2回目の夢を見る

七種夏生(サエグサナツキ

2回目の夢を見る

 出会いは最悪。

 よく考えたら、俺が義理や罪悪感を感じることではないと思った。


「合格発表の人! やっぱりあなたも受かってたんだ!」


 高校の入学式、初対面の女の子にそう声をかけられた。

 どういうナンパの仕方だろう、呆れかえったのを覚えている。


「私のこと覚えてる? 合格発表の時に声かけてくれたんだよ!」


 覚えてるわけない。そもそも俺は、合格発表に行ってないんだから。

 何の因果か、中学三年間風邪をひいたことがなかったのに、その時だけ動けないほど気分が悪くなり家で寝込んでいた。

 次の日、学校に行ったら担任教師に「合格通知おいとくからな」と普通に言われた。落ちるとは思っていなかったが、もっと言葉があるだろう……。

 それはいいとして、今は彼女の話。


 初対面でありがとうと言われ、三日後に好きだと言われた。

 全てが突発的、先の見えない彼女の性格に、いつしか惹かれていった。


『大好きだよ。ずっと一緒にいたい、一生大好き』


 出会って三か月そこらの男に、よくそんなことが言えたものだ。

 若気の至り、思いついたことを口にしているだけだと思っていただが。

 最後まで、彼女の言葉に嘘はなかった。


「もう会えなくても、私はずっと好きだから」

「……んだよ、それ。意味わかんね」

「誓ったもん、ずっと好きでいるって。だから私は、一生忘れない。他に好きな人が出来てもたまに思い出して泣いたりして、ずっと好きなの」

「他に好きな人? あいつのこと?」


 言ってから後悔した。

 向こうも意外だったようで、目尻に涙が溜まった瞳で俺を見上げてきた。

 唇を噛んだあとに、言葉を紡ぎ出す。


「もし誰かを好きになるなら、真也の知らない人だと思う」


 俺の知らない人……。

 まぁ、普通に考えてそうなるだろう。明日から俺はここを離れて遠くの大学へ行く。地元が同じだからすれ違うことはあるかもしれないけれど、お互い見て見ぬふり、声はかけないだろう。

 声なんかかけてみろ、全力で無視してやる。



『ワンランク上の大学に通りそうなんだ。大丈夫、お前を幸せにするためだよ。四年間がんばって、迎えに来る』


 つい三ヶ月前に放った自分の言葉が、虚言になるとは思わなかった。


 大学に合格して、入学手続きをするまではよかった。旅行がてら街並みを見に行こうと二人で出掛けて、急に、不安に襲われた。

 煌びやかな街の灯り、知らない名前のスーパーや銀行、馴染みのない話し方。

 隣にいる彼女を見て、涙が出た。

 四月から俺はこの街で暮らす、一人で。一人の家に帰って一人で飯食って、一人で風呂に入って一人で寝る。

 その時には当然、隣に彼女はいない。一人で生きていく、彼女のことを誰も知らない世界で。

 俺の涙に気づいた彼女がハンカチを差し出してくれた。

 やめろよと手を振り払ったことは今でも心に残ってる。

 ずっと、後悔してた。



 そして今日、引っ越し前日に話を切り出した。


「遠距離で付き合っていく自信がない」


 俺の言葉に目を丸くした彼女だが、静かに話を聞いてくれた。

 時折頷き、最後に「わかった」と呟いた彼女。

 目は合わない、俺が背けているから。


「合格発表の日、声をかけてくれてありがとう」


 彼女の声は掠れていた。

 泣いているのだろう、だけど……やっぱり、向き合えない。


「あの時のおかげで私は真也を好きになれて、高校三年間楽しかった。ありがとう」


 だから、それ俺じゃないって。

 最後まで勘違いしたまま、別れの時を迎えた。

 俺だって三年間楽しかった、勘違いしてくれてありがとう。俺のことを好きになってくれてありがとう。誰だか知らないけれど、合格発表の日、彼女に声をかけた俺そっくりのやつ、ありがとう。

 もしその日に戻れるなら今度は俺が声をかけるよ。俺そっくりの誰かじゃない、俺が声をかけて、最初から俺を好きだって言わせる。

 そうしたら、もっとうまくいったかな?

