第9話 茶色い虫

 茶色い虫




 誰からも忌み嫌われるアレだ。



 茶色というより、黒光り、と言った方が分かりやすいだろう。



 私は決してアレがこわいわけではない。



 アレを忌み嫌う人間がこわいのだ。




 忘れもしない、私が小学二年生の授業中にアレは現れた。



 クラス中から悲鳴が上がり、皆、蜘蛛の子を散らす様に逃げ回る。


 担任の女教師も同じだった。



 私はすぐに限りなく低い姿勢を取り、


 アレを電光石火の如く捕らえた。素手で。


 当然、殺してしまわぬ様にすぐに両手で空間を作る様に包み込み、教室の窓からそっと逃してやった。


 褒められると思って先生の顔を見上げると、なんとも不快感を露わにした表情を浮かべ、


 「すぐに手を洗ってきなさい」


 と、冷たく言い放った。


 クラスの皆からは「汚い」とか、「殺せば良かったのに」と言われた。




 私はこの時生まれて初めて知ったのだ。


 あの茶色い虫は、



 とても不潔で、人間から忌み嫌われていて、殺されて当然の生き物なのだ、ということを。




 果たしてそうなのだろうか。



 人はなぜ、嫌いな虫の代表として、アレを挙げるのだろうか。



 アレ以上に殺傷能力が高い毒を持った虫や、見た目が気味悪い虫などごまんと存在する。



 アレの見た目など、カブトムシやクワガタと大差ないではないか。


 そもそもアレは、人間より遥か昔、三億年も前から生き抜いてきた、生命力豊かな生きた化石ではないか。

 

 カマキリの祖先だって、元はアレだ。


 それなのに、人間はカマキリは喜んで素手で捕まえる癖に、アレは殺そうとする。



 少々不潔である事は、私も大人になって理解したが、殺されて当然、とまで忌み嫌われる理由だけは、なかなか納得いくものがない。





 とは言え、私も、自宅にアレが現れれば、スリッパで叩きつける。



 私は知っているからだ。



 アレは簡単に死んだりしない事を。


 なので、あくまでパフォーマンスの一環としてスリッパを叩き付ける。




 三億年もの間生き抜いてきた逞しい生命力は、スリッパ如き跳ね返し、また外へと飛び立っていくのだ。





 私はその後ろ姿に、目指すべきものを感じてしまう。




 「そんなに簡単に死なないよ。大丈夫だよ」





 そんな言葉が聞こえてきそうなくらい



 私はアレが、孤独で、逞しく、尊い存在に思えてならないのだ。

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世にも恐ろしい日常 サライ @sarai03

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