夢を追う

くるとん

001 階段をのぼる

もし夢を叶えることができたとして、その先には何が待っているのだろう。最近そんなことを考えてしまう。まるで蜃気楼のように、近づいたら消えてしまうような存在なのだろうか。


ときに世間、特に学校という小さなコミュニティのなかでは、夢を語ることに勇気が必要だ。そもそも他人の夢を笑ったり、あるいはさげすんだり、そんなことは愚かだ。それでも、他人の悪気ない一言で、夢が壊されてしまったりすることもある。私もそんなことを恐れて、自分の夢についてはあまり語らない。


私は今日、冬島ふゆしまさんに会いに行く。二つ隣のクラスにいる男子だ。小脇こわきに封筒を抱えて、ゆっくりと廊下を歩く。まるで告白に行くかのような緊張感が漂っている。学校は既に放課後に入っているが、彼は教室に残っていた。



「冬島さん。」



声をかけると、彼は少し困ったような表情をした。実は彼に会いに行くのは、二日連続だ。昨日はあっさりと断られてしまった。それでも私は諦められなかった。私の夢を叶えるためにも、彼の力を借りたい。



「昨日も言ったけど、僕はもう小説を辞めたんだ。」


「今日はこれを見て欲しいの。私、本気だから。」



彼の言葉を遮るように、強引に封筒を手渡す。親友と呼べる友だちには見せたことがあるが、他人に見せるのはやはり恥ずかしい。そう、例えば部屋の机の引き出し、そんな場所を見られるような恥ずかしさがある。



「これは…結城ゆうきさんが描いたの?」



そう質問する彼の手の上には、私の作品が乗っている。三ページにも満たない短編マンガだ。一番の自信作だが、今のところコンテストでは落選が続いている。恥ずかしさが増す顔を隠すように、少し間をおいて首肯する。



「…すごい…。」


―――褒められた…。



彼は私のマンガを熱心に読んでくれた。あまり褒められた経験がないので、熱心に読んでもらえただけでも心拍数が上がる。



「昨日も伝えたけど、私、マンガを描いてるんだ。将来はマンガ家になりたい。」



はっきりと宣言するのには、やはり勇気がいる。少し声が上擦る。でも、しっかりと伝えないと、彼の心は動かせないと思う。



「でも、私にはストーリーを作る才能がない。だから、冬島さんの力を貸してほしいの。」



なんだか自分の言葉に、自分の心がえぐられる気がした。現実を受け入れることは、やはりとてもつらい。それでも、夢をかなえるために進む道、とげだろうとがけだろうと、乗り越えていく覚悟はしている。


彼が書いた小説は、本当にすごかった。昨日少しだけ見せてもらったとき、その力強さに圧倒された。人は見た目ではないと思っている。それでも、冬島さんの雰囲気からは想像もつかないほど、迫力のある作品だった。彼からの言葉はないので、後悔のないように、伝えたいことを伝えておく。



「来年の夏、マンガのコンテストがあるの。そこを目指して、作品を描き上げたいと思ってる。お願いします。」


「僕が小説を書くこと、変だと思わないの?」



突然の質問に、虚を突かれてしまった。しかし、ありのままに本心で答える。



「どうして?すごいことじゃん。」


「いや、だって…、みんなにからかわれてるし…。」


―――そうか、やっぱりそうだったんだ。



私が、彼が小説を書いていることを知ったのは、友だちから聞いた噂話だった。その友だちは決してそんなトーンではなかったが、少しあざけるようなトーンで伝わってきたらしい。少し腹が立ったので、言い返してしまう。



「そんなの、ほっとけばいいじゃん。どうせ自分たちじゃできないから、嫉妬しっとしてるだけだよ。冬島さんの小説すごくおもしろいもん。あんなすごい小説、誰もが書けるものじゃない。」