 だって、お前が好きになったのは俺じゃないんだ。合格発表の日、お前に声をかけた俺の知らない、他の誰かなんだよ。

 どうして俺じゃなかったんだろう。



 さようならを言った記憶はない。彼女が片手を上げ、同じように片手を上げて別れた。

 帰り道のことも、帰ってからのこともよく覚えていない。

 全部明日でいい、寝よう。明日はきっと、反転する。

 彼女がよく言っていた言葉、『運勢は回り回ってる』

 例えば、昨日嫌なことがあったとしてもそれは大凶の運勢のせいだから、次は大吉が回ってくるからって。


『今日は災難だったね……大丈夫、大凶の次は大吉だから。明日は絶対、いいことあるよ。だから大丈夫』


 試合で負けた日もテストで悪い点とった時もそうやって、隣で励ましてくれた。

 次の日には薔薇の花束を抱えて学校に来た。


『プレゼントです! ほら、良いことあったでしょ。今日は大吉!』

『男に花を贈るなよ……ありがとう』


 クラス中どころか学校中の噂になって、名物カップルなんて呼ばれた。

 恥ずかしくて花はやめろと本気で怒ったら、次からはお菓子を作って来てくれた。

 弁当の後に食べる砂糖の味が甘すぎて、『幸せだ』と呟いた俺の言葉に、彼女は満足そうに笑った。


「災難だったな、今日……てことは明日は大吉か? 翻るだろうか』


 あれ?

 なに考えてんだろう、俺。占いなんて気にして……影響され過ぎてる、彼女に染まり過ぎてる。


 寝て忘れようと、その日は早めに眠りについた。





 * * *



 夢を見た。

 高校の制服を着た俺は、正門の前に立っていた。薄暗い曇り空から、粉雪が舞い落ちる。


「寒……」


 生々しい、感触のある夢だった。

 足元にはうっすらと雪が積もっている。

 積雪なんて三年ぶり……思い出した。三年前、突然の気温の変化についていけなくて風邪をひいたんだ。

 合格発表の日、ちょうど今日みたいな雪の日。

 ふと、首元にある紫色のマフラーが目についた。

 覚えてる、二年前の冬に彼女からもらったマフラーだ。


『借りてたマフラー、返すね』って。


 だから俺、マフラーなんか貸した覚えない、別のやつなのに。

 顔を上げると、校舎の前の掲示板に大きな貼り紙があった。

 五桁の数字が並んでいる……


「合格者番号?」


 貼り紙にはそう書かれていた。

 なんだこれ、夢だよな?

 まさか、三年前に俺が行けなかった合格発表……その日の夢?


「さむーい、昨日まであんなに晴れてたのになぁ」

 

 考え込んでいると、俺の傍を女子中学生が通り過ぎて行った。紺色セーラー服に紫色のリボン、彼女の部屋で見せてもらった卒業アルバム、それと同じ服装。


「うわー、さすがに誰もいない。寝坊して発表の時間に来れなかったもんなぁ、雪も降ってるし、寂しいなぁ」

 

 独り言、だよな?

 一人で呟きながら、彼女は合格者の番号が貼ってある掲示板へと歩みを寄せる。


『合格発表の時、寝坊しちゃって誰もいなかった』


 彼女が言っていたこと。

 雪が降り積もる掲示板の前で合格者番号を眺めていたとき、背後から声をかけられたと。

 なにしてんだバカ、の言葉と共に俺が紫色のマフラーを巻いたらしいい。


『そういそういえば真也、あのとき制服着てたよね? どうして合格発表の時に制服着てたの? 受かると思って買ってたの?』


 そんなわけないだろ。

 だからそれ、俺じゃない……俺じゃないと思っていた。

 なんだこれ、夢にしてはおかしい、生々し過ぎだろ。

 わかってた、嘘を吐くようなやつじゃないって。

 俺が一番、わかってたのに。


「なにしてんだ、バカ……」


 背後からマフラーを巻くと、びくっと肩を震わせた彼女が振り返った。

 不思議そうに俺を見上げ、顔を真っ赤にして「ありがとうございます」と呟く。

 先輩だと思ったのかな?

