菜が浮かぶそれを、唇に寄せて――
「……あっ、甘くておいしい!」
「そ、そうか、よかった」
「うん! ほら、ミーシャも食べよう!」
「……ああ」
エレンに促されて、ミハイルも遅れて料理に手を付ける。
ミルク仕立ての煮込み料理は、辛い味付けが好きなミハイルにとっては少し濃厚で甘みが強く感じる。
だが――苦労して作ったからか、いつも以上においしく感じられた。
「本当においしい! ありがとう、ミーシェニカ」
「……俺の方こそ、いつもありがとう、エレン」
ミハイルが言うとエレンは手を止め、そしてふわっと笑った。
「……もしかして、料理を作ってくれたのは……お礼を言うため?」
「ばれたか。……普段、おまえには助けられているからな。その感謝を、形にして贈りたくて。……気に入ってくれたのなら、俺も頑張った甲斐があった」
「すごく気に入ったよ。……あ、そうだ。今度、一緒に料理をしてみない?」
「それもいいな。……だが俺は初心者だから、手加減はしてくれよ」
「ふふ、分かってるよ」
二人は視線を合わせると、同時に微笑んだ。
そうして口元に運んだ煮込み料理は、ミルクの味が優しくて、おいしかった。
首刎ね騎士の求婚理由 瀬尾優梨 @Yuriseo
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