「…そうかな。」



彼の表情が少し明るくなった。別におだててどうこうしようという気は一切なかったが、結果的にはそんな感じになってしまった。しかし、彼の作品が素晴らしいのは本当だ。



「でも、ごめんなさい。僕はもう小説は書かない、そう決めたんだ。…結城さんの作品は、とってもすごいと思う。きっと僕なんかいなくても、夢を叶えることができるよ。」



彼はそういうと、足早に教室から出て行ってしまった。



―――やっぱりだめかな…。



放課後とはいえここは教室なので、何人か話を聞いていた人たちがいる。この際なので、いろいろと聞いてみることにした。



「ねえ、冬島さんに何があったの?」



男子の一人と目線があったが、すぐにそらされてしまった。これは私が悪い。少し口調が強かった。まるで尋問するかのような雰囲気にしてしまった。



「あ、ごめんなさい。」



似合わないであろう苦笑いを浮かべながら、謝る。私のイメージはどうなっただろうか。これは夜に思い出して眠れなくなってしまう気がする。そんな嫌な想像が頭を通り過ぎるころ、一つ間を置いて、うしろに座っていたボブカットの女子が答えてくれた。



「いじめられたんだよ。クラスの男子に。


冬島さん、いっつもオレンジのノートを大事そうに持ってて、何が書いてあるんだろうって皆が興味持っちゃって。一か月ぐらい前だったかな、男子の一人が冬島さんからノートを取り上げたの。」


「そこに小説が書いてあったんだ。」


「そう。私はすごいと思った。さっき…結城さんだっけ、あなたが言ったみたいに。でも、クラスの一部はそうは思わなかった。というよりも、たいして読みもせず、からかう口実が出来たぐらいの気持ちだったんじゃないかな。」



その後、少し耳をふさぎたくなるような話が続いた。陰湿なものというよりも、現代的に言えばハラスメントに近いようないじめだった。先生に聞いても否定するだろうけど、この学校には序列というか、カーストと呼ばれるものがある。そのなかで冬島さんは苦しんだんだ。


私は大人びている自覚がある。良いことなのかどうかはわからないが、少なくとも学内カーストがちっぽけなものだと思えている。世間の広さに比べたら、言い過ぎかもしれないけど、宇宙の広さに比べたら、目に見えないほど小さいはずだ。


もし私がいじめられて、誰も味方になってくれる人がいなくなったら、間違いなく登校を拒否する。いじめを楽しんでいるような人間と付き合うこと自体が無駄極まりない。そんな時間があるならば家で勉強するし、マンガも描く。なんならいじめを題材にしてやる、そんな気構えでいる。ただこれは、当事者になったことがないから言えるだけだ。そのことも、わかっているつもりでいる。


少し黙ってしまった私のことを、何か誤解したのだろうか、件の女子が言葉を無理に続ける。



「私は関係ないよ。まあ、止めなかったんだから同罪かもしれないけどね…。」



少し悲し気な顔をしていた。後悔のなかに、わずかに安堵が混じったような、そんな表情だった。


勝手な想像でしかないが、彼はいじめを告発するとか、いじめっ子を突き出すとか、そんなことを願っているわけではないと思う。私だったらそう思う、という安易な理屈でしかないけど。



―――だとすると、私がやったことは…。



後悔の色が私の思考を染めていく。教室という場所で誘うべきではなかった。今日は帰ろう。慌てても結果は変わらない。むしろ状況を悪化させる可能性すらある。


階段が何段かなど気にしたこともなかったが、今日は段数を数えながらおりていく。自分の足音が気になる。



「…結城さん。」



声をかけられ、現実世界に引き戻されたような気分になる。反射的に顔を上げると、そこには冬島さんが立っていた。



「冬島さん…。さっきはごめんなさい。」


「謝るのは僕の方だよ。同級生がいる前では、あんなこと言ったけど…。僕でよければ、書かせてもらいたいです。でも、マンガの原作なんて書いたことないから、その、いろいろと教えてください。」



敬語なのには少し距離を感じてしまうが、格好よく言えば仕事上の付き合いなので、気にしない。



「ありがとう、よろしくお願いします。」



頭を下げる。夢への階段を着実にのぼっている、そんな音が頭に響いた。

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