 そりゃそうか、今の年齢的にはそうだろうけど、安心しろ。


「同級生だよ。ついでに三年間、同じクラス」

「え?」

「合格おめでとう、澪」

「え、名前……あ、そっか受験票……合格?」


 振り返った彼女が、貼り紙に書かれた番号を目で追う。二つに結んだ髪型、頭のつむじを見ながら、愛おしさが込み上げた。

 俺だよ……俺が声をかけたんだ。

 あの頃の俺バカだから、たぶん最初はお前の大切さに気付かない。でも諦めないで、俺を好きでいて。俺を捕まえて……。

 両想いになるまで時間がかかるかもしれない、俺がお前を見つめるまで時間がかかるかもしれない。 

 だけど諦めないで、俺を好きでいて。

 そしたらきっと、楽しい三年間が待ってるから。

 傷つけるかもしれない、泣かせてしまうかもしれない。

 でも、


「俺だって好きだ」


 言葉が届いたのかどうかわからない。

 彼女が振り返ったとき、俺はもういなくなっていたらしいから。



  * * *




 * * *


 目覚まし時計はまだ鳴っていない、午前五時二十分。

 起きてすぐ、頬の辺りに冷たい感触があった。それが涙だと気付くまでに、時間はかからなかった。

 目元を拭い、携帯を手にとる。

 まだ寝ているだろうか、それとも悩んで眠れなかったか。


「……っ」


 どちらにせよ時間がない、飛行機の時間は十時。

 寝巻のまま、家を飛び出した。


 最悪な昨日だった。

 それなら今日は大吉に……いや、違う。


 大吉にするんだ。


 嫌な事があったら次の日にはいつも、彼女が俺のそばに来た。

 時には花束、時には甘すぎるお菓子、時には小さなキーホルダー。

 大吉にしようと、良い日にしてくれようと。


 幸せは待つものじゃない、来るものでもない。


 大好きな人に届けるものだ。



 例えば俺が今抱えている好きという気持ち、愛と一緒に。



 * * *



「澪! 起きてるか!」


 どれだけ近所迷惑なんだろう、向こうの親だっているのに。彼女の家の前で、必死に名前を呼んだ。

 あぁ、俺。ホントにバカだ。相手のこと考えろよ、迷惑だろうが。

 失いたくない、その気持ちだけでこんな。


「どう、したの?」


 玄関から聞こえた掠れた声、覗いた涙顔。

 一晩中泣いてたのか?

 俺に彼女を守る資格があるだろうか。まだ、許して貰えるだろうか


「昨日の俺の運勢は大凶だった」

「え? ……えっと、うん」

「澪、言ったよな? 大凶の次の日は大吉で、人生最高の運勢だって」

「あぁ、うん……真也?」


 不安そうな表情を浮かべる彼女。

 泣かないで欲しい、笑った顔が見たい。

 どう言えば喜ぶ、笑ってくれるだろう?


「今日の俺は、人生最高の運勢なんだ」


 ずっと言いたくて言えなかった。

 人生最高の運勢ってなんだよ、大吉の度にそうなるなら、人生最高が何回あるんだよって。

 言わなくてよかった。

 間違いない。

 昨日は人生最悪の大凶で、今日は人生最高の大吉だ。


「好きだよ、澪。四年後の今日また迎えに来る、今度はちゃんと俺が来るから」


 俺の言葉で、澪彼女の表情が変わった。

 不思議そうに首を傾げた後、顔を綻ばせて頷く。

 いつも通りの笑顔。三年間ずっと側にあった彼女の表情。


 これから四年間、遠距離恋愛になる。近距離恋愛、同じ高校に通った過去は今日でお別れ。

 明日からまた、大凶と大吉を繰り返すけど大丈夫。


 例えば、嫌なことがあったら俺に言ってくれ。

 次の日、俺が駆けつけるよ。

 大凶だったお前の昨日を、翻してやる。


 花束を抱えて、甘すぎる砂糖菓子も添えて。


 幸せを、大吉を俺が、届けに行く。



 近距離恋愛を卒業した日、過去との別れは最高だった。